悲しくも切ない結末。
頬にビンタ(しかもかなり痛かった)を一発。
年齢的にできねぇだろ!!
というごく真っ当なご意見。
プンプン怒りながら遠ざかった後姿と、いつの間にかきっちり食べ終わっていたセット。そして、遊星の同情が浮かんだ眼差し。しかしそのすぐ後。
『…ケーキ、駄目か?』
心底悲しそうな声で呟かれて、あまり心配はされていなかったと知る。
最後にジャックの説教30分。最悪だ。
四月の一目惚れ〜後半〜
その日は帰ってから姉2人に指を指されながら笑い転げられ。数日後まだうっすら残る手形を父に見られ何故か頷かれた。
「俺もな、高校のとき先走って結婚を申し込み、ビンタされたものだ…血は争えんということか」
…も、って。何故知ってる。
「姉達を見ればわかるだろうが…それはもうキツイ女だったぞ。大変だった…」
お前も覚悟しろよ
言い残して仕事に行ってしまった父に、京介は尊敬の念を覚えた。姉達のあの性格をそのまま持った血の繋がらない母を、父は結局最後に落としたということだ。残念ながら血の繋がった母はそこまできつくなかった、はず。
と、京介は慌てて携帯を取り出し、父にメールを送る。兎にも角にも、ケーキがなければ話にならない。毎週恒例行事がなくなった事は年単位でないが、もしもということもある。
今週未来の嫁がうちに遊びに来る
これでよし。
父は基本的に子供に甘い。そしてひっそり自慢したがり。でも独身の方々にはあまり意地悪をしたくないので、独身の弟にひっそり自慢(身内だから気にしない)する。自慢された弟は可愛い(らしい)兄の行動にひとしきり身悶え、それから考えるだろう。
いつもよりもケーキを多めに買って兄を喜ばせた後、さっさと連れ出そうと…
しかし京介は知っていた、父が日曜出勤だということを。そして拝め奉らんばかりに父を崇拝している部下も出勤である事を。
我が父ながら 何この三つ巴変則型 と思わない事もないけれど、使えるものは使うが家訓だから問題はない。子供3人もいればもういいだろとも正直思うところだし。
どちらにも協力する気はさらさらないけれど。
「クロウは来たくないそうだ」
「…まあ、そういうオチだとは思ってたけどな……」
計画通り叔父を追い出して、ケーキだけは確り頂いて(3件分くらいのとりあえず全部だった)。上の姉は仕事、下の姉は大学。
完璧な計画唯一の難点は、お目当てのクロウが来ない事。
そこまで計画通りに行かなくてもいい…頭を抱えながらそんな事を思っていた京介は、そっと肩に置かれた手に振り返る。
そこにはジーンズにパーカーという、ジャックが言ったとおりの遊星がいて。心なしか寂しそうな目で。
「…頑張って説得した。凄く頑張った…それでも、駄目か?」
彼女は本気で、ケーキが楽しみだったのだろう。クロウがこないと言えば京介が食べさせてくれないかもしれないと、わざわざ説得してくれるほどに。それでも連れてくる事ができず、食べれないかもしれないと思うと涙眼になってしまうほどに。
遊星の背後に立つジャックの顔が怖くて見れない。何故自分の家の玄関でちょっと落ち込んでいるだけで、なんでこんなに睨まれるのだろう。
「正直、本気で食べてくれないと俺がやばい。遊星とジャックだけでもやばい」
ため息をつきながら招き入れた居間で、ジャックと遊星は京介のやばいを本当の意味で理解した。
「凄い、数えたら52個ある」
遊星が数を言った途端、携帯の向こうで小さな叫び声が聞こえた気がした。クロウもどうやら、やばいの意味を理解してくれたようだ。
「あんたの叔父さんアホだろって、クロウが」
「ああ、本気でアホだと思う」
「アホだって…うん、うん……わかった」
指で丸を作りながら携帯を切った遊星に、京介は一転晴れやかに笑った。アホな叔父をこんなにありがたく思った事はない。
リビングの、そこそこ大きなローテーブルにぎっしりみっちり置かれたケーキの箱。遊星は携帯をしまったあと、その前に陣取りキラキラと目を輝かせている。その横ではジャックが、まるで自分の手柄の如く誇りに満ちた顔をしていた。
まあそれはいいとして。京介は笑みを引っ込め、かくんと首を傾げる。
「…クロウって、俺んちわかってんの?」
頬をぱんぱんに膨らませたクロウが、駅の改札から出てきた。そのすぐ後京介を見つけ、更に不機嫌な顔になる。
しかし申し訳ない事に、京介はそんな不機嫌なクロウを見ても笑みが消えない。どころか、酷くなるばかりで。
「その顔きもい」
「ああ、きもい顔してんだろうなって気はしてた」
でも無理なんだもん
可愛らしく言ってみれば、物凄く嫌そうな顔が返って来た。それでも嬉しい。
予想に反して、クロウは随分と女性らしい格好をして…いるはずもなく。遊星と同様、ジーンズにTシャツ、薄手のジャケット。それでも京介には誰よりも輝いて見えた。原色のTシャツとか、洗濯のし過ぎでまるでビンテージに見えなくもないジーンズとか、何もかも。
「可愛い」
はぁ?って、ちょっと裏返った声も。照れ隠しに飛んだ拳も。うん、多分照れ隠しだ。思った以上に痛いけど。
殴られた脇を摩りながら、家に向かう事にする。本当はこのままデートでも…と言ったらきっとまた、顔面に拳が飛ぶから。
それでも暫く歩いて、京介は極度に困ってしまった。
会話がない。
いつもならどんな相手にだって、臆することなく適当な話を振る事が出来て。そこそこ楽しませる事だって、バイト柄得意な方。なのに一番肝心のクロウに、何も話せない。
ちろと横を向けば、視界の下の方にふわふわ揺れるオレンジの髪。警戒からか、ひとり分ほど間を空けた距離感が物凄く寂しくて。でもどうしてだか、かなりマイペースな性格だと思っていたのに、強引に踏み込む事が出来なくて。
あああぁぁ!!とか叫びたい。無性に走り出したい。でもクロウからは離れたくない。こんなに厄介な感情が自分の中にあったなんて、京介は初めて知った。自分の中に存在し常に活動するロジカルな部分が、エラーを起こして警報すら鳴らない。
困る、これは心底困る。いつの時代のどの人に聞けば、この厄介な…
「…鬼柳、だっけ?」
「はいっ!」
思考にどっぷりと浸かっていた京介は、唐突な呼びかけについ良い返事を返してしまった。慌ててクロウを見れば、不機嫌な顔から呆れた顔へ。
この顔はとても好きだ、許された気になる。
「こないだ叩いたの、謝らないからな」
謝る?
首を傾げた京介に、クロウの目元がうっすらと朱に色付く。ああ、これこそが照れ!!
「結婚しようとか!初対面の相手にくらい、もうちょっと冗談加減しろ!」
「え?冗談じゃないよ?」
パタとクロウの足が止まった。あと2分ほどで家だったのに、こんなところで帰ると言い出されたら困るな…考えながら自身も足を止めた京介は、また憤慨した顔のクロウを見て、なんだかんだ言ってこの顔も可愛いと思う。
勿論空気を読んで、そんな事はおくびにも出さないけれど。
「あんたさぁ…うちの学校で王子とか言われてる鬼柳京介だろ?そんな奴にいきなり結婚しようなんて言われて、本気だと思うか?」
…………?
「?俺は生まれも育ちも庶民で、ロイヤルな人との繋がりは一切ないよ?」
「?」
「仮に家系図辿って辿ってお貴族様にぶち当たったとしても、日本で貴族制度はとっくの昔に廃止されてるから、まったくなんの権限もねぇけど。つかその基準で行くと貴族でも王子じゃねぇし。日本の場合は皇族だから、そのまま帝だよな」
「??何の話?」
「いやだから、王子じゃねぇって話」
3秒ほど、沈黙が続いた。それから、長い長いため息。クロウは憤慨した顔から、呆れた顔に戻して。
「あんた、頭いいけど馬鹿とか言われない?」
「え、何クロウってエスパー?」
クロウの中で、京介馬鹿認定が迅速に施行された。そしてありがたくない事に、なんとなくあの結婚してくださいが京介の本気だということにも気付いてしまった。これは困る。
「…普通、付き合ってから結婚じゃね?」
苦し紛れに零れた言葉は、京介の表情を急激に明るいものへと変えていく。
「そっか、それだ。クロウ、結婚を前提に付き合ってください」
結婚は絶対外さない
最低でも京介の気迫は、クロウに伝わったようで。きっと断ったところで諦めないんだろうなということも、伝わったようで。
クロウの喉から、よくわからない呻き声とともに長い長い長いため息が漏れた。
自棄食いとばかりにケーキを貪り食うクロウと、無表情に絶え間なくケーキを口に運ぶ遊星の姿は圧巻だった。みるみるうちになくなっていく。ジャックはあまり食べないが、2番目の姉が作っていった丼グラタンには遺憾なくその胃袋を駆使してくれるだろう。
京介はにこにこと、そんな三人を眺めている。多分彼は、まだ短い人生の中でも最高の幸福感に浸っているのだろう。
「…クロウはもう少し粘ると思っていたがな」
そんなあからさまに鬱陶しい京介を見て、ジャックがポツリと呟いた。途端にギンと睨んでくるクロウにも、彼は動じない。
短い付き合いの中でも、ジャックは京介の性格を大体わかっていた。哀れにも京介に欲しがっていた答えを示し、しかもそれを否定して見せたクロウ。完璧だ、京介の望む全てを瞬時に与えた、これはもう最終通知を自ら突きつけたようなものだ。
京介にとってクロウは、限りなく彼の理想とする母性に近づいたのだろう。それがわかってしまうからこそ、皮肉にも同じ感情を少しならず遊星に感じているジャックだからこそ、その本質も理解できる。
寂しい
答えて欲しい、許して欲しい
全てをわかった上で、全てを受け入れて欲しい
そんな子供じみた本質。母から子へ与えられるはずだった全てを、手にする事の出来なかった子供達。
そこまで考えて、ジャックはゆるく皮肉げに笑った。
「まあいいさ。いざとなったとき用に、俺の将来は今ここで決まった」
「何の話だ?」
「なりたい職業」
「何?」
問うたのは京介なのに、すっと視線を上げた遊星にジャックは宣言する。
「弁護士だ」
END
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