夜のハイウェイと旧式のコルベット。ルート66をひた走るにあたり、これほどまでに相応しい車はない。
旧時代の遺産は今も猛々しくエンジンを回す、まるで獣が唸りをあげるように。
まあ車体の低い相棒は、ご丁寧にも道路のど真ん中に破棄された不良品タイヤ(要するにパンクしたタイヤだ)には酷く無防備だ。当たったら最後、大破する。この大国は、残念な事に道路への不法投棄が後を絶たないのも事実。
でもそれがなんだ、今は怖いものなんて何もない。アスファルトの凹凸をダイレクトに伝えるハンドルは、何時間運転した後だってぶれる事はない。
助手席には守るべきものがいる、たったそれだけで何にだって立ち向かえると思う。
まあ当面立ち向かうべき相手は、タイヤとあとは潅木に隠れて虎視眈々と獲物を狙うパトカーのサイレンくらい、だけれど。
「天使の守護する砂漠の街から、川が支配した大自然の驚異まで」
助手席に座るクロウが、突然口を開いたと思えば本日何回目かの言葉。





昼に行き成り鬼柳のマンションを尋ねてきたかと思えば、車を出せと騒ぎ立て、そして言った。全快の笑顔で。

天使の守護する砂漠の街から、川が支配した大自然の驚異まで

まるでタクシーに、行き先を告げるかのようにあっさりと。
幼馴染達はどうしたとか、何故わざわざ回りくどい言い方をする?とか。そんな問いよりも何よりも、まず鬼柳がしたのは頷く事。
キラキラと輝く青灰が、鬼柳の中の反論や疑問なんて全部ぶっ飛ばしたのだから仕方ない。
「確かに名前に天使は入ってるけどさ、LA。このドラッグ塗れの街は、本当に守護されてんのか?」
軽口を叩いて、あとはローテーブルに放置していた鍵を掴むだけ。
グランドキャニオンまでは、800キロ?900キロ?12時間ハイウェイを飛ばせばすぐにつく。一日中不眠不休で運転してカナダまで、言われるよりずっとまし。
鬼柳がLAで仲良くなった3人組は全員がバイク派で、中古の車を購入したと知った途端発生した数々の暴挙。カリフォルニアからアリゾナなんて近い近い、言えてしまうほどの事を今までやり遂げてきたのだから、そのときの鬼柳は軽い気持ちだった。
クロウが始終上機嫌だったのも、軽い気持ちに拍車をかけたのだろう。
「飛ばすだけじゃ生温い、ぶっ飛ばせ!」
Step on itじゃなくReckless driving
バシと鬼柳の背を叩き、クロウがケラと笑ったから。
「…俺のコルベット、稀に見る安全運転なんだぜ?」
言いながら、200までなら余裕だな…考えていたのも事実。結果、まあ160キロくらいの速度で、安全運転過ぎると文句を言われた程度。
長い長いドライブは、闇が色濃くなった早朝のキンと引き締まった空気の中、何故かテンション高く。国立公園まであと少し、助手席のクロウはずっとずっと笑顔だ。





「ついたらあれ、ドリームキャッチャー買ってやるよ」
ラジオから垂れ流されるヒットチャートを口ずさんでいたクロウが、また唐突に口を開く。クロウは何故か、ドリームキャッチャーが大好きだ。プレゼントと称して、勝手にフロントミラーに吊るされたドリームキャッチャーの数、4つ。
「俺お前の中で、どんだけ悪夢見る奴だと思われてんの?」
蜘蛛の巣部分はさほど大きくないのに、何故か羽飾りが異常に大きなものばかり。おかげで窓を開けると、羽が視界を遮ってとても危険…言えないまま気付けば4つ。
でも勿論鬼柳は、悪い気なんてしない。クロウから貰ったプレゼントの全てがドリームキャッチャーだって、文句があるはずもない。
だって好きな子から貰ったもの。好きだとは…まだ伝えていないけど。
「今度はでかいの。んで、こいつらは俺が回収すんの」
クロウの指が、一番大きなターキーの羽に触れる。ふわりと柔らかい産毛のついたそれは、きっと鬼柳よりもクロウの方が気に入って触れていた。だから鬼柳も一番のお気に入り。
「返さねぇよ!俺すげぇ悪夢見るから、5つだって全然余裕だ」
どっちだよ!
叫びと共に弾けるような笑い声。
鬼柳は共に苦笑を漏らしたけれど。この4つのドリームキャッチャーだけは奪われない事、そう強く心に刻んだ。
だってクロウと知り合ったきっかけ。悪夢を捕まえてはくれなかったけれど、それ以上に大切なものを手に入れた。





誕生日なんだってな、これやるよ
突然言われて突き付けられたドリームキャッチャー。
その時鬼柳はカリフォルニアに来たばかりで、友達もなく時間も持て余し。どうせ暇ならとっとと免許を取ってしまおうと筆記試験を受けた。その書類に書かれた誕生日が、試験当日で。当然鬼柳はそれを狙ったわけだけれど、まさかハッピーバースデーの大合唱があるとは思わなかったわけで。
おかげでたまたまDMVにいた(何故当時14歳だったクロウがいたのかは未だにわからない)クロウにドリームキャッチャーを貰う事になり。インストラクターについて貰っての訓練の後、さっさと実技に受かった鬼柳の前に満面の笑みで現れて。
車はコルベットな!フロントミラーに丁度いいサイズだろ?
何故か買う車まで指定された。
でもそれ以来の付き合い。引き合わされた幼馴染二人がまた最高にエキセントリックで、同じ日本名を持つ遊星にすら散々連れまわされて。記憶している数々の事件のインパクトは、全てジャックに持っていかれたり。
でもそれでも。
突然突き付けられたドリームキャッチャーと、大きな青灰の目をぱちりと瞬いたクロウに敵うものなんてない。それから毎年必ず与えられたドリームキャッチャーと、少し恥ずかしげなハッピーバースデーの歌。
熱くて熱くて、少し郊外に出ればすぐに赤茶けた大地しかなくなるLAに。こんなに似合う子はいないと。眩暈がするほどの熱気の中、声を上げて笑いながら手を差し伸べるクロウが、どれほど鬼柳の心を救っていたか。
さてどれくらいだろう、思い出そうとしたときにはもう、恋に落ちていた。
あまりにもあっさり納得してしまって、ちょっとだけ笑ってしまうくらい、それは鬼柳の身体の隅々を満たす恋だった。












朝焼けにはまだ早い。うっすら積った雪を信じられないものでも見るように睨みつけながら、クロウはさっさと車から飛び降りた。慌てて積みっ放しの上着を持ち車を降りた鬼柳は、キシリと頬に冷気が張り付く気がして。
「クロウ、着ろよ!」
放り投げた上着が暗闇に消えたけれど、闇に紛れないオレンジが大きく揺れたから大丈夫。
まるで小さな砦のような形の展望台は、勿論開いていない。かさこそと上着を羽織ながら、クロウは少し恨めしげな顔。
「ここに売ってるんだ、ドリームキャッチャー」
ガラス戸を覗き込みながら呟いたクロウは、心底残念そう。でも勿論、国立公園内でドリームキャッチャーは至る所に存在する。ただ何処も、多分ホテルのラウンジすら、開いていないというだけで。
「店開くまで、車で待ってようぜ?」
くいと腕を引いたのに、クロウはフルと首を振り。向かったのは、砦の前方。驚くほど柵も何もないそこは、とても危険。少し足を滑らせたら真っ逆さまだ。まだ日は昇らない。
「クロウ!」
「大丈夫!」
咄嗟に戻そうと伸びた鬼柳の腕を、逆にクロウが掴んだ。そのまますとんと座り込んだクロウに、鬼柳も渋々座り込む。
12時間前まで砂漠のど真ん中にいた。勿論夜はまだ相当寒いけれど、雪が降るほどではなかったのに。ここには雪がうっすら積っている。
「…クロウ?」
クロウは寒さに強くない。上着を貸してもきっと、まだ寒いはず。彼はパーカー一枚羽織っただけ。ふるりと指先が震えたように見え、だから鬼柳はその手を掴んでいた。無意識に。





クロウがぱっと顔を上げる。座り込んでから、俯きがちだった顔。もうそこに、笑みはなく。ただ必死に笑おうとして、完全に失敗した顔。
何度か捕まれた手と鬼柳の顔を見比べて、それでもクロウはどうにか笑った。暗闇の中、笑った事だけはわかって。
「今から俺、変な事言うけど。多分あと10分くらいの間だから、聞き流してくれ」
手は、捕まれたまま。どころか、少しだけ握り返されて。
でも。
結局宣言した10分間クロウが言ったのは、たったの一言。
どうしてもぶかぶかになって、袖が余っている上着に顔を埋めて。繋いだ手が、徐々にきつく握られて。
たったの一言だ。
グランドキャニオンの赤い丘の隙間を縫うように、朝日が一筋の白い線を見せたその瞬間。
「なんで、帰るんだよ…ッ」
今まで以上に強く握られた手と、今にも涙が流れそうな掠れた声。
たったの一言。
うん、日本は遠いよな





「来週は絶対泣かねぇから今泣いとくんだ、てか泣いてねぇしこっち見んな!」
来週鬼柳は日本に帰る、4年間過ごしたLAを後に。多分クロウは、見送りの事を言っているのだろう。
「くそっ、もっとお前ぶっ飛ばせば良かったんだ!したら暗くてわかんねぇのに」
人のせいにして、文句を言うクロウなんて。きっと鬼柳しか体験した事がない。それがとても嬉しかった事を、クロウは知らないはずなのに。
「ずっといるって…全然、疑問にも思わないでッ」
何でこの子は、簡単に自分を甘やかすのか。鬼柳は最初から、不思議でならなかった。
「5つ目のドリームキャッチャー、ほんとは目星つけて、ちゃんと…ッちゃんと、お前のコルベットにつけてやろうって」
でも、ああこれがきっと、正しい恋という感情で。
「なのになんで、今更っ…帰る、なんて!」
そして間違いでなければきっと、きっと。
「俺…おまえにッ、なんもして、やれてねぇよ…」
この全身に染み渡るような、柔らかく純粋な恋は。
「俺…」
「クロウ?」
独りよがりじゃ、ない。
『好き、大好き。愛してるんだ、心から。恋しくて、焦がれて、それが苦しかったけど嬉しかった。誰よりも、何よりも大切で、大切すぎて辛いのに捨てたいなんて思ったこともなくて。こんなにお前を想えて、その感情だけで…俺はもう何一つ、必要なものなんてない』





鬼柳は絶対母国語を使わなかったから、突然流れ出した日本語にクロウが驚き顔を上げた。
濡れた頬。少し赤くなった青灰の瞳。でもその瞳に写る鬼柳の顔も泣きそうだから、お互い様で。
「これを一言で言うと…」
ひっそりと耳元で囁いた言葉に、ひくりとクロウの身体が揺れる。ぱちぱちと二回、瞬いた目からまた新しい涙が流れるまで、さほど時間はいらなかった。
それでも気丈に睨みつけてくるクロウの頬は赤く、少し怒らせたようで。
「今更…」
「知ってるか?クロウ」
でももう気にしない。言葉を遮っても、これ以上に怒らない事を知っているから。
「LAから日本まで9時間。日本からLAまでも、11時間だぜ?LAからここまでくるより早いだろ」
鬼柳は覚えている。ずっと沈まない太陽に向け飛んだ飛行機。機内で眠れずに、目を凝らして地表を探していた。肉眼で確認できるほどになって見たものは、赤い大地。何処までも続く、枯れ果てた。黄色い太陽と、建物ひとつない砂漠。
何もない…思っていたけれど。クロウと初めて顔を合わせたとき、咄嗟に思い出したのは機内から見た赤い大地だ。
グランドキャニオンも同じ、赤い丘。曲がりくねり、何層にも削られた丘。
何処も彼処も、なんてクロウに似合うのだろうと。この土地でクロウと共にいれば、きっと自分は怖いものなどないのだと。乱雑なLAの街中ですら、ずっとそんな事を考えていた。
「LAが恋しくなったとき、俺は絶対クロウを恋しいと思うから。恋しいと思ったらきっと、飛行機に飛び乗ってるから。9時間プラス11時間、待っててくれないか?」
まるでクロウがそこかしこに溶け込んでいるようなこの場所を。もう、手放せるわけがないから。
「……帰った瞬間、戻ってくる気かよ」
「実際無理だろうけど、まあ気持ち的には?」
おどけて言えば、クロウが笑った。
白い朝日に照らされた赤い丘、それを背に笑うクロウは本当に、本当に綺麗で。思わず唇に自分のそれを寄せてしまったって、きっと許される。
だってクロウも、唇が触れた瞬間目を閉じたのだから。










真っ白なドリームキャッチャー。50センチはあるかと思われるそれがフロントミラーに垂れ下がっているのは、心底邪魔なはずなのに。クロウが満足そうな顔をしたら、もう反論なんて許されない。
「蜘蛛の巣、な」
ここ、指差した円の中心。
「蜘蛛の巣だってわかってるのに、なんか…お前白いから」
初めて後姿を見たとき、カリフォルニアの太陽を集めるその姿に目を奪われて、ついふらふらと引き寄せられたのだと。少し恥ずかしそうに言うクロウの目元はまだ赤い。先住民の叔父さんに頭を撫でられ憤慨した程度には。
「太陽の光を砕いて散らせて、まるでそこだけが光の洪水で溢れてるみたいで」
その姿がまるで、悪夢を絡め取る蜘蛛の巣に見えて。何も考えずに、鞄にぶら下げていたドリームキャッチャーを渡していた。
話すきっかけが欲しいとか、お近づきになりたいとか。そんなこと考えず、ただ衝動で。別れた後は、実技でもう一度DMVを訪れるはずだと張り込んだ。残念ながらそれも衝動。
でも。
「名前教えてもらったときからは、ちゃんと自覚したからな!俺のが先に好きになったんだ!」
何故か誇らしげに宣言され、認めさせられて。また満足そうなクロウに苦笑を漏らすしかない。





結局砦が開くまで外で粘った二人は、頼み込みロッジを借り交互にシャワーを浴びて、そのまま抱き合って眠った。
本当に、抱き合って眠っただけ。おやすみとおはようのキスは、まあついたけれど。
少し残念そうな顔をした鬼柳に、クロウは言ったから。顔を真っ赤にして言ったから、だから平気。
「また天使の守護する砂漠の街で、光を砕いて散らしてくれるなら…俺のために。俺のためだけに。したら、うん…させてやっても、いい」
ほら、平気。
一週間プラス9時間プラス11時間、お預けはたったそれだけだ。



END




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