なんだかジーンズが突っ張る…
思いひょいと右足を上げた遊星は、スニーカーとジーンズの裾の間あたりに引っかかっている毛玉にゆるく首を傾げた。掌より少し大きいかなくらいの、ふわふわした毛玉。いったいいつからついていたのだろう?
しかしすぐに、それが毛玉ではないことに気付く。世間に疎い機械工学馬鹿の大学生である遊星にも、それくらいはわかった。手を伸ばして払おうとした途端、毛玉がうにゃっと鳴いたから。
子猫
払うためではなく抱き上げるために、慎重さを増した手でゆっくりと首根っこを掴み持ち上げれば、ふわふわの長毛種と思われる白い猫。今まで猫など飼ったことがないので、遊星にはその猫が飛びぬけて可愛いかどうかはわからない。でも見た感じ、その猫は随分と可愛らしく見えた。
うにゃうにゃと、その猫は首根っこを掴まれながらも自己主張を続けている。多分足に引っかかっていたのも、自ら突進してきたからだろう。なかなかに根性の座った子猫だ。
でも何処から…
思い辺りを見渡した遊星は、少しだけ後悔した。
3メートルほど先の壁際に置かれたダンボール。そこから覗く、二組の目。夜道でよくは見えないけれど、灰色っぽい毛並みの子猫と、茶色っぽい毛並みの子猫。両方とも掌に乗りそうな大きさの。
そしてダンボールには、お決まりの文字が書かれていた。

拾ってください

なんて無責任!
にしても、合計3匹の子猫。全部拾うには、勇気がいる数ではないか。










◆猫拾いました◆


ふわりと身体が浮き上がった、思えば目の前に見知らぬニンゲンの顔。青い目の、多分雄。でもまだ目が開いたばかりのその子は、ニンゲンを雄か雌か区別することはなかなか難しい。
『こいつは他のより小さいな…』
何かを呟いたニンゲンが、安心させるように人差し指で頭を撫でる。しかしそれどころではない。にぃと声を上げれば、遥か下からにゃうにゃうと声がする。
ずっと傍にいた兄弟が、声を張り上げているようだ。
にぃ
もう一度鳴けば、同じくらい小さいのにシャーっと威嚇の声。
『ああ、悪い。お前も連れて行くから』
またニンゲンが何かを呟いて、屈んだようだ。次の瞬間には、少し先に灰色の兄弟。
にぃにぃ
更に鳴けば、上の方から苦笑する音がして。
ぽふっと入れられた、暗い穴の中。コートのポケットだとということを、子猫達は知らない。ただ少しの間離れ離れにされた兄弟が、同じところに入れられたのは幸い。
灰色の兄弟が、しきりに額を嘗めてくる。しかしその子は安心してしまって、くわっと欠伸をしただけだった。





次に目が覚めたときは、兄弟が全員揃って柔らかい何かの上。灰色の兄弟がぺったりくっついている。白い兄弟は、ニンゲンに向けうにゃうにゃいっていた。よほどあのニンゲンが気に入ったのだろう。不可能と思われた箱からの脱出を、可能にしたくらいには。
「ここ、どこ」
わふわふと欠伸をしながら聞けば、灰色兄弟の長い尻尾が絡んでくる。
「あのニンゲンの家…だと思う」
じゃあ安心だ。あのニンゲンは怒鳴ったりせず、優しい声を出していたから。
今もニンゲンが、何かちいさなものを耳に当て、ひとりで喋っている。不思議な光景だけれど、もとよりその子にニンゲンを理解したいという頭はない。
「おなか空いたぁ」
今重要なのは、空腹。
「うん、すいた」
にぃにぃにゃうにゃう言っていたら、いつも母親がいてくれたのに。ここには母親がいないから、主張したところでミルクはこない。でも代わりに、ニンゲンが心配そうな顔で近づいてきた。
白い兄弟がすかさず飛びついて、目測を誤り落下する。凄くいい音がした。
「落ちた!」
「落ちたな!」
むずと動きかけたその子は、すぐに灰色の兄弟に押えられ様子を見に行けない。嫌々と手足をばたつかせていたら、いつの間にか喧嘩の真似事みたいになっていた。





◆名前つけます◆


空腹も忘れ遊んでいると、不意に抱き上げられ降ろされた場所は目の前にご飯。
「ご飯!」
ミルクと柔らかい魚。母親のものとは匂いが違うから、ミルクには見向きもせず魚に食いつく。いつの間にか白い兄弟も来て、競うように貪って。
『乳離れが済んでいるなら心配ないだろう。しかし明日一応獣医には連れて行ったほうがいい』
『ありがとう、ルドガー。俺も父さんもきっと、どの餌を買っていいかわからなかった。冷蔵庫は空だし…』
『本当にな。考えてみれば、今まで動物など飼ったことがなかったからな。ルドガー折角だ、夕食でも食べていってくれ』
『だから父さん、冷蔵庫は空なんだ』
ニンゲンが何か喋っている。しかも増えている。漸く一息ついて顔を上げればニンゲンが三人、じぃっと自分達を見守っていた。
最初にいたニンゲン、それに似た顔のニンゲン、全然似ていないニンゲン。
『一匹だけ小さいな…でもあれだけ食べていれば大丈夫だろう。全部飼うのか?』
『ああ…茶と灰色がとても仲がいい。引き離すのは可哀想だし、二匹引き取ってくれとも言い辛いし。白いのはなんだか、凄く懐いてくれているから』
『じゃあ名前を決めないとな!』
『…なんでここで張り切るんだ父さん』
何か喋っている。真剣に喋っている。気付けばまた灰色の兄弟が傍らにいて、興味なさそうにあふと欠伸をした。
その灰色猫が、ひょいと抱き上げられる。最初のニンゲンに似たニンゲンに抱き上げられる。
にぃ!
慌てて駆けつけようとしたけれど、お腹が重くて中々動けない。うごうごしている間に、全然似ていないのニンゲンに抱き上げられた。
『うっすら虎柄が入っているか?茶色というよりオレンジだな、この色では…みかん』
『それは…どう、だろう?全部男の子だし…白いのは、少しだけ茶色も混ざってるんだな。ライオンのタテガミみたいだ…ライオン』
『遊星…レオとしないところに美学を感じるぞ…』
『ルドガーも、オレンジにしないところはいい線だと思う…ライオン百獣の王…キング…の子供だからジャック』
『いきなりトランプか!』
『変化球。発想の転換、オレンジといえばハロウィンカラー…オレンジと黒でクロ…ウ』
『烏?!…まあ、お前の猫だからな、いいんじゃないか?ということで、お前はクロウらしいぞ。クロウだ、クロウ』
クロウ
何で何度も言うの?
「くろう?」
『おお、返事をしたぞ!』
何故か喜ばれた。この瞬間からクロウとなったこの子はしかし、そんなことどうでもいい。
にぃにぃ
じたばた暴れながら鳴けば、似ていないのニンゲンが降ろしてくれる。辺りを見渡せば、白い兄弟は最初のニンゲンにへばりつき離れようとしていない。灰色の兄弟は…最初のに似たニンゲンの膝の上。かちゃかちゃとまだ引っ込まない爪を鳴らし近づいても、何故か見つめ合い…というか、兄弟は睨みつけている。
にぃ
鳴いても、微動だにしない。でもそのすぐ後、ニンゲンがひとつ頷いたことで均等が崩れた。
『…鬼柳…京介さん』
『父さん!何故フルネーム?!』
『この子は、鬼柳京介さんという顔をしている。ほらよく見てごらん、鬼と柳と京と介が似合いそうな顔だろ?』
『……流石、親子だ』
『ルドガー!俺はここまで酷くない!』
ニンゲンが言い争いを始めた隙に、灰色兄弟はすいっと膝から降りてふぁと欠伸をした。





柔らかいふかふかしたものが敷かれた箱の中、先ほどまでうにゃうにゃ鳴いていた白い兄弟も、諦めたのか二匹が丸まるところにむりむりと割り込んできた。両側からぱしぱし尻尾で叩かれても、その長毛はびくともしない。
「名前なにになった」
先ほどジャックになった白い兄弟が聞く。でもクロウは、名前がよくわからないから。
「なまえ?」
「おまえ、クロウだって」
睨みあっていたのに、そこだけは聞いていたのか。のっそり起きだしてクロウの横に移動した、鬼柳京介さんが答えた。
「くろう…くろうって言ってた。じゃあにぃはきりゅ〜きょ〜さ」
「きりゅうきょうすけさん。でも長いから、きりゅうかきょうすけさんどっちかなんだろうな」
変なの
言うわりには興味がなさそうな鬼柳京介さん。京介さんはまだ長いから、鬼柳だろうか?
「きりゅ」
「にぃでいい」
ぺたりと額を擦り付けて。別ににぃはにぃだけを呼んでいるわけではないけれど。クロウが呼ぶほとんどの相手は鬼柳だから、本人がいいと言うならそれでいい。
「おい、おれはジャック…おい寝るな!聞け!」
ジャックが何か喚いていたけれど、他の二匹はとろとろと眠りについた。暖かい場所でくっ付きあって眠るのは、ひどく気持ちがいいことだから。





◆病院行きます◆


床になんだか袋が落ちている。クロウはくんと匂いを嗅ぎ、するすると入り込んだ。その後ろから、鬼柳も警戒しつつ入り込む。
「あな」
「穴だ…うぁっ」
『遊星君入ったぞ!』
『そうか、良かったな父さん』
突然がくんと持ち上げられ、背の高い紙袋に二匹、ちんまりと閉じ込められた。と思ったら、上からジャックも降ってくる。
「ゆうせいぃぃぃ!!」
うにゃうにゃ鳴いても袋はびくともしない。
「また外に出されるのか?」
その傍らで、クロウがきゅうと目を細め不安げな顔。鬼柳は慌ててクロウの額を嘗めた。
「何処いったって、おれたち一緒だ」
多分ジャックも
だからがさがさ揺れる袋も怖くない。自分にも言い聞かせるように、鬼柳はそう言ってクロウの鼻に自分のそれをつんとつけた。





次に袋から出されたのは、なんだかいやに暖かく変な匂いの充満した場所。
『子猫が3匹です、ほら』
『父さん、わざわざ取り出す意味がわからない』
『だって、可愛いだろ?!』
『ここは動物病院だ、診察室でいやでも見れるだろ!すみません…あ、これに記入ですか。3匹分…』
『遊星君、父さんは鬼柳京介さんを書くよ』
『…ああ、もう、好きにしてくれ』
ニンゲンが何か話しながら、何かをしている。ジャックは出されてすぐ遊星に飛びついたから、高い台の上に残っているのは鬼柳とクロウ。
クロウは先ほどから目を真ん丸く開いて、沢山の動物の匂いをふんふん嗅いでいるだけ。しかし鬼柳は、若干毛を逆立て全身で警戒していた。
なんだか凄く嫌な感じ、とても怯えた気配が充満している。これは…逃げないと!
にぃ?
突然首根っこを咥えた鬼柳に、クロウは不思議そうな顔。それも気にせずずるずる引きずる。クロウより大きいといっても、鬼柳だってまだ掌サイズ。華麗に運ぶなんて無理なこと。でもここに、クロウを残してなんていけないじゃないか。
『鬼柳京介さんが逃亡を始めたようだよ』
『父さんが出すから…』
『でもすぐに診察台に乗せられるだろ?ほらお前達、行こうね〜』
たとえ一瞬で捕まる運命だとしても、やらないよりはやってみた方がいい。





なんだか手馴れたニンゲンが、生後20日くらいとか体調に問題はないとか虫もいないらしいとか言っている。けれど正直、そんなことどうでも良かった。
ジャックはいい。遊星にしがみ付いていれば、大抵のことはやり過ごせたようだから。針を刺されたときだって、ジャックジャックと名前を呼ばれ、あまりの上機嫌にチクリがわからなかったほど。
けれどクロウが物凄く怯えた。怯えて鬼柳の腹に潜り込もうとするから、ころころ台の上を転がりつつ威嚇するという、わけのわからない事になって。結果的に、クロウ以外はそれどころではなく、何がなんだかわからない間に変な事は終わっていたけれど。クロウはトラウマになったらしい。
にぃにぃ
いつにも増して悲痛な声で、ずっと鬼柳にくっ付いて離れない。ニンゲンが手を伸ばしてくると、小さな前足でシャッと爪を立てる。
『ごめんな、もう帰るからな』
『餌と餌皿買ってやるからな』
優しい声で色々言われたけれど、暫くはへそを曲げたままだろう。
またぽいぽいと袋に入れられ、ジャックが凝りもせずにゃうにゃう鳴く。クロウもにぃにぃ鳴く。鬼柳はクロウを宥めるのに忙しい。だから彼は、自分の名前が話題になっていることに一切気付かなかった。
『ところで父さん、仕事…ちょ!』
『おお、専用カルテが全匹分。へぇ、ペットの苗字は強制的に飼い主のものになるんだな。しかも様じゃなくてちゃんなのか』
『父さん!鬼柳が不動 鬼柳京介さん ちゃん!になってるぞ!』
『最早何処で区切るかわからないな、不動鬼柳京介さんちゃん』





◆我が家です◆


無事にたどり着いた家。袋から開放され、いつの間にかひとりになったニンゲンにジャックが飛びつく。
そのニンゲンの名前は遊星で、きっと不動遊星というのだろう…それを漸く鬼柳は理解した。
へそを曲げたはずのクロウは、オレンジ色のくぼみがふたつある容器に興味津々で、もうさっきのことなど忘れているようで。
「にぃ、なんだこれ」
まだ細く小さい尻尾をぶんぶん振って、くんと匂いを嗅いでいて。
「ご飯入れるんだ、きっと」
オレンジと、水色と、白。ちゃんとそれぞれの餌入れが並び、トイレ用の砂もケースも用意され。囲いのついた柔らかい寝床も3つ。でも多分2つでいい。今なら全然1つでいい。身体が小さいうちは、どうせ固まって眠るから。いくら遊星が大好きでも、ジャックは毎晩真ん中に入ってくるだろう。
なんだか、落ち着いたなぁ
ゆらりとどの猫よりも長い尻尾を振った鬼柳は、とりあえず…オレンジの餌入れのくぼみにすっぽり嵌ったクロウを回収すべく、かぷりと口を開けた。





夜になってやっぱり割り込んできたジャックの背中を踏み、クロウの横に移動した鬼柳があふとあくびをする。クロウは後ろ足をジャックの腹に押し込み、鬱陶しそうに一度だけ蹴られた。
最終的に、ジャックが諦めるまで長毛布団での後ろ足保温を諦めなかったクロウが勝利し、背中はぺったり鬼柳の腹に押し付けて。
「うち、あったかい」
満足げに呟いた言葉。
うち、あったかい
「うん、あったかい」
「あったかいな」
なんだか他の二匹とも、ひどく満ち足りた気分になってしまって。
「ずっと一緒な?クロウ、ジャック」
穏やかな声でそう言った鬼柳に、クロウとジャックはごろと喉を鳴らした。



END




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