鬼柳、お前言ったよな?
俺は、絶対があるって信じることが出来るって、言ったよな?
俺、信じてた
信じられたんだ、馬鹿みたいにしぶとくさ
馬鹿みたいに…俺、必死で信じた
なあ、少しは褒めてくれるか?
あのときのお前に、少しは近づいたか?
目が痛い。何でか目が痛い。
朦朧とした意識の中、クロウは真っ先に感じた感覚にうっすらと目を開けた。
最初に理解したのは、常に自身の上に被さっていた影が消えていること。その次に理解したのは、常に触れていた温もりが遠のいたこと。
咄嗟に手を伸ばして、温もりを探す。
温もりは、すぐ傍にあった。ただ上半身を起こしただけだったのだろう、延びてきたクロウの手にするりと頬を当て、低く笑ってみせる。
「クロウ、朝だ」
囁いた声は掠れていた。
それに多少の気恥ずかしさと、全身に染み渡るような恍惚感を感じ。そこで漸く、言葉の意味に頭が回り。
「…は?朝?」
自分の口から零れた声は、掠れているなんて生易しいものではなく。しかもちょっと、ほんのちょっと馬鹿っぽい。
それを無視し、確り目を開けて。首を少しだけ動かせば、すぐ目に飛び込んでくる窓。外から差し込む光は、泡立てたばかりのメレンゲのようにふわふわと柔らかい、朝の光。
「……マジでか」
なのに。
クロウの口からぽろぽろと零れるひどい声は、どこか呆気にとられているようで。
そのとき、ベッドが一度だけ大きく軋む。それに合わせクロウの喉がひくりと動いたけれど、痛めすぎた喉は音を発することが出来ずひりと震えるだけ。
恨めし気に睨みつけたクロウは、ずっと触れていた頬から手を離そうとし、でも逆に掴まれて。
気付いたときには胸の上。コロンと転がされ、腰を確りと抱きしめられて。耳元ではケラケラ笑い声。
「鬼柳!」
咎めたくなるのも、仕方がないというもの。
入院していた病院から出た瞬間、目に飛び込んできた青光りする白。
生き返ったのだと、遊星から聞いてはいた。
あのときの記憶がすっぽりと抜け落ちているとも。
でもそれ以上をクロウは聞かなかったし、知りたい素振りも見せなかった。だから遊星は、それ以上を伝えなかった。
クロウは知りたくなかったわけではない。ただ、信じたかっただけ。
絶対に
絶対に変わらないもの。変わらないと信じたいもの。
決定的な決別を経てなお、あり続けると信じたかったもの。
駄目なものは駄目だと、駄目になるのは突然なんだと揶揄した相手が、駄目になって。最後の二択を間違えて。それでもなお、消えないものがあると信じたかった。
都合がいいなんて思わない。
この強さをくれたのは、背中を押したのはひとりだけ。だから、都合がいい考えかただなんて、思わない。
事実、会いに来たのだから。
ダークシグナーとしての記憶はないとしても。決別したときの記憶は多分あるだろう、なのに。
なのに、会いに来たのだから。
「悪ぃ、でもずっと入ってるわけにもいかないだろ?」
ここ
悪戯に伸びた指が、クロウの全く力が抜けた下半身に触れる。
先ほど引き抜いたペニスが抑えていた精液が、とろとろと流れ出しているアナル。
それはもう、朝日を見るくらい…多分半日くらい?ほぼずっと収まっていた場所。
でもだって、仕方がない。まさかこんな結末が待っていたなんて、想像も出来なかったから。最後の我儘、最後の甘えなのだと、そう言い聞かせて会いに行ったのだから。
「それより顔、もっとちゃんと見せろよ」
抱きしめていた腰を引き上げる。
普段は元気よく上に向かって立ち上がる橙の髪が、今はさらさらと額や頬に落ちていて。想像以上に増えていたマーカーに、影をつくる。触れすぎて、合わせすぎて赤くぷっくりと腫れた唇。情事の途中で何度も涙を流し、少しカサカサになった頬。すっと伸びた鼻に、赤くなってしまった、大きな大きな青灰色の……
「クロ〜ウ。何でこっち見てねぇの」
瞳は、微妙にずれていた。
京介の右肩辺りをさ迷う視線。右に首を傾げていけば、徐々に下がって今度は喉仏の辺り。もっと抱き上げれば、今度は左肩。
「またそんな、猫みたいな動き…」
「っだって、目…痛ぇもん……」
それはきっと、完徹のせい。ついでに涙やら何やらで弱ったところに、凶悪な朝日が突き刺さっているから。
「俺の顔見て痛ぇの?」
意地悪く言ってみれば、ふると震える皇かな肩と、胸の上に慎ましやかに置かれた10本の指。
全体的に華奢なのに、目と口が大きい。猫みたいな、最高に可愛い顔のつくり。真正面から見えないのは悔しいから、促すように背中を一度撫でる。
それだけでひくと震える身体と、すぐに睨みつけてくる大きな大きな青灰色の瞳。
「おはよう?クロウ」
笑み崩れるなんて簡単だ。もう二度とこんなに間近で見られるとは、思っていなかったのだから。
褒めてくれ
目が合った瞬間に、そう言った。クロウはそう言って、するすると近付いてきて。
褒めてくれよ、俺凄ぇ、凄ぇ頑張ったんだ
こんなことを言われる予定ではなかった。怒鳴りつけられるか、殴られるか…どちらかと思っていたのに。
信じてたんだ、ずっと信じてた
睨みつけてくるのは、怒りからではない。上気した頬、寄ってしまった眉。震える声。
何があっても大丈夫だ、ぶっ壊れたって暴走したって一生手の届かないところにいったって!関係ねぇ、関係なかったんだよ!
ああ、泣きそうだ。今にも泣きそうだ。早く、早く抱きしめて、大丈夫、言ってやらなくちゃ。思ってはいるのに、俺がいるからなんて、きっと口が裂けても言えない言葉。
なのに、ああなんで。
いつの間に、甘やかすなんて芸当覚えたのか。
すっと目を細めて、レモンイエローの瞳を細めて笑う京介の方が、実は凄く猫っぽい。
クロウは随分前からそんなことを考えていたけれど、あえて言わない。猫みたいな仕草をするわけではないから。行動はどちらかと言うと、犬だから。
ただ少々、忠誠心に欠ける野良犬だけど。
「…おはようなんて言うならな、少しは寝かせろ」
顔を見せろなんて、恥ずかしい言葉。素直に聞いてやるのが悔しくて、そっと額を合わせてみる。近すぎて、これならちゃんと見えない。
なのにやってみたら、自分からもちゃんと見えなくて。失敗した、思っていたクロウとは逆に、京介は少し驚いたように目を見開いて。それからまた、きゅっと細くなる。
きっと笑った。
「クロウ可愛い」
途端、ヴヴと唸る。返事になってない。それに可愛いなんて言葉、聴き慣れていて嬉しくもなんともない。こと京介に関しては、だけれど。
甘い蜜の中にとぷんとぷんと漬け込まれるような、そんな感覚は昔と一緒。それが親愛か愛情かの違いだけ。
隠しているか、隠していないかの違いだけ。
今ならわかる、京介が好きだと言ったとき。あの時もう既に、終わりを見ていた。
常に引いた視線で周囲を見渡すことの出来た、戦略に関しては随分と冷静だった京介は。きっと自分を一番よく理解していた。たかが十数年の人生観しか持っていなくとも。
多分まだ、その域には達していないな…そんなことを思ったクロウは、それでも少しはましになったと自覚する。
ましになった。多分今後何度も言うだろう我儘も甘えも、ちゃんと自分の気持ちを理解した状態で言えるだろう。
「鬼柳、ケツ気持ち悪ぃ」
「風呂行くか?」
即座に返ってくる返答は、クロウの望むものではなかった。
京介を見たら条件反射のように甘えてしまうクロウと、クロウに何か言われたら条件反射のように甘やかしてしまう京介。
物凄くぴったりと、正しい場所に正しいものがあると思われる行動。ただ足りないものがひとつ。たまにはもっと、即物的になってもいいはずだ。
「なんかだらだら垂れてっし」
「ああ、じゃあ俺が抱えて…」
「だから、塞いで」
だって、まだ足りない。
腕を掴まれて、慌てた様子で引っ張られたとき。
凄く、凄く嬉しかった。
慌てる京介
慌てすぎて、きっと何処に連れて行けばいいかもわかってない京介
ありえないこと。過去一回だけクロウを怒りに任せ怒鳴りつけた、それくらいにありえないこと。
見た目と言動で騙されがちだけれど、京介の頭の中は常に何かを繋げ筋道を立てている。
カチカチカチカチ
精密な機械のように、と言ったら絶対怒るけど。
きっと頭の中の京介は、あらゆる情報の糸に囲まれて、身動きなんて取れないから。
たまに癇癪を起こして、ぶちぶち切れてしまうから。
腕を掴み返す。
振り返った京介は驚いていたけれど。
たまには引っ張ってやる。それが出来るようになったから、気にしない。
混乱して悲しくて、見捨てるしかなかった過去とは違う。
たかが十数年の人生、でも何かを引き上げる力はつけたはず。底辺で喘いでいたって、手を差し伸べる勇気と根気くらい、いやでもついた。
恐ろしいくらいに記憶がない。どれくらいないか考えるのも恐ろしいほど。
ただ記憶のない間、クロウは傍にいなかった。それだけはわかるから、まあいいやとも思う。
クロウは記憶のない間のことを知っているようで、断固言わない姿勢をとっているところから、きっと何か迷惑をかけたのだろう。遊星や、ジャックにも。
それは申し訳ないと思うけれど、それ以外はまあいいや。
そんなことより今は、発情期の猫みたいになぁおなぁお鳴く、甘ったれの可愛い子を貪らなきゃだ。
もう喉を痛めすぎて、あと散々突っ込まれすぎて、入れられても声も出ないクロウ。それでも全てが収まると、ほっと息を吐いてやんわり笑う。
入れるために腰を落としたから、もうクロウの顔は目の前にない。唇のところに額があるくらいで、ちょっと悪戯するには苦しい距離。また反転してベッドに沈めた方がいいかなとか、考えていたら。
ぎゅっと抱きつかれた。ぎゅっと抱きついて、首筋に鼻先を擦り付けて。またほっと息を吐く。
何これ、何これ、なにこれ
「クロウこれ動けねぇよ」
言いはしても、京介はどうにもできない。不服そうな声が上がっても、引き剥がすなんて出来るわけがない。
「…努力しろ」
なのになんて無情な言葉!可愛すぎるにもほどがある。
少し頭を捻って。といっても大分菌が沸いた脳は動きが鈍いから、かなり必死で考えて。なんのことはない、起き上がればいいんだと思いつくまでの間3秒。鈍ってるなと自分でもわかる。
上半身を起こせば、抱きついているから当然クロウも一緒に起き上がって。少し抜けてしまっていたペニスがまた奥に押し込まれたから、またひくと喉が鳴った。でもすぐ後、くふと笑う気配がする。
「ご機嫌クロウ、動くぜ?」
皇かな尻に指を這わせながら囁けば、催促するようにくちゅと入り口が閉まった。
クロウの中は自分の放った精液でどろどろで。熱くて柔らかい。
兎に角これが終わったら迅速に風呂、そして腹を下さないように全て掻き出す事…
もしまた欲しがっても、兎に角一度全部出す!それを確り頭に叩き込みながら腰を振る。今止めるなんて選択には目を瞑って。
「っ!っ!」
内壁を擦るたびに、クロウの喉が鳴る。通常音域でさえガサガサなのに、甲高い喘ぎ声なんて出るわけがない。
なのに。ヒュウヒュウとしか鳴らない喉にすら欲情します、なんて。ぺたりと抱きついているから、お互いの腹の間でもみくちゃにされ、ちょっと痛ましいことになっているクロウのペニスが、それでも快楽を確り拾い勃起している。それが信じられないほど嬉しいなんて。
絶対…絶対鬼柳、迎えにくるって!
そう言った途端にぽろりと一粒、涙を流したクロウ。
どんな姿になったって、どんな理由だって良かった!絶対おまえ、俺のこと迎えにくるって、信じてたんだっ!
迎えに来る?
確かに一度も、自ら迎えにいったりはしなかった。離れたらそれで終わりだと、そう思っていたから。
なのに、なのに。
遅ぇよ…遅ぇけど……俺、待ってた。ずっと信じて待ってた。いつか鬼柳、ちゃんと迎えに来るって。絶対何か残しに来るって…褒めろ、褒めてくれよ。俺ちゃんと、信じ通したんだっ
抱きしめて。
強く強く抱きしめて。
ごめん
遅くなってごめんクロウ
ずっと愛してた
それで今、もっと好きになった
それ以外にやらなくちゃいけないこと、言わなくちゃいけないこと。あったとしたら、丸めて全部ゴミ箱に投げ捨ててやる。
「ところで、ここ何処だ?」
鬼気迫る勢いでバスルームに連行し、隅から隅までクロウを洗い倒し、俊敏にシーツを換え押し込まれ、少し温めのカフェオレを作って戻ってきた京介が発した第一声。
「遅ぇ」
部屋の位置も収納場所もわからないのにここまでやってのけて、今更か。
思いはしても、主に腰的な意味で自分が使い物にならないことはわかっていたから。クロウは素直に甘えて、カフェオレを受け取った。
カフェオレボールになみなみと…と言いたい所だが、カフェオレが入っていたのはただのボールだ。一番小さいサイズのボール。何故ここにきて手を抜くのか…思わなくもないけれど、これもまた京介らしいといえばらしい。
「住まい(仮)」
「…仮住まい?」
「いや、かっこ仮」
何そのポリシー
呟いて、京介が笑う。
でもクロウにとって、そこは重要なところだ。
一番小さいといっても、ボールはボール。クロウの顔半分を隠してしまうという意味では、とても都合がいい。
「…橋がかかったら、シティに出て遊星とジャックと3人で住むって話になってんだ」
慎重に、慎重に。
と思っても、一番言い難い部分を最初に言ってしまったことに、多少焦る。京介は、ふぅん?で終わらせたけれど。
外面コンテストがあればきっと優勝するな、くらいの京介が、ふぅん?で終わっていないことくらい、クロウにはわかるので。
「……でも、もしお前もこっちに住むなら。かっこ仮取っ払ってもいいかなって…」
思ってたり、思ってなかったり…
どんどん萎む語尾が痛ましいと、自分でも思う。それでもちろと目線だけ上げれば、何故か歯ブラシを握り締めながら無表情。予備の歯ブラシの場所を、教えてはいないはずなのに。いや問題はそこじゃない。
「…現実問題、当面無理じゃね?」
無表情のままそんなことを言うから、恥ずかしかった分損した…なんて思いかけて。
「ホトボリさめるまでどっかいっとかねぇとだし」
お前それ、かなり長期間さましてるぜ死亡的な意味で
なんてこと言えるはずもなく。
「でもまぁ…」
ここで漸く、京介の無表情が和らいだ。
ふうわりと、柔らかく笑う顔。前ってこんな顔で笑えるやつだっけ、思うほどに優しくて嬉しげな顔。
「現実問題、今後の予定が立っていないわけだし。決まるまで外すかかっこ仮」
ギシと鳴るベッドと、不自然なほど素早く近づいてきた京介の顔。驚いてボールを下げたクロウの鼻先に、一瞬唇が触れた。
「っ…おう」
その仕草が。肌を合わせるより、朝までお互いを貪りあうよりも恥ずかしいなんて、聞いてない。
それでいて、咄嗟に返事をしてしまうほど、くすぐったく感じるほどに嬉しいなんて。
「昔甘やかされた分くらいは!まあ、世話してやるよ」
声がなんだか裏返る。カフェオレのおかげで、喉は大分マシなのに。
おかしいなぁ、思っている間に、何故か追加される毛布。京介は収納場所を短時間で見つけるプロ、という面もあるらしい。始めて知った。
なんて考えているうちに、京介がベッドに入ってきて。クロウの手にあったボールを取って、まだ半分ほど残っていたカフェオレを飲み干して。そのまま床に投げ捨てて。
文句を言うまもなく抱え込まれ、また膝の上。
素早い。
何でこんなに素早いのお前
問う前に、寝巻き代わりのTシャツの隙間から腰に触れた冷たい手。
うひゃあぁ
変な声が出たけど、京介は気にしない顔で、ペタペタと腰に触れて。もしかしてこれは、冷やしているつもりだろうか?
「冷てぇし」
「いや、辛いかなと思って」
「辛いっつうか、だるい」
もう感覚もない
とは言わないでおく。これからのことを考えると不利になりかねないから。
京介の背に腕を廻せば、すぐに抱き寄せて額に触れてくる唇。
いいんじゃないかと思う。
いつまでとか、先の暗いことは考えず。とりあえず(仮)を外した住まいで少しだけ、何もかも忘れてじゃれ合っているって。
一時の夢と、わかっているからこそ。
「鬼柳、ちょ〜だい」
クロウの言葉に、京介の視線がベッド下の荷物に向かう。
持ってるのか、飴
ちょっと感動しながらも、そうじゃないと首を振る。
「頂戴、甘いの」
ここで漸く理解したのだろう。パチパチと二回、瞬きをして。それからふうわり笑う京介は、本当に人が変わったみたいで。
「ご随意のままに、お姫様?」
…昔はこんな茶化すようなこと、言わなかったのに。
まあ、こっちとしても成長したから。今は、わき腹に拳一発。それで終わり、今は。
もっと大切なのは。殴られながらもクツクツ笑い、それからすんなり触れてくる京介の唇。
END
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