深く考えるんじゃねぇよ
これは夢幻、苦痛も悲哀も絶望も
もし感じるとすればそれは無だ
誰も裏切らない、誰も傷付かない
お前の小鳥ちゃんは、悲しまない
いってしまえばこれは、ひどく効率的な――
Let’s get it on
「…ふざけんじゃねえぞ」
ギリと奥歯を噛み締め、京介は真っ直ぐ前顔を上げた。
酷く不愉快
珍しくも強烈な感情を露にした京介に、クツクツとひどく機嫌の良さげな笑みが震える。
両の手で掬えそうなほどに濃度の濃い闇。まるで黒い水の中にいるよう。発する声は、空を舞うのではなく沈殿して行き、空間全体が震えるようで。
「ふざけてねぇよ、ふざけるなってのの意味もわかんねぇ」
だから。
同じ声、同じアクセント、しかし温度差の違う声が降り積もり、どちらが何を言ったのかを判断するのがひどく難しく、もどかしい。
京介はもう一度、ギリと奥歯を噛み締めた。
目の前には自分と瓜二つの男。
青白い髪、白い肌、レモンイエローの瞳…しかし唯一白目だけが黒く染まっている。
不愉快
同じ顔で、同じ仕草で、それでも想像出来ないほどに邪悪に振舞える自分。濃厚な闇を纏い、しかしけして飲み込まれないほどに。
薄い唇が、ゆると弧を描く。
「遠く、とおおぉぉく離れた俺、小鳥ちゃんは恋しくねぇ?」
茶化すように、しかし慈しむように。
声が蓄積する。甘く、柔らかく、機嫌の良い自分の声。
「小鳥ちゃんはぁ、恋しくねえぇのぉぉ?」
ねっとりとした、纏わり付くような声が沈殿していく。
重みがあるのか。声に重みがあるのか、京介はもう立ち続ける事すら出来ず、膝をついた。
地面の感触はない。土も、コンクリートも、木も。
ここは何処だ
唐突に、真っ先に浮かぶべき疑問が京介の頭を巡っていく。
何故ここにいる、いつから俯いていた、何故誰かがいると知っていた、何故顔を上げた?
「鬼柳、京介ぇ?」
ガツと、京介の胸にブーツが振り降りた。
蹴り倒すにしては加減された、しかしお行儀の悪いそれ。こふと、ひとつ息が漏れる。
「聞いてんの、俺が。答えはぁ?」
「っ!…ってる意味が、わからねぇ」
「わかんねぇ!!はっ…わかんねぇわけねぇだろ!俺を見ろよぉ!俺を見て言え?もう一度、答えはぁ?」
恋しくない、わけがない
黒にレモンイエロー、その瞳を真っ直ぐ睨みつけながら、しかし京介は口を開かなかった。
不愉快
この男に、クロウへの感情の欠片すら。その一片すら見せたくない。
純粋。自分が今手にしているものの中で、唯一純粋なもの。京介にとって最も汚すことの出来ない、最後の砦…それは言葉に発する事すら恐怖となる。
この声が蓄えられていく空間などに、奪われていいわけがない。
男はひたと睨みつける京介を見つめ、ゆるゆると笑った。答えを出されていないにも関わらずひどく満足げな、そんな笑みだ。
優しくすら見えるその笑みは、しかし発せられた言葉によって打ち砕かれた。
「…償え、詫びろ跪いて泣き叫べ!小鳥ちゃんになぁ?俺はお前、でも繋がっちゃいない。俺が繋がってんのは、小鳥ちゃんだからなぁ」
繋がっている?
クロウと?
何故、問う前に声が飲み込まれる。
唇が、重なった。
「…っ…っ」
気を緩めれば漏れてしまいそうな声を、京介は必死で堪えている。
ぐちゅぐちゅと、湿った卑猥な音。それを聞かないように耳を塞ぐことすら、この闇の中では困難だから。
ただ唇を噛み締め、血が滲むほどに噛み締めて。
耐える。
普段なら、普通の者ならば到達できない位置。喉の置く深くまで入り込み、先端を締め上げ滲み出る液を飲み込んで。
自虐的で、暴力的ですらあるフェラ。
男は咽るでもなく、平気でやってのける。恍惚とした表情ですらある。
同じ顔をした、しかし自分の知らない顔。
嫌悪を覚えながらも、京介はその顔から目を逸らすことができないでいた。分断される意識を継ぎ合わせ、何度も何度も考える。
この男の存在する意味。この空間の意味。先ほどの言葉の意味。
ぎゅっと、先端が今まで以上に締め付けられる。
何かを掴みかけた、思うたびに与えられる強い刺激。男は、京介の思考をある程度まで見抜けるのか。
「っん…深く、考えんなぁ?お前のくそくだらねぇ頭はごちゃごちゃしてて、気持ち悪ぃ」
完全に勃起したペニスから漸く顔を上げ、男が笑う。口元を湿らせて、ニィと。
「なあ、俺。ザイアクカンとか感じてんなら、無意味だぜ?俺はお前の裏側、最も近くて遠いお前。小鳥ちゃんは気にもしねぇよ」
裏側
浮かんだ言葉を打ち消すように、男の指が先端に爪を立てる。
ひっ
漏れそうになった声を、今回も京介は飲み込んだ。喉の震えは、止めることができなかったけれど。
「…っ意味が……」
「お利口さんな鬼柳京介ぇ?意味が意味が意味が…無意味だっつってんの、わかんねえぇぇ?だが意味が欲しいならくれてやる」
裏筋を、適度な力で擦り上げられる。
「お前のわかる言葉でなぁ?」
「何…」
男の身体が持ち上がった。すると下半身が剥き出しになる。
見慣れた、明らかに自分のものと同じ構造のペニス。同じくらい立ち上がったそれは、物欲しそうにとろとろと液を垂れ流して。
「言ってしまえばこれは、ひどく効率的なオナニー。裏表が合わさるだけ、安易に得られる一体感」
自分の真面目な声が。先ほどまでのねっとりとした喋り方ではなく、まるで作戦を練るときのそれが、京介の耳に入り込み、余りが周辺に蓄積される。
木霊。
それはまるで、消えない木霊。
どちらが言った言葉なのか、もう京介にはわからない。
「だから、なぁ?俺をお前の楔で引き裂けよ」
ずんっと、深く埋め込まれる。飲み込まれる。
京介は目の奥に飛んだ火花に息を呑んだ。
全く慣らされていないアナルに、自分のペニスが埋め込まれる。奥の奥まで、入り込めるわけがないのに。
「ってぇ…ひゃは、痛ぇ!最高だ!」
男は笑う。強烈な痛みを感じているはずなのに、その声は楽しそう。
「ひゃ、あぁ…もっと、もっともっと!引き裂け、俺をズタボロにしろよおぉ!」
自分に跨り、男が狂ったように腰を振る。
全く慣らしていないはずの中は、じわと湿り気を佩び始め、その後に細かい痙攣が追加された。
「ぐっ…」
遂に声が漏れる。
熱の感じられない中。適度な湿り気と、適度な振動。まるで玩具を相手にするセックス。どれをとっても、偽物のようだ。
それでも刹那的ではない快感が京介を襲った。
直結している
多分、正しい言葉はそれだ。
何もかもを分析されて、一番京介の好ましい状態で犯されている。
「ぅあ…っ」
一度漏れてしまった声は止められない。呻き声だとしても関係なく沈殿し、闇の中に漂い、頭が回らなくなる。
耐えられず顔を伏せれば、強引に顔を上げられ、唇を舌が舐め上げた。
「全部…っは、全部!」
レモンイエローの瞳には水の膜ができ、黒い輪郭ですらぬらぬらと蕩けていて。
「俺にっ、ああぁ!よこ、せ!」
非現実的な光景。
もう、何も考えられない。
「呼べよ!これは、オナニーだっ!誰も気に、しねえぇよ!」
それでも。
それでも、この状況で。呼べるわけがないではないか。
クロウ、クロウ、クロウ…
絶対に。
「っけんな…っ」
誰がくれてやるかと思う。
誰が、あの純粋な闇を。こんな纏わり付くような悪意のある闇ではない、安らぎを纏う彼の人を。
名前をその耳に与える事すら、腹立たしい。
「強情」
そのとき聞こえてきた声は、熱に浮かされたそれではなくひどく冷静で。睨みつければ、男がゆると笑う。
「搾り出せ、全部。何回でも、俺は壊れねぇ。何回でも出し尽くせ。お前に俺は壊せねぇ」
それとも
「首でも、吊ってみましょうかああぁぁ?」
ぎゅうと、中が収縮する。
途端襲われた開放感と、脱力感。
ああ、引きずり込まれる…
闇の中に、男の腕の中に…
さわと、音がする。
わさわさと、風の駆け抜ける音。
さわさわさわと、森の匂い。
水を吸って大きく茂った木々の音。
さあ、目を覚ませ
太陽は輝き、木陰は快適
ここは安全、全てがお前を包み込む
思い出せ
お前は今何処に立つ?
お前の立つ場所、その名前
……ガイア
「…っけんじゃ、ねえ」
気付いた。わかった。
繋がっていないこと。裏側の意味。男が欲しがっているもの。
奪いたかったもの。
「ふざけんじゃ、ねえぞ」
今だ闇の中。男が跨ったまま。
しかし目を開いた京介にははっきりと見える、闇の先にそびえ立つ巨木の、凛とした姿。
気付いた途端だ。闇が振るえ、蓄積していた声が消えていく。
「俺は…」
「…うるせぇ」
「ここは違う、お前とは繋がっていない、俺は…」
「うるせぇよ!」
「俺は地属性、ビーストを操る、デュエリストだ!誰がお前なんかに取り込まれるかっ!」
ぐいと、誰かに腕を引かれた。
確認する間もなく抱き上げられ、闇の中を運ばれる。巨木の傍からは、数多の唸り声。京介に対してではなく、闇に向けた威嚇の声。
「1回負け、認めてやるぜ!けどなぁ、俺は壊せねぇ!何処までもついてって、いつかお前の全部を奪う、奪いつくすぜぇ?!」
楽しげな声が、聞こえた気がした。
ぱちと目を開き、顔を上げる。
薄暗い洗面所、水銀の浮いた鏡がうすぼんやりと京介の顔を写す。
ぱちぱちと、数度瞬き。鏡の向こうは、ひどく疲れた京介の顔。その他には壁しか写らない。
「鬼柳、京介」
鏡にそっと手を当てて、呟いた。
「クロウは、奪えない。俺がさせない」
種類の違う闇をもつふたり。繋がっていると言い張った我儘。
自分の中に今だ残る、弱い弱い淀みの欠片。
声を張り上げて喚く事。常に優位でありたいと示す姿勢。真実を隠し誇張で覆った弱い意志。
確かにまだ、残っている。残っている、けれど。
「俺は俺から、クロウを守ってみせる」
あの安らかな闇が、憎悪に塗れないよう。真っ直ぐな眼差しが、悲しみに濡れないよう。もう十分、十分だ。
抗う事を教えてくれたのは、大切な仲間達。自分の闇を払いのける術を教えてくれたのは、クロウが手渡してくれた一枚の…
そうだ、一枚の!
慌てて洗面所を出た京介は、宿直室に駆け込んだ。
数日間の、倉庫番。与えられた部屋は、快適ではないにしても雨風はしのげると、無駄に大きなテーブルに広げた自分のデッキ。
風は入らないはずなのに、部屋から出る前より雑然と散らばり、カードが数枚床に落ちている。
最初に拾い上げたのは、フィールド魔法。
「ありがとう、ガイア」
ガイア・パワー
そしてもう一枚。
闇から助け出してくれた。闇属性故、あの闇に入り込む事ができ。きっと何度も、これからも何度も助けてくれる相棒。
泣き笑いの顔で、それでも全開の笑顔で。クロウが京介に渡してくれた、ブラッド・ヴォルス。
「ありがとう、相棒」
二枚を他のカードと共にまとめ、揃えて。京介はデッキを、自分の額に押し付けた。
「ありがとうお前達、大好きだ」
でもまあ
「なぁ、一番好きってか愛してるの、クロウでも怒んねぇ?」
茶化して言えば、デッキは無機質に関わらず、どこか呆れて笑っているようにも見えた。
END
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