某方のアイコラに死ぬほど萌えさせていただいたので、書かせていただきました
人にはそれぞれ小さな世界があって、その世界に含まれる人物や興味、関心事は日々流転している。世界の中に含まれ続ける者、いつの間にか消えてしまったもの、新しく含まれた者。それらに付属するその人自身の感情も全て。
だから
クロウは思う。
現在鬼柳の中に存在する自分は、的確に言えばチーム・サティスファクションの一員でカテゴリされているのだろう。
一個人ではなく、集団の中のひとり。
別にそれならそれで問題はない、と思う。完全に分断された互いの生活に、もうダークシグナーという共通項すら克服してしまったようだから。
どちらにしろ、クロウはその中でもシグナーというカテゴリの一員でしかないけれど。
赤い大地、特徴的な形の山…丘だろうか?草木の乏しい大地と、ダインの採掘場。シティとも、勿論サテライトとも違う光景だ。
クロウはそんな景色に突如現れる街の中、再建の作業を手伝いながら、つらつらとそんな事を考えていた。
遮るものが少ない半砂漠化した周囲は、風を何処までも走らせる。その度に舞う砂埃が、なんとなく哀愁を感じさせるけれど。それを物ともしない活気が街には溢れていて。
その中心で、数人の男と言葉を交わしては笑っている鬼柳。多分これから、この街にはいなくてはならない存在になる男。
チームのリーダーで、敵対する勢力の一員で、今は…少し遠ざかった昔の仲間。
本来ならばここに“恋人”も入るはず。だけれど、クロウにとってはあまりにも昔の話で、正確には“元”をつけなければならないと感じるくらい。それをつけたくないのは、今でも多少なりとも鬼柳が好きだから。
ここまで考えて、クロウは小さく笑った。
多少、じゃねえな…
そもそも、別れる別れない以前の問題で。そんな話すらないままに離れ、鬼柳は一度全ての世界からいなくなり。そうなったことによって、クロウの中には強烈な感情だけが置き去りになった。
何も切り捨てられず、開き直る事すら出来ないままでの再会。それはけして、好ましいものではなく。
今、鬼柳は昔の顔を残しつつ、一回りも二回りも大きく成長していた。クロウの属さない世界の中で。きっともう、切り捨てる部分は切り捨てている、意識的にでも、無意識であっても。
今更。今更だ、持て余し気味の感情を曝け出したところで、何になる?
笑うこと。
兎に角笑って、昔のことなんて全然気にしていません、匂わせる台詞を言えること。これくらいしかもう、やってやれることはない、きっと。
ただ、笑う事。
別れるとき、自分は完璧な笑顔と言葉を残せたと、クロウは思う。あまりにも完璧すぎて、自分でも信じられない程の。
多分もう、二度と同じ顔をする事は出来ない、といったような種類の。
なのに何故今、またあの赤い大地をブラックバードは走っているのか?
答えは簡単、ブルーノがひどくダインを欲しがったからだ。
当然のように持って帰ってくるものと(彼は最初から、クロウ達が向かう場所がダインの産地であることを知っていた)思っていたダインが、全くなかった。それを知ったときのブルーノの落ち込みようといったら、見ていられないほどで。
頼めば、貰えると思うけど…
うっかり呟いたクロウに詰め寄ってきたブルーノが、いつものほんわりした雰囲気からはかけ離れていたものだから。配達してもらうとか、その前に電話連絡とか、そんな簡単な事も思いつかぬ間にもと来た道を戻り始めてやっと、その可能性に気付いたけれど。
ブラックバードをUターンさせる気も、事前に連絡を入れる気もクロウにはなかった。
多分もう二度と、鬼柳の前であの満面の笑みは出せないだろう。わかっているのに、わかりきったことなのに。それでも進み続ける自分を、クロウはまったく理解出来ない。
本当に全く、理解出来なかった。
家に帰り着いたときはもう夜中で、みんながクロウを止めたというのに。振り切ってまで飛び出した理由が、自分でもわからないなんて。
今だ復興が続く街、かなり早い時間に到着したというのに、既に作業は開始されていた。顔馴染みになった幾人かが、クロウの姿を見つけ驚いた顔。それでも挨拶だけをして通り過ぎていくのは、彼らの目が前へ前へ向いている証拠。
たった一日の思い出よりも、もっと先、ずっと先。
それはクロウにとって好ましい光景だ。下を向くしかできなかった時代を、彼は知らないけれど。サテライト出身者には予測いることなど容易だったので。
幾人かに声をかけられ、それに返事をしながら。迷うことなくクロウは鬼柳の家に向かった。その姿は迷う暇を自分に与えないように、意思を固めているようにもみえたけれど。クロウ自身は、それに気付いていない。
クロウに対応したニコが、驚いた顔で、少し困った顔で。鬼柳は早朝に復興の材料を集めるため既に街を出て、帰ってくるのは夕方になる…言ったときも、クロウの強固な態度は本人が気付かぬまま変わらなかった。
「寝かせてくれないか、流石に疲れてるんだ」
少し苦笑して見せ、ニコが慌ててクロウを家に招き入れてくれる前に。きっとダインの話を持ち出せば、彼女は出来る限りのことはしてくれただろう。父親を亡くした悲しい思い出しかなくても、そんな素振りなどおくびにも出さず。
なのにクロウは、それを無意識に拒んでいた。頼むなら鬼柳だ、まるで強く思い込もうと努力するかのように、一切ダインの事など口に出さず。
招かれた客室は、暫く寝泊りしていた部屋。客間だというのにベッドメーキングが施され、誰が来てもすぐに使えるように整えられた部屋。
ごめんなと、ありがとうと、おやすみ。纏めて言って、服のままベッドに潜り込み。ここで漸くクロウも、自分の強固な態度に気付いたけれど。それよりもまず睡眠と打ち消してしまったのだから、どうしようもない。
鬼柳が帰って来たのは、クロウが目覚めてすぐの事だった。家の前に止めたブラックバードを確認して駆け込んできた彼に、クロウはただ小さく笑うだけ。
「今俺達と一緒に住んでるブルーノがさ、ダインなんで持ってこないんだって大騒ぎしやがって。あまりにも煩いから、勢いでまた来ちまった。てことで、よかったらダインを少し分けてくれないか?勿論ただで、とは言わねぇけど、多少は値切っても良いだろ?」
小さく笑いながら、声だけは張りを持たせて自分らしく。話止んでしまえば碌な事を言わなそうだから、口を閉じてはいけない。
「俺も急すぎると思ったんだけどよ。ブラックバード走らせてたら、なんかこのまま行ってもいいか〜的な気分になっちまって、まあちょっとは悪いと思ってるけど。ほんとDホイールに関しては煩いやつで、多分一日中言われ続けると思うし…」
「クロウ」
なのに。
鬼柳の一言で、ただ名前を呼ばれただけで閉じてしまった口。話さなければ、全然関係ないことでも良い、思っているのに全く。
「出よう」
何処を、と聞くまでもない。家だ。
第三者の存在すら許されないとなると、クロウはただ追い詰められるだけ。何かは、まだわからないけれど。
ニコは何も知らず、ほんわり笑っていってらっしゃいと言う。どうやら鬼柳と共に買いだしに行っていたらしいウェストは少し残念そうな顔をしたけれど、勿論それを口にする事はなかった。
引き止めてくれればいい、一瞬感じたそれだけは、クロウもただの逃げだと理解したので。
「おう」
確りと答えたけれど。相変わらず口元には、うっすら小さな笑みしか浮かべることができないでいた。
まだ夕方だというのに、作業は既に終っていた。多分今後支給される材料の配分でも決めているのだろう。賑わっているのは、きっと酒場。
少し前までは、もうすぐデュエルタイムだったんだけどな
驚くほど大きな太陽を指差して、鬼柳がひっそりと笑う。声を潜める必要なんてないのに、まるで囁き声。
しかしクロウは、そんな鬼柳を笑う事もせずいぶかしむ事もなく、ただ真っ直ぐに夕日を眺めていた。
太陽の端が地平線に触れる瞬間を、クロウは数度見ているけれど。これほどまでに絶対的なものを、彼は知らない。不条理や条理などといったちっぽけな事など、どうだっていいと思えるほどの大きな大きな存在。
だから、自分の無意味な“知らないフリ”も、あまりにもちっぽけだ
そう感じた瞬間に、クロウは理解した。
言葉が欲しい
決定的な言葉
なんでもいいから。どんなに突き刺さる言葉でもいいから、鬼柳の口から。
鬼柳の世界に属する自分は、過去のチーム仲間というカテゴリから外れたがっているがゆえ、ひとりぼっちだ。ひとりにしかなれない。
鬼柳の世界から完全に分断されてもいい、またチーム仲間のカテゴリに戻ってもいいから、兎に角きっかけが欲しい。でないと、ひとりぼっちは寂しすぎる。
……悲しすぎる
「きりゅ」
「俺は」
故意に、鬼柳の声がかぶさったとしか思えない。すぐ後に、クロウはそれに気付くけれど。その時は出鼻を挫かれた衝動で、顔を伏せてしまっていた。
地面に伸びる長い影は、鬼柳のもの。自分の影は、多分後ろに伸びていて見えない。自分の足のつま先や、鬼柳の長い足の一部しか。それほどまでにクロウは、俯いていて。
「お前の中に、まだいるか?」
だから、最初。鬼柳が何を言ったのか。クロウには、よくわからなかった。
赤い地面を見つめていたクロウは、それでものろのろと顔を上げた。
夕日に照らされた鬼柳は、真っ直ぐにクロウを見ていて。その顔は、今まで見た事がないくらい真剣で。
「まだちゃんと、俺の場所はあるのか?」
一歩、近づいた。さほど離れていたわけではないから、きっともう一歩で目の前。
でもクロウは、そんな物理的距離、気にもならない。ただただ鬼柳の言葉を頭の中で反芻し、その問いに不可解というレッテルを貼っただけ。
だって、おかしいではないか。もう自分の世界からクロウを外してしまった鬼柳が、そんな事を言うなんて。
似たような事を、考えていたなんて。
「…俺は、お前の世界にまだいるのか?」
だから。クロウの口からするりと零れたのは、答えではなく問いだった。
言葉を変えた、同じ問い。
その答えは、すぐに返って来た。
「俺は今まで一度も、クロウがいる場所を誰にも引き渡した事ねぇよ」
たとえ、どんな時でも
想像していた物とは違う、でも決定的な言葉だった。あまりにも決定的で、一瞬喉が引きつり全身がカッと熱くなるほどに。
覚悟していた、全身を突き刺すような痛みは来ない。ただ伝えるべき言葉も、言わなければならない言葉すら奪ってしまうほどに、衝撃的ではあったから。
まだ見慣れない長い髪とか、もう赤くないマーカーの模様とか。変わらず強い光を宿し、それでも何処か迷いを含んだレモンイエローの目だとか。
一瞬だけ深く吸い込んだ息、とか。
クロウの唇に2秒ほど触れた、少しかさついた唇だとか。
全部、全部。クロウは目を開き、まるで無気力にも見える態度で受け止めていた。それほどの混乱だった。
鬼柳はそんなクロウに、一切の言い訳はしない。何故先の滞在中に打ち明けなかったのか、何故今覚悟を決めたのか。
でもクロウには、その気持ちだけはかわった。
怖かった
同じくらい、怖かったから
お前の世界に自分はいるの?
まだちゃんと、場所は残っているの?
するりと頬に触れた大きな手が、そのままクロウの肩にかかる。もう一方の手も、同じように肩の上。
一瞬唇を噛み締めた鬼柳は、それでも真っ直ぐにクロウを見た。
多分今まで以上に決定的な言葉を言われるのだろう。そしてその言葉は、クロウの感情全てを引きずり出し、その目の前に晒すほどのもの。
でもきっと、自分は後悔しない
地平線に沈む太陽が照らし出す、広大な大地。それに比べれば、全ての感情を鬼柳に差し出す事などほんのちっぽけな事だから。
クロウはただ、その瞬間を待った。鬼柳の口が開かれ、自分の全てを曝け出す瞬間を。
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