昔ブログに載せたやつだけど、一応。ネクロマンサー京介と死体クロウ
首のな、ここ…項の少し横らへん。そう、そこ。小さな穴開いてるだろ?場所さえ間違えなければ、内臓も骨も肉も何も傷つけることなく、血すらほとんど流さずに綺麗な死体を作れる最も最適な場所なんだ。本当はな、自分が死んだ事すら知らないでいる死体ほど使い勝手の悪いものもねぇんだけど、あんたは絶対綺麗に残したかったからな。快適だろ?なんも合成してねぇ、隅から隅まで全部あんたの身体。
まあ、ちょっと死んじまってるけど
そう言ってにっこり笑った京介は、事の重大さなど全く気にもしていないようだった。
家に帰る途中の裏路地で、呼び止められたクロウはぱちりと一度目を瞬いた。多分生前彼が行った、最後の行動。
夜遅く、唯でさえ街灯のない道。夜道を照らすのは月明かりだけというそんなビルの影に、うっすら浮かび上がるように立っていた白い男。
月明かり、きらりと光るレモンイエローの瞳だけが、いやにキラキラしていたのを覚えている。
それ以外は、まるで霞がかかったようにぼんやりしていて。輪郭すら定かではない男の手が、ゆっくりクロウの首筋に伸びた。
何故動けなかったのだろう、次に目が覚めたときクロウは首を傾げてしまったけれど。そもそも人外の力を持つ相手に呼び止められたのだ、きっと抵抗なんて出来なかった。そう納得する以外今のところ、有効な解釈はない。
京介
下の名前だけを教えてくれたその男は、死霊魔術師であるらしい。クロウにはそれが一体何なのか、今一わからなかったけれど。要するに、死体を生き返らせ使役する魔法使い。
「じゃあ俺、ゾンビなのか?」
聞けば、京介は楽しげに笑う、クツクツと。
「ゾンビってのは、もうほとんど意思がなくなっちまって、ただ命令に従うだけの傀儡みたいなもん。クロウは…吸血鬼みたいなものだな、別に血は必要じゃないし太陽も平気だけど」
意思もあれば、感情もある。ただ、生きる事を放棄しているだけで。
「放棄する気はなかったんだけど…」
言ってみても、京介は笑う。
「俺、体温嫌いなんだ。なんか生温くて」
京介の体温嫌いのせいで、生きる事を強制的に放棄させられたクロウは、また首を傾げた。
怒ってもいいところだ。怒りという感情を、クロウは奪われていないのだから。なのに驚くほど、何の感情も浮かばない。本当は奪われてしまったのかといぶかしむほど。
「クロウから奪ったのは命だけだぜ?まだ死体だって事に、馴染めてないだけじゃねぇ?」
死体である事に馴染んでたまるか、言い返そうと思ったけれど。確かに死体ではあるらしいので、クロウは何も言わなかった。
悪い魔法使いは、沢山の夢を抱えその中で眠る
そんな言葉が刻まれた玄関。といっても、別に魔法使いから連想出来るような森の奥深くでも、何かが潜んでいそうな洞窟でもない。
ごく一般的なマンションの、ごく一般的な玄関。一般的でないものといえば、多分そのマンションには京介以外誰も住んでいない事。最低でも、生ある者は。
ひどくひっそりとしたエントランスに飾られた幸福の木だけが、なんだか場違いにいきいきと繁っている。その奥のエレベーターから3階へ。その階の一番奥が京介の部屋。
「沢山の夢って何だ?」
初めてその言葉を読んだとき、クロウは礼儀的にそう問うたのだけれど。
「なあ、死んでまで知りたい事ってあるか?」
やんわり微笑んでそう返されたから、それもそうかと納得した。それ以来謎は謎のまま。京介の部屋はひどくがらんどうで、だから玄関の文字だけがやけに気になってはいたけれど。
気になるといえば、もうひとつ。
京介は何故か、店が開けるのではないか、思うほど大量のマニキュアを所持していた。
限りなく透明に近い、レモンイエロー
大きな大きな布張りのソファー。使い込まれ柔らかいそのソファーとベッドだけが、京介の部屋で唯一家具といっていいもの。あとは、床中に散らばったマニキュアだけ。
クロウは生ある頃の習慣として、朝目を覚ます。もしかしたら寝ていないのかもしれない、けれど朝日と同時に目を覚ます行動を繰り返した。
クロウが目を覚ます頃には、大抵京介も起きていて。ベッドからするりと降りたクロウの手を恭しく引き、ソファに座らせて。全ての爪にマニキュアを塗る事を日課としていた。
沢山あるというのに、京介が選ぶのは必ず透明に近いレモンイエロー。クロウの指一本一本から前日塗った分を落とし、まっさらになった爪に丁重に、丁重に。左手の小指から、左足の小指まで逆時計回り。
「俺が腐らないために必要なのか?」
必ず時計回りの反対。どこか儀式めいたその行動、聞けば京介は小さく笑う。
「死人の爪は綺麗じゃないだろ?」
それだけ、特に意味はない
「じゃあ唇は?」
咄嗟に出た言葉は、クロウの思考から出た物ではなかった。何故そんな事を言ってしまったか、彼自身よくわからない。
ただ血の通わない唇が、鏡を見るたびに気になっていただけ、それだけ。
全ての爪にマニキュアを施した京介が、一瞬首を傾げ笑う。それからまるで愛しむように、手の甲に唇を押し当てて。
「唇は、俺が何とか出来るだろ」
そのまま、唇。
熱いはずの舌が、クロウの唇をなぞる。なぞって、何度もなぞって、それからかぷりと。噛み付くような口付け。
熱いはずの唇なのに、クロウはそれがわからない
体温は低い方だけど
京介の自己申告。でもクロウは、京介の体温が高いか低いかなど、もうわからない。
長い指が、オレンジの髪に触れやんわりと撫でられても。頬に触れられても。身体中至るところに触れられても。
何もない。何もわからない。
「本当に俺、意思とか感情が残ってるのか?」
至るところに触れる唇。与えられているはずの熱。そのどれもに何も感じず、抵抗もせず。淡々と受け止めながら、それでもクロウはそれだけが気になって。
どうしても、気になっている。その理由は、よくわからないけれど。
「なあクロウ、俺は残念ながら死んでないからまだわからない。でも感情ってのは、あるとすれば生前に感じたものを引きずるんじゃねぇ?死んでからまで、感情的になる必要が何処にある?」
京介はそんな事を言うけれど。感情に訴えかけるのは、いつも京介の方。
嘘をついて
体内に京介が入り込むとき、いつも言われる言葉。
「好きって言って?」
愛しているではなく、想っているでもなく。子供じみた、好き。
「好き」
言えば、そのときだけ京介は泣きそうな顔で笑う。いつも。
ずっと見ていたんだ、ずっと欲しかったんだ、ずっとずっと。オレンジの髪も、綺麗な薄曇色の目も。伸びやかな身体も、温かい声も。本当はもっと早くこうしたかったけど、どうしても出来なくてそれがなんでかわかんねぇで。なんでかわかんないうちに、ああこれは好きってやつなんじゃないかって。この世の中で一番不必要な感情なんじゃないかって、そう思ったらあっさり殺しちゃった、ごめんな?
俺には好きってやつ、必要ないんだ。あってもどうしようもないんだ。
「だからそうやって俺に、嘘をつき通して」
嘘の言葉で、あんたを殺してしまった俺を戒めて
だからクロウは、嘘をつく。
死んでしまってから、もうどれくらい経ったかクロウにはわからない。数ヶ月かもしれないし、数年かもしれない。でもそれは、どうでもいい。
京介は始めてその姿を見たときから髪が長くて、それが伸びているかどうかで年月を計ろうとしたときもあったけれど。一体どれくらいの長さかクロウはいつも忘れるから、もうどうでもいい事にした。
ひどく物忘れが多い事には気付いていたけれど、それも忘れてしまうからどうでもいい。
クロウがずっとずっと、何故か覚え続けているのはひとつだけ。
死ぬ前に見た京介の姿に、自分は見惚れていた。
ただ、見惚れていた。
だから動けなかったのだと、それだけ。
もし本当に、感情がなくなっていて。生前に感じたものだけを引きずっているとしたら。もし本当にそうならば。
好きって言葉は、嘘じゃない
その言葉をクロウは飲み込んだ。嘘をつき続けて欲しい、それが唯一京介が望んだ願いだ。
でもいつか。
いつかはわからないけれど、もしかしたら。今は何処かに行ってしまった感情が、何かの拍子に溢れ出したときは。
何で殺した!
何で勝手に殺した!
何で俺から、お前の全部を奪ったんだ!!
叫んで喚き散らして。京介が好きだという薄曇の瞳から、涙を一粒零してみたい。死人が泣けるかはわからないけれど、きっと。
一粒くらいなら、流れてくれるだろう。
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