タイトルのままです。あにーは本当に好き、ライブに行くくらい
『東方歌い手あにーオリジナル曲 バスストップガール リスペクト』
夏の纏わりつくような空気が、それでも早朝はまださらりと肌に心地いい時間。
そんな中鬼柳は、そんな心地よさなど全く気付きもせず何時もの道を行く。ときんときんと鳴る胸の音など、気にしないフリを装って。
次の角を曲がれば、またひたすら一本道。その道の先、鬼柳の通う学校はある。徒歩15分の距離、だから7時20分なんて登校には早すぎるのに。
どうしても、どうしてもこの時間に登校する、しなければならない理由が鬼柳にはあった。勿論それは、普段から面倒だと思っている学校関係ではなく。何か用事があるわけでもなく。
ただときんときん、鳴る鼓動に合わせ足を前へ前へ、角を曲がった瞬間止まってしまわないよう。
するりと角を曲がれば、朝日が差し込む大通り。街路樹が気持ち良さそうに日光を受け、まだ開いていない商店の前を、犬の散歩をさせる老人や出勤途中の大人達が行き交って。
そんな中、数人がバスを待つバス停の前。鬼柳は一瞬だけすっと息を吸い、きゅっと顔を引き締めた。
ときんときん、鳴る鼓動は早くなるばかり。なのに足は、いうことを聞かずゆっくりゆっくりと。
バスに乗って20分、そこから徒歩で10分の学校の制服。紺色のセーラー服。その襟にさらりとかかったオレンジの髪が、風に揺れふわふわと柔らかく舞っていた。
名前も知らない女の子、いつもヘアバンで柔らかい髪を押さえ、キラキラ光る朝日に緩く目を細めている子。
鬼柳が会いたくて、会いたくて会いたくて、朝の二度寝すら我慢して登校する理由。
バス停まで、100m。今日はヘアバンを忘れたのか、少し鬱陶しそうに前髪をかき上げて。降ろした髪は初めてで、凄く可愛い。
80m。少女が手首から緑色のゴムを取り、くるりと髪を持ち上げ高い位置でひとつに纏めた。それも初めて見る髪形、凄く似合ってる。
60m。少し髪を気にしてから、少し背伸びをしてバスが来ないか確認。それは鬼柳の歩く方向だから、一瞬ひやりとして目を逸らす。
40m。耐えられなくてまたちらと姿を探せば、相変わらずバス停の前、携帯を取り出して…誰かからメールが来た?相手が男でなければいいけど…
20m。相変わらず携帯で何かをしている少女の、小さな手。鬼柳はこの辺りで何時もすっと息を吸い込み、強く手を握る。…だけど
5m。いつも、いつもだ。言葉が溢れすぎて、口を開く事が出来なくて。
0…ああ今日もまた、ただ通り過ぎるだけ。
30歩ほどゆっくり歩いたところで、白いバスが鬼柳を追い越した。彼女が乗っているはずのバス。いつも鬼柳は強い心で、そちらに目を向けないようにする。
一度だけ、姿を探してしまって目が合ったから。
死ぬかと、ときんときんと鳴る鼓動が、ぷつんとなりを潜めそのままぱたんと倒れてしまうかと。それほどの衝動を鬼柳に与えたから。
本当は、目が合ったように見えただけかもしれない。前の座席に座り、ただ暇つぶしに外を眺めていただけなのかも。多分そう、けれど鬼柳にとってはどちらでも同じこと。
自分の気持ちを、名も知らない少女は知らない。
何処の学校の子?…馬鹿げている、制服を見ればわかる事
この辺に住んでるの?…凄く警戒される言葉
名前なんていうの?…更に警戒されるだろう
君の事が好き……真っ先に言えるもんなら言ってみろ俺!!
言葉はいくらでも、いくらでも思い浮かぶというのに。思い浮かんだ瞬間に否定して、どれも雁字搦めに縛り付け…そんな言葉、沢山積み重ねたところで意味がない。わかっているのに。
わかっていても、次から次へあの子に告げたい言葉だけ、次から次へ溢れ出て。そのたびにときんときん、鳴る鼓動が鬱陶しくて。
馬鹿だなぁ…苦笑する鬼柳はそれでも、一度だけTシャツの上、とんと胸を叩いてみる。
名も知らない女の子、性格も知らない声すら知らない、何も知らない子。でも確かに、自分はあの子に恋をしていた。
夢にまで見るほどに。
特に理由はないけれど。鬼柳は土曜日の朝、何時もの時間より少し早く、あのバス停に立っていた。休日だというのに、無駄に制服を着て。
理由があるとすれば、ふとあの子と同じ道筋を歩いてみたくなっただけ。制服を着て、まるでこれから登校するかのように。
目が覚めた瞬間にそれを思いつき、馬鹿らしい…また苦笑したけれど。苦笑しながら制服を着ていたのだから、もうどうしようもない。
外に出たら朝だというのに、もう既に茹だるような暑さ。一瞬だけ止まりかけた足は、もう一度家に戻って冷蔵庫から飲み物を手にしただけ、そのままバス停に向かっていたのだから、恋ってものは凄いと切に思う。
何時ものバス停の前、休日の本日誰もまだ立ってはいなくて。多分きっと、いつもバス停に立つ面子は来ないのだろうな…思うけれど。あの子以外どんな人がバスを待つのか鬼柳は覚えていないから、どうでもいい。
ただあの子がいない、それだけ。
何故かペンケースだけをいれた薄い鞄から、飲み物を取り出してみる。
もう既に温くなり始めているそれは、今だにまだ缶ジュースでしかお目にかかったことのない、甘い甘い桃のジュース。
この暑さでこのセレクトはないよな…思いながら、飲むのを躊躇い手の中で転がして。
その時ふと感じた人の気配に顔を上げた鬼柳は、ときんときんと胸が鳴る前に、ぱたんと倒れてしまうかと思った。
あの子がいる。何時もの制服、何時ものヘアバン、オレンジのふわふわした髪に、灰色に少しだけ青を混ぜたような大きな目。
ぱちりと目を開き、真っ直ぐにただ真っ直ぐにこちらを見る、あの子。
ぶわりと汗が噴出すように、次から次へ言葉が溢れ出す。でもそれと同時、すっと冷めるようにどの言葉も口から出る事はなく。
ただ、柔らかそうな君の頬、一筋流れた汗だけがひどく気になって。
「…飲む?」
だから。
今まで色々考えてきた言葉のどれとも違う、全く想像もしなかった言葉が、鬼柳の口からぽろり零れた。
なんだそれ、意味がわからない。
今まで一度も話したことのない相手に、行き成りジュースを勧められて不審がらせないわけがない!馬鹿じゃないか!!
思っていても、本当なら頭を掻き毟りながら何処かに逃げたい、思っていても。言ってしまったのだから仕方ない、開き直って突きつけたジュース。
君は不審そうでもなく、ただ困ったようにジュースと鬼柳の顔を交互に見た。だから鬼柳は、パチリと蓋を開け、もう一度突き付ける。これでもう、後には引けない。
「これ、俺には甘すぎるから」
よかったら…
最後の言葉は、口の中でもごもごと。
なんて意気地なし、ただ押し付けているだけになるというのに、なんで最後まではっきりと言わない?
それでも。
君の小さな手がおずおずと、ジュースに伸びたのは奇跡だ。
小さな手が、細い指が。確りと缶を掴み、一度だけちろと鬼柳を見て。それでもゆっくりと缶に、その柔らかそうな唇をつけたとき。漸く思い出したように鳴り始めた鼓動は、すぐ後ふわりと笑った君の顔に、大きく鳴った。
耳の奥で反響するほどに。
本当に、好き。何も知らない君の事が、信じられないくらい。
想うだけで、茹だるような外気とか、何時もに増して凶悪な太陽とか、そんなものまで春色に変えるほど。
「鬼柳、京介」
次にぽろりと零れたのは、自分の名前。考えてみればこれすらも、溢れ出した言葉達の中には含まれていなかったけれど。考えてみれば、きっとこれが正しい言葉。
「君は?」
何よりも、正しいはずの言葉。
また戸惑った顔の君は、それでも緩く口を開く。
何も知らない君の声、君の仕草。真っ直ぐにこちらを見てくれる目。もうそれだけで、幸せなのだけど。
多分あともう少し、名前を知る君になるのなら。もうきっと、何も怖いものなんてなくなると思うんだ。
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