主殿、主殿


先ほどからずっと、頭の中に直に声が囁きかけている。


主殿、主殿
お帰りください主殿


その声はまるで、鉱石がカチンカチンとぶつかり合うような音。鬼柳には馴染み深く、普段ならば愛おしいと感じる声。
「なんで」
しかしこのときばかりは、忌々しい。
だって目と鼻の先、自身が座る丘の少し先は、鳥獣族が住まう鬱蒼たる森。
今日はまだ、あの橙を見ていない。


主殿、主殿
魔神の君がお見えです


知ってる。あいつの事なら全部、全部わかってる。
鬼柳はひとつ大きく息を吐くと、すっと立ち上がった。まだ未練は消えないけれど、放っておくと何をするかわからない兄弟が駄々をこねる前に帰らなければ。
最後に森に一瞥をくれ、勢い良く背を向けて。
「魂虎」
告げれば、突如として現れる青白い虎。ソウルタイガー。
“サファイアはいい加減、魔神と地縛神の違いを覚えるが吉だ”
おかしげに告げる魂虎の背に何も言わずまたがり、頭の毛を逆撫でる。自身の髪の色に似たその毛は、普段ならば安らぎをくれるというのに。
たった一目、あの橙を見れないだけで。どうしてこんなにも何もかもが忌々しいのか。
鬼柳はもうわかっていた。
恋をしている、名も知らない鳥獣使いに。
「大至急帰れってよ、魂虎。お前の足にかかってるぞ」
そんな感情を切り離し、無理に明るい声を出せば。魂虎はわかっているとばかりに一声吼え、走り出した。










原種使い
鬼柳はそう呼ばれている。モンスターを使役し、決闘を行う事でその地位を、名誉を手に入れる世界で。
原種とは大本、何らかの魔法を施さなければ、なんの能力も持たないモンスター達。個々のモンスターが独自の能力を所持することが当たり前の今では、硬さと攻撃力だけが売りの廃れた存在だ。好んで使役するものは少ない、勿論いつの世も人気があるドラゴン族以外は。完全に種族も属性もランダムに原種を使役するものは限られていて。
そんな中鬼柳は、ひたすら原種を愛した。

皆が嫌い打ち消すための能力がないなら、ごくシンプルに自由に戦える、そしたら皆満足だろ

言ってにっと笑う。そんな彼の操るモンスターは、多分数だけでみれば誰よりも多い。鬼柳の兄弟は、たまにそれを羨ましそうに指摘する。
自由奔放な弟は、どうせあまり重要視なんてしないけど。







「おっっっっせ〜〜〜〜〜〜〜〜よおおぉぉ!!もけもけ剥ぐぞ!!」
「わりぃ、でも暇だからってもけ苛めんのはやめとけ、そいつ怒ると怖ぇから」
特に3匹揃ってる今は…と言う間もなく。融合しキングとなったもけもけに踏み潰された弟を、鬼柳は苦笑しながら助け出した。困ったように疲れたように蹲るサファイアドラゴンに、労いの言葉をかけるのも忘れずに。


わりと温和なサファイアドラゴンがいつまでも覚えない、魔神使い改め“地縛神の君”が鬼柳の双子の弟、京介だ。
自分の魂まで捧げて地縛神と契約した京介は、トリッキーでファンキーで、魂を縛る地縛神すら持て余すほどの甘ったれで我が儘。でも鬼柳にとっては、最高に可愛い弟。白目が黒くたって言動がヒャッハーだって最高に可愛い。
それに封じ手はある、スキルドレイン張るぞで一発だった。
トリッキーな弟は、いつもどうでもいい事で鬼柳が住むスラムに顔を出す。鬼柳の根城、壊れた遊園地がいたくお気に入りだからだろう。鬼柳もそれを見越してそこに住み着いたのが半分、あとは自分のモンスター達を自由に歩かせても違和感がないからが半分。
どうでもいいことでもまあ、住み着いた理由が活用されているなら鬼柳に不服はない。
しかし今回は…ちょっと、どうでもよくなかった。
兄の顔を間近で見るなり目を輝かせ、同じレモンイエローの瞳を猫のように細めて京介は言った。
「すっげ〜!可愛いの見付けたぜぇ?噛み付きたくなるくれぇ可愛い!」
この時点でもう、鬼柳は嫌な予感しかしない。
だって小さい頃からずっと、鬼柳と京介が好きになる相手は同じだ。わかりすぎるくらいわかってる。噛み付きたくなるほど、それは京介最高の愛の告白。
「ああもしかして、ちっこくて橙で目がごろんごろんでかくてついでに鳥獣使いか」
「??なんでわかった」
おかしなことに、昔から同じ相手を好きになっているのに、京介はその事実に気付いていない。








クロウっつ〜んだ
京介はそう言ってニィと笑う。
昔からそう。最初に相手の名前を知るのは京介で、ヒャッハーな言動についていける者ならば、仲良くなるのが早いのも京介。
そして恐ろしい事に、大抵の者はヒャッハーの言動についていける。
名前まで聞きだしたという事は、きっとクロウもそうなのだろう。
いつもの丘で、鬼柳はそんなことをつらつら考えながら時折ため息をついた。そのたびに、護衛とばかりに勝手に召喚された(自主召喚であって鬼柳の指示ではない)ジェネティック・ワーウルフがもの問いたげに首を傾げて。
“鬼柳は鳥獣どもの散歩が不満か”
見当違いな事を言う。
しかし、そもそもこの鳥獣族が住まう森の丘に来るようになったのは、自分の鳥獣達の欲求不満を解消させるためだ。だからワーウルフの疑問は正しい。正しいのだが、正しくない。
「恋煩い」
一言言えば、ワーウルフはグルルと小さく唸った。不満なのはそっちだろう。
「京介とガチデュエルしねぇといけないかな級の恋煩い」
あえて言い直すと、今度は押し黙る。ワーウルフは京介が苦手だ、性的な意味で。腕が4本最高、らしい。鬼柳はこの件に関して全面的にワーウルフを支援している。
「デュエル中に京介が勃起しねぇように、そん時はお前外すから安心しろよ」
まあデュエル最高潮のあいつは色々大変だから関係ないかもだけど
本格的に押し黙ったワーウルフに少し気分を直し、鬼柳はさわさわと風に揺れる雑草の上に寝転がった。



流石鳥獣の領域。住んでいるスラムの空はいつも灰色で、晴天なんて滅多に拝めないのに。領域が変わっただけで、抜けるような青空を堪能できるなんて。
「…クロウ飛んでねぇかな」
使い手自身が飛べるわけがないのに。でも、鳥獣使いなら背中に乗って飛んだりできるだろう。
「2日連続見れねぇなんて最悪だ…」
たとえ遠くからその顔をちらと見るだけだって、全然構わないのに。しかも今は、話しかけるきっかけだってある。京介ありがとう!
“鬼柳…”
いや、まあチキンではある。弟のおかげで話しかけられるってどんだけだ。まあ実はチキンだなんて、絶対にばれない自信はあるけど…
“鬼柳、このままでは…”
最初はなんだ、弟がお世話に…
「ごふぅっっ!!」



それは一瞬だった。
一瞬だったが、過去何度か体験した事のある鬼柳には馴染み深すぎる痛みだった。
「ッッッックダックゥゥゥゥ!!!」
音速ダックに踏まれたときの痛み。あの細い足で踏まれると、軽いくせに一転集中で食い込む。かなり深く食い込む。
“このままでは踏まれると言ったろう”
「言ってねぇよそこまで!!」
“クエ?”
「クエ、じゃねぇ!ぶってんじゃねぇお前が地味に凶悪ってのは俺が一番知ってんだぞ!!」
トテトテと戻ってきたソニックダックに掴みかかる鬼柳は、使役するモンスターの持ち主にはとても見えなくて。
だから、だろうか。


「京介、そいつ捕まえとけ!!」


無防備に叫ばれた声の主が、ワーウルフの存在も気にせず飛び込んできたのは。
「そいつ始めて見るんだ!原種だよな!!」
原種。鬼柳が持っていて当然。だけど確かに、京介は持っていない。
「足速ぇ!そこまで早く走るやつ俺持ってねぇよ!!」
ああ、違う。
ソニックダックを掴んだまま振り向いた鬼柳は、切望した橙を間近に見た。ワーウルフが立ち塞がり手前で足を止めた、橙を。
「違ぇよ。ソニックは走ってねぇ、あれで歩いてんだ」
チキンだなんて、この外面の前では無力だ。心臓はさっきから訳わかんない事になってるけど。とりあえず…ソニックダック、今日の飯は大盛り決定。
「あと、京介じゃなく鬼柳、な?」










小さい頃は、鬼柳と京介、掌を合わせて遊ぶのが好きだった。
掌を合わせるだけ。それでも、嘘みたいに互いに考えていることがわかって、それが楽しくて。
大きくなるにつれて、少しずつ互いの思いはわからなくなったけれど。確実に目指す方向、性格や言動は変わってしまったけれど。外見が同じだけの、何もかも違う兄弟になったけど。
確かに心がひとつだったときはあった。
だからどうしても、一歩を踏み出せない。なんて、思ってるのはきっと鬼柳だけだろうけれど。
チキンである事の言い訳でしかないことも、わかってはいるけれど。










ほわっとした顔で、クロウが壊れて半壊した観覧車を見上げている。正確には、観覧車に引っかかってジタバタしているエメラルドドラゴンを。
「すっげ〜…サファイアとエメラルド揃ってるって、どんだけガチで原種だよっつ〜話…」
「レッドアイズとブルーアイズはいねぇけどな〜。こいつ天邪鬼だからよ、人気あるモンスター使いたくないんだってよ!」
馬っっっっ鹿じゃねぇ?!
ヒャッハーは今日も絶好調だ。京介の足を払いながら、鬼柳はひょいとベビードラゴンをクロウにわたした。途端におお!と歓声が上がる。
地道な点数稼ぎだ、頭の隅で思っても、姑息になってしまうのは仕方がない。
だって、ほら。
「これだけドラゴン揃ってたら、封じられやすくね?」
原種を使っているのは鬼柳なのに、クロウは京介を見て問う。塒に遊びにきてからずっと。たまに目が合っても、一瞬眉を潜めすんなり逸らされてしまう。
見事に今までの恋愛のテンプレ、嵌りすぎて笑えてしまうほど。





引くか引かないか、そろそろ考えなくてはならない。じゃないと、苦しいのは自分だ。
今まではすんなり引いてきた。最初は少し苦しいけれど、諦めると決めれば長引きはしない。
だって今まで好きになった子はみんな、京介が好きだから。自分と同じ顔の弟が好きだから。
それで満足、大切だと思う者ふたりが幸せなら、それだけで満足。
そう思えるはず、今回も。





「バニラって言う、よな」
ぽそと、クロウが呟く声が聞こえた。ベビードラゴンを持ち上げ、マジマジ眺めながら。
モンスターと契約を交わすとき、与えられるカード。その縁の色が原種は全て薄い茶だから、原種使いはバニラ使いと言われる事もある。
ああ、と。返事を返そうと思って、鬼柳は一瞬躊躇った。問うた相手は、きっと京介。なのに自分が答えては、また引かれるのではないかと。
しかしクロウは、どちらの返答も待たずに振り返った。向かった視線の先は、鬼柳。
「じゃあさ、俺のBFはチョコレート?」



時が止まった、確実に。
あ゛?
濁音の混ざる『あ』で困惑を表した京介とは逆に、鬼柳は一瞬で悟る。

原種がアイス基本のバニラなら、効果があってしかも名前に黒がついてるBFはチョコレート?

「………ぶはっ」
悟った途端…噴出すしかないだろう。
「おまっ、それ…じゃあ京介の地縛神は何味だ!!」
「ちょ、何だよお前!京介はあれだよ…イカ墨?」
「食いたくね〜〜!!」
ああ、駄目だ。
物凄く頭の回転が速いから、きっともうクロウは自分の失言に気付いてる。にも関わらず、認めたくなくて墓穴を掘る。
ああ、駄目だ可愛い。
「意味わかんねぇけど」
珍しくまともなことを言った京介には悪いけれど、今回は無理。絶対無理。
「クロウ、お前最高に可愛い」
言った途端真っ赤になる顔と、今までないほど潜められた眉。鋭い目つきも何もかも。
遠くから眺めているだけなら良かった。きっと諦めがついた。でもこうやって傍にいて、小さな身体をめいいっぱい使って怒るクロウを見てしまったら。
気付くしかないだろう。遠くから眺めるだけで、馬鹿みたいに焦がれていた事。










大好きで大切で、何よりも愛しい弟。
もう掌を合わせるだけで、考えてる事をわかってやることは出来ないけれど。
もしかしたらもう、お互いを繋ぐ糸は捩れてしまったのかもしれないけれど。
それでも今回は、伝えようと思う。黙って身を引いたりしないで、ちゃんと。
クロウが好きだって。










「珍しくねぇ?」
京介はそう言って、ニィと笑った。
京介の住む地縛神の領域、巨人の塔。
スラムは空がいつも灰色、ここはいつも黒。だからだろうか、青空に焦がれるのは。
「話がある。じゃなかったらこねぇよ、ガチでお前のフィールドになんざ」
うちのモンスターが総なめで食われる
勿論ワーウルフは家で留守番だ。代わりとばかりにブラッドヴォルスを連れて来たが、彼も最後まで渋った。声をかけて喜んだのはダークソードだけ。鎧は剥くのが大変だから、京介もあまり興味を示さない。それでも念には念を入れて、あとは獣やドラゴンのみ。獣姦とか言い出さない事を心から祈る、言われたら兄として立ち直れないかもしれない。
そんな鬼柳の葛藤など気にもせず、京介はすたすたと近づいてきた。モンスターを所持していることなんてすでにわかっているだろうに、特に何も召喚することなく。
「何」
そして、いつものヒャッハーはどうした?!聞きたいほどの冷静さ。でもきっと、何を話すかわかっているからだろう。
京介を目の前に、鬼柳は笑った。ニィと、京介が得意な笑み。
「俺、クロウに惚れてっから」
初めてだ、こんな事を言ったのは。
「お前も惚れてるみたいだから、黙って引こうかなとか思ったけど」
こんなにまで、大切な弟を差し置いてまで手に入れたいと思ったのは。
「無理だわ、絶対無理。だからさ、とりあえず告白優先権を巡ってお前とデュエルしようかと思って」



京介は、ただじっと鬼柳を見ていた。笑みが引きつったのは、本気の表れだと気付いていて。笑わなくなったときの鬼柳が、どれだけ容赦ないかも知っていて。
暫くして、返答が返って来ない京介に焦れて口を開きかけた鬼柳に向け、京介は笑った。
ニィと、先ほど鬼柳が笑った同じ顔で。
「馬〜〜〜〜〜鹿」







遅ぇよ?
何年待ったと思ってるよ
どんだけ鈍感なんだよ
死んで償えってほどクソだよ







「勝負なんざ、最初っからついてんだよ、馬〜〜鹿。でもなぁ、チキンなお前が漸く暴露したから、い〜いこと教えてやんぜぇ」
鬼柳は、いつも兄弟で同じ相手を好きになると思い込んでいるけど
本当は
「俺が惚れんのはなぁ、確っっっ実に!お前に惚れてるってわかってる奴ばっかなの、知らなかっただろ」
鬼柳のことが好きな相手なら、自分も好きになれる。
チキンでヘタレで根性なしで、でも容赦のなさは筋金入りのガチな兄。
「そんなくそったれに惚れるなんて、最っ高に笑える!最っ高に面白い!んでもって、いっつも勘違いして落ち込むお前が一番笑えるぜぇ?」
何でクロウが目を合わせようとしないのか。
何でクロウが鬼柳に話しかけないのか。
どれだけ勇気を振り絞って、話しかけたか…それを気付きもしないなんて、どんだけチキン?
「…行って来いよ、兄貴。んでBFにフルボッコ食らって竜巻にまみれて、ついでにモノにして来いよ」
お前が思うよりも前から、クロウは気付いてたぜ?俺と同じ顔したやつが、丘の上にいるってこと。


「…っっ!!古のルール、エメラルドを呼べ!!」


「うまくまとまったら、3Pしようぜえ?!」
そんな嬉しげな声が聞こえた気がしたが、鬼柳は聞こえなかったことにし即座に脳から抹消する。ちょっといいかもとか思ってない、勿論。
「京介、愛してる!」
空に舞い上がってからそう叫んだら、京介は相変わらずニィと笑った。
「俺もだクソ兄貴!!」










エメラルドドラゴンは着地が下手だ、鉱物系だからだろうか。今度は鳥獣族の森で木に引っかかった、おかげでクロウを探す手間は省けたけれど。選択を間違えたのか正しかったのかわからない。
「ゲイルがビックリするだろ…」
呆れ顔で近づいてきたクロウを前に、最早外面なんて言っていられない。髪には木の枝が絡まり、そこかしこに擦り傷打撲、情けないにもほどがある。
でも鬼柳はもう構わない。だって京介が背中を押した、こんなに心強いことは他にない。
「俺は!ずっと、昔から、京介だけがいればいいって思ってた!」
絡んだ枝は取らない。身なりを整えようとも思わない。唐突な告白だって、前フリなしに始めてしまったからもう引っ込まない。
突然の告白にクロウは目を丸くしたけれど、それも今は気にしない事にする。
「ずっとぴったりくっついて、ずっとずっとふたりでいれたらいいと思ってた。誰を好きになったって、京介以上にくっつけるやつなんていないと思ってた。だから、京介がどんどん離れてくのが怖くて苦しくて、そんなことになんなら別に好きな奴なんていらないと思ってた!」
なんだこの作文…
頭の片隅で、外面が顔を出す。でも今は、砕いてすり潰して芥子粒になってしまえ。
「でも、違うんだ。関係ないんだ、俺はただ京介以外の誰かを必要とする事が怖かっただけなんだ。掌を合わせても、気持ちがわからない相手を」
いつ離れていくかも、いつ拗れるかもわからない。
「でも…笑っちまうことに、もう京介の事も全部はわかってないって事に、本当の意味で気付いた。ずっと気付かなかったけど、やっと気付けた。お前のおかげで」
いつ離れるか、いつ捩れるか考えるよりも。もっとシンプルに、もっと簡単にできたんだ、いつだって。
原種で戦うときのように、真っ直ぐに。
「好きだって、愛してるって、愛しいって焦がれてるって!ずっと見てたって、それだけで幸せだったって…でも、できたら愛して欲しい。そう、思う。クロウ、お前に」
それを、伝えたい
「これで、俺は満足」



一気に言った。我ながら一気だと感心するほどに。
クロウは…ぽやっとした顔。引っかかっているエメラルドを始めてみたときの顔。でも暫くして、前フリもなく頷いた。
「うん」
うん?
「そっか」
…そっか?え、それで終わり?
満足とは言ったけどこれは満足じゃないかも…
思った鬼柳の目の前で、クロウが笑った。実は直に見るのは初めてだ。ふわっと、空気が震えるほどの笑み。
「そっかぁ」
ああ、今この瞬間、掌を合わせたら。きっと全部伝わる。思った瞬間に、掌がかざされて。
「ん」
促すように、突き出されて。
恐る恐る触れた小さな掌は、驚くほど温かかった。でも指先は少し震えていて、確かめるように少しずつ位置をずらす。皮膚がその全てを捉え、全身に信号を送った。
「俺も、好きだ」
最初に指を絡め、ぎゅっと握ったのはクロウの手だ。そこで初めて鬼柳は、自分の手がクロウ以上に震えている事に気付く。
想いを伝えるって、案外簡単だった。
「…クロウ、大好き」










日常が劇的に変わる事はない。想いを伝え合っても、急激に近づく事はなかった。
でもなんだろう…鬼柳はぽんと胸に手を当ててみる。クロウの掌と合わさった右手は、それだけでほんわりと温みをくれる。クロウの笑顔のように。空気が震えるほどに。
今はまだ、それでいいと思う。
因みに、京介は相変わらず3P3P騒いでいる。でも当面その予定はない。



END




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