プチと音をたてて、シャープペンの芯が折れた。ルーズリーフの上には、芯が刺さった小さな小さな穴。端が少しだけ、引きつれている。
まるで…まるで?なんだというのだろう。
クロウはそれ以上を考えないように、ひどく慎重な手つきでカチカチと2回ノックし、芯を出した。と同時、椅子がカタと音をたてる。
もしルーズリーフの上にシャープを滑らせていたら、またすぐに芯が折れてしまっただろう。
けして押し付けがましくはない、寧ろ慎ましい振動。にも拘わらず、クロウには全ての思考や動作を奪われるほどの衝動だ。
誰にも気付かれぬよう、すぅと目を閉じ、スカートの上できゅっと手を握る。それからそっと机の中に手を入れ、バイブ抜きのマナーにしてある携帯を開いた。
メールが一件。相手は、後ろの席の生徒から。椅子を軽く蹴ってメールを送ったことを知らせてきた、シャープの芯の仇。
暇
メールの内容はそれだけ。二度も椅子を蹴ったにしては、あまりにも意味のない一文字。
すぅとまた目を閉じて、携帯を机の中に戻す。途端またカタと鳴った椅子に、ほっと息を吐き。黒板に向かった教員に気付かれぬよう素早く、クロウは後ろを振り返った。
窓側ではなく、廊下側。一番後ろの席と、後ろから二番目。冬は冗談じゃないくらい寒いはずなのに、いつ見ても一分の隙もなく微笑み返してくる、クラス一の好青年。
見た目は。
「うるさい」
低い声で、最短の言葉。すぐに前を向いたクロウの背に、ククッと笑い声が聞こえてきたけれど。もう、それどころではない。
数学は苦手なのに。ちゃんと授業を受けないと、またわからずにからかわれる。性質が悪いことに、シャープの芯の仇は数学が得意。だから暇、などとメールを送ってくる。
本当に性質が悪い。もし後ろを振り向いたその瞬間から、クロウが授業どころではなくなったのだと。いつもそうなるから、本当は振り向きたくなどないのだと。知っていてやっているとしたら、それこそ最悪だけれど。彼は多分知らないから、そういう意味での性質の悪さ。止めてくれと頼んでも、理由が言えないから分が悪い。
彼は多分知らないから。
クロウはひとり慌てるだけで。それが悔しくて、寂しい。勝手にそう思っているだけ、だけれど。
シャープの芯の仇は、色素の薄い髪や瞳が綺麗だと噂され、誰にでも気さくに話しかけよく笑う、学校でも有名な鬼柳京介という男で。当然凄くモテて。席替えが潜在的に嫌いな担任のおかげで、多分一年間前と後ろだというだけの関係の、クロウにとってはとても遠い相手。
有態に言えば、片想いの相手。
だから椅子を蹴られたら動揺するし、メールを確認する行動にすら自分を落ち着かせ、振り向くだけにとても勇気が必要で。
彼の一挙一動に振り回される自分が嫌で、何故こんなにも不相応な相手を好きになったんだと、自分を叱咤したくもなるけれど。クラスの女子の中では、多分一番仲が良い…そんな些細な事実に縋るだけの日々を送っている。
なんて厄介な恋!入口をいつ通り抜けたのか、出口が果して本当にあるのかすらわからない、ただ闇雲な恋。
ひとつだけ言える事は、たとえ振り向いても、鬼柳は何処までも遠い。
ワンワンと響く、甲高い声。キャラキャラと笑い合う複数の女の子達。特別棟と名付けられた(生徒達からは隔離棟と呼ばれていた)棟は、何故か三階だけが本館との渡り廊下がなく、ぽっかりと忘れ去られたかのような教室が2クラス分あるだけ。しかも、使用されているのは1クラス。階段しか存在しないそのごく狭い空間に、だから女の子の笑い声はよく響く。
縋るだけの理由もないのに、ただひたすらに進むことの出来る、勇気ある女の子達。
鬼柳が笑っている。クラスの友達と、そして別のクラスからわざわざ出向いたその子達に向けて。
クロウは授業で使った教科書をトンと纏めて鞄に入れて、それからそっと携帯を机から取り出した。ほっと息を吐いて、素早くメールフォルダを開く。
本日のメールは二回。腹減った、と、暇。二行以上になることなど一度もない、授業中にだけ届くメール。その一言だけが、クロウの携帯のメモリを埋め尽くしていく。
なんて一途で、愚かな行為。
キャラキャラと可愛らしく笑うこともせず、放課後の約束を取り付けるためわざわざ出向いて来る行動力もなく。ただ与えられるだけの意味もない言葉を受け止め、最短の言葉を返すだけ。
パタンと携帯を閉じ、もう一度ほぅと息を吐く。
そのとき、傍に来た級友がひっそりと、寒くない?呟いた。
寒い、実は凄く寒い。後ろの引き戸は開け放たれ、女の子達が占拠して。廊下ともいえない廊下には、暖房がないから。最も暖房から遠い場所は今、極寒ともいえるほど。いつもなら早めにコートを取りに行くのに、今日はなんだか行きそびれていて。
席、変わろうか
級友がひっそりと言う、クロウの少し悴んだ手に触れながら。
席…彼女の席は、窓側から2列目の後ろから2番目。熱すぎもせず、寒すぎもせず。
冷え性だからって言ったら、先生も許してくれるよ
そちらの席に顔を向けたクロウに畳み掛けるように、言い募る級友の声には真剣さが増していく。
ああ、この子もきっと、鬼柳が好きだ。寒さに耐えてすら、ただ傍にいたいと願うほど。
「クロウだけズルイ」
ひっそりと告げられてきた一方的な提案。そのとき、それに割り込んできた明るい声。
「俺もこの席寒い、クロウの後ろに移動する」
振り向けば、そう言ってニッと笑う鬼柳がいて。引き戸を占拠していた女の子達は、漸く廊下の寒さに気付いた様子。口々に別れの言葉を告げると、手を振る鬼柳に可愛い笑みを見せ引き戸を閉めた。これで少し、多少はまし。
告げられた言葉に、身体はガチガチに緊張してしまったけれど。
「…何馬鹿なこと言ってんだ、勝手に決めるな」
「いいじゃん、仲良く一緒に移動しようぜ」
漸く搾り出した声は、明るい声に塗り替えられた。こうなるともう、級友はクロウに席を譲る理由はなくなる。
「ありがとう、でも大丈夫だ」
だからこそ先に断れば、級友はひどくあっさりと頷いた。
ガラリと教壇側の引き戸が開き、担任がクラスに入ってくる。席を立っていた生徒は、パタパタと自分の席に戻って。その少し慌しい音に紛れて聞こえてきた、笑い声。
「残念、便乗できると思ったのに」
「便乗なんてしないで、あの子に頼めばいいだろ」
振り向きもしないで答えるのはいつものこと。その方がまだ、長く喋れるから。
鬼柳はそれが気に入らないのか、椅子の背をカタカタと引っ張る。よくやられるから、クロウは椅子に浅く腰掛ける習慣がついた。
「なぁ、なんか暖かいもん食いたい」
鬼柳が話を途中で打ち切ることはよくある。よくあるどころか、頻繁に。
カタカタと、椅子の背を引っ張りながら。だから誰に話しかけているのか、背を向けていてもすぐにわかるけれど。クロウが返答に困ることをいつも平気で言うから、ぱたりと会話が途切れることも頻繁で。
「…暖かいものなんて」
「な、帰りなんか食いに行かない?」
ほら
もしかしたら気付かれているのかもしれない、思う瞬間だ。
すぅと視線が下がる。鞄が乗っているだけの机は、クロウを救ってはくれない。いくら願っても、気を持たせるような発言をする鬼柳を、どうにかしてはくれない。
「なあ、クロウ」
少し前までは、こんなことはなかったのに。ただ普通に会話をして、普通に笑っていられたのに。いつの間に、返事を躊躇うようになったのか。振り返ることを極力避けるようになったのか。
「クロ…」
「誘う相手、間違ってねぇ?」
乱暴な口調とか。投げやりな態度とか。少し前までは平気で行っていた行動を、今は意識して慎重に。自身の身体が、男性にとっては好ましいと思える種類であることは、逆に意識しないように。
気を抜いたら、形振り構わず縋り付いてしまいそうだから。よく大きいと言われる胸を鬼柳の腕に押し付けて、浅ましく強請ってしまいそうだから。
そんなの、スタイルに合わないじゃないか。
「可愛い子いっぱい来てただろ?選び放題じゃん」
乱暴に、投げやりに。それでもクロウはどうしても、後ろを振り向くことは出来なかった。
笑えない…笑いながら言えない事を、嫌というほど知っていたから。
カタと鳴った音を最後に、鬼柳の手がすっと離れていった気配。口の中で何かを呟きながら、小さくついたため息。
指先がひやりと冷たくなったのは、寒いからじゃない。強く強く、手を握ったから。
何故だろう
自分の気持ちをちゃんと正確に、クロウは把握していて。多分何か小さなきっかけで、それは簡単に零れ落ちてしまうもの。
わかっている、わかっているはずなのに。
気付けば考えている、どうしたら隠し通せるだろう。どうすればずっと、このままでいられるだろう。
その答えも、もう出ていて。簡単なこと、鬼柳を好きでいる事を止めればいい。
わかっている。全部、わかっているはず。
なのに何故こんなに不器用に、まるで迷子のように途方にくれて。目の前にあるいくつかの答えに、手を伸ばすことすらしない?
こんなに近くに、全てが用意されているはずなのに。
すっと差し出されたノートに、クロウは手を伸ばすことを躊躇った。
知っている、それは現国のノート。鬼柳の。
うちに忘れてっちゃったから、わたしといてくれるかな
その子は笑う、キャラキャラと。
知らない、わけではない。クロウに直接関係のある子ではないけれど、よく鬼柳の傍で笑っているところを見かけるから。
勇気ある女の子のひとり。
本来ならば、自分で鬼柳に返す事など簡単にしてのけるだろう。遠回しな警告など、する必要もないのに。
じわじわと、得体の知れないもやもやが湧き上がる。
警告など必要ない、何故わざわざ…考える前に、クロウはそのノートを受け取っていた。
「わたしとく、名前は?」
手渡す気はない。ただ机の中に放り込んでおくつもり。放課後の遅い時間、もう太陽も随分傾いている今は、隔離棟の3階など誰もいない。
帰宅部同士、HRが終わった後一緒に玄関直行などしたら、また誘われてしまうかもしれない。席に座り前を向く、それが出来ない状況での誘いなど、断る自信がないから。
…そう思うのは建前で、自分と同じ誘いをいとも容易く別の子にする姿を、見たくないから。
だらだらと図書室で過ごしたから、もうきっと誰もいない。だから簡単。
最低でもこの子は、誘われなかった
そんな意地悪な事を考えてしまうほどには、思いの他ダメージが大きかったから。手渡しなんて、絶対にしてやらない。
思っていたのに。
「あれ、クロウまだいたんだ」
引き戸を引いた途端、目に飛び込んできた白。振り向いた鬼柳が、きゅうと目を細めて笑った。自分の席に突っ伏して、少しぼんやりとした顔で。
最悪だ。
引き戸を引いたまま固まったクロウを気にもせず、鬼柳は突っ伏したまま窓の方へ顔を向けた。きっと彼は、クロウが手に持つノートを確認しているだろうに。
だらしなく椅子を引いて、ただ窓の外を見て。
「俺、好きなんだよ」
好き
すぅっと指差した先は、窓。
「夕焼け、この棟が一番入るんだ」
やや西側に面した隔離棟は、確かに一番奥まで夕日が入る。晴天だった本日は、赤が随分綺麗に映えていて。その光が、まるで尾を引くように伸びていた。
夕焼け、が、好き。
へぇ、でも。なにそれ、でも何でも。適当な返答を返せる場面。何を言ったって、鬼柳はきっと笑う。
なのにクロウは何も言えず、ただ窓を指す鬼柳の、長く綺麗な指を見つめていた。
じくじくと湧き上がる、得体の知れないもやもや。収まってすらいなかったそれが、なお酷くなっていく。
「でも、そこまでが限界なんだよな」
すうっと伸びた指が、今度は机を指差した。隣の席の上、手を伸ばせばギリギリ届くか届かないか。
一瞬伸びかけた手が、音もなく机の上に戻る。
鬼柳の顔は、よく見えないけれど。うっすら笑っている口元だけが、いやにはっきりとクロウの目に映った。
「いつもそうだ…こんなに近くにあるのに、掴めない」
教室に差し込んだ、夕焼けの淡い赤。その光に引き延ばされた、机や椅子の影。陰になった黒板の、濃い緑色。まるで一枚の絵のように、ひっそりと静寂だけを伝える光景。そこには冬の寒さとか、その絵に含まれているはずの人の感情など、一切写し出されてはいないはず。
馬鹿らしい、思いながら。それでも夕焼けにすら嫉妬してしまう、クロウの感情など。
「なぁ…クロウ?」
鬼柳が振り向いた先、ただ静かに涙を流す自分がいたなんて、その時クロウは気付きもしなかった。いつの間にか握り締めていたノートに、爪の痕が残っていた事も。
勢いよく投げつけられたノートと、咄嗟に受け止めた鬼柳の手を払いのけ、掴んだネクタイ。無理矢理引き寄せて触れた、唇の熱さ。
そんなものどれも、クロウは気付かないまま全てが終わっていて。
「好きっっ」
ぽろりと零れ落ちた言葉が、鬼柳の膝の上に乗ってだなんて、勿論意識なんかしていない。そもそも、いつ椅子ごと振り返ったのかさえわからないのだから。
クロウが気付いていたのは、ただただもう嫌だと思い続ける、自分の中のぐちゃぐちゃな何かだけで。
「ごめん、もう…っわけ、わかんね」
きっとそれは、鬼柳も同じ事だろうけれど。
暫くして、すいと伸びた指が俯いてしまったクロウの顔を上げ、親指で目尻を擦った。
ぼやけてしまった視線の先、鬼柳は困った顔で笑っていて。
「ずっとな、振り向かねぇかなって」
耳元で囁くように、言われて初めて、クロウは自分が鬼柳の膝の上にいることに気がつく。鬼柳の腕が片方、しっかりと腰を抱いている事も。
でももう、逃れようとは思わない。
「手を伸ばせば届くはずなのに、簡単に声だって届くのに。振り向かせようとして、ただ気付いて欲しがっただけで。それで泣かせるなんて、最悪」
鬼柳の唇が、濡れた頬に触れたから。
するとヘアバンが降ろされて、額にかかった前髪を梳かれたから。
そして強く強く、抱きしめられたから。
「好き、俺のが先に好きだった。好きんなって欲しくて、馬鹿みたいなちょっかい出して、好きな子泣かせたのは俺。だから謝るのは俺だろ」
ごめん
言った鬼柳の声が、少しだけ震えていたから。
「ちゃんと掴むから、ちゃんと言うから。俺と付き合って、クロウ」
頷く以外、何が出来るというのだろう。
同級生の妹だという。だから確かに家には行ったけれど、あの子に会いに行ったわけではない。
ぽんぽんとクロウの背を叩きながら、鬼柳はぽつりぽつりとそんなことを言っていた。考えてみれば、聞いた苗字と同じ名前がクラスにもいる。
授業中にしかメールを出さなかったのは、ただ振り向いて欲しかったから。目の前にクロウの背がないのに、返って来るかもわからないメールを待つよりは、ずっと嬉しかったから。
考えてみれば、クロウは鬼柳にメールを返したことがない。貰うだけで、一度も。
「すげぇすれ違い」
クロウが差し出した携帯のメールフォルダを覗いて、ひっそり漏らされた苦笑。上から下まで一言で埋め尽くされた、些細なメール。
ぱたんと背で携帯が閉められる。
そろそろ、だろうか。
クロウはいつ、鬼柳の膝から降りようと、そればかりを考えていた。
勢いでいつの間にか乗ってしまった膝の上。もうきっと、開き直るだけの十分な理由は出来たけれど。
まだ測れない、どれだけ傍にいていいのか、どれだけ甘えていいものか。数十分前まで鬼柳は、ただの級友だったから。
もぞと少しだけ、身体を引く。短く着た方が可愛いと評判の、チェックのスカート。ひらりと鬼柳の膝の上、広がって擦れて少しプリーツが捩れた。
ジャケットが苦しくて、冬は白いセーターばかりを着ているから。コートはいつも、学校にいる間は前を閉めないから。身を引いた途端に、肩にかかった慣れ親しんだ重さ。気付けば随分と、胸を押し付けていたようで。
かぁと頬が熱くなる。
「あ…」
ごめん
言って、さっさと降りて、帰ればいい。一緒に帰って、鬼柳がまだそのつもりなら何かを食べにいったって。
なのに。引いた分の身体が、すぐにまた引き寄せられて。顔を上げれば、すぐに触れてきた唇。先ほど咄嗟に触れたときとは比べようもないほどに、長く深く。
「んぅ…っ」
クロウの口内に、何の躊躇いもなく差し込まれた舌。
時たま離れる唇同士、その合間から溢れる熱い吐息はもう、どちらのものかわからない。やがて太腿に、さわりと這った指の感触。
明らかに熱の篭った指先。
変な話だ。クロウはその時点で、身体からすとんと力を抜いていた。
欲しがられているのだと、求められているとわかるなら、こんな短直な行動にだって意味はある。
百万回愛の言葉を囁かれるよりも、ただ一度でも欲望を曝け出してくれた方が、気付くことが出来る場合だってある。
今鬼柳はきっと、心底欲しがっているとわかるから。
クロウはそう感じるだけで、なんだかとても安心してしまった。初めてだから、実際にどんなことになってしまうのか、それはわからなかったけれど。
軽い水音を鳴らして唇が離れたとき、だからクロウは一切の戸惑いなどなくて。感じる羞恥は、気付かないフリで。すりと首元に、顔を埋めた。
「しても、いい」
喉に引っかかるような声。でもその声はちゃんと鬼柳に聞こえたようで、暫くの躊躇いを見せた後、それでもスカートの中に潜り込み。
そこからはもう、遠慮などない。
「っ…!」
ショーツの中に割り込んできた指が、襞を掻き分けゆっくりとなぞっていく。何度も、何度も。
「あつ…」
呟いた声は何処か上ずっていて、切なげで。だからクロウは、なおの事顔を埋め何も見えないようにした。きっと凄く、恥ずかしい事になっているから。
お互いに。
「あぅ…」
なぞるだけだった指が、中に入り込んできた。くちくちと熱が溢れ、今にも滴りそうになったから。指が入った途端、きゅっと締まったそこはクロウの意思ではなかったけれど、耳に触れた唇が何処か嬉しそうだったから。それでいい。
「始めて、だろ…こんなとこだけど、貰っていいのか?」
くぐもった声が、切羽詰まった声が、一応の了解を望んでいたから。
今嫌だと言ったら、鬼柳は止められるのか?
一瞬そんな意地悪な問いが頭を過ぎったけれど、勿論クロウに言えるほどの余裕なんてない。
「クロ…」
「聞くな馬鹿っ」
言った途端だ。ふわりと身体が浮き、気付けば鬼柳の机の上に上半身を預けていて。顔を上げれば、目の前に自分の席。
ぱちぱちと二回瞬きをする猶予、それしかクロウには与えられなかった。
「いっっ!」
ひたりと何か熱いものが、ずらされたショーツの間から当てられた。思ったときにはもう、深く深く突き刺さっていて。その瞬間は、痛みを感じる暇もないほどで。
「あぁっ…ぅぅ」
高い声があまりにも響いて、引き戸が開いたままであることに漸く気がつく。クロウはずっと背を向けていたから仕方がないけれど、鬼柳はわかっていたはずなのに。
咄嗟にセーターの袖口を噛み、声を殺して。でもそんなクロウの行動をあざ笑うかのように打ち付けられて。
「すげ…きつっ」
じんわりとした痛みと、奥へ押し込まれる熱の塊の焼けるような感触。
机と身体の間に割り込んできた両の手が、クロウの胸を鷲掴み強く揉む。服の上からだから、そんなに痛くはないけれど。鬼柳が触っていると思うと、なんだか変な気分で。
「っ…っ!」
揉まれるだけで、感じるはずなんてない。直に触られているわけでもないのに。
足が浮くほど突き上げられながら、ガタと鳴る机に頬を擦り付け、その熱を全身で受け止めながら。クロウはいつか、恍惚とした表情を浮かべていた。
支配されている。支配され、貪られている。そんなある種の独占欲が、想像以上に気持ちが良いと知ったから。
「ふぅぅっ…!」
ぐちゅりと、結合部から液が漏れる。掻き回され、泡立ち、少し血の混じったトロトロの液。きっともう下着は、見るも無残になっていて。でもその先を考える余裕など、クロウにはなかった。
「クロウ、ごめ…もっ」
がつと奥の子宮口に突き当たった亀頭が、その先をぐりぐりと広げようとしていたけれど。その感触で軽く達したクロウが強く締めすぎた。
胸を弄っていた手が片方、クロウの顎を掴み横へ向け。唇が合わさったと同時、最後に強く突き上げられて。クロウがガリと机の表面に爪を立て、きつくきつく締まった膣内から鬼柳のペニスが抜けた。
中で達しないだけの理性を残していたのか、条件反射か。わからないけれど、触れただけだったキスがすぐに深いものに変わったから。誤魔化されていると勘ぐるよりも、愛されたのだと感じる方を、クロウは取った。
今まで散々後ろ向きだったのだ、いい加減楽観的なほど幸せになってもいいはずなんだ。
指二本。繋いでいるのではなく、掴まれている。掴まれながら、引かれるように夜道を歩く。
結局あの後、本当に下着は見るも無残になっていて。勿論替えの下着なんてあるはずもなく。帰り道にあるデパートまでノーパンという、苦肉の選択。トイレの中でその覚悟を決めたクロウは、教室の処理をした後廊下で待っていた鬼柳に捕まった。
「送ってく、絶対に」
彼自身も下着の状態は見ていたから、クロウがどのような選択をするか大体は想像出来たようで。眉を落とし、心底申し訳なさそうな顔をした鬼柳。
でも今のこの状況を考えると、本当に申し訳ないと思っていたかは怪しいな…クロウはそんなことを、ぼんやり考えていた。
だって、上機嫌すぎる。鼻歌まで歌いだいそうなほど。まさかこの事態を見越して、あえて下着を下ろす暇を与えなかったのか…考えてしまうほどには。
鬼柳はそれくらい、平気でやりかねない。なんだかそんな気がしてきて、少し困ってしまったクロウだけれど。
「明日は日があるうちに帰ろうな」
振り向いた鬼柳が、心底嬉しそうに笑うから。
「夕焼けの道。一緒に歩いたら全部、クロウ色だろ」
どこの詩人だ、言いたくなるような恥ずかしい台詞を、満面の笑みで言ってしまうから。
「…勝手にしろ、もう」
熱くなっていく頬も止められない、俯いてしまう顔も。
それでも、可愛くない返答をした代わりに、掴まれていた指二本。全部を明け渡して、ぎゅっと手を握った。自分よりも大きな、鬼柳の手。
顔を上げたらきっと、崩れる暇もない笑顔があるのだと想像できるから。大進歩、言って笑われそうだから。クロウはまだ、顔を上げては歩けない。
明日の約束までに、もう少し落ち着こう。そう思っては、いたけれど。
END
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