ぱしり、ぱしり。
人の声に紛れても掻き消せない音と光を浴びながら、トロフィーを掲げる。
クロウ・ホーガン。彼のチームは、現在のライディング・デュエル会において最も高い壁とされている。この日の大会も規模こそ小さくはあったが、彼らが参加すると聞いて集まった強豪ばかりの中、見事勝利を勝ち取ったばかりだ。
決闘後の高揚感で笑顔は自然に浮かぶので、この瞬間は苦痛ではない。この後、次々投げかけられるだろう意味があるのかないのか分からない質問だけが、彼にとっては苦痛だった。
「勝たなきゃなんねえってのは、あんまねぇなあ」
プレッシャーに打ち勝ち勝利を得た――記者がこうコメントすると、クロウは必ずこう返す。
「おれ達が強けりゃ、自然と他も強くなる。楽しいだろ、そういうの。それに、おれ達はチームだ。こいつらといると、勝とうとしなくたって、勝てるって思えちまうんだよ」
言って、朗らかに笑う。
かつてクロウが所属し、いまや伝説となったチーム5D'sのジャック・アトラスは、一度の転落から復帰したかと思いきや、怒涛の勢いで個人リーグのトップを獲り、守り続けている男だ。彼は、勝利の後、高らかに「キングは一人」と告げる。
この対照的なコメントを比較するところからはじめて、ほとんどの記事がいつしか二人を好敵手として書くようになった。
『より良い記事のため』に、きっと今回もジャックの話題とともに何かを問われるのだろう。恋人の有無は慣れっこだ。波をかき分けてくる記者のマイクを見つけて、クロウは眉を顰める。
「クロウ、」
「ん?」
「押さえてるから、行けよ」
「は?」
チームメイト達が、妙にニヤニヤとしながら言う。
普段はインタビュアーに押されているクロウを見てニヤニヤとしながら、のらりくらりと自分たちへの攻撃をかわしているメンバーなのに。
一瞬目線で示された方を見て、クロウは思わず叫びそうになった。
やや遠く、停められた車の運転席に、黒いパーカーの男がいる。良く見れば後ろにも二人、問題はそっちなのだ、黒髪と金髪。黒髪のほうはどうやら眠っているようで、ただでさえ目立つ金髪の方は堂々と腕を組んでいる。
運転席の男がクロウの方を向く、その前に、それが誰であるかもクロウは気付いていた。手招きするのは、マーカー付きのとある町の長。
「……あれ、……あれ、ジャック・アトラスじゃ……」
「えっ……えっ、まさか、不動遊星……」
「運転席の、もしかしてサティスファクションタウンの鬼りゅ」
「だァぁああああ馬ッ鹿野郎!!」
チームメイト達が目を合わせて肩を竦めるその間で、クロウはとうとう叫んだ。走りだすことだけは忘れていない、呆気に取られる記者たちの間を、全力で駆け抜ける。
クロウの突然の態度の変化に、記者達は自分たちの目が間違っていなかったことを知った。彼らはかつて、サテライトという隔離地区で共にあった仲間たちだ。チーム・サティスファクションという名は、今も決闘者には十分知られている。
しかし気付いたところで、クロウが走り始めた以上、動き出すにはもう遅い。インタビュアーは名を呼ぶのが限度、カメラマンが辛うじてビデオを回し、シャッターを押すことができたくらいだ。
「流石、鉄砲玉のクロウ!お疲れ!」
「余計疲れさせてんじゃねえよ!」
助手席のドアから飛び乗ったところで聞こえた会話が示す通り、鉄砲玉――否、黒き弾丸、クロウが走りだせば誰にも止められない。
後ろが騒がしいことも、容赦なく踏み込まれたアクセルが走らせた車にはもう関係のないことだった。
KCが開発した最新型のモーメントエンジンを組み込んだ新型車は、まだ市場に出回っていないニュータイプ。所謂試供品だと、クロウが知るのは後日のニュースを見るときである。
後日談であるが、この日のニュースはクロウの予想を大きく外し、あらゆる方面様々な記事が書かれることになった。たとえば、一紙は天才不動博士の休日について。別の記事は、この新型車について。サティスファクションタウンの現在を特集したものもあれば、ジャック・アトラスのコートの新調に触れたものまで。
ニュースを好まないクロウも、面白がってあちこちに手を出す程度には、紙面は多色に染まるのだ。
シートベルトを掴み、はあ、と息を吐くクロウの後ろで、人が動く気配がした。ミラー越しに目が合い、クロウは苦笑を浮かべる。
「……おはよう」
「こいつは三徹だそうだ。久しぶりだな、クロウ」
寝惚けた声の遊星を、ジャックが顎で指す。腕を組んだまま、さも当然のように遊星の近況を伝えておきながら、鏡越しに挨拶を終える。遊星は身じろいで、「ああ、久しぶりだな」と続けた。
昔から眠らないことは苦ではないようだが、転寝してしまったせいで眠気を思い出してしまったのだろう、遊星は少年時代のようにふわふわとしている。それがなんだか可笑しくて、くっくとクロウは笑っていた。
「まぁ久しぶりだけどよ!そんな気しねえけどなあ」
「みんな有名になりやがったからな」
助手席に沈み込みながらのクロウの言葉に、運転者がようやく口をはさむ。いつの間にか取り払ったフードの下の、やや乱れた淡い青銀髪が目を引く。チームサティスファクションのリーダーであった鬼柳は、慣れた様子でハンドルを握っている。
免許を取ったとは聞いていたが、目にするのは初めてだ。
車より、D-ホイールの免許を取れと三人がかりで推したのに、必要だからと車を選んだ。彼は確かにデュエリストであるが、それよりも町の主である道を選んだ。
「お前も相当有名だろ」
「まあ、町はおかげでにぎわってるな」
笑いあいながら、クロウの試合の結果には誰も触れない。悪い結果ではないというのに。
ふと浮かんだ疑問は、彼らの表情を見て消えた。
不動遊星に、ジャック・アトラス、鬼柳京介。
彼らは今、『プロデュエリスト』でも、『博士』でも、『町長』でもない。そして彼らにとってのクロウも、ただの『クロウ・ホーガン』でしかないのだ。
ならばとクロウも口を噤む。デュエルの話題は避けられずとも、積もる話は山ほどある。それより、何より。
「お前ら、何だって集まってんだ?」
拭えない疑問。後部座席の二人が顔を見合わせ、運転席の一人が吹きだす。ちらちらと鏡越しに視線をかわして、不自然にニヤリと笑う。この違和感に勘付かないほどクロウは鈍くなく、クロウも負けじとあからさまに眉間のしわを増やした。
「……まあ、俺と遊星は職業柄よく連絡とるんだけどな」
赤信号での停止と同時に話し出したのは鬼柳だ。
「カレンダー見たら9月だったんだ」
「はあ?」
鬼柳の話はとことん長いか、とことん短いかのどちらかだ。今日は後者で、これでは何も見えてこない。ジャックが声を上げて笑った。
「クロウ、今日は9月6日だ!」
「ああ?だからなんだってんだよ」
今度は遊星がふふ、と笑う。
「く、とろの日だ」
「……は?」
「クロウの日」
遊星のヒントに繋いで、鬼柳がとうとう答えを告げる。
だからクロウに会いに行こうと思ったんだ、と続けられて、肩すかしをくらった気持ちで、クロウは素っ頓狂な声をもう一度あげる。
「言っとくけど、言い出したの遊星だからな」
「! 鬼柳、それは言うなと」
「あの時点で相当眠たかったんだなお前」
ジャックがまた笑った。そこで遊星がはっとする。「鬼柳、お前ジャックにも喋ったな!」
鬼柳も声を上げて笑うものだから、答えは明白。真っ赤になった遊星は滅多に見られるものではなく、ミラーに映った己を見てはっと顔を俯けてしまったものだから、もうクロウも我慢の限界だった。
「……顔が見たいと思ったんだ」
仕方ないだろう、と遊星が呟く。
顔には出ないが、相当疲れていたのだろう。昔馴染みと会って言葉を交わしたいと思うのは、確かに仕方のないことだ。
たまたまとはいえ、それに選ばれたことを、クロウは誇りに思う。
思うと急に気恥ずかしくなって、座席にさらに沈めた体をそのまま、顔を横に背けた。
「クロウが照れてるぞー」
「るせー」
鬼柳が機嫌よくアクセルを踏み込む。窓の外の景色に意識を飛ばそうとしても、すでに見慣れた街並みでは集中もできない。
「フン、いつまでもガキだな」
「そういうジャックは俺の連絡に過去最短の即返信で行くって」
「鬼柳貴様ァ!」
激昂したジャックが、運転席を掴んで揺さぶる。車ごと揺れて、慌てたおれと遊星がジャックを止めに身を乗り出した。
「ば、あぶね、お前らあぶねえって!」
こうなるともう、誰が一番ガキなのかなんて、どうでもよくなる。つい先刻までの羞恥も、みんなガキだと思えば捨ててもいい。
「なあ、おれの日なら夕飯奢れよ」
「……割り勘」
「聞こえんなぁ!」
「ありがとう鬼柳」
「遊星までかよ!? ぜってー割り勘な、つかジャックお前年収」
「聞こえんなぁ!」
「この裏切り者ォ!!」
鬼柳が吠えても、笑い飛ばせるだけ大人になった。
考えようによっては、童心にかえれるのなら、大人になるのも悪くない――シティ時刻での9月6日、今夜は呆れられるほど賑やかにやれそうだと、クロウはまた窓の外を見た。
ほんの少し、景色が違って見える気がした。
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