肘から下、指の根本までを覆うグローブで覆われた腕が、暗闇の中震えながら伸ばされる。先には散らばった数十枚のカード。異世界の扉を思わせる裏面に、独特のモンスターやアイテムのイラストを描いたカード。闘うために存在するそれに向けて、決して大きくはない青年の手が、伸ばされる。
「無理無理、あきらめちまいなぁクロウよぉお」
耳に障る笑い声が聞こえて、クロウと呼ばれた青年の爪は床を掻いた。冷たいコンクリの床は容赦なく彼の指先を傷つけたが、また、その手は震えながら前へと向かおうとする。舌打ちがひとつ聴こえた後、粘着質でどこか痛々しい音がする。直後、指先はかたく握り締められた。
この場には二人、青年がいる。
月明かりも入り込まない地下に形成された無機質な空間で、腰部を突き上げた格好で一心不乱にカードへ手を伸ばすクロウと、彼を詰り、晒された下肢を雄の凶器で貫き蹂躙するもう一人の青年。鬼柳京介。
「うぅ、あ、あ、あぁ……き、りゅ…うぅ……」
鬼柳が続けて腰を打ち付けると、奇怪な水音にあわせてクロウの体はがくがくと揺れる。紫がかった銀の瞳は涙を溢しながら前を見る。筋肉は無駄なくついているが鬼柳よりも小さな体は、彼に支配されるしかなかった。
濡れた頬は床に擦れて血まで滲ませていたが、顔のマーカーは消えずにくっきりと残っていた。犯罪者の証で汚れた顔がそれ以上汚れようと構わないと哂うかのように、そこで存在を主張する。鬼柳はクロウの腰を掴んでいた手をひとつ離して、橙色の髪を掴んで更に床に押し付けた。普段性格を現すように尖った髪は、すっかり乱れて散っている。彼の額で髪を支えていたヘアバンドは鬼柳によってかなり前に剥ぎ取られてしまっていた。愉しげに笑う鬼柳の右頬には、マーカーとよく似た赤い印が刻まれている。それは彼が、死者たる証。
「カードはお前を助けちゃくれねぇぜ、そして、お前もカードを救えない。笑っちまうよなあ、ハハハッ!」
彼は狂ったように笑った後、身を乗り出し既にボロボロになったクロウのインナーを引き裂いて、肩甲骨の先に強く歯を立てた。針で突くように一瞬の、しかしそれよりずっと熱を持った痛みに襲われクロウは目を見開く。
「うぁあ、ひ、っく、やめ、ろ、ぉ」
「誰を呼んでも、助けてなんて貰えない、可哀想なクロウ!」
体奥は押し込まれた異様な熱に焼かれ、背中からは純粋な痛みが与えられる。濡れた瞳を瞬かせて、クロウはうう、と小さく唸った。
「じゃっく、ゆ、うせ、すまねえ、すまね……」
「……それ止めろよ、ウゼぇ」
「く、ぁうっ!」
一度は止まった熱の移動が、妙に冷めた声と共に再開される。ようやくクロウが発した言葉らしい言葉は、すぐに掻き消えてしまった。ぴんと伸ばされた腕が跳ねて、たえきれない何かを破裂させるように、拳と、投げ出されたままの爪先が床を打つ。限界まで突き入れた己で中をゆっくりと探るように動きながら、京介はまたクロウの背に歯を立てた。ひくりと動いた骨の側。血が滲むそこを舐め上げて、毟り取るように喰らいつく。悲鳴は上がらない。
「飛べない鴉はただの肉。檻の鼠もただの肉だぜ? そういう意味では良かったなあ、お前はただの肉にならずに済んで」
「ふ、う、ぅああ、や、め、やめっ……い、あ」
傷だらけの背中を舌で辿れば、クロウの開きっぱなしの唇からは止め処なく声が零れる。狙いを定めて固定された鬼柳の凶器は僅かな動作にも連動してそこを掠め、時折言葉を紡ごうとするも、先程までとは違い緩やかに確実に与えられる知るはずのなかった快楽に支配され、ただ、餌をねだる小鳥のように高く、啼く。
「ん? 何だあ、聴こえねえぜ?」
「ふああ、っあう、ぁ」
クロウは喘ぎながら、びくびくと跳ねる体を抱えるように身を縮こまらせていく。ひたすらにカードに向かっていた腕も、頭のすぐ上にまで引き戻された。京介は興奮で乾いた唇を舐め、今までじわじわと与えていた衝撃を何倍もの強さで与えられるよう両手でクロウの腰を掴んで幾度も貫く。甲高い悲鳴が訴える苦痛の種類が変わったことを、内壁の感触が京介に伝えていたからだ。
「ココ、たまんねえんだもんなぁ?」
「いっ、ん、くぅっう、あ、きょお、すけ……ぇ!」
「おら、いけよぉイっちまいなぁあ! ひぁ、ハハハハハッ!」
その言葉に促されるように、クロウは長い時間をかけて蓄積された熱を放つ。ほぼ限界まで身を丸めていたため、吐き出した白濁はクロウの腹から胸、顔までも汚した。
京介はクロウの内側で熱を放ちながら笑い、不意に押し黙った後でようやく自身を引き抜いた。不自然に濡れた結合部を眺め、腰を支えていた手を離す。
完全に自立する力を失い、京介によって支えられていたクロウの身体はぐらりと横に倒れ、猫が眠るように、胎児が目覚めのときを待つように、透明な卵の殻に収まってしまったかのように、身を丸める。ぼんやりとだが開かれていた目はそうすることで落ち着いたのか、やがて閉じられた。
「……ふ、は……ははは、ヒャアッハハハハハ……ッ」
背中は血まみれ、引きちぎられた衣服は辺りに散らばり、目も当てられない状態のクロウを見下ろして京介はまた笑い出した。眠ったばかりの、先程よりもさらに小さく見えるようになった体を蹴飛ばし、何度もその名を呼ぶ。
「起きろよ、起きろよぉおクロウよおぉ! ハハハ、寝る意味ねえだろぉお、休める羽も脚も腕も、ねえんだから、クロウ、お前にはもう必要ねえんだからよぉおお!」
力の抜けた体は蹴り転がされて丸くなったままではいられず、ぐったりと四肢を投げ出した状態で床に転がる。京介は傍らに駆け寄ってその身を抱き起こし、抱きしめた。骨が軋むほど強く、血の滲む背に爪を立てながら。痛みに耐え切れず開かれたクロウの瞳は、薄暗い部屋の壁を映した。
「俺のモン、だ……くくっ、俺の……優しく餌やって、可愛がってやるからな、ちゃぁんとな、ちゃんと……」
呟きと舌なめずりの音を耳元で聞きながら、クロウは与えられた僅かな休息を無駄にしまいと目を閉じた。知っていたからだ。逃れようと抵抗してもしなくても、自身が目覚めても目覚めなくても、京介は餌を貪る野良犬に変わるのだと。そしてその餌こそが、ここに唯一残された己なのだということを。
「クロウ……もう、お前は俺を裏切れない……!」
首筋に噛み付かれて、クロウは時が来たことを悟る。ありもしない翼を引きちぎるように背に立てられた爪の痛みに、肉を噛み千切られる痛みに耐えながらかごの中でなくのだ。脳裏に刻まれた名を呼ぶのは、癖でしかない。意味はない。
膝を引き寄せて身を丸めようとしながら、クロウは瞼で視界を遮断した。
|