「なあ、何がしてぇんだ」
突然までやってきた我らがチームのリーダーは、各々の希望の遊びを求める子供たちを綺麗にまとめあげて、おれと自分をすっかり予定ゼロにまでしてしまった。
マーサを彷彿とさせるその手腕に唖然としていたおれは、次の行動を考えるより早く鬼柳京介に手を引かれて建物の外に出されてしまう。今度は何かと思いはしたが、あえて問わずについていく。
辿り着いたのは粗大ゴミ置き場の隅で、何を思ったか鬼柳は、明らかに不法投棄されていた趣味の悪い安っぽいソファに座っておれを手招いたのだ。
まさかお前が不法投棄したんじゃないだろうな。こんな人目につかない場所、有り得る。
近寄ったおれの腕は掴まれて、ソファの横に座らされる。詰め込まれたのと変わりない。
狭い、文句を言えば鬼柳はうなづきながら、おれの肩に手をまわして引きよせる。
「何してんだ」
「クロウを味わおうとしてる」
「わけわかんねえ……」
問いかければ肩口にぐりぐりと頬を押しつけられて、猫か犬が鳴くみたいにおれの名が呼ばれる。鬱陶しい。だが、嫌じゃない。そう言ってやるのも、悔しい気がして。
肩に乗った鬼柳の手を剥がして、頭も押し戻して、その手がまた伸びてくる前にソファの上に膝で乗りあげる。全身で不満を訴えてくる鬼柳の額を叩いて、そのまま向き合った。
「っおらよ」
鬼柳をまたいで、合わせた膝の上に無理矢理座る。ずっと近くなった視線をさらに近付ける。鼻先が触れ合う距離で、唇の両端を思い切り上げた。
「思う存分味わえよ」
おれを抱きしめた両腕、鼻先に触れた唇の行き先なんて、考えるまでもない。
【It's so sweet】
戸惑いながら見上げた顔は確かに、その名前の持ち主で間違いない。小さく微笑まれて、ようやくクロウは確信できた。
「鬼柳」
「ああ」
こくりと頷く男の右の頬だけをクロウが左手で覆うと、男は、鬼柳京介は、目を閉じた。長く伸びた髪がコートの肩を滑り落ちる。仄かに青い、銀色。
「髪」
「ああ」
指の隙間から見える黄色のマーカーを眺めながら、右手は長く伸びた彼の髪を掴む。力を抜けばするりと落ちるが、毛先は傷んで絡まっていて指に引っ掛かってしまった。
薬指の先でできていた結び目はクロウが手を握ると解けてしまい、懲りずに再度掬い上げた髪はとどまることなく全て重力に従って、流れていく。
「ハーモニカ…?」
「ああ」
クロウの視線は鬼柳の胸元に移る。首から下がった銀色は、鬼柳の髪とは明らかに異なる冷たい銀。手入れをされてはいるらしいが、傷がめだった。鬼柳のささくれだった指がハーモニカをつまんで少し持ち上げたせいで、余計に。クロウが見やすいようにとの配慮だろうが、クロウはその瞬間、頭に血が上っていくのを感じる。
体は考えることもなくクロウの衝動に従った。鬼柳の頬に押し当てていた左手はそのまま頬を打ち、突然のことに驚いて反応が遅れた鬼柳の肩に、思い切り右の拳を撃ち込んだ。
「痛えよ」
「そりゃ良かった! 生きてんな!」
近距離の攻撃はさほどダメージにならなかったらしい。よろめいただけで体制を立て直し、鬼柳はクロウの両肩に手を置いた。その肩を怒らせてクロウは俯いたまま、声を荒げる。
「てめーはよ…遊星に迷惑かけて満足か!」
「いや…」
腿の横で握った拳はいつ振り上がってもおかしくなかったが、今度は意思がそれを止めた。顔を上げ、表情が歪むのも構わず見つめる、くたびれたふたつの金色。
「ジャックに笑われんぞ!?」
「困るな」
「ブルーノ困ってたじゃねえか!」
「誰だっけ」
金にも見えたはずの瞳でぼんやりと見つめ返し、鬼柳は右手でふわふわとクロウの橙の髪を混ぜる。クロウが首を振っても鬼柳の手は離れない。それどころか、片手をクロウの腰に回して引き寄せてみせた。
サテライトともシティとも異なる砂埃のにおいに顔を歪め、クロウはふいと横を向く。
「なあ、クロウは」
「ちったあ考えろや」
「無理…疲れた」
なんだそりゃ、とクロウが口にする前に、髪を撫でていた鬼柳の手がすい、と降りる。髪を上げるバンドに飾ったリングを指で辿り、日に焼けた頬を走るマーカーを滑り、最終的に顎に添えたその手でクロウの顔を正面に向けさせた。
「あーんして」
「は?」
「ちいさくな。あーん」
見慣れない長さの見慣れた銀髪が揺れて、触れる。鬼柳の顔が近付くことで頬をくすぐる髪の感触に感じる気恥ずかしさは変わらない。
開いたクロウの唇が覆われるその一瞬前には、灰色の瞳も閉じられた。
夜のガレージ。パソコンのモニターだけが照らす場所は、過去の彼らの居場所とは違っていたけれど。
鬼柳京介は相変わらず、呼吸ごと奪うようなキスが、好きだった。
【過去現在一瞬一秒】
(遊星が鬼柳を連れて帰ってきたようです)
どれだけ飢えていたのか。
鬼柳はまずおれたちが用意した食事をキレイに平らげた。おれですら2人前はあったと思える量をだ。それからディスクを使わずに笑えるほどのんびりしたデュエルをして、時間をかけてシャワーを浴びて、戻ってきたと思ったら、寝床を準備していたおれをひっつかんで。
「おい」
「…ん?」
「おれはセットじゃねーぞ」
寝間着にしているTシャツの襟ぐりを引っ張って、後ろから、がぶり。
おれの腹に片腕を回して、首から肩を甘噛みしはじめた鬼柳の頭を拳で叩く。首を掠める髪がくすぐったくてたまらないが、殴るのは遠慮してやった。だというのに。
「なんでだ?」
鬼柳は、おれの発言が不思議でたまらないと声音で伝えてきた。
「あったりめぇだろーが。ガキじゃねぇんだからよ」
「ガキじゃねえから、一緒に寝るんじゃねえか」
あまりにさらっと言われたもんだから一瞬流しかけた発言には、答える代わりに制裁の肘鉄を容赦なく一発。無防備なところに決まったからさぞかし効いただろうと思いきや、おれを掴む力は逆に強くなった。腕ごと縛るように抱きこまれて、冷や汗が流れるのを感じる。
「クロウ」
低い声。ずん、と腹に沈むような。鼓膜と一緒に体も震えたように感じたのは、恐怖からじゃない。
「お前じゃねえと、食った気しねえよ」
吐息と変わらない声。右耳のピアスが揺らされる。咄嗟に鬼柳を振りほどいて逃げたつもりが、おれは準備途中の寝床に転がってしまった。どうせ外の明かりだけで見えるからと室内灯をつけなかったことを後悔しながら、鬼柳を見上げる。
夜は、鬼柳の味方だ。青みの銀髪は淡い光を放つようで、満月みたいな瞳はおれをはなさない。少しは日に焼けたようにも見える肌も、今は幻みたいに浮かんでいる。
目なんてもう、逸らせない。
ゆっくりと覆い被さってこられて、おれは、安堵なんてしている。
卑怯じゃねえか、こんなにはっきりぶつかって来るくせに、今にも消えちまいそうだなんて。
「腹いっぱいになって、満足しようぜ」
勝利を確信したのか、歌うような声音にイライラする。重なったからだが間違いなく現実だと確かめるために腕を回して、ちょうど触れた長い髪を、思い切りひっぱってやった。
ざまあみろ、おとなしくなんてするもんか、何もかもは思い通りにさせねえぞ。
いっとくがおれは負けを認めたわけじゃない。こっちはべつにやばくもない。ただこっ恥ずかしいのは早く終わらせたいから、おれは言うぞ。
「もう黙れ。黙って、さっさとしやがれ」
言ったあとでどうなるかなんて、構ってられるか!
【腹八分目で満足】
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