――クリスマスイヴに逢いたい。

 鬼柳から受け取ったメールの一文に含まれた意味は、クロウには容易く理解できた。




 好きだ。勿論、友情なら今更言わない。

 念を押しての告白をされたのは、このメールが来る前だった。返事は待つと鬼柳は言って、今日もまだ、クロウは答えていない。
 メールの前置きとして、クリスマスイヴは恋人の記念日だというのがシティの風潮だと綴られていた。その上で、逢いたいと言う。
 指定された待ち合わせ場所、時間。そこにクロウが訪れることこそが即ち、答え。

 返信は、しなかった。
 クロウの答えは、とうに出ていたから。




「ゆーせー! 出掛けっから!」
「出掛ける…今からか? …帰ってきたばかりだろう、」
「ん、夕飯ちゃんと食えよ」
「……あ、ああ……」

 襟首にファーのついたフェイクレザーの黒ジャケット。腰より下まで丈のある新品に袖を通しながら、クロウはガレージを出る。やや遅い時間の待ち合わせは、多忙なクロウのことを考えてのことだったのだろう。ギリギリだが、間にあう。
 指定された時間、場所に行くと決めてから、毎日が早かった。それをどう伝えたら自然か考えながら歩く。ブラックバードは留守番だ、イヴくらい街を歩いてもいい。

 男だとか、女だとかはこの際考えない。サテライトの屈折した環境で、あれだけ傍にいた相手。境界線などないに等しい。
 もう好奇心では済まされない年齢であるからこそ、鬼柳は答えを出し、クロウにも迫ったのだろう。

 ジャケットのポケットに手を突っ込んで、きょろとあたりを見回す。人出は、時間を考えると多い。ひやりと冷たい冬の夜の空気には、眩いはずのネオンすら優しい。
 気恥ずかしさと時間との戦いで、クロウは大通りより一本早く路地を曲がった。明かりも人通りも少ない通りは、信号もなく、僅かだが目的地まで近い。


「……ぅおッ!」

 路地に入って間もなく、すれ違った女性と肩がぶつかった。
 一瞬クロウへ振り向いた彼女は汚れたコートを胸元でかき合わせ、唇に薄らと滲んだ血を拭いもせず、真っ赤な眼を見開いていたようだ。怯えていたようにもみえる。

「…喧嘩でも…したのか?」

 背中を見送りながら呟く。本来なら、驚くほどのことではない。血気盛んなマーカー付きだらけのサテライト、喧騒は日常茶飯事。女が殴られ泣く場面もよく見ていた。
 かといって、女の涙に何も感じないほどドライにもなりきれない。赤の他人とはいえ、放っておいていいものか。クロウは狼狽した。待ち合わせの時間もある。急がねばと前を向く足と、引かれる後ろ髪。

「ボサっと立ってんじゃねえよ!」
「のわっ!?」

 次の瞬間には突き飛ばされ、重いものが真上から降ってきた。何かにぶつかった足がじわじわと痛み、煙草と酒の匂いが鼻孔に嫌でも入り込んでくる。

 男だ。クロウを突き飛ばした男が、クロウの足に躓いて転んで、クロウの真上に倒れたのだ。

「くそ…逃げられたじゃねえか…!」

 押しのけるより早く起き上がった男が、クロウのジャケットの襟ぐりを掴んだ。地にたたきつけられたばかりだというのに、今度は持ち上げられる。重力に従って地に近づく体は、自然締め付けられる窮屈さにもがいた。

「浮かれたクソ女に身の程知らせてやろうってときによぉ、え? 何だ兄ちゃん、こんな路地に何の用だ?」
「っ、こっちの台詞だ! 何揉めてたんだかしらねーが、随分ひでえ男みてえだな、テメーはよっ!」

 こうなっては、先の女性を泣かせた相手がこの男であることはほぼ明白である。不潔に伸びた髭、血走った目元には一目でわかるマーカーが一筋。クロウはブーツをはいた足を振りあげ、男に爪先、靴底をぶつけた。当たるのはボロボロでくたびれた薄いコートだ。今更靴底を押し当てられても困らないのだろう、男は慌てることもなく、太い腕を伸ばし、更にクロウを天へ近づけた。

「クリスマスイヴにお出かけたぁ、おにーちゃんはこれから彼女とお楽しみかぁー?」

 のろのろと、別の男が歩いてくる。
 ひょろりとした体躯の割に、目つきは鋭い。両目の淵にマーカーが刻まれたその顔は、まるで骨に肉を張りつけ、投げやりに顔をつくったよう。長い髪は細く銀色をしていたが、クロウの知る長い銀髪とはあまりにも違った。髪ばかりが歳をとったようで、みすぼらしい。
 息苦しさに顰めていた眉を更に内側に寄せ、クロウは薄く開いた目で男を見た。指先が仄かに痺れている。

「……ん、ぐ…っ」
「ああ? ンだよ、マーカーだらけのチビのくせにそういうことかよ…」

 酒臭い息を吐いて、男がにたりと笑った。







 百貨店の閉店を知らせる、独特のものさびしいメロディーが耳に届いて、鬼柳ははっと顔を上げた。

 紳士向けのアクセサリー売り場。閉店直前に駆け込んできて、寸前までうろうろとしていた銀髪のマーカー持ちの男。
 はじめは訝しんだ店員たちも、彼の真摯な眼差しと、時折何かを思い出してはふと浮かべる優しげな微笑を見せられては、目が合った瞬間決まり文句を差し出す程度しかできなくもなる。

「お困りですか?」
「……あ、いや、……気に、しないでくれ」

 眉尻を下げ、背を向ける彼に、「またお越しください」と声がかかる。
 多くの装飾品が出回るこの時期、若干気恥ずかしくもあるだろうに、便乗してとっておきのものを渡したい友人がいる。それは、とても素晴らしいことだ。

 どこか幸せそうな笑みで見送られ、鬼柳は彼らの心情をそう推測した。――実際は、恋人になりたい友人、なのだが。

「……やっぱり、欲しいモンくらいはきいとくべきだった」

 渡せるとしても、渡せないとしても。
 閉まるガラス張りのドアを背に、鬼柳は頭を振った。






 放り投げられた薄汚いコンクリートの上、殴られ、蹴られて、背中に硬い靴底を押し当てられて、クロウは肩で息をする。薄らと開けた眼の先に、嘔吐物の跡を見て顔を顰める。

 男達は取りあげたクロウの財布の中身を嘲笑い、携帯電話のアドレスを探そうとしている。何年も収容所に閉じ込められていたという男達が知る携帯は随分と前のものらしく、操作に手間取っていた。クリスマスイヴにクロウを待つ、「女」を探しあてようというのだ。

 クロウの携帯に、女の名前などほとんどない。
 男としては悲しいことかもしれないが、今日ほど感謝したことはない。あるとしたら宅配業を初めてすぐ常連となった老婆や、マーサハウスの番号だが、名字と施設名ならばきっと男達の目には止まらないだろう。問題はないと思った直後、気がついた。

 チームを組んだことで出会ったふたり。十六夜アキと、龍可。

「――ッやめ!」
「んー?ほー、見られてなくても彼氏面か…余計ムカつくんだよッ」

 背中に靴底が叩きつけられ、クロウは噎せた。
 巻き込むわけにはいかない、シティで育った彼女達が、この男達に関ることなど決してあってはならない。考えなくても分かることだ。
 痛みに耐えて起こそうとした体は、舌打ちをした男の一人が座り込んできて阻止された。全体重をかけて捻りあげられた腕を掴まれ、体を捻ることすら許さない。
 手慣れている、と直感的に思った。

「ッ、何がしてぇんだよ! 金ならねえの見ただろ、殴りてぇなら気が済むまで殴れよ!」

 塞がれていない口で抗う。騒ぎたてていれば、口を塞ぎに来るだろう。体躯は細くとも、男一人でやっとクロウを押さえつけているのなら、こうなれば携帯を弄る男も動かざるを得ないはず。意味などなくていい。クロウは挑発を続けた。
 殴って黙らす自信もねえのか。それとも体力か。マーカーだけが一丁前か――
 男達は互いに顔を見合わせ、携帯電話は、やっと閉じられ地面に落ちた。

 クロウの目の前に落ちた携帯電話には傷こそついたが、一見して酷い破損はない。安堵したのもつかの間、クロウのすぐ真横で男が片膝をついた。軽い金属が打ち合わさる。摩擦音。かしゃりかちゃりと聞こえるそれに、クロウは目を瞬いた。

「どーせ今夜カノジョにさせるつもりだったんだろぉ? じゃあちゃーんと予習しとかねーと」
「え…は、ぇ?」

 男の足の間、だらしなく開かれたジーンズのファスナーの間から露出したもの。赤黒く変色した、ぐちゃぐちゃの毛と、皮で包まれた――

「い、ッ……」

 理解を拒否して思考が止まる。嗅覚を阻害すべく呼吸を止める。視界だけは遮らない。現実から目を背けては、逃げる術も見失う。

「あれ、マジで? そっち行っちゃう?」
「口なら男も女も変わんねーだろ」
「ケツも変わんねえっちゃ変わんねえっしょ」
「おー、それもそうだ」

 男の手によって頬に擦りつけられる先端が、ぬめりを帯びはじめていることに吐き気がして、クロウはさらに身を強張らせる。一文字に唇を結んだところで、逃げられやしないのに。

「いいんだぜ、カノジョに相手してもらっても」
「っ!」

 腕は、動かない。
 伸ばしたところで、携帯を手にするのは男達の方が早いだろう。取られたら取り返せばいい、それだけだ。だが、ここにはクロウ一人。頼もしい仲間達の存在が、逆に絶望へと彼を突き落とす。
 電話が鳴ったらどうする。ガレージで待つ仲間達。翌日、パーティをしようと張り切っている少年少女達。そして、待ち合わせの相手。

 電話で状況を彼らが察したとして、どうなる?
 得られるのは、バッドエンドだけだ。









「……まあ、15分前なら……早すぎることもねえよな」

 安物のアナログ腕時計は、必要に迫られて購入したものだが、なくてもいいと思っていたものに限って役に立つ。考え方も生活も変わったせいだろう、進む針を眺めるために腕を上げるのも、もうすっかり慣れてしまった。
 一番営業時間の長いファミレスの外壁に背を預け、鬼柳は星の見えない空に思いを馳せる。

「飯奢って…その時聞いて、明日買いにいきゃいいよな」

 クリスマスは明日だし、と付け足して、両手をコートのポケットに押し込む。マフラーを忘れた首元が心もとない。肩を竦めて誤魔化しながら、ふと、苦笑を浮かべた。

「……来なかったり、して」

 そうしたら、自身は笑えるだろうか。
 長く深く、息を吐く。









「――ん、ぐ…」

 足を広げアスファルトに座り込んだ男の股ぐらに顔を潜らせ、喉奥まで変形した性器を咥えこみクロウは呻く。
 顕わになった下肢を膝で持ち上げた先、決して女性的ではないが小さく引き締った臀部を、長髪の男の手の平が這う。ぐにぐにと、跡が残るほど指を食いこませて。

「う…ぅ、え、っげほ」
「お? 限界か?交替かぁ」

 たまらず噎せ帰り、頭を引いた。クロウの口から飛び出た肉塊はぶるりと震えて、咳き込むクロウの眼前でなおもそそり立っている。
 クロウとの交替相手などいない。男が、片手に握った携帯をクロウに見せつける。交替の相手を暗に示したのだ。
 勿論クロウは拒絶した。味の変わった唾液を吐きだしながら、逆流しそうになる胃液を意志で押し戻しながら、擦り傷だらけになって、爪の隙間から血が滲む両手を握りしめて。

「じゃあ…どうする?」

 答えなど、初めから求めてなどいないくせに。
 クロウは潤んだ瞳で一度男を睨みあげたが、その喉も舌も、言葉を紡ぐために震えることはなかった。残った唾液を飲みくだして、口を大きく開く。

「あ、…あ、うあぁッ!?」

 咥えこもうとしたものも相手が誰であるか考える余裕も吹き飛ばす衝撃に、クロウは咄嗟に真正面に逃げた。座る男の胸に飛び込み、縋るように腕を回す。間違いなく、最も逃げ道から遠い場所であるのに。

「おい、そっち早ぇよ」
「やー、才能かも…三本入ってる」

 本来性器を包むはずの、薄いゴム膜。それを広げ纏った三本の指がぐぽ、と引き抜かれ、また入り込む。小さくなりたがる体は、膝を胸元に引き寄せたが、舌打ちと共に腰を掴まれ引かれ、また臀部を高く掲げさせられる。
 縋りついた体からも、髪を掴んで引きはがされた。

「い、ぃた、や、ぁああぅ…っ!」

 言葉にもならない。クロウは子供のようにぐすぐすと鼻をすすった。瞼を伏せれば、止まらない涙が頬をすべっていく。プライドも何もない、かなぐり捨てて逃れられるのならそうしたい。それでも良かった。
 許しを乞う言葉さえ羅列出来なくなった思考のまま、クロウはせめてと瞳で訴える。屈辱に揺れて、恐怖に潤んだ瞳。正面の男はその眼差しを受け止め、ふん、とどこか得意げに笑った。

「入れられながら咥えられたら間違いなく才能だよな」

 クロウは気付かなかった。男達の欲が、征服と優越によって満たされることに。
 自分達の邪魔をした正義感の強い青年が、誰にも見せたくないであろう醜態を晒し、怯えて、それを恥じている姿。
 長らくまともに発散する場を得られずにいた性欲が、この感情に揺り起こされるのは必然であり、クロウがそれを知り得ないのも当然のことだ。

 見開かれ、くすんだ銀の瞳が震える。それに正面の男は更に雄を膨張させ、臀部の穴を広げていたニタニタと笑っていた男は、口内に溢れる唾液が垂れ落ちる前に舌舐めずりをした。

「……ぁっ、だぁ!」
「男だろー? カノジョのためにやってみろよ」

 そう言えば、クロウは従うしかない。男達はわざと言葉にして煽った。そもそもクロウが従おうとしたところで体は柔軟に男を受け入れることは出来ないだろうし、どれほど拒絶しても、無理にでも押し通すことになる。
 逃げ道など、与えるつもりは毛頭なかった。指のゴム膜を引き外して、そのまま、本来あるべき場所へと纏わせる。クロウの眼前のものよりは貧相ではあるが長さのある性器は、親指で押し広げられた穴の入口へと無慈悲に押しつけられた。

「ぐ……う……ッ!!」
「うお」
「おお、入るもんだ!」

 クロウの両手首を押さえつけ、座った男はげらげらと笑う。
 小刻みに腰を振りながら、奥へと進んでくる違和感。肉壁を押し広げ、這いずってくる熱源。クロウは目を瞬かせた。睫毛が涙を拾って弾く。食いしばった歯、吐き気をとどめようと締めつけた喉が、軋む。

「おら、お口はどうした?」
「ひ…っあ、かは、ッ、…ぐ」

 髪を掴まれる痛みも今のクロウには知覚できない。ぜいぜいと無駄な酸素を吐き出しながら、口を大きく開けて喘ぐばかり。
 言われるまま口を開いていることを受け止めることすらできない。呼吸を塞がんばかりに押し込まれた熱に歯を立てることをしないように舌を突き出すのも、そうしなければならないと、体の方が覚えてしまったから。
 閉じた瞼の裏側、自分の姿を冷静に思考の鏡に映すことを、精神は諦めてしまった。 








「……クロウ」

 名を口にしてみたら、ふらりと現れる。
 そんな、風のような想い人。

「まあ、忙しいやつだし。遅れることもあるよ、な……」

 予定の時間を、10分過ぎた。まだ外装も綺麗な携帯を開いてみても、何の痕跡もない。自分が発信した、決断を促す通信の履歴だけが、そこには残っている。
 シティから星は見えない。周辺のライトが少し居眠りを始めても、サテライトのくすんだ空と変わらないほど、空は暗い。それでも仄かに煌めいている大きな、大きな、月は。

「……隠れてら」

 今日は、満月だったはず。
 それすら見えないまま、クリスマスイヴは、終わりに近づいていた。時計の針だけが、アナログ時計の規則的に変わる数字だけが、その事実を鬼柳につきつけながら働いている。
 立ち続けて冷えた足を折って、鬼柳はその場にしゃがみ込む。行きかう人は、誰も彼を咎めなかった。

 幸福に満ちた町。誰も、彼を見つけなかった。













 ぐるりと、空を見上げさせられた。
 味も分からなくなるほど口内に含まされた精液が、唇に纏わりついていた。乾く間もなく次が注がれるものだから、涎と大差ない。飲みくだしてしまうことも吐き出すことも躊躇われて、ただ、顔を横に向け、口を開けて流れるままにしている。

「……っう……」

 ざり、と背中が擦れる。転がったクロウの下肢を掴み、目いっぱい広げられた両足の間、臀部に腰を打ちつけてくる男は、最初にクロウの口内を犯した男だ。
 本来受け入れる場所ではないそこをはじめに開いた男は、白濁を受け止めたコンドームをクロウの顔の上でひっくり返したところ。
 ぼたぼたと頬にかかるまだ生暖かい体液に、クロウは目を閉じることしかできない。拭うべく持ち上げかけた手は、握りしめすぎて感覚もなかった。

「なあ、ゴムこっちよこせよ」
「あー? まだやんのかよ」
「二発で足りるわけねえだろ」

 開いた口に、ゴムから精液が落ちる。咄嗟に顔を横に向けたクロウだが、噎せて吐き出して、頬を伝う体液の感触に嫌悪を助長させただけだった。
 舌に纏わりつく味が消えない。喉に手を突っ込んで、全て掻きだしてしまいたい。実際やろうとして持ち上げた手は男に取られ、一度、二度と達した性器を握らされた。

「マーカー付きでホモとか救いようねえな」
「お前もな」
「違ぇねえ…おい、手止めんなよー」

 クロウの手のひらで自身を包み扱きながら、投げ渡された小袋を掴む。男の手は直後離れたが、促されたまま、クロウは自らの手で男へ緩やかに刺激を与え続ける。視線は、アスファルトに落ちたまま。

「向こうで逢えてりゃなあ、もっと優しくしてやれたかもしんねえのに」
「おい、目が本気だぞ」

 小袋を裂いて中身を取り出すと、男は揺さぶられるがままのクロウの汚れた頬をついと撫でた。触れられただけで強張った手が、男の性器をきゅうと握る。これが、男の機嫌をますます良くした。

「こんだけ可愛い反応されっとな…ヤれれば男でもいいわ」
「なる、ほど……じゃー優しくして、やっか…」

 強く腰を打ちつけて、クロウの足が跳ねる。と、その足を抑え込んでいた男の手が、ひとつ外れてクロウの腹部に近づいてきた。

「あ、ぇ、…っん、はっ、あ、ぁああッ」

 大きな手で性器を扱かれ、クロウの身が震える。今までとは違う感覚が背筋を抜けていく。鼻にかかった甘い声が自分のものだと信じきれないまま、身を捩る。
 肉が触れて離れる、突き入れられる衝撃と同時に路地裏に、異質の音。右手に握らされた、雄は猛々しくそそり立ち、嗤う男がクロウの手を剥がし、汚れた手にまるで恋人のように指を絡めてきた。

「あ、ぁ、嫌だ、や、やめ、や…!」

 首を振る。突き上げられるのも、手を握られるのも、性器を無茶苦茶に高められるのも、クロウの望みではない。そうされても構わないと思ったこの日の決意は、ここで果たされるためのものではない。空想に逃げることも許されない。現実は更に上書かれる。
 直接的な刺激に耐えかねて締めつけた内側、薄い膜越しに、男の性は弾けた。

「……っ、あ、……!!」

 う、と低く呻いた男の手が、クロウの性器を握りしめる。痛みが麻痺したころ、幾度も重ねて与えられていた快楽は、この刺激に耐えられなかった。おまけと言わんばかりに内側をゆるく攻められながらの射精。味わったことのない悦楽は、すぐさま、絶望に擦り変わる。
 放心するクロウの身体は、男達の手でくるりと反転させられた。地面にうつぶせる上体はそのままに、また腰を持ち上げられる。

「おい、交替」

 容易く引きぬけたばかりの肉棒の代わりに、別の凶器が突き立てられた。クロウは悲鳴こそ上げはしたが、体への痛みはもうなかった。











 ――クリスマスイヴが終わる。

 カウントダウンは無慈悲に過ぎて行き、鬼柳は時計から目をそらした。恋人達の記念日――いつしかそうなった今日は、もう、昨日。

「……まんざらでもねえ反応だと思ったんだけど、なー……」

 寝静まった子供達の枕元に、ロマンチストな父親がプレゼントを置いている頃か、翌日の夜に渡すプレゼントの隠し場所を気に掛けながら、母親がディナーの予定を練るころか。何も知らない、または全て知ってる子供達が、期待に胸ふくらませ夢の世界に旅立ったころか。

 鬼柳が背にしたチェーン経営の所謂ファミレスは、こんな日でもまだ開いている。こんな日だからこそ、開いている。空腹などとうに感じていなかったが、鬼柳は自動ドアを潜った。ゆっくりと冷え切った体に店内の暖房が染みる。
 目の奥の熱さも、まぎれて消えることを願った。










 水滴が降って来た気がして目を開けると、空が見えた。

 白い塊が降ってくる。雪だ。その更に先に暗い空。月もない。けれどまだ、夜であることは確か。

「…………いねぇ」

 仰向けに倒れるクロウの傍に、もう男達はいない。顔を倒せば、かわりに放り出された自分の財布と、真っ二つにへし折れた携帯電話が目に入る。  

「……あ…」

 財布の中身は空だろう。携帯電話は、意識を失う前、目の前に遊ぶように晒されたそれを奪い取ったクロウが自ら叩き折ったものだ。それによって逆上した男達に何をされたか、思い出せるが、クロウは必死に塗りつぶした。

「っきりゅ」

 ぐちゃぐちゃと絡まって逃げる思考に浮かべた、懐かしくも風化しない笑顔の持ち主を呼ぶ。

「きりゅう」

 鬼柳京介。待ち合わせは何時だっただろう。時間を知るすべは自分で壊してしまったので判別できないが、過ぎていないほうが奇跡だろう。ただでさえギリギリに飛び出したのだ、あの悪夢が数分で終わっていたはずもない。
 自分のものではなくなったかのように動かない体をなんとか起こし、乾ききった唇を手の甲で拭う。散々開かれた後穴から、垂れ落ちた液体の正体には忘れたふりを。忘れられるよう、触れない。
 両手をついて、腰を引きずり上げる。膝をついて前のめりに倒れかけて、体を支えた腕が痛んだ。

「鬼柳…鬼柳、ごめん、ごめん、ごめん、鬼柳」

 届かないと知っていても紡ぐ。冷えたアスファルトに体液の残骸を見て、蘇る記憶に込み上げる嫌悪、胃液を吐く代わりに言葉を紡ぐ。うわ言のように呼び続けて、壁際まで這う。
 鬼柳。何度目か、その名を紡いだところで、クロウは顔を上げた。肩を壁に押し付けて、壁伝いに立ちあがる。震える指でズボンを引きあげ、視界の端に映ったジャケットを拾い上げる。普段の数倍も緩慢な動作で。

 乱れ切ったろう髪を手で整えかけて、手を止める。触れて分かるほど、汚れている。これではいけないと、クロウはジャケットを頭から被った。やや大きなジャケットは、クロウの顔まで覆っても上体を半分覆ってくれる。
 相変わらず小さいな、と頭を撫でる手が思い出されると同時に、重い足は一歩、一歩前へと進み始めた。



 路地裏を出たところで、雪は急に勢いを増した。街中はすっかり静まり返り、稀に歩いている人達も、片手や荷物をを頭上に翳して歩いている。街灯の下を避けて歩くクロウの姿も過剰な雪避けに見えるかもしれない。
 とんだクリスマスプレゼントだ。俯いたまま進むクロウの頬を、留まることなく伝い落ちる水滴も足元で雪に紛れてくれる。

「は……は、……きりゅ、う……ぅ」

 最後の角を曲がる。自嘲するしかなかった。居るはずもない、居てはならない、逢えたところでどうすることもできないのに、それでも縋るように呼んでいた名前。
 飯でも食おうと待ち合わせていた、ファミレスの明かりは消えている。分かっていたことだ。顔をさらに持ち上げた。見開いた目から、最後に一筋流れ落ちた感情が凍る。


「……き、りゅう?」


 居るはずがないのだ、居てはならない。逢えたところでどうすることもできない。まだ距離がある。見間違いかと思った。しかしクロウの両目は、そこに立っていた人物を確かに彼として映した。厳格じゃない。現に彼は、暗闇に生える蒼銀髪、細く柔らかな長い髪を揺らして、戸惑うことなく駆け寄ってくる。

「クロウ!」

 頭を新品のジャケットで覆い隠して、そっとジャケットの隙間から覗き込んだだけ。クロウの橙の髪も、マーカーも目印にすることなく、彼は確信を持って呼んでくれた。
 十分だった。錯覚しようもない安堵を覚えた途端、周囲の外気が途端に冷たくなった。遮断していたものが全てクロウの中になだれ込み、代わりに立ちあがる力が奪われて、その場にどっと座り込んだ。心臓が早鐘を打つ。動揺のあまり、痛いほどに。

「クロウッ」
「く、るなァッ!」

 ジャケットを被り直し、蹲る。自覚できる程震える体を抱きしめて、クロウはがちりと歯を食いしばった。

「行く!」

 クロウの見た悪夢を、鬼柳は知らない。だからこそ言えることだ。だからクロウは首を振った。ジャケットの下、近づかなければ気付かないだろうに、首を振った。 

「お前がそこにいるのに、傍にいねえで満足できるか!」

 ジャケットを掴まれて、引きはがされる。想像以上に力の入っていなかった指は容易くほどけて、クロウは思わず顔を上げた。
 向き合った鬼柳が息を呑むほど顕著な、拭いきれない凌辱の跡。腫れた瞼、血のにじんだ唇、少し視線を落とせば、わざとらしく刻まれた首元の鬱血。服も、髪も、鬼柳が触れようとした手を止めるほどに。

「……お前…」
「おれ、おれは、何、でも」

 なんでもねえ、そう言って笑おうとしたが、頬が痙攣するばかりでどうにもできない。第一今さらだ。鏡こそ見ていないが、自分の有様は理解していた。クロウは奇妙な笑みを張りつけたまま、鬼柳から離れようと、膝を擦って下がる。
 それを、鬼柳が覆うように抱きとめた。

「きりゅ、う、きたねえ」
「……そうだな、俺は汚えな」
「ちげえよ、おれが」

 肩を掴み起こして、鬼柳はクロウを抱きしめる。クロウに顔が見えないように、クロウの顔が見えないように、しっかり首筋に顎を埋めて、強く抱いた。
 仄かに甘い、人工の香りがクロウの鼻孔をくすぐる。鬼柳の髪からたちのぼる香水の香りだ。女みたいなことをしてるなと、呆れて笑ってやった香り。
 本当はたまらなく愛しかったものが、クロウを包んでくれている。

「……今、お前が好きだって言ったら、流石のお前でも抱き返すくらいしてくれんだろって思った」

 弱みに付け込むようなやり方は好きじゃない、鬼柳はそう呟いたが、腕はもっと強くクロウを抱き寄せた。苦しさに口を開いて息を吐けば、ふわりと白く濁る。雪の白さが急に目についた。鬼柳の髪と、少し似ている。
 無意識に、鬼柳の髪に触れた。毛先も痛んでいない。面倒だと言う割に鬼柳の身なりが小奇麗に整えられているのは、回りが放っておかないからだが、今日はきっと、違う。

「それでも、お前が好きだ」

 クロウは、抱き返すことで答える。鬼柳の予想通りに。
 これを伝える今日をどれだけ心待ちにしていたか、緊張していたか。眠れない夜が幾度あったか、そんな話をしようとしていた。
 資格を得られなかったと思っていた鬼柳と、失ったと思っていたクロウと。迷子がよりどころを見つけたように、鬼柳を抱きしめるばかりのクロウの髪に積もった雪を、鬼柳が払う。

「悪かった、クロウ。…ブラックバード、おいてきたんだろ」

 掠れた声での謝罪に、クロウははっとした。
 妙なところで鬼柳は聡い。状況の発端を、クロウが待ち合わせたことにまで持ってきてしまった。

「俺が呼んだから、俺のせいだ」
「違う、それは…っ!」

 そうしようと決めたのはクロウ自身で、鬼柳を咎める必要などどこにもない。
 慌てて鬼柳の肩を押し返し否定を紡いだ唇に、鬼柳の唇が触れかけた。表情を強張らせたクロウが、自らの手で唇を覆う。
 鬼柳が寂しそうに眉尻を下げる。違う。鬼柳を拒絶したわけじゃない。言うに言えず、クロウはまた首を振るばかりだ。伝わりきらないだろうと思いながらも。

「……俺のせいに、してくれ」

 何故、そこで微笑むのか。
 全くわけが分からない、何故そんなことを望むのか。どうしてそこまで傷つきたがるのか。
 否、分からないのではなく、情けないのか。そんな顔をさせてしまうことが。自問自答を繰り返し、クロウはまた気付けば涙を流していた。
 鬼柳、鬼柳、と何度も呼ぶ。コートを汚してしまう、髪も、汚してしまう、それでも。

「ごめん、ごめんな、すきだ、鬼柳、ごめ……」

 顔を埋めて、あとの言葉は嗚咽に消えた。 
 雪は少し優しすぎて、鬼柳はとても優しすぎて。なりふり構わずクロウは泣いた。恐怖より、屈辱より、悲しかったと。それなのに今、ただ嬉しいと思ってしまったことが恥ずかしい、と叫ぶ代わりに。








「――ここに大層強い金持ちのデュエリストがいるって聞いたんだけどよ」

 ある日、夕刻。
サティスファクションタウンに、でっぷりとした中年男と、ひょろりとした銀髪の男が訪れた。
凹凸という言葉が相応しい二人組の来訪を、鬼柳は薄ら笑顔で迎える。

「どこで聞いたんだ、その話」
「まあ、…こういうことで」

 マーカーを指して浮かべた笑みは酷く醜悪なものとして映り、
鬼柳は貼りつけた笑みを崩すこともなく、手元のクリアファイルを裏返した。
シティ住みの友人から送られてきた、本来であれば極秘のデータだ。

「何を持ってきた? いくらで売る?」

 立ちあがった鬼柳の言葉を聞いて、男達は目を光らせる。
鬼柳が待つ言葉を、男達は持っていた。

「クロウ・ホーガン。アイツ、相当なスキモノだぜ?」

 これが鍵。
 クロウが静かに語ってくれた悪夢。
 手元の資料を錠として、あの過去への道を辿る。
目を細めた鬼柳の感情の底。
憎悪の扉が開かれる。


 扉の先は、――誰も語らない。

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