「…………う」
身じろいでみて、クロウは違和感に首を傾げる。目を開けた先で外の景色が走っている。郊外の、明かりの少ない道。
「おー、起きたか」
運転席には、見慣れた顔が座っている。車の中だと思い出して、ぼんやりした頭を振って覚醒を試みる。シートベルトを掴んで身体をずり上げ、座り心地のいい座席に改めて腰を据える。
「……くうこう、で」
「そ、遊星とジャック見送って帰ろうとしたらお前寝るから、俺はひとりで寂しくドライブしてました」
開き切らない瞼を擦って、クロウはようやく思考を繋げる。仕事のためと休暇を切り上げた遊星、ジャックを見送って、また大騒ぎになった空港を逃げるように飛びだした。二人きりになって、さてこれから何をしようとぽつぽつ口を開いていたはずなのに、途中から、全く記憶がない。
「……ここどこだよ」
「さあ」
「今、何時」
「……21時、らしいな」
言われて前面のデジタル時計を見れば、鬼柳が嘘をついていないことは一目でわかった。うっすらと耳に入ってくるカーオーディオはただ流行りの音楽だけを流しているだけ。BGMにするには小さすぎる歌声を右から左に流しながら、クロウは記憶に最後に残る、デジタルの数字を思い浮かべる。
「っ、四時間以上寝てんじゃねえか!!」
「さーみしかったぜェ?クロウよォ」
「その喋り方や、め、ろっ、飯は!」
「遊星達と食ったっきり」
声を張り上げたクロウを咎めるでもなく、鬼柳は明らかに作ったそぶりでぺろりと舌を出した。どこかねっとりとした、人を小馬鹿にするような声音が何を意識しているのか、クロウには問わずとも分かった。かつては悪夢だったというのに、時間が解決したのか、随分強くなってしまったものだ。
しかし、クロウは気まずく身を縮める。首を縮めて、ちら、と横目で見るも、鬼柳は視線を正面から外すことはしなかった。平然としている。
「……怒ってるよな?」
周囲の音に消される懸念を抱くほど、あえて小さくクロウは問いかけた。鬼柳が目を細め、ほんの少しハンドルを回す。
「当然。……といいてえけど実はそうでもねえ、気持ち良さそうに寝ててくれてむしろ満足した、かな」
言葉の終わりで、かくり、体が揺れる。
何事かとクロウは瞬いたが、すぐ、車が揺れたのだと気付く。自分たちの乗る一台以外に車の見えないを外れて、脇道に逸れていた車が、スピードを落としている。
どうやら鬼柳は車を停めようとしているようだ。確かに、これ以上行ってもほぼ獣道。森に突っ込んでしまうだけだ、停まるのは唯一の選択だろう。
「――けど」
ブレーキペダルが踏みこまれ、急停止する衝撃に紛れて、クロウの座席が後ろに倒れた。
途端に両手が行き場を無くしてしまったので、肩の横に置く。随分遠くなった車の天井をぽかんと眺めていたのは、状況を信じられなかったわけでも、受け入れたわけでもない。
完全に停止しきった車の中は妙に静かで、異空間にすら感じられた、その違和感故だった。
「正直、意識のない恋人乗せて走るってシチュエーションに、ちっとばかしゾクゾクした」
「……わ、」
いけしゃあしゃあと一人用の席に乗り上げてくる男の顔も、まるで別人のような――
「……鬼柳」
一瞬目を疑ったクロウは、すぐに己の思考を訂正した。
雰囲気がそう見せているだけで、よく見ずとも、何も変わってはいない。出会ったころと比べれば随分歳は取った。老けたものだと散々笑ったばかりだというのに、目の前にあるのは相変わらず自己に忠実な男の顔だ。
「引いたか?」
「……引かれた方が満足か?」
呆れたように笑ってみせて、囁かれるのはとけそうになる甘い言葉。「お前の答えなら何だって満足してやるよ」。嘘吐きめ、とクロウは彼の首に腕を絡める。
「ヤダっつったら駄々こねるくせによ」
「おいおい、もうそこまでガキじゃないぜ? 嫌だっつーならその気にさせるまでだ」
「そう言う強引なとこ、何度も言ってっけど嫌いじゃねーぜ」
「だろ?」
頬を触れあわせているだけなのに表情は安易に想像がつく。どこからその自信が来るのか、教えてもらおうとした頃もあった。今となっては遠い昔、まだクロウが恋を意識していなかった頃。
「ん、……っ」
頬に押し当てられた唇が耳朶の裏に触れて、クロウは唇を結んだ。 背筋をぴりぴりと抜けていく快楽の予兆には、未だに慣れない。初心すぎると揶揄さえするくせに、「そこが好き」、と、鬼柳は言ってのける。
慣れた素振りで奉仕をしても、同じことを言う。持ち上げてりゃいいと思うなと思ったこともあったが、いざぶつけてみたら、心底驚いた顔で、「つったって、嘘つくとこじゃねえじゃん」――
「なーに考えてんだ、人なら来ないだろ、たぶん」
「……あ、うぁ、ちょっ」
捲りあげられたシャツの下の素肌に、つけっぱなしのシートベルトが触れる。ほのかに冷たい独特の肌触り。鬼柳は不意に、ベルトを掴みクロウの左胸に押し当てた。その下で、突起が主張を始めているのは見えていたはず。
――わざとだ!
怒りと羞恥でカッとなったクロウは、容赦なく鬼柳の髪を掴んだ。しかし、鬼柳は悠々と唇の端を上げている。
「鬼柳、ッソレ! ……やめ、っ」
意識すればするほど、軽く擦れるだけでかたく熟む胸の先端は、鼓動が跳ね呼吸を荒げるたび自ら刺激の根本へ擦り寄っていく。望んでいるわけではないのに、自然と鬼柳に近づこうと両足も開いている。 髪を掴んだ手も抵抗を忘れ、引き寄せているのと変わりがない。
「こんなんしたことないだろ」
「あ、あって、たまるか…よ…ぅ」
押しつけたベルトで意図的に肌を擦られ、クロウは背を仰け反らせた。背中に触れる座席の、ベッドともソファとも、床とも違う感触にすら煽られる。
許容した日から覚悟はしていた、抱かれるたびに積み重なる考えたこともなかった経験。性に限ったことではない、ただ淡々と生きることを好まない鬼柳は、あの手この手でクロウを翻弄した。
そして同じく、変化を厭わないクロウもまた、鬼柳に未知を与えた。手の内が分かっているのに心から楽しめる決闘相手を人生のパートナーに選んで、感動も後悔も同じくらいした。
眼球に水膜が張って、クロウはふるりと首を振った。
「い…き、りゅ、って、ぇ…」
「うわ、真っ赤」
「だからやめろって、い、ひゃ…!」
腫れた突起を舌先で突かれて、文字通りクロウは飛びあがった。ずっと掴んでいた鬼柳の髪を数本道連れに。
フロント内側に組み込まれたボックスの戸もを蹴りあげて、鈍い痛みに身悶える。行為を仕掛けた側の鬼柳は、呆れるでもなく怒るでもなく、ケラケラと陽気に笑っている。
「クロウ、うつ伏せなって」
よし、と掛け声を込めて、どうするのかと思えばクロウの頬を両手で包む。囁かれた言葉に、クロウは視線で疑問を投げた。
「このまま入れるとお前腰やるぞ」
頬に触れていた手が、椅子の上に足を置いた姿勢によって浮いた尻を掴む。足か胸を庇おうと惑っていた手が片方、窓の内側に張り付いた。
「っまじ、そこまですんの?」
ずるずると上体を持ち上げて、まず周囲を見る。天候は良好、しかし人影も車の明かりもない。土地勘のない人間がよくこんな場所にたどり着けたものだ、思わず感嘆し息を吐く。
鬼柳は真っ直ぐクロウを見下ろし、大きく二度、三度と頷いている。
「ここまできたら、お預けで帰る自信ねぇ」
欲も感情もセーブできるようになってきた、と互いに感じていたものだが、行為を覚えた体は容易く眠りきるほど衰えはしない。
正面で向き合っていたのは、クロウにとっては失敗だった。静かな言葉と裏腹に、切羽詰まった瞳で訴えられる我儘に、クロウは弱い。
「車、よごれる……」
「これ、剥がして洗えるヤツだから平気」
こうなることを見越していたような台詞を耳にして、座席に頬を押しつけたクロウは眉を持ち上げた。
やや凹凸のあるカバーの肌触りは、落ちついてみれば悪くない。熟睡を誘っただけのことはある、そう、まるでクロウの好みを把握したうえで狙ったように。
「……どこまで、計算だ?」
「さあな。あの町をあそこまですんのに、俺も随分逞しくなったぜ、とだけ言っとく」
クロウの腰を持ち上げ、その背と自らの胸を重ねて、鬼柳はにたりと笑んだ。静けさが、ファスナーのおりる音を響かせる。
唇をとがらせながらも、クロウは大人しく下肢を晒すことを許した。ご無沙汰なのは、どちらも同じ。臀部に感じた不自然な熱に、覚悟を決めて座席の背を抱きしめる。
「……あ、クロウ、それは嫉妬する」
「あー……?」
嫉妬。他に誰もいないこの場で、あるはずのない現象だ。
あたりを見回す余裕はないが、人がいるなら、流石に鬼柳も腰を引くはず。クロウは首を持ち上げた。途端、座席を掴んでいた腕を取られた。
「え? ――ぁひッ!?」
手首を引きこまれ、二の腕をとられ。戸惑う間に突き入れられて、縋る場所をなくした両手は空を捉えて握りしめられる。
ちい、と舌を打った鬼柳が、腕ごとクロウを抱きこんだ。
「さすがに…狭いな」
「あ、あた、り、……ぁあ……ッ」
「年上の余裕ってやつ、やっぱ難しいわ……はは」
全身で呼吸を整えるクロウを隠すように抱え、緩く小さくクロウを揺さぶって、繋がるにふさわしい位置を探る。ただ圧迫感に喘ぐクロウを宥めるように頬を寄せながらも、離れようとはしない。
ぺたりと膝を追って伏せるクロウの性器は、すいとシートを撫でる。現状、最も快楽に近い刺激を受けて、クロウは鬼柳を締め付けた。
「さわる?」
「い…い」
「痛く、ねえ?」
「べ、つに……」
ぽつりぽつり、呼吸の合間で言葉を交わす。
身体の横の手が、座席のサイドを掴んだ。クロウが身じろぐのは逃げようとしているのではなく、むしろその逆だ。
「思ってたより、やりにくい、な」
「じゃあ、やめ、ろよ」
「まだやめてえの?」
「そうっ……いぅ、っあ……」
ぐいとねじ込まれて、痛みとは違う波がクロウを襲う。認めたくなかった期待を見透かされたように与えられ、たまらず身を強張らせた。
「っ、ここまできたら、いっちまおうぜ」
満足させてやるよ、と鬼柳が囁く。
口癖なのは知っているが、心底止めて欲しいとクロウは願う。当然のように発される「満足」なんて言葉で発情する、パブロフの犬にはなりたくないのだ。
言われないともの足りない段階までは、もう教え込まれてしまったから。
「う、ぅうっ、……くぁ、ぅ」
「ん、クロウ、大丈夫か? 落ちんなよ?」
「お、ぉち、るか!」
ずるずるとすべっていた膝を寄せ直して、そそり立った性器を隠すように身を丸める。クロウが身を縮めたため、鬼柳の方には安定感が生まれたらしい。密着したままの腰を引き、奥へ奥へと打ちつける動作に切り替える。
普段通り、あるいは普段以上に内側をめちゃくちゃに押し広げられることを、クロウの身はどこか喜んでいるようだった。唇を閉じても開いていても、通り抜ける吐息は甘さを帯びていた。
「ンっとに……可愛いなお前はっ」
「ァう! っるせ、はや……ァ、いっ、ちまえッ」
「っは、そうさせて貰いてえな」
憎まれ口も、誘っているかのような扱いだ。
状況が違えば笑い話、この状況だからこその返答。
体が揺れているのか車が揺れているのか、頭が揺れているのか気持ちが揺れているのか。欲望のまま肉が触れて汗がはぜる音と、吐息と心音と、声。
「っく、ろう…」
「ううう、き、…うっ」
確かめるように相手の名を呼べば、それが己の声だと自覚して羞恥は循環し熱を産む。うまくできている。完成されている。
何も生み出さない行為だと、生に背いた行為だと捻くれた時期もあったが、これ以上に己に忠実にならざるを得ない行為をクロウも鬼柳も知らない。
巡るばかりの熱の行き先を探して、クロウの意識がふわり、浮いたとき。
「う……ぇ、あ! ……ああ、ぁ? ちょ……うあ」
とくり、どくり、身体の奥で音が絡む。
音ではなく、感触か、律動か。
「…………、クロウ、言葉になってねー……」
長く吐き出された息、内側の質量の変化でクロウは「はっ?」と声を上げた。すっと冷えていく身体の芯、熱を吐き出した先はあえて棚に上げる。
「ってめ、中でっ」
「あー、車は流石に狭かったなー」
「嘘つけ余裕あっただ、…っろ」
クロウの言葉が真実のはずだ。実際、鬼柳はすでに座席前にあったティッシュ箱を取るべく上体を捻っている。クロウに埋め込んだ萎えかけた性器はそのまま。
繋がったまま動かれては、再度の陥落も危うい。
「も、もういい、だろ、抜けって……」
「二発はさすがにキツイよな」
「させねえかんな……」
鬼柳の返事はない。鼻歌交じりにティッシュを数枚添えて、言われた通り楔に手を添えた。伝い流れる白濁を包んで拭き取りながら引き抜いていく、最中、ティッシュの端が臀部を擽るだけの刺激にクロウは唇を噛んだ。
「クロウ、腕まわしてカバー外して」
「おれがかよぉ……」
「こっち拭いてやっから」
新しく取られたティッシュごと性器を握られ、クロウはぎゃあと悲鳴を上げる。
先程までの空気はどこへいったのか、人が通りかかれば、殺人未遂でも起きたかと疑われるのではないか。それほど声に艶はない。
「悪くはねーけど、やっぱのんびり出来る方がいいな」
「そーかよ……」
カバーは引けば簡単に外れるタイプのようで、結局言われるままにクロウは布の端を掴んだ。鬼柳は随分とテキパキとしていて、パンツもきっちりと前を閉じたところだ。
「やった後のクロウが可愛いからな、帰ったらリベンジ」
きっぱりと言って、運転席に乗り上げる。
途中まで剥がした布をゆっくりと丸めこんで汚れた部分を隠しながら、クロウは半眼で鬼柳を見た。
「……いまので満足しとけよ」
「死ぬまで満足してやるもんかよ」
「おれ死ぬまでお前の相手すんのかよ……」
ぺろりと舌を出して悪戯に笑う鬼柳の言葉が、冗談ではないとクロウは直感していた。だからこそ正直に、素直に受け止めてこたえる。
「あんま、揺らすなよ」
「安全運転はする」
念のために丸めたカバーを下に敷き、下肢は隠しこそしたがファスナーを上げるだけの余力が足りない。クロウはのろのろとその上に自らの上着をかけて、助手席に背を預けなおした。
座席は倒れたまま。意味はあるのかと思いつつ、シートベルトだけは引き下げておく。何となく見ていられず、目線を外していたせいで固定するのに手間取ってしまったが。
「……寝るからな」
「途中で起きるなよ」
「ンでだよ」
「寝起き顔そそる」
ああそうかよ、吐き捨てるように声を上げて、精一杯腕を伸ばし運転席を殴りつけた。
鬼柳はやはり怒らない。慣れた手つきで車を発進させるだけ。
クロウの感情がどこで振れたのか、全て知っているかのように。
「……正直なのは嫌いじゃねーけどな」
ふいと顔を外に反らして呟くと、鬼柳の手が伸びてきてぐしゃぐしゃと髪を撫でた。動き始めた景色に、目を閉じる。
最終的に、明日は昼まで眠る羽目になりそうだと予感を抱いて。
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