ナントカは犬も…:京クロ



▽アトラス様の憂鬱なる朝食▽


 朝食当番がクロウであることを確認して、ジャックとブルーノは密かに今朝を心待ちにしていた。ジャックの技術は壊滅的だし、ブルーノは決して下手ではないが、ネットで見たレシピ片手に作るので若干遅れた朝食になりがちだ。
 しかし起きてきた二人を迎えたのは、綺麗にまかれた卵焼きとふっくら炊かれた白米と湯気の立つ味噌汁、氷の入った水。そこまではいい。次に目に入ったのが料理の出来とは裏腹に酷く不機嫌なクロウの顔だったものだから、自然と肩が落ちてしまった、それだけだ。

「お、おいしいよ、クロウ」
「おう」
「今日は和食なんだね、なんかいいよね」
「おう」
「えっと…」
「黙って食え」

 こんな時に場の空気を変えてくれるだろう遊星は、昨日から遠出していない。修理の仕事だが、長期戦になるかもしれないと言い残して遊星号と名付けられた赤いD-ホイールに乗り込み深夜に発ってしまった。
 ぴしゃりと叱られてしまったブルーノは、それ以上何も言えず箸に摘んだ白米を口に運んだ。甘めの卵焼きは子供たちが好きそうな味で、ジャックが文句を言いようのないほどの一級品であったが、朝食の友がこれでは台無しだ。ブルーノの視線がジャックに向いたが、彼は黙って水を飲みほした。

「……クロウ」
「ンだよ」
「八つ当たりなら許す。ブルーノにならな」
「えええ?!」

 ジャックが不意に語りかけると、クロウはちらりとブルーノを見たが、唇を尖らせて横を向いた。反論も否定もない。つまり、八つ当たりをする理由は彼の中にあるということだ。ジャックは深く息を吐いて、麦茶の入ったグラスをテーブルに戻した。

「……早く解決しろ。貴様がそれでは俺も遊星も調子が狂う」
「…わあってるよ」

 ばつの悪そうな顔で、クロウは席を立った。部屋の隅に据え置いてある冷蔵庫から取り出したのは、ペットボトルに注がれた水。ジャックがすかさずコップを差し出すが、クロウはペットボトルを机の端に置いて立ち去ってしまった。

「まあ、なんとか、すっから」

 悪いな、と言い残したクロウの心中は、ジャックにも全ては理解できない。ブルーノは「心配だね」と呟きながら、ジャックより早くペットボトルに手を伸ばした。







▽本日貸し切り不動さん▽



「修理の仕事に来た」

 言って、遊星は工具箱を目の前に立つ男につきつけた。元チームサティスファクションのリーダーで、現サティスファクションタウンの救世主、鬼柳京介。
 淡い青の長髪は寝起きのせいか街の空気が乾燥しているせいか、少しぱさついていたが遊星は構わず工具片手に彼の住居に乗り込んだ。

「お、おい遊星? 俺は修理なんて頼んでな…」
「直したいものがあるから俺にメールを寄越したんじゃないのか」

 京介に肩を掴まれても、遊星はいたって真剣に返す。

「いや、メールの通りだからフォロー、を」
「そんなものは通用しない」

 遊星、と一度だけ名を呼んで、京介は俯いた。工具箱を持たない右手を京介の肩に置いて、遊星は静かに首を振る。

「大丈夫だ。絆はそう簡単に断ち切れるものじゃない…お前が一番分かっているはずだ」

 工具箱を京介の胸の前に押しつけ、遊星は穏やかに微笑んだ。いつだって京介達に向けられた、自信と友愛に満ちた視線を受け、京介は工具箱を手に取る。
 開けてみろと促す彼に従って、京介は工具箱の蓋を開ける。
 中にあったのは、写真。

「お前、これっ」
「クロウに頼まれていたものだ」

 ポッポタイムで暮らす彼らの様子を映した数枚の写真は、使い捨てのカメラで撮られたものだ。それを見て唖然とした京介を見て、遊星は自分の仮定が間違っていなかったことを悟る。

「やはりそれが原因なんだな」
「遊星、お前……ホントすげえな」

 部屋の奥から、ニコとウェストが顔を出す。二人は遊星が訪れた理由を知らないが、京介のためであることだけは即座に察したのだろう。出会った時もそうだったのだから。
 何の疑問も持たずお茶を用意すると奥へ駆けて行ったニコと、それを手伝うと後を走るウェストは、二人とも笑顔だ。京介もそれを薄く浮かべた笑みで見送る。
 ふたつの背中が遠ざかったのを確かめて、遊星は小さく、悩んだ末に小さく、告げる。

「傍にいるから、分かる」
「……ああ。そうだな。そうだよな」

 もう一度視線を交わし、歩きだしたのは京介だった。遊星は黙って後に続いた。
 ねじれた絆の一端を握る京介と、腰を据えて話すために。





▽だってそれがブルーノちゃんの使命▽


「えっと、クロウ、あのさ」

 朝食の後、ブラックバードに座ったまま、クロウは映らない画面をじっと見つめている。今日もこれから仕事があると言っていたことを思いだし、ブルーノはパソコンに向かう視線を彼に戻して、意を決して呼びかけた。

「さ、最近、写真撮ってたけどさ、どうしたの?気分転換?」
「ブルーノ」

 名を呼ばれるだけで強張る体を叱咤しながら、ブルーノは頷いてみせた。心なしかやつれて見えるクロウの顔が、少しだけブルーノの側を向く。

「悪いな、お前にまでなんか気使わせて。なんでもねえから」
「え…」
「仕事いく。とにかく、気にすんな」

 言って、クロウは配達用のメットを被る。ブルーノは衝動的に、クロウのジャケットの袖を掴んでいた。いかせてはいけない、と何故か思ったのだ。何故かはわからないが、遊星の顔が浮かんで。

「あの、写真さ!遊星が褒めてたよ!」
「はあ?」
「クロウが撮った写真、才能があるんじゃないかって、いやそこまでは言ってなかったけど、いいなって」

 早口でまくしたてながら、ブルーノは辺りを見回した。パソコンのデスクの横、小さな箱を見つけてまた声を上げる。

「あの箱だよね、写真!僕も見ていいかな」
「あ、ああ……いいぜ、欲しいのあったら、やるよ」
「え、いいのかい?」

 頷くクロウはブルーノの突然の行動を受け入れてくれたようだった。片足をついて体を支え、苦笑を浮かべてブルーノを追いやるように手をひらひらと揺らす。

「柄でもねえことなんてするもんじゃねぇな」

 吐き捨てるような早口、けれども後悔したように噛みしめる奥歯。クロウの様子に違和感を感じながら、ブルーノは箱の蓋を開けた。開けて、中を見て、首を傾げる。

「……クロウ、写真は?」
「え?」
「入ってない……よ?」
「嘘だろ? だって遊星、プリントしたから入れておく、って」

 クロウは傾げた首をそのままに、はっと目を開いた。

「ブルーノ! メール!」
「え?」
「昨日遊星宛てに来たメール、開けるか!?」

 ブラックバードを飛び降り、まさに飛び込むようにつけっぱなしのパソコンの傍らに立つとその側面をばしと叩く。ブルーノは慌てて、庇うようにパソコンを抱え込んだ。

「待った、そりゃできるけど、でも遊星のメールだし」
「遊星はそのくらいで怒る奴じゃねえよジャックじゃねえんだから!」

 クロウは身を乗り出し、すでにモニターを見る気満々だ。ブルーノはしばらく視線を彷徨わせ迷っていたが、やがて意を決してデスクの前に座った。
 遊星ならきっと、構わないぞ、と言ってくれる。
 その笑みを頭の中で思い浮かべて、クリックを繰り返し開いた画面の一文を見て、クロウは頭を抱えてしゃがみ込んだ。

「…あいつ…ゼッテェ、行きやがった……!」

 ブルーノはその文章を追いかけて、うっすらとだがクロウが不機嫌だった理由と、遊星が出掛けて行った理由を察した。開いたメールは世間話と、謝罪文の言伝だ。差出人は、サティスファクションタウンの、鬼柳京介。

 クロウはまたブラックバードに飛び戻り、モニターでどこかと通信を試みているようだった。きっと発信先は遊星号。繋がらないらしく、ぐしゃぐしゃと頭を掻き回して濁った悲鳴を上げている。思い出したように携帯電話を取りだすが、それもうまくいかなかったらしい。また、ぐしゃぐしゃと乱した髪の毛はまさに鳥の巣状態だ。

「ねえ、とりあえずさ、これに返信してみたら?」

 ブルーノの言葉がクロウに届き、彼がまたパソコンの前に戻るまで、全く時間はかからなかった。





▽鬼柳氏宛てにメールが届いたようです▽


「言っちまったんだよ、下らねえ話しかねえなら、電話なんてしてくんなって。そしたらクロウのやつ、だったら面倒だから電話しねえ、忙しいんだとか、何とか…言うから。つい、カッとなっちまって……」
「……お前たちは、そんなところは良く似ている」

 ため息をついた遊星がニコの淹れたコーヒーを口に含むのを眺めて、京介は彼以上に深く息を吐いた。

「俺は、さ。アイツのことが知りたくて。あいつは、俺のことが知りたくて。……でも、難しいな。知るほど、傍にいたくなる」

 全く減っていないマグカップの中を見つめ、京介は自嘲した。

「なら、そう言えばいい」
「言えるかよ、情けねえ」
「このままでいいのか? 本当に俺に全部任せると?」
「迷惑かけてる自覚はある、けど、お前なら」
「鬼柳」

 遊星は真剣に、大切に京介を呼んだ。じっと目線を合わせて、工具箱――否、ポッポタイムを中心にシティのあらゆる光景が映った写真を、京介の方へ押しだす。

「データで送ったらどうだと俺が提案したとき、クロウは、あいつのパソコンの中身は復興のためのやり取りでいっぱいだから、余計なモンは入れない方がいいんだ、と言った。わざわざこんなかさばる状態にして、あいつは何がしたかったんだと思う?」

 一枚だけ写真を手に取り、京介は眉根を寄せた。
 指を二本、Vサインでカメラに笑いかける、クロウの顔。忙しいというのはきっと真実であるのに、そんな様子を一切見せない笑顔。
 それを見て湧き起こる後悔に身を任せ席を立ちはしたが、京介は結局、備え付けの電話には手を伸ばすことはしなかった。

「どうした」
「……酒場を、食堂に改築しようと思う。その見取り図と、予算。メールで今日届くはずなんだ」
「鬼柳…」

 部屋の隅に置かれた据え置き型のパソコンの前に立ち、京介の指先はそのモニターのスイッチを押した。消えていたのはモニターだけだったようで、すぐにデスクトップ画面が立ちあがる。
 濃紺の無地のデスクトップの半分を埋め尽くすフォルダは、それぞれちゃんと名称がついている。持ち主が几帳面なのかおおざっぱなのか分からない画面を、遊星も一緒に覗き込んだ。

「鬼柳」
「もう少し、頭冷やさせてくれ。…それまでクロウのことたの、」
「そうじゃない、メールだ」

 遊星が画面の下部分を指す。メール受信を知らせるマークが点滅しているのを、遅れて京介も確かめる。慌てて画面を開くと、新着メールは2通。一つは目的の業者からの見積もりメールのようだが、その前にもう一通。差出人の名前を確認して、二人は目を見張った。

「遊星…?」
「俺から、だが…」

 首を振る遊星を見て、だよな、と京介は返す。件名は「Re:遊星へ」、京介が彼宛てに出したメールにそのまま返したようだ。
 開いた画面には電話番号と、気付き次第至急連絡されたし、の文字。追伸として、遊星ごめん勝手に借りた、と一言。
 ブルーノ、と遊星が呟いた名に京介も聞きおぼえがあった。ちらりと聞いた、居候の名。パソコン含め機械に関して相当詳しいらしいということくらいしか知らないが。

 電話番号に見覚えはない。
 遊星は見覚えがあるのか、首を捻って考えている。

「…ブルーノは悪い奴じゃない」
「だろうな。……遊星、かけるか?」
「だが、鬼柳宛だ…何か話したいことがあるのかもしれない。鬼柳の話をしたことがあるからな」

 そんなもんか。
 京介は疑問に思いながらも、素直にメールに従うことにした。








『遊星へ

 散々世話かけた後に、またメールなんて出してすまない。

 サティスファクションタウンは、まだまだ立派とは言い難いがみんなの手で確実に生まれ変わってるから、安心してくれ。落ちついたら、また泊まりに来てくれるとみんな喜ぶ。

 本題だが、この前クロウと喧嘩した。
 少しばかり派手にやっちまって、お互いに電話もしない話になっちまって、どうにもできないでいる。情けねえとは思うが、俺はクロウとした約束を破りたくない。たぶんクロウもそうだ。
 だから、何もなければいいが、もしクロウが気にする素振りを見せていたら、気にすることないって声かけてやってほしい。お前が言えばクロウも安心する。
 当分先になるが、暇を見つけて、直接会いに行こうと思ってる。直接顔を見たら、俺は意地も全部捨てて、頭を下げられる気がする。その時にクロウの中で俺の位置がどうなっていようとも、だ。

 気が向いたらでいいから、あいつがどうしてるか、こっそりメールでもしてくれると助かる。お前とも派手に喧嘩することにならないように、努力する。

 鬼柳京介』







▽ホーガン君におまかせ!▽



 ポッポタイムの備え付けの電話の前で、電話番をかって出たブルーノとクロウはぼんやりと外を見ていた。クロウは時計を気にしながら、同じくらい電話を気にしながら、唇をとがらせる。

「かかってくるかな」
「ゼッテェ来る。アイツ頭悪いし」
「そうなのかい? 話聞いてる限りではそんなことないけど」
「こういうとこでバカなんだよ、だから駄目なんだ、ニコとウェストがいなけりゃ絶対アイツなんもできねえし…」

 だんだんとフェードアウトしていく愚痴にブルーノは相槌を打ってはいたが、きっと半分は理解できていない。クロウもそれを知っているのだが、その舌は、くるくると回って言葉を紡ぎだしていく。
 クロウ自身にもそれが止められないのだ。
 緊張しているなど認めたくなくて、唇と舌を動かす。明らかに苛立った表情を隠すことは諦めていた。

「だいったい、バカじゃなかったらこんなメール、よりによって遊星に出すかよ、こんなことやってるって知ってたらとっくにぶん殴りに行ってたっつの」
「ねえ、クロウ」
「あんだよ」
「鬼柳京介って人のこと、本当に大切に思ってるんだね」

 自然と握られていた拳が、容赦なくブルーノの腕にぶち当たった。一瞬で笑みを崩したブルーノが、殴られた個所を押さえて身を屈める。クロウは両手でその頭を掴むと、容赦なく彼の青い髪をぐちゃぐちゃに乱して、やがて溜息をついて腕を下ろした。

「暴力反対…」
「うるせえ、お前は一言も二言も多いっ、はいもしもし!!」
「あっ」

 電話機が鳴った直後、反射的にクロウは受話器を取っていた。少し苛立った声を出し過ぎたかと深呼吸すると、電話機の向こうから、呆気にとられた声がする。

『クロ…ウ?』

 今まで堪え切れなかったものを、いざという場面で堪え切れるはずがない。クロウは開きっぱなしになりかけた唇を結んで、受話器を強く握りしめた。

『クロウ、だよな? お前、なんで』
「お前がかけたのはポッポタイムにだ。おれにじゃねえ。約束は破ってねえよおれもお前も」
『あ、ああ、それで…』
「お前言ったよな、俺のこと知りたいって。でもこうも言ったよな、そこにいられないのに、聞きたくないって」

 ドアが、静かに静かに閉められた。ブルーノの姿はない。
 クロウは、一つだけ置かれた丸椅子に腰かけて、もうしまったドアに視線を投げて目を細めた。彼がドアの向こうに逃げたのではなく、気を利かせたのだということは考えずとも分かったから。

「…お前の考えてること全然分かんねえ。だったら、傍にいって、話せばいいと思って」

 だから写真を撮ったんだ。
 そう言うクロウの声を聞いているはずの京介からは、無言の反応が続く。クロウはまだ受話器を置かなかった。

「仮眠で使ってる椅子の寝心地が案外いいんだって前言ったよな。写真撮ったけど、見た目の割にすげえ寝れる」

 少し早口に続けると、電話の向こうで紙が捲れる音がした。ぱらぱらと続いて、止まる。一呼吸置いてから、またクロウは口を開いた。

「……言われても分かんねえって言うから、見せてやりたかったんだよ」

 片手で額のバンドを押し上げ、クロウは息を吐いた。どっと襲ってきた疲れに誘われるように、脱力して項垂れる。

「…でもそれ言う前に電話切れるし。電話しねえってなったし」
『クロウ、俺、今椅子に嫉妬した』

 思わぬ言葉にぱちりと瞬き、クロウは顔を上げる。別に声の主がそこにいるわけでもないのに、電話機本体を見つめて、待つ。

『お前の傍に俺よりいるってだけで、今、何でも羨ましい』
「はあ…?」
『不安なんだ。傍にいない。昔みたいに、馬鹿みたいに傍にいられないだけで』

 カッコ悪いよな。
 そう言って京介は、小さく笑う。自嘲を込めたのだろう、直後に彼もまた溜息を洩らした。
 クロウは今まで以上の脱力感を覚え、名を呼ぶ声すら只の吐息に変えてしまう。きりゅう。この、ばかやろう。

「ここにいなくたってココにいるんだよ、お前は」
『え?』
「おれは仕事行く! 誰かのせいで時間ギリギリだからな、用事がありゃ夜に携帯に電話かけて来い、じゃーな!」

 ガチャンと音が立つほど受話器を置いた。ゾラに知られたら大目玉だと若干焦りながら、クロウは駆けだした。
 入口傍にいたブルーノの右手が軽く上げられたので、手の平を打ち合わせ、笑って見せる。これからゾラが戻るまでの間、ブルーノはポッポタイムの電話番だ。

 きっと夜中に鳴るだろう携帯電話は、今の時点で電池切れの心配はない。ポケットに携帯を戻し、クロウは気合を込めて両腕を振りあげた。



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