光れ、愛の環
-春の色-
もう使い慣れた鬼柳の家の風呂場を出てきたクロウの半袖シャツとハーフパンツという格好でも、十二分に暖まった体には、この部屋は少し暑い。 「……またそれ、見てんのか」 デュエリストであり、肉体労働者である彼らの日常生活にはとにかく邪魔だからと、鬼柳は机の引き出しに、クロウは首から下げる他、D-ホイールのハンドルにくくりつけてみたりもしているプラチナ製の指輪。 「二人のときくらいつけてもいいんじゃねえの?」 ニコも年頃、ウェストも多感な時期。 仕事の都合と理由をつけて、鬼柳が町外れの小さな小屋に拠点を移したのは最近のことだった。独りの部屋は淋しいからと、ことあるごとにこうしてクロウを呼びつける。海外を拠点とするクロウにとって、それはとてつもなく迷惑な話で、同時に、どうしようもなく彼の性分を感じさせられる時でもあった。 お前、寂しがりのビビリだよな。 クロウがそういえば真っ赤になって否定するくせに、この顕著な態度。 「そーゆーの、好きじゃねえな。アクセサリーなんて使ってナンボだろ」 「愛してるって。照れんなよ」 鬼柳の腕が背中に回って、クロウは彼の胸に耳を押し付けた。 「…………ならよかった」 鬼柳の胸に額を押し付けてつぶやくものの、鬼柳にすら聞こえない声音。鬼柳が聞き返すのは当然のことだ。クロウもそれはわかっていたし、言わんとして言ったことではあった。 「っ、好きな奴幸せにできねぇんじゃ男が廃るっつの!」 ずいぶんと遠回しにはなってしまったけれど、本音であることには間違いない。くそう、と照れ隠しに悪態をついて、クロウは鬼柳の胸に幾度も頭突きを食らわせた。黙って受け止めていた鬼柳が、不意にくすりと頬をゆるめる。 「……カッコいいこと言うなぁ」 満足させられた。鉄砲玉なんてもう呼べねえなあ。 「こういうのは可愛いな」 文字通り、クロウが「あ」と声を上げる間だった。ポカポカと鬼柳の体にぶつけていた左拳を取られ、左の薬指をその白手袋の指で撫でられたのは。 「これで俺も相当カッコいいんじゃねえの?」 クロウの頬を包んだ左手のひらが、冷たくかたい感触を残した。今クロウが視覚で捉えた現実が事実である証明が、瞬間成される。 「……ゆ、びわ。……汚したくねぇんじゃねえの?」 クロウは差し出された鬼柳の右手をつかんだ。そのまま引き剥がすかと思いきや遠ざけることすらなく、か細い声で問いかける。 この状況で「おやすみなさい」と布団をかぶれるほど鬼柳もクロウも我慢強くないし、無欲でもない。羞恥と渇望でいっそ出してくれと叫びもだえる心臓を押さえようとクロウは右手を動かすも、胸の上においたところでどうにもできず、すがるように鬼柳のシャツの袖をつかんでいた。甘えた仕草になってしまったのは無意識で、それがよけいクロウの熱を引き上げた。 「ああ。……でもこの方が繋がってるって感じで。満足できる気がする」 はなれないために、誓ったんだろうが。 それ以上何も言えないクロウだったが、それ以上の言葉などないと鬼柳は思った。 「暗いと、お前幽霊みてぇだな」 鬼柳の上で、クロウが彼の指に自らの指を絡めて喉をくつりとふるわせた。 「やめろよ……まあ、死神とか言われてたけど……ほら、全然違うだろ」 のびかけた鬼柳の手は、クロウに掴まれとどかない。絡めた指で自身より少しばかり大きな手のひらをゆるゆると握って、左の手の薬指のあたりに視線を注いでいる。嬉しそうに、照れくさそうに見ているなら、それは指輪なのだろうと鬼柳は直感した。 「暗いと指輪、綺麗だな」 ため息をひとつ、鬼柳は口を閉じた。 うまく話をつなげていくよりも、かえてしまう方が得策と鬼柳は判断した。 「……、ふぁっ」 どちらかがもう無理だと思った瞬間、どちらからともなく離れる。 「ほんとに慣れねえよな、お前」 また唇を塞がれて、クロウは鬼柳につかまれた左手と、鬼柳の手をつかんだ右手をきつく握った。欲しいなら抱きしめれば、いやならはね除ければいいだけなのに、どちらともない行動で示すのはクロウの悪い癖で、同時に無くさないでほしい良い癖だと鬼柳は常に思っている。曖昧なことを好まぬクロウの曖昧はつまり、「お好きにどうぞ」、とでも言っているようなものだから。 「……しつ、こいんだって……」 真っ赤になった唇を結んでうなる姿を見下ろして、鬼柳は右に左に首をひねり、真顔でまた唇を重ねた。これにはクロウも堪えかねて、音がするほど額を強くぶつけて抗ったのだが。 「ぃ、かげんにしろっ、このタコッ」 先ほどまでは手を握っていた両手はするりと離れて、今度は鬼柳の頬をぐいぐいと挟み潰している。鬼柳もまねをして、クロウの両頬を手で挟んだ。手のひらがずいぶん熱い。当然だ。クロウの顔は、真っ赤だった。 「ゆでダコみてぇだぞ」 赤いことは、否定しないんだな。 「タコより肉のがいいな、俺」 鬼柳は、戯れの域を超えようとしている。クロウからすれば何の前触れもなく、むしろ全くそれらしい会話に挟んでいる訳でもないのにいったいどうして、といったところか。鬼柳はシャツの上からクロウの胸元を探り出す。クロウの手は鬼柳の肩にかかったが、まだ押し返すそぶりはない。 「ステーキとか。がっつりいきたい気分」 薄いシャツの下の凹凸を探るのは容易い。両手で突起を一つずつ軽く抓り上げると、非難の罵声があがった。 「そういう気分なんで、満足させてくれな」 クロウは返事をしなかった。目も合わせはしなかった。肩を押し返されもしなくて、顔だけは赤い。 「お、鳥肌」 鬼柳が猫なで声をあげると、クロウは思いきり眉間にしわを寄せた。苦笑でごまかした鬼柳は、勢いよくクロウの下肢に手を突っ込んだ。あがった声は「ぎゃあ」。反射で閉じかけた足は、鬼柳の脇腹を蹴っただけ。 「あー、こりゃ熱いな」 すでに膨らんでいたそこをただやわやわと刺激する、たったそれだけでクロウは過剰なほど身を震わせた。握り込めばかかとでベッドを叩くし、鬼柳の肩をつかむ指の先は白くなっている。がっちりと奥歯を噛み締めて、真っ赤な顔を背ける様は鬼柳にとっては欲を刺激するものではある。この先さらに乱れることも知っていて、想像できるせいで、よけいに。 「なあ、なあなぁ、クロウ」 リングの光る手が、クロウの胸の下に置かれた。指の先がちょうど突起に触れる位置。腰が浮けば、押さえつけるように握り込まれる性器の刺激に悶えれば、指が触れて、また。 「てめ、ッ」 さらりと舐め上げて、小さな突起のひとつへ食らいつく。緩く歯を立てて、唇で挟んで、しばし感触を楽しんでいたーーかと思えば、きつく吸い上げた。ちゅ、と小さな音が、唇を重ねた時より遠い音なのに、妙に生々しくクロウの耳に届く。下肢を探る手は泊まっていて、与えられる刺激は今ふたつだけだ。小さな音、温かく湿った感触、ごそごそと脇腹を撫でる手。それだけ。 「は、……は、なん、だよ」 笑うつもりであげた声に、己の息が上がっていることを悟ってクロウは目を瞬かせた。右胸だけがチリリと痛んで、左胸は、内側でガンガンと心臓がなるばかり。自然と、鬼柳の手にすりつけるように腰を浮かせてしまったことにも気がついて、また耳まで赤くし顔を背ける。 「きりゅ……」 痛みらしいものは消え、けれど脳髄を突くような快楽もない。 「やめる?」 素直に頷いたクロウをじっと見つめて、鬼柳は不意に自らの唇を舐めた。口角はやや上がり気味に、クロウに頷き返す。 「ーーはひゃっ!?」 落ち着こうと目をとじ、息を深く吸ったあと。体制と呼吸を整えようとしていたクロウだったが、何もできずにベッドに沈んだ。 「な、なんっ、嘘っ」 衝動的に鬼柳の頭を叩いてしまったが、鬼柳はクロウを責めるどころか、神妙な顔を持ち上げて見つめた。 「……ずっと思ってたんだけどな」 指輪をつけた手が、ギュ、とクロウの左の突起を抓り上げる。クロウが声を上げたのは、痛覚を刺激されたから、と判断するのが普通だ。鬼柳の右手が、ぴくりと震えた性器を感じ取っていさえしなければ。 「……クロウ、胸弄られんの好きだろ」 突起に指を押し付けて、まじめな顔で鬼柳は告げた。「うるさい黙れ」、クロウはかなりの早口で言い返すものの、指の腹を擦り付けられて息をのんでからはじっとしている。鬼柳はまだ真剣だ。少しばかり、瞳は爛々としているように見えなくもない。 「俺ががっついててさ、シャツ、ここに半端に引っかかってんのに、いいから早く、って言ったことあったよな」 クロウの胸の先端すれすれで、鬼柳が今まで触れていた指を横に振る。クロウの腰が跳ねた。鬼柳が握って押さえつけてさえいなければ、下肢はとうに何の支えもなく布地を押し上げられるほどに反応している。 「あれ、気持ちよかったんだろ?」 問われて即座に首を振るのは、否定かまたは、もう快楽に飲み込まれそうになっているのか。 「俺、案外よく見てるだろ?」 二つ目の問いには、首は振らない。代わりに、全力で鬼柳を押しのけてできた一瞬の隙をついて、クロウはベッドに伏せた。 「そんな拗ね方されても、俺、興奮しちゃうけど」 立てた人差し指で晒された背を縦になぞり、またもぞもぞと動くクロウの上に乗り上げる。耳元に唇が触れるまで近づいて、鬼柳は今日一番の甘ったるい声音で「なあ」と囁きかけた。クロウが観念して隠していた顔を右に向けるまで、「なあ、クロウ」「なあ」。そうして、繰り返して。 「……ぶっとぶくらい、がっついちまうぜ?」 ほとんど見えないだろうに、クロウの瞳は鬼柳のほうへちらりと向いた。拳も足も飛んではこない。言葉の代わりにどこを確かめれば答えがあるかなど、鬼柳には分かっている。シャツから差し入れて胸を撫でた手を、下肢へと滑らせていけば。 「……楽しみにはしてくれてるみたいだし」 ひっかかったと言っても過言ではない状態の布地越しにも、クロウの下腹部はひどく熱かった。涙膜の張った大きな瞳はもの憂げに睫毛に隠されていて、緊張のせいか乾いた唇は引き結ばれ、その奥で、唾液が嚥下され喉が動く。鬼柳がゆっくりとクロウの下肢をあらわにすると、唇は不意に解かれた。 「…………なんでお前、今日そんなに喋んだよ」 照れ隠しであって、本当に答えが欲しい訳ではなかった。 「自信の自覚したから、かな」 だから、答えが返ったとき、「えっ」と思わず声を上げ、その声の優しさにどっと心臓が鳴ってしまったのは、不可抗力であったのだ。 「繋がっていいんだっていう、自信」 プラチナのリングが触れ合った。互いの熱にすっかりなじんで、つけていたことさえ忘れかけていた、すれ違って行き違って最終的にあるべき場所にやってきた証。そういえば、初めてのことだった。指輪を互いにつけたまま抱き合うのは。 「おまえがおもしろがって触るから……っ!! なんかおれ、変態みたいにっ」 何を言っているのか鬼柳にはよく分からない。よくわからないが、あえて何も問わなかった。もごもごと語りだすクロウは、そうとう混乱している。それだけは、お互いによくわかっている。刺激を待っている下肢にも触れないまま、鬼柳は黙って聞いていた。 「ッ……ち、乳首とか……、お前以外さわんねえ……じゃん……」 かなり前の会話の続きのようだ。クロウが話を遮って問う前の話。 「……尻とかは触られてんのか」 クロウの右手がベッドを殴る。顔は真っ赤だった。 「そうやって、なんでこう、ぶちこわすんだてめーはっ!」 そんなクロウの左手を握りしめ、右腕で抱きしめて、鬼柳もまた頬を赤くしていた。首筋に埋めた頬、唇は普段より熱い。鬼柳の言葉に嘘はない、何も言えず唸る声が哀れなほど弱々しくて、クロウはベッドを殴るのをやめた。 「……ガキじゃねーのに」 しばし、沈黙する。 「ッ」 窺うように、クロウの臀部の中心に鬼柳の指が這う。行為で使うために馴らした後穴は、ひだをのばして精一杯鬼柳の指を飲み込もうとしていた。一本程度なら容易く意のままに奥へ導いて、二本目も、すぐに受け入れてしまう。鬼柳がくすりと笑った。 「風呂、」 引き抜いた二本の指を軽く立てて、鬼柳は自分の下肢の衣服に親指を引っかけてずりおろした。何もしていなくともゆるく起ち上がっていた性器に手を添えて、先端をクロウの臀部の割れ目に擦り付ける。 「………っ、う、」 クロウの喉が引きつって、鬼柳の手に包まれたままの左手が強く握られた。 「う、ぁはっ、……!」 不意打ちで先端を中にねじ込むと、クロウは思い切り開いた口を閉じた。 「声、出したらいいじゃねえか」 少しずつ奥へと沈めていく。また、クロウの喉が鳴る。 「ぅふ、……ぁ」 根元まで埋めて、ゆらゆらと腰を揺らす。鬼柳の動きに焦れたのか、クロウは少し腰を持ち上げた。 「ァ!」 クロウの体が大きく跳ねる。 「だめだっ」 汗で滑る手が離れないよう、鬼柳はクロウの手に指を絡める。重なった指輪が擦れた。 「この手は、このまま……っ」 クロウの手のひらに鬼柳の指の腹が回る。ずっと握っていた手のひらは鬼柳のもの以上に汗ばんでいて、鬼柳が少し力を抜いて、クロウが本気で引けば、きっと容易くはなれてしまう。 「逃げるなよ、クロウ」 唇を舐めた鬼柳が、その手を握り直した。痕がつくほど強く。クロウが本気を出して振り切っても、振り切れるのかと思わせるほどきつく。 唇を閉じれば呼吸もままならず、唇を開けば艶めいた声が漏れる。 「ッくぁっ、ぁああ、あっ」 シーツに押し付けていた鬼柳の右手がクロウの性器をつかんだ。力加減も何もない、クロウが声を上げたのは痛みのせいだ。気遣う言動はいっさい、鬼柳は見せない。クロウも訴えかけはしない。むしろ逆に、見開いた目を閉じたあとは、鬼柳の方へ腰を押し付け、下肢のあらゆる衝撃にも耐える体制を自ら整えていた。 「……クロウっ」 クロウの体が揺さぶられると、ベッドも連動して揺れた。固めのスプリングが軋み、足が床を踏みしめる。その上でクロウの小柄な体躯が弾む。苦痛も快楽も逃がす場所はない。爪を立てて、シーツを引き裂いたところで状況は変わらない。逃れる意思があったとしても、こうなってしまえば、もう。 いっそう強く突かれて、性器をつかむだけだった手も射精を促す意図を持って動き始めて、クロウは開いた目から堪え兼ねて涙をこぼした。見ようによっては哀れなほど乱されているが、鬼柳は決して止まらなかった。 暴かれ尽くして、クロウは名前を呼ぶ。 「一回……先、いっちまえよ」 揺さぶられるまま声を発するから、針のとんだレコードのよう。 分かっているのは、抱いている相手がクロウ・ホーガンには違いないことと、計られていても居なくても、彼の痴態に興奮する己の性癖だけだ。 内側で昂っている鬼柳の熱をも絞り出さんばかりに締め付けられて、一瞬息を詰める。ここからは、意地だ。身震いし、息を吐くクロウの内側で燻っている快楽をあとどれほど引き出せるか。その最中、どれほど優位な立場で居られるか。 あえて男として示しておきたいことがあるとすれば、 「まあ、ベッドの上では満足させてやれなきゃな」 ゆるく開いた口からこぼれた惚けた声が、鬼柳の欲を刺激した。 「……なんでもねえよ」 左の手を一度放して、クロウの手のひらを上に向けさせる。改めて握り直せば、手のひらが触れ合った。 「さ、こっからだ。満足させてやるぜ?」 低く囁きかければ蕩けた瞳が細められたので、了承と鬼柳は見なす。
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