光れ、愛の環
-春の色-

 もう使い慣れた鬼柳の家の風呂場を出てきたクロウの半袖シャツとハーフパンツという格好でも、十二分に暖まった体には、この部屋は少し暑い。

「……またそれ、見てんのか」

 デュエリストであり、肉体労働者である彼らの日常生活にはとにかく邪魔だからと、鬼柳は机の引き出しに、クロウは首から下げる他、D-ホイールのハンドルにくくりつけてみたりもしているプラチナ製の指輪。
 二人きりになると、鬼柳はとかくそれを眺めたがる。薬指のサイズちょうどだというのに、身につけたがらない。指紋ひとつすらつけてたまるかと言わんばかりに頑に、白い手袋まで用意して、さながら鑑定士のごとく、混じりけのない白銀を眺めたがる。
 スウェットの上下と不釣り合いな白手袋で手を包み、ベッドに転がる鬼柳を見つけて、ため息まじりに声をかけた。

「二人のときくらいつけてもいいんじゃねえの?」
「……それ、なんかすっげえ幸せになるからもう一回言ってくれ」
「バカか」

 ニコも年頃、ウェストも多感な時期。

 仕事の都合と理由をつけて、鬼柳が町外れの小さな小屋に拠点を移したのは最近のことだった。独りの部屋は淋しいからと、ことあるごとにこうしてクロウを呼びつける。海外を拠点とするクロウにとって、それはとてつもなく迷惑な話で、同時に、どうしようもなく彼の性分を感じさせられる時でもあった。
 クロウの答えがイエスとなればそれはもう嬉しそうに「待ってる」とつぶやき、ノーであれば「そうか」と至極残念そうに息を吐いて、労いと応援の言葉を添えてひとときの別れを告げる。

 お前、寂しがりのビビリだよな。

 クロウがそういえば真っ赤になって否定するくせに、この顕著な態度。
 可愛いものだと、その度思う。思うたび、クロウもまた、自分もたいがい可愛いものだと、苦笑を浮かべるしかなくなるのだ。
 こんなに求められることが、幸福であると思えるのだから。

「そーゆーの、好きじゃねえな。アクセサリーなんて使ってナンボだろ」
「これはアクセサリーじゃねぇ! 俺とお前の愛のっ」
「だぁーまっとけぇ!」
 
 身を起こして指輪を見せつけてくる鬼柳に飛びつき押し倒して、クロウはどうにか彼に言葉を飲み込ませた。
 クロウに全体中をかけて飛び乗られ、一度は息を詰めて咽せたものの、鬼柳の立ち直りは早かった。手袋に包まれたままの左手で、クロウの逆毛をかき回して笑みを浮かべる。

「愛してるって。照れんなよ」
「平然と言うな! くっそ絆されて損しかしてねえ……」
「俺は幸せだけどな」

 鬼柳の腕が背中に回って、クロウは彼の胸に耳を押し付けた。
 シャツの上から滑っていく手の感覚がいつもと違う。固い拳。握りしめたその手に、きっと指輪がある。取りこぼすことがないように、とっさに握りしめてからそのままなのだろう。クロウは自らの左手をシーツの上で強く握った。白い波に沈めるように。まだ熱を持つ左の指が、鬼柳の目に触れないように。
 −−二人きりの時くらいは、と言ったのは己であるから隠す必要などないのに、どうにもうまくいかなかったことを、ほんの少し後悔して。

「…………ならよかった」
「ん?」
「す………せに…と……たる……」
「へ? なに、クロウ?」

 鬼柳の胸に額を押し付けてつぶやくものの、鬼柳にすら聞こえない声音。鬼柳が聞き返すのは当然のことだ。クロウもそれはわかっていたし、言わんとして言ったことではあった。
 二人きりの時くらい、いつかのように、思い切り言ってもいいはずだ。何度も言い聞かせ、何度も言いかけて、示しそこねた気持ちのすべて。

「っ、好きな奴幸せにできねぇんじゃ男が廃るっつの!」

 ずいぶんと遠回しにはなってしまったけれど、本音であることには間違いない。くそう、と照れ隠しに悪態をついて、クロウは鬼柳の胸に幾度も頭突きを食らわせた。黙って受け止めていた鬼柳が、不意にくすりと頬をゆるめる。

「……カッコいいこと言うなぁ」

 満足させられた。鉄砲玉なんてもう呼べねえなあ。
 そういう鬼柳の左手は、またくしゃくしゃとクロウの頭を撫でていた。カッコいいとほめた相手にすることか嘘つきめ、と、クロウは唇を尖らせ、もう一発頭突きをくれてやった。つい先日、戯れのはずが本気になったデュエルの最中、そう呼んで挑発してきたのは他の誰でもない、鬼柳なのだから。
 余裕綽々といった様子が崩れないものだから、頭突きじゃ飽き足りず、今度はシーツの上でつくっていた拳を叩き付けてみる。アハハと実に明朗に鬼柳は笑い、クロウの髪をふわりと撫でた。

「こういうのは可愛いな」
「るせー」
「でもこういう潔さは、ほんとにカッコいいと思うぜ」
 
 あっという間。

 文字通り、クロウが「あ」と声を上げる間だった。ポカポカと鬼柳の体にぶつけていた左拳を取られ、左の薬指をその白手袋の指で撫でられたのは。
 気づいていたのか、気づいたのか。
 居たたまれなさにがばと身を起こしたクロウからわざとらしく手を離した鬼柳は、なあ、とクロウに呼びかけながら左手の中のリングを右手で取った。左の白手袋の中指の先をかちりと噛んで、引き抜く。
 すこしささくれ立った指。昔から何気にきっちりとそろえられていた爪は、今も相変わらずだった。薬指のきれいな爪を通り過ぎて、リングが通される。もったいぶることもなく、すんなりと、きっちりと。

「これで俺も相当カッコいいんじゃねえの?」

 クロウの頬を包んだ左手のひらが、冷たくかたい感触を残した。今クロウが視覚で捉えた現実が事実である証明が、瞬間成される。
 よけいにひんやりと感じるのは、クロウの頬が相当に熱を持っているから。室温になじんだ金属と鬼柳のもともと低い体温では、さほどかわらないのに。
 クロウがぽかんとしている間に、鬼柳は、右手の手袋も先刻と同じようにするりと引き抜いてしまった。

「……ゆ、びわ。……汚したくねぇんじゃねえの?」

 クロウは差し出された鬼柳の右手をつかんだ。そのまま引き剥がすかと思いきや遠ざけることすらなく、か細い声で問いかける。

 この状況で「おやすみなさい」と布団をかぶれるほど鬼柳もクロウも我慢強くないし、無欲でもない。羞恥と渇望でいっそ出してくれと叫びもだえる心臓を押さえようとクロウは右手を動かすも、胸の上においたところでどうにもできず、すがるように鬼柳のシャツの袖をつかんでいた。甘えた仕草になってしまったのは無意識で、それがよけいクロウの熱を引き上げた。

「ああ。……でもこの方が繋がってるって感じで。満足できる気がする」
「今、更だろ」

 はなれないために、誓ったんだろうが。

 それ以上何も言えないクロウだったが、それ以上の言葉などないと鬼柳は思った。
 あまりにもクロウが顔を真っ赤にしているので、鬼柳はやっとその頬を解放してやった。ベッドサイドに転がっていたリモコンのボタンを押した。部屋の電灯のスイッチだ。天井の照明を消して、もう一度その身を抱き込む。
 厚いカーテンのかかった部屋は、シーツの白も、鬼柳のやけに白い肌も、銀と呼ぶには青みの髪も、ひとくくりに「白」と呼べるほどに浮き上がらせた。対して、クロウの日に焼けた肌と赤みの強い髪は、薄明かりに溶けてしまいそうだ。不自然な黄色いマーカーだけが、やけに明るく見える。

「暗いと、お前幽霊みてぇだな」

 鬼柳の上で、クロウが彼の指に自らの指を絡めて喉をくつりとふるわせた。
 そういうたぐいの話を、鬼柳が好まないともちろん知った上で投げかけている。あからさまな揶揄を受けて鬼柳は顔を顰めたが、絡めた指は解かなかった。

「やめろよ……まあ、死神とか言われてたけど……ほら、全然違うだろ」
「そうだな、幽霊は死神じゃねえな」
「…………明かりやっぱつけようか」

 のびかけた鬼柳の手は、クロウに掴まれとどかない。絡めた指で自身より少しばかり大きな手のひらをゆるゆると握って、左の手の薬指のあたりに視線を注いでいる。嬉しそうに、照れくさそうに見ているなら、それは指輪なのだろうと鬼柳は直感した。

「暗いと指輪、綺麗だな」
「……おま……」

 ため息をひとつ、鬼柳は口を閉じた。
 そんな幸せで蕩けそうな目で、声で、笑みで言われては、明るいところでみる方が綺麗だなんて、鬼柳にはとても言えそうにない。
 その顔で、「な?」と同意を求められては、なおさらだ。
 
「……なあクロウ、でもほら、俺さ。暗いトコ好きじゃねえから。もっと近くにいていいか?」

 うまく話をつなげていくよりも、かえてしまう方が得策と鬼柳は判断した。
 二人で寝転べるベッド。端から真ん中へ、鬼柳はクロウを抱き込んでころりと位置をひっくり返した。クロウの両足の間に膝を立てて、真上からのキス。唇でクロウは受けて、覆い被さる鬼柳の腕に閉じ込められながら小さくシーツに波を立てる。
 押し付けられた唇の温度差が予想通りで、互いに唇の端があがった。いたずらにクロウの唇を食んだかと思えば、開いた唇の隙間から熱を持った舌先を滑り込ませる。口の中の温度はほぼ変わらないはずなのに、鬼柳はぐいぐいと舌を押し込んでいく。はじめのころはそれで終わりだったキスが徐々に長くなっていって、また短くなって、今は欲しいタイミングでどちらかが与えて、

「……、ふぁっ」

 どちらかがもう無理だと思った瞬間、どちらからともなく離れる。
 今回は、与えたのは鬼柳、音を上げたのはクロウ。クロウは認めはしないが、よくあるパターンだ。

「ほんとに慣れねえよな、お前」
「お前が、ヘタクソなんだよッ」
「そりゃ練習させてもらえねぇと満足できねえなあ」
「むぐ」

 また唇を塞がれて、クロウは鬼柳につかまれた左手と、鬼柳の手をつかんだ右手をきつく握った。欲しいなら抱きしめれば、いやならはね除ければいいだけなのに、どちらともない行動で示すのはクロウの悪い癖で、同時に無くさないでほしい良い癖だと鬼柳は常に思っている。曖昧なことを好まぬクロウの曖昧はつまり、「お好きにどうぞ」、とでも言っているようなものだから。
 お言葉に甘えてほのかにミントの香りののこる唇を戯れに吸っていた鬼柳の手の甲が、ちくりと痛んだ。

「……しつ、こいんだって……」

 真っ赤になった唇を結んでうなる姿を見下ろして、鬼柳は右に左に首をひねり、真顔でまた唇を重ねた。これにはクロウも堪えかねて、音がするほど額を強くぶつけて抗ったのだが。

「ぃ、かげんにしろっ、このタコッ」
「まだタコほど吸ってねぇだろ!」
「タコ並みの自覚あんじゃねえか!」

 先ほどまでは手を握っていた両手はするりと離れて、今度は鬼柳の頬をぐいぐいと挟み潰している。鬼柳もまねをして、クロウの両頬を手で挟んだ。手のひらがずいぶん熱い。当然だ。クロウの顔は、真っ赤だった。

「ゆでダコみてぇだぞ」
「……二人してタコかよ……みとめねー」

 赤いことは、否定しないんだな。
 口にすれば頬を押す手が叩く手に変わりそうだったので、鬼柳は微笑み返すだけに止めた。赤くなってよけいにマーカーの目立つ額に唇を落として、そこに自らの額をすりあわせて、含み笑いとともに両手を頬から首へ、鎖骨へと滑らせていく。

「タコより肉のがいいな、俺」
「ちょ、……ちょ、おまっえ、」

 鬼柳は、戯れの域を超えようとしている。クロウからすれば何の前触れもなく、むしろ全くそれらしい会話に挟んでいる訳でもないのにいったいどうして、といったところか。鬼柳はシャツの上からクロウの胸元を探り出す。クロウの手は鬼柳の肩にかかったが、まだ押し返すそぶりはない。

「ステーキとか。がっつりいきたい気分」
「き……! ば、っか!」

 薄いシャツの下の凹凸を探るのは容易い。両手で突起を一つずつ軽く抓り上げると、非難の罵声があがった。
 肩を掴む手が強ばったのと同時に、クロウの視線が彷徨った。

「そういう気分なんで、満足させてくれな」

 クロウは返事をしなかった。目も合わせはしなかった。肩を押し返されもしなくて、顔だけは赤い。
 曖昧な合図に踏み切って、鬼柳は一息にクロウのシャツを捲り上げた。腹の上に鬼柳の手が触れると同時に、ひぇ、とクロウの声がひっくり返る。

「お、鳥肌」
「手が、つめてぇんだよ」
「あっためてくれよ」

 鬼柳が猫なで声をあげると、クロウは思いきり眉間にしわを寄せた。苦笑でごまかした鬼柳は、勢いよくクロウの下肢に手を突っ込んだ。あがった声は「ぎゃあ」。反射で閉じかけた足は、鬼柳の脇腹を蹴っただけ。

「あー、こりゃ熱いな」
「おぁ、ひゃっ……めっ、……んッ……」

 すでに膨らんでいたそこをただやわやわと刺激する、たったそれだけでクロウは過剰なほど身を震わせた。握り込めばかかとでベッドを叩くし、鬼柳の肩をつかむ指の先は白くなっている。がっちりと奥歯を噛み締めて、真っ赤な顔を背ける様は鬼柳にとっては欲を刺激するものではある。この先さらに乱れることも知っていて、想像できるせいで、よけいに。

「なあ、なあなぁ、クロウ」
「うァ」
「我慢してた?」
「……いそ、がしか……ッ」

 リングの光る手が、クロウの胸の下に置かれた。指の先がちょうど突起に触れる位置。腰が浮けば、押さえつけるように握り込まれる性器の刺激に悶えれば、指が触れて、また。
 それならと鬼柳の肩を押し返せば、指の腹がわざと突起を押しつぶしにくる。平時なら、逃れるのは簡単だ。けれどこのときにはもう、クロウは心身ともに覚悟ができてしまっていた。精一杯の形だけの抵抗を避けて、鬼柳は胸元の手を脇腹へと滑らせ、身を屈めて突起に舌先で触れた。

「てめ、ッ」
「ん」

 さらりと舐め上げて、小さな突起のひとつへ食らいつく。緩く歯を立てて、唇で挟んで、しばし感触を楽しんでいたーーかと思えば、きつく吸い上げた。ちゅ、と小さな音が、唇を重ねた時より遠い音なのに、妙に生々しくクロウの耳に届く。下肢を探る手は泊まっていて、与えられる刺激は今ふたつだけだ。小さな音、温かく湿った感触、ごそごそと脇腹を撫でる手。それだけ。

「は、……は、なん、だよ」

 笑うつもりであげた声に、己の息が上がっていることを悟ってクロウは目を瞬かせた。右胸だけがチリリと痛んで、左胸は、内側でガンガンと心臓がなるばかり。自然と、鬼柳の手にすりつけるように腰を浮かせてしまったことにも気がついて、また耳まで赤くし顔を背ける。
 鬼柳は無言で、同じことを繰り返している。突起の周囲をくるくると舌でなぞって、中心を押しつぶして、幾度か吸い上げて、脇腹の手は胸の横を這うようになった。

「きりゅ……」

 痛みらしいものは消え、けれど脳髄を突くような快楽もない。
 体だけが期待に熱をもっていくのが嫌で、クロウは頭を振った。やめろ、と小さく口にしてみる。
 鬼柳は、案外あっさり顔を上げた。

「やめる?」
「ん……」

 素直に頷いたクロウをじっと見つめて、鬼柳は不意に自らの唇を舐めた。口角はやや上がり気味に、クロウに頷き返す。
 鬼柳はまた身を屈めたが頬をふれあわせて過ぎただけだったので、安堵でクロウは息をつく。すると濡れた右胸が急に冷えて感じて、身震いした。体は、熱いままなのに。

「ーーはひゃっ!?」

 落ち着こうと目をとじ、息を深く吸ったあと。体制と呼吸を整えようとしていたクロウだったが、何もできずにベッドに沈んだ。
 大きく開いた目で見れば、ずっと触れられていなかった左胸の突起に鬼柳が吸い付いている。クロウは衝撃を受けて動けなかった。下肢の手は触れてこそいるが動いてはいない。胸を吸われた。たった、それだけの、ことだったのに。

「な、なんっ、嘘っ」

 衝動的に鬼柳の頭を叩いてしまったが、鬼柳はクロウを責めるどころか、神妙な顔を持ち上げて見つめた。

「……ずっと思ってたんだけどな」
「イ……っ」

 指輪をつけた手が、ギュ、とクロウの左の突起を抓り上げる。クロウが声を上げたのは、痛覚を刺激されたから、と判断するのが普通だ。鬼柳の右手が、ぴくりと震えた性器を感じ取っていさえしなければ。

「……クロウ、胸弄られんの好きだろ」

 突起に指を押し付けて、まじめな顔で鬼柳は告げた。「うるさい黙れ」、クロウはかなりの早口で言い返すものの、指の腹を擦り付けられて息をのんでからはじっとしている。鬼柳はまだ真剣だ。少しばかり、瞳は爛々としているように見えなくもない。

「俺ががっついててさ、シャツ、ここに半端に引っかかってんのに、いいから早く、って言ったことあったよな」
「ヒッ……くうう」

 クロウの胸の先端すれすれで、鬼柳が今まで触れていた指を横に振る。クロウの腰が跳ねた。鬼柳が握って押さえつけてさえいなければ、下肢はとうに何の支えもなく布地を押し上げられるほどに反応している。

「あれ、気持ちよかったんだろ?」

 問われて即座に首を振るのは、否定かまたは、もう快楽に飲み込まれそうになっているのか。
 胸元を撫でられ、ふたつ並んだ突起をひとつずつ弾かれて、クロウは奥歯を割れるほど噛んだ。

「俺、案外よく見てるだろ?」

 二つ目の問いには、首は振らない。代わりに、全力で鬼柳を押しのけてできた一瞬の隙をついて、クロウはベッドに伏せた。
 腕がもぐっていたパンツはあわてて逃げた鬼柳の手に引っかかったのか半分下がっていて、持ち上げられたシャツを下げることもしなかったので背中はほぼさらされたままだ。膝を折ったまま顔を伏せてしまったので、きれいに曲線を描いている臀部は持ち上がって鬼柳側に向けられている。

「そんな拗ね方されても、俺、興奮しちゃうけど」

 立てた人差し指で晒された背を縦になぞり、またもぞもぞと動くクロウの上に乗り上げる。耳元に唇が触れるまで近づいて、鬼柳は今日一番の甘ったるい声音で「なあ」と囁きかけた。クロウが観念して隠していた顔を右に向けるまで、「なあ、クロウ」「なあ」。そうして、繰り返して。

「……ぶっとぶくらい、がっついちまうぜ?」

 ほとんど見えないだろうに、クロウの瞳は鬼柳のほうへちらりと向いた。拳も足も飛んではこない。言葉の代わりにどこを確かめれば答えがあるかなど、鬼柳には分かっている。シャツから差し入れて胸を撫でた手を、下肢へと滑らせていけば。

「……楽しみにはしてくれてるみたいだし」

 ひっかかったと言っても過言ではない状態の布地越しにも、クロウの下腹部はひどく熱かった。涙膜の張った大きな瞳はもの憂げに睫毛に隠されていて、緊張のせいか乾いた唇は引き結ばれ、その奥で、唾液が嚥下され喉が動く。鬼柳がゆっくりとクロウの下肢をあらわにすると、唇は不意に解かれた。

「…………なんでお前、今日そんなに喋んだよ」

 照れ隠しであって、本当に答えが欲しい訳ではなかった。
 普段であれば、何となく、だとか、どうしてだと思う、だとか。揶揄とともに鬼柳はクロウに触れる。もっと深くへ触れる。だから鬼柳の左手がクロウの左手を奪うように引っ張りだして握りしめた時、行為の続きが始まるのだとクロウは直感していた。

「自信の自覚したから、かな」

 だから、答えが返ったとき、「えっ」と思わず声を上げ、その声の優しさにどっと心臓が鳴ってしまったのは、不可抗力であったのだ。

「繋がっていいんだっていう、自信」

 プラチナのリングが触れ合った。互いの熱にすっかりなじんで、つけていたことさえ忘れかけていた、すれ違って行き違って最終的にあるべき場所にやってきた証。そういえば、初めてのことだった。指輪を互いにつけたまま抱き合うのは。
 望んだのはクロウなのだが、鬼柳がとにかく幸福ですといった様子で囁いたものだから、途端に羞恥が涌き上がる。

「おまえがおもしろがって触るから……っ!! なんかおれ、変態みたいにっ」

 何を言っているのか鬼柳にはよく分からない。よくわからないが、あえて何も問わなかった。もごもごと語りだすクロウは、そうとう混乱している。それだけは、お互いによくわかっている。刺激を待っている下肢にも触れないまま、鬼柳は黙って聞いていた。

「ッ……ち、乳首とか……、お前以外さわんねえ……じゃん……」

 かなり前の会話の続きのようだ。クロウが話を遮って問う前の話。
 言ってからまた顔を枕に埋めてしまったクロウはようやく気持ちが落ち着いたのだろう。ごもごもとした声が、なにいってんだおれ、とひとりごちている。
 鬼柳はその様を眺めて、また不意に真顔で問いかけた。

「……尻とかは触られてんのか」
「ねーよ!!」

 クロウの右手がベッドを殴る。顔は真っ赤だった。
 ほこりが立つのもかまわず幾度も殴りつけ、まだほぼ何も始まっていないのにベッドシーツは端から乱れていく。

「そうやって、なんでこう、ぶちこわすんだてめーはっ!」
「だってよ、照れくさいんだってこっちだって」

 そんなクロウの左手を握りしめ、右腕で抱きしめて、鬼柳もまた頬を赤くしていた。首筋に埋めた頬、唇は普段より熱い。鬼柳の言葉に嘘はない、何も言えず唸る声が哀れなほど弱々しくて、クロウはベッドを殴るのをやめた。

「……ガキじゃねーのに」
「初めてでもねえのに」
「ばかみてえ」
「ばかだよな」

 しばし、沈黙する。
 クロウは顔を左側に向ける。見えなくなった自分の左手の代わりに、はっきりと見える鬼柳の手。薄暗かったはずの部屋で、おぼろげだった互いの輪郭はもうはっきりとしている。
 繋がっていいかどうかなんて、とっくに確かめた。だからこうして続いている。心も体も、繋がっていい。言葉にだってした。行為だって重ねた。
 証を示したのは、言われてみれば初めてだった。

「ッ」

 窺うように、クロウの臀部の中心に鬼柳の指が這う。行為で使うために馴らした後穴は、ひだをのばして精一杯鬼柳の指を飲み込もうとしていた。一本程度なら容易く意のままに奥へ導いて、二本目も、すぐに受け入れてしまう。鬼柳がくすりと笑った。

「風呂、」
「……それ以上……、言ったら、やらせねえぞ」
「ん、……満足させてくれるよな」

 引き抜いた二本の指を軽く立てて、鬼柳は自分の下肢の衣服に親指を引っかけてずりおろした。何もしていなくともゆるく起ち上がっていた性器に手を添えて、先端をクロウの臀部の割れ目に擦り付ける。

「………っ、う、」

 クロウの喉が引きつって、鬼柳の手に包まれたままの左手が強く握られた。
 鬼柳は右手で己の性器を小さく磨り上げながら、ひくつく穴の周囲を先端でなぞり続けている。
 ゴムを付けろと言い出すのはいつもクロウで、今日はその言葉が全く彼の口からは出てこない。最後に忘れていた振りをしようと鬼柳は密かに決めていた。中で出して欲しいなんて、クロウはきっと余程のことがなければ口にはしそうにない。

「う、ぁはっ、……!」

 不意打ちで先端を中にねじ込むと、クロウは思い切り開いた口を閉じた。
 その拍子に舌の先を噛んでしまって、目尻にじわりと涙が浮かぶ。喉が上下した。

「声、出したらいいじゃねえか」
「…… ん、ッ、」

 少しずつ奥へと沈めていく。また、クロウの喉が鳴る。
 幾度も飲み込まれる唾液が彼の唇を濡らすところを眺めて、口づけたいと鬼柳が思っていることはクロウには内緒だ。
 ぐちゃぐちゃに乱れるところがたまらないと、幸福に任せて零してしまえばやわらかなピロートークへの期待ができなくなってしまう。ただ幸せに眠って、目覚めたい日だってある。にぎやかで騒がしい朝も、もちろん鬼柳にとって、クロウにとってもいとおしくても。

「ぅふ、……ぁ」

 根元まで埋めて、ゆらゆらと腰を揺らす。鬼柳の動きに焦れたのか、クロウは少し腰を持ち上げた。
 小さな吐息が漏れた瞬間、鬼柳は腰を思い切り引いて、クロウを一息に貫いた。

「ァ!」

 クロウの体が大きく跳ねる。
 右手はシーツをぐしゃりと握って、左手は鬼柳の汗ばんだ手から逃れようとした。

「だめだっ」

 汗で滑る手が離れないよう、鬼柳はクロウの手に指を絡める。重なった指輪が擦れた。

「この手は、このまま……っ」

 クロウの手のひらに鬼柳の指の腹が回る。ずっと握っていた手のひらは鬼柳のもの以上に汗ばんでいて、鬼柳が少し力を抜いて、クロウが本気で引けば、きっと容易くはなれてしまう。

「逃げるなよ、クロウ」

 唇を舐めた鬼柳が、その手を握り直した。痕がつくほど強く。クロウが本気を出して振り切っても、振り切れるのかと思わせるほどきつく。
 そうして、あいた右手はシーツに爪を立て、宣言通りにクロウの中をむさぼり始めた。発する言葉を考える余力まで注ぎ込むように、クロウの奥へ猛りをぶつける。互いに晒した肌が触れて汗が混じり合い、ぶつかって音を立てている。
 
「あぁ、う! ……ッ! ぃ、……んく、ぅくっ」

 唇を閉じれば呼吸もままならず、唇を開けば艶めいた声が漏れる。
 苦痛を伴うはずの行為も一度悦楽を見つけてしまえば、あとは何も目に入らない。無意識に逃げようとするクロウの左手は、シーツに縫い止められたまま。視線の先には鬼柳の手だけ。聞こえるのは触れ合う音と、えぐられる音と、乱れた息づかいと声。鬼柳に見えるものも、喘ぐクロウの横顔と、自分の手に光る指輪だけ。
 鬼柳はクロウを、シーツの海に深く深く沈める。縫い止める。全身でもって、包み込むように、それでいて、締め付けるように。

「ッくぁっ、ぁああ、あっ」

 シーツに押し付けていた鬼柳の右手がクロウの性器をつかんだ。力加減も何もない、クロウが声を上げたのは痛みのせいだ。気遣う言動はいっさい、鬼柳は見せない。クロウも訴えかけはしない。むしろ逆に、見開いた目を閉じたあとは、鬼柳の方へ腰を押し付け、下肢のあらゆる衝撃にも耐える体制を自ら整えていた。

「……クロウっ」
「んっく……ぅ……はう、ぁっ」

 クロウの体が揺さぶられると、ベッドも連動して揺れた。固めのスプリングが軋み、足が床を踏みしめる。その上でクロウの小柄な体躯が弾む。苦痛も快楽も逃がす場所はない。爪を立てて、シーツを引き裂いたところで状況は変わらない。逃れる意思があったとしても、こうなってしまえば、もう。
 クロウは、左腕に力を込めた。
 自らの手を引き寄せることで、逃すまいと追ってくる、鬼柳の手を引き寄せる。首を限界までのばして、苦しげにうめいて、クロウの唇はやがて鬼柳の左手に触れた。
 
「ひぁっ、あ!」

 いっそう強く突かれて、性器をつかむだけだった手も射精を促す意図を持って動き始めて、クロウは開いた目から堪え兼ねて涙をこぼした。見ようによっては哀れなほど乱されているが、鬼柳は決して止まらなかった。
 
「ぅ、くぅ、うう、鬼柳……ッ」

 暴かれ尽くして、クロウは名前を呼ぶ。
 限界が近いことを悟ってほしい時、クロウはなりふり構わず鬼柳を呼ぶ。
 焦らされるのも、案外クロウは嫌いではない。もちろん気分に左右される部分こそあるが、焦らさないでほしいときにはクロウは「早く」と言葉で促す。名前を呼ぶのは、決めかねているとき。自分がどうされたいのか、鬼柳がどうしたいのか、定められない時野手段だーー少なくとも、今までクロウを見てきた鬼柳の判断ではあるが。

「一回……先、いっちまえよ」
「う、ぅ、き、きりゅ、う、ぃりゅ」

 揺さぶられるまま声を発するから、針のとんだレコードのよう。
 泣き叫ぶのと変わらぬ声音は、普段の明るく表情豊かな少年めいたクロウ・ホーガンのものとも、デュエルの最中見せる戦略と自信を秘めた大人びた瞳のクロウ・ホーガンのものとも考えがたい。
 いっそう高い声を上げて果てるのは鬼柳を昂らせるための計算であるのか、ただ純粋に快楽に溺れているのか、そればかりは、未だに鬼柳にも分からない。

 分かっているのは、抱いている相手がクロウ・ホーガンには違いないことと、計られていても居なくても、彼の痴態に興奮する己の性癖だけだ。

 内側で昂っている鬼柳の熱をも絞り出さんばかりに締め付けられて、一瞬息を詰める。ここからは、意地だ。身震いし、息を吐くクロウの内側で燻っている快楽をあとどれほど引き出せるか。その最中、どれほど優位な立場で居られるか。
 クロウは、好きな奴を幸せにしなければ男が廃るという。鬼柳もその思考は男らしいと思う。しかし彼自身は、男としてと前置きをするより何より、互いに支え合っていければいいと思っている。互いが居て、それで、互いが幸せであれば。ともに幸せであれたら、これほど幸せなことはないと。

 あえて男として示しておきたいことがあるとすれば、

「まあ、ベッドの上では満足させてやれなきゃな」
「…………んぇ……?」

 ゆるく開いた口からこぼれた惚けた声が、鬼柳の欲を刺激した。
 いつでもいくつになっても、鬼柳にとっては愛らしい恋人。

「……なんでもねえよ」

 左の手を一度放して、クロウの手のひらを上に向けさせる。改めて握り直せば、手のひらが触れ合った。
 握り返してきたクロウの手が少し持ち上がって、そこに光る指輪を見て、クロウは照れくさそうに唇の端を上げて結んだ。抱きしめて寝転がってそのまま穏やかな眠りにつきたい気持ちを、少しばかり鬼柳に芽生えさせる柔らかい笑み。
 クロウの内側がこれほど熱くなければ、未だ解放されていない猛りが穏やかに眠りについてくれれば、それでもとても幸せだったろうが、現実は残酷で、鬼柳もクロウも比較的正直な人間だ。

「さ、こっからだ。満足させてやるぜ?」

 低く囁きかければ蕩けた瞳が細められたので、了承と鬼柳は見なす。
 もう無理だと、幸せそうな瞳が困ったように潤むまで。
  あるいは、鬼柳の名を呼ぶ声に、満たされた響きが宿るまで。

 



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