「よお」
コートを脱いで軽くなった肩を回しながら、寝室のドアを開けた。途端に投げかけられた、男の声。
上げられた片手の中で、カラ、と音を立てるグラス。琥珀色の液体と大きめに砕かれた氷。今は過ぎた夕焼けの空に似た橙色の逆毛は変わらず、顔のマーカーも変わらず。
俺にとっては使いなれたデスクの上に座る相手。ブーツを脱いだ足をソックスはそのままで、片方だけ乗っけて。
そこは椅子じゃないんだ、何度言ったって聞かない相手。
「クロウ」
姿を見られるなんて思っていなくて、少し、驚いていた。
声に出ていたのだろう、クロウは新品のピアスを揺らしてへらりと笑った。
チームの鉄砲玉だったころも、チームファイブディーズのトリックスターになってからも変わらなかった表情。そして今、ライディングデュエル界において誰もが注目するデュエリストになってからも変わってない笑顔。
逢うのは、本当に久しぶりだ。
「二か月ぶり、もっとか?」
「わぁすれちまった。久々のオフってことしか覚えてねーな」
少し足早に歩み寄って、頬に手を伸ばす。カラカラとグラスを揺らすクロウに拒絶されることもなく、想像より熱い頬に俺は手を添えることができた。細められる目は心なしか潤んでいる。
「そんなに飲んだのかよ」
「どうだろな?」
俺の頬にグラスを押し当てて、クロウはふっと息を吐く。漂うアルコールの香りと、寄越される視線。
机の上に置かれた角ばったガラスボトルの中身は、半分以下にまで減っている。俺が買って来たばかりのボトルだ。減っているということは、誰かが飲んだとしか考えられない。犯人捜しなんて、この酒の匂いの前じゃ無意味だ。
「来たらいねえし。暇だし。飲むくらいしかねーだろ」
クロウは完全に開き直った様子で、グラスを俺の頬に押しつけてきながら笑う。曇りはないのに呂律は回らない、眠そうな目をしながらも口調は強気。
何でもない顔を作るので精一杯。どうにか、絞り出す声は平坦に、平坦に。
「連絡くらい寄越しとけよ」
「おれよりは暇だろよぉ」
「お前とは違うことで忙しいんだよ」
そうかもなあ。言いながら、クロウは俺のシャツの胸元を掴む。その力で引かれて顔を近づけた俺に、クロウは酒で濡れた唇を押し当ててきた。跳ねる心臓。俺はこんなに、こいつに翻弄されていたんだったか。久しぶりすぎて、どうやら俺も混乱しているようだ。
「……酒臭ぇ、ぞ」
「うるせロン毛」
「切ってる時間がもったいねえんだよ」
左手が、後ろで束ねた髪を掴んだ。クロウは伸びっぱなしの俺の毛先を眼前まで引き寄せて、何が面白いのかまじまじと見つめる。そしてまた、何を思ったのか、そのまま唇で触れてきた。
感覚なんてあるはずのない毛先からでも火がついたみたいだった。クロウの背に回していた手を、つい、思わず、ギリギリまで下げていく。机に、指が当たった。惜しい。もっと先。俺の動きに気がついて、クロウは機嫌良く見えた目をやや不機嫌に細めた。
「……おれのケツ触る時間は勿体なくねえのか」
「ああ」
「真顔で言うなよ」
なんだよ、畜生。そう言って笑うからますますその気になる。そんなこと咎めたって、何もしなくたってその気だろって言われるのが見えてるけど。
何も言わず、クロウの手からグラスを取りあげる。氷が溶けて崩れて鳴った。角の取れた氷。少し、クロウっぽいと思った。どこにでも馴染んでしまうのに主張を忘れない。決定的に違うのは、温度くらいか。
「あー、おれの酒」
「俺のウィスキーだろこれ、また勝手に出しやがっ…」
取りあげたグラスを机に置いた時、狙ったようにクロウが飛びついてきた。一気に体重をかけられて、油断していた俺の身体はクロウを受け止めきれずにそのまま後ろに倒れ込む。両手でクロウを抱え込んでいたせいで、思いきり尻餅をついた。
「…ってェ…」
「な、しよーぜ」
際どい位置に座ったクロウが、俺の肩口に額を埋め、耳を真っ赤にしたまま言った。くく、と笑ったのが分かる。俺は痛む自分の尻は後回しで、伸ばしっぱなしではないらしいオレンジの髪をくしゃくしゃ撫でる。笑っているだけなのに、猫が喉を鳴らしてるみたいで、俺の手は自然、クロウの背を撫でていた。
「鬼柳よぉ、寂しかっただろー?」
「忙しくてそれどころじゃなかった」
「嘘だな」
「嘘だよ」
嘘つきは嫌いだ。言っておきながら、クロウはまだ俺から離れない。
俺は別に、嘘をつくのも厭わない。ささやかなもんだったり、一生背負わなきゃいけなかったり、こっ酷い嘘も、甘ったるい嘘も。全部だ。
クロウは全部嫌だという。だから、俺がずっと離さないと言えば自ら離れてみせて笑う、「ほら、嘘だろ」って。
「クロウ、お前は俺に逢いたかったろ?」
「じゃなきゃ来ねえよ」
「…確かにな」
言ったはいいがくすぐったいんだろう、クロウはますます顔を隠すように俺に密着してきた。暖かいどころか熱いからだを抱きしめて、緩む口元を引き締める。
クロウは嘘が嫌いだ。だから俺はいつの間にか、未来の話をしなくなった。それがもし、どんな事情があったとしても嘘になってしまったら、俺はクロウが嫌う嘘つきになっちまう。
「ああ…うん」
それでも、俺は『放さない』だろうな。
思うだけで、俺はあえて話題を逸らすことにした。髪を撫でていた手を少しずらせば、耳に触れる。ピアスが揺れる。
「デュエルレーンの黒き弾丸、クロウ・ホーガン」
「ん」
「雑誌の見出し。あの鉄砲玉がなぁ」
「おれは今だって鉄砲玉のクロウ様だぜ」
クロウがようやく俺と向き合った。小首を傾げるのは、甘えることをよしとしないクロウが見せる無意識で貴重な甘えの仕草。潤んだ目を瞬かせて、濡れた唇を尖らせて。
「弾け飛んだら止まらねえ。鉄砲玉だなって、お前が言った」
俺が言ったから。
だからずっと『鉄砲玉のクロウ』。
それは、ちょっと、それこそ弾丸級なんじゃないのか。
「…ったく……可愛い奴め」
「目ぇ大丈夫か」
「正常。酒の匂いで酔いそうだけどな」
「なさけねーの」
クロウは膝で立ち、自分のズボンの前を開いた。どう頑張ろうと日に焼けきらない部分を晒すこの瞬間が未だに照れ臭いのは、どうやら俺だけらしい。
出さなきゃキツイだろというのはクロウの談で、確かに真実だ。実際クロウが下着を半分ほど下ろして出てきたそれは、もう立派な形を作っている。未だ隠れたままの俺の方はというと、正直苦しいくらいだ(この上に乗ってたんだからクロウも気付いてるだろう)。
「…っクロウ、俺も」
頷いて、クロウの手が伸びてくる。ボタンを外し、ファスナーを下ろして寛げて、それから、思い出したようにベルトを外してくれた。そうだな、お前最初からベルト外してたもんな。
反り立った俺のを確かめるように指先でなぞってしばし動きを留めた後、クロウは俺の足の間、床の上にぺたんと尻をついて座ってしまった。何かと思ったら、今度は両足を揃えて右に投げ出し、とろとろとズボンを脱ぎにかかった。
自然、横抱きにしたのと似た角度で視線が合う。強気な眼差しのまま作った笑みを向けられて、俺が感じたのは欲だった。
「煽ってんのかよ…」
「おう、だから靴下はそのままな」
「うっわ」
ヘアバンドも取り払ってるのに靴下とインナーのタンクトップはそのまま。なるほど、今夜のクロウはマニア向けか、悪くねえ。
足を晒したクロウはまた俺に跨ると、互いにそそり立った物が触れる位置まで腰を降ろして止めた。
「んー…ちょい…待ってな……これでいいか」
「あっ、おい、クロウ」
クロウが背筋を伸ばして、ぐいと精一杯体を捻って伸ばした腕。机の端に届いたその指先が、俺の置いたロックグラスを掴んだ。危なっかしい手つきで、床に下ろされたグラス。何が起こるのかと思えば、クロウはその中の小さくなった氷をひとつ掴み取った。
その氷を、自らの後ろに。今引き下ろした下着の下に隠れていた穴に持っていく。
「待って、な」
もう一度繰り返された言葉の後、俺は思わず息を呑んだ。
「ふあ、っ……ぅ」
氷を飲み込んだ穴に、クロウは自らの指を突き入れたようだった。声ごと唾液を呑みこむ喉が反らされて、触れあったものが擦れる。クロウの身体が揺れるたびに伝わる僅かながら強烈な刺激。俺は、詰めていた息を吐いた。
「…無茶も、相変わらずだな」
「……、ん……うるせ」
口を開くと零れてしまうらしい声を噛み殺し、クロウは着実に指を動かす。目はいつの間にか閉じていて、それでも一番感じる場所まで届かなくてもどかしいのだろう、腰を揺らして熱だけは絡めあおうとしていた。
黙って見ているだけ、で俺が終わるわけもないのに。
クロウが見ていないのをいいことに最高にいい笑顔を浮かべて、俺はそっと、クロウの尻に手を伸ばした。
「うひっ!?」
「色気がないのも相変わらず……」
どうやら二本入っていたらしいクロウの指に沿わせた自分の指を、三本目として埋め込んでいく。自分の身体の事だからと、無意識に加減して探っていた指とは、明らかに異なる動きをしているだろう。
遠慮なんてない、かといって確実に快楽を引き出す訳でもない、拓くためだけに奥を探る指。クロウはその流れに逆らって指を引き抜き、すかさず俺がもう一本増やしてやった。
「っ、は、ぅあ、きりゅ、んゃ…っ」
「…そうでもねえか」
不規則に抜き差しして、中を広げる。クロウの両手は素直に穴を広げるように左右に添えられていた。邪魔をする気は毛頭ない、その意思表示に従って俺は存分に肉壁の熱さを楽しむ。
「ちょ…きりゅう、乳首いてェ…」
「なんだよ、触れって?」
喘ぎに混ざった訴えに苦笑すると、クロウは酒に酔ったんだか感覚に酔ったんだかもう分からない顔をしてぼんやりと俺の背後の壁を見ていた。タンクトップの薄手の布地の下、ぴんと主張する突起がふたつ。クロウが首を振る。
「服…擦れて、ぃて…」
「……体だけエロくなりやがって……ほら、咥えてろ」
そこは触ってくださいだろ、なんて野暮なことは言わない。
左手の指だけを引き抜き、タンクトップを汚さないように上手く摘みあげて唇あたりまで引き上げてやった。頷くと同時に、クロウの唇が布地を食む。
わざと、俺はそこで残してきた指を折り曲げてやった。
「んぅうっ」
「あぁ、ほらしっかりしろよ」
ぐちゃぐちゃと、聞こえるくらいに乱雑に指を動かせば、クロウは布地にとうとう歯を立てていた。唾液がしみこんだところから色を変える布を見ていると、分けてくれと言いたくなるくらい喉が渇く気がした。
とはいえ乾いているのが喉じゃないと分かっているから、キスは諦める。
代わりに、クロウの身体を自分側に無理矢理引き寄せて、戯れのように触れあっていた限界寸前のそれを容赦なく、指の代わりに突き入れる。クロウは口を開いてしまって、唾液の染みたシャツがまた腹部まで滑り落ちた。
「あ、ぁう、きりゅっ」
「余裕、ねえ…な、随分」
どっちが、と言われる気もしていた。言われても構わないと思っていた。そのくらい貪欲に、俺はクロウの中を味わう。感覚も感触もぶっ飛んで、快楽も苦痛も分からないくらい。それでも、俺は今得ているものが、この世に存在する極上の満足の一つだと知っている。止められるはずもない。
クロウの、間違いようもない男のそれが俺の下腹部で揺れていても、俺の欲は萎える気配すらない。
「っぇ、よっんなもんっ、って、ぇあ、あっ」
「っ……」
クロウが不意に熱を吐きだして、容赦なく締め付けられる。本人も驚いたのだろう、目を丸くして、顔は真っ赤だ。俺の服を汚し、クロウの腹とシャツの裾を汚した白濁を見下ろして、でも、俺に揺さぶられ続けて絶やすことなく小さく声を上げている。
俺はもう少しだけ頑張ってやろうと、歯を食いしばる。目の奥、ずっと奥がチカチカした。
「ぃあ、ひぃ、っき、ぅ!」
昔よりさらに邪魔な肉の消えた足が、ぴんと張り詰める。
クロウの中で耐えきれず熱を吐きだしたとき、俺は、自分が相当に疲れていたことに気がついた。
クロウは硬く目を、唇を閉じて耐えている。自ら逃げようとは、しなかったのか、できなかったのか。最後の一滴までを受け止めて、クロウはようやく唇を開いた。
声はない。深い、嘆息。
「や、べ…クロウ、悪ぃ、…」
掠れた声で弁解を紡ごうとして、そのまま後ろに倒れ込む。特有の倦怠感と妙な罪悪感と解放感、全部に包まれていたら、辺りが急に全て遠く感じた。
「……ん?」
目を開ける。
俺はベッドの上に横向きに転がっていて、何やら頭に違和感を覚えた。ごそ、と仰向けになってみれば、ベッドの端に座ったクロウが俺の髪をブラシで撫でとかしていたようだ。
「おう」
「…ぉ、う…?」
「少しはマシな顔になったじゃねえの」
カラカラとクロウは笑う。昨夜の酒は綺麗に抜けたのだろうか、余韻など感じさせない朗らかな顔だ。すっかり伸びた髪はもう痛み放題だろうに、クロウは毛先まで指先でなぞり、何が楽しいのか、唇の端を上げる。
「くろ、う」
「ちゃんと寝て、ちゃんと食えよ。髪なんておれがたまに切りに来てやっから」
右手の指二本を立てて『ハサミ』を作り、俺の髪をはさむ。暖かさなんて感じられないはずなのに、じわじわと気持ちが暖かくなった。
クロウは、嘘が嫌いだ。だから、言ったからには本当にする。
おれが髪を伸ばしていたら、たまに、ぶつぶつ言いながらだけど切りに来てくれる。
「約束な。いいな。嘘ついたらぶっ飛ば」
「あの…クロウ…」
拳を作って見せるクロウに見えるよう、片手を、できるだけ垂直に高く上げた。
守れない約束も薄っぺらい言葉も嘘になるから、クロウは嫌いだ。それでも。
「お前のこと幸せにできたら俺は満足なんで、俺の髪切るの、幸せだって思えるようになってくれ」
ぺちんと額を叩かれた。クロウは呆れているのか、微妙な顔をしている。
「……ガキかよ」
「ガキでもいいぜ。お前ガキ好きだろ」
「黙れおっさん」
「3つしか違わねえ」
まあガキなら酒は一緒に飲めないけどな。
そう言えば、また額を叩かれた。
「……別に」
クロウの手が俺の目を覆った。手、少し大きくなった気がすると言えばクロウは喜ぶだろうか、怒るだろうか。
「髪切らなくたって、…それなりに……」
俺は、見えないクロウの顔が想像できて笑いそうになっていた。
そこまで言うならいい加減、幸せだって言っちまえよ!
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