ぶらぶらと歩く。会話の内容は、もうほとんど互いに流すだけ。こうして意味もなく過ごす時間が一番遅いはずなのに、あっという間に時は進み、クリーニングと書かれた看板が見えてくる。太陽は確実に地に近づいていた。

「なあ、クロウ……俺、今日ここ泊まるんだけど」

 しかし鬼柳が指したのは、店の手前のそこそこの高さをもったホテル。下から上まで眺めて、クロウは唖然と鬼柳に向き直った。

「……へ? なんで」
「いや、その……」

 別に、昨夜のようにポッポタイムに転がりこめばいいことだ。遊星やジャック、ブルーノもいるし、ニコ達へいい土産話も仕入れられるだろう。何より、宿賃が不要。
 言い淀み、咳払いをして、鬼柳はもごもごと続ける。

「で、宿賃、二人分、払ってんだけどな」
「え? んだよ、ニコでも来てんのか?」
「そうじゃなくて、あー……」

 首を傾げたせいで目にかかってしまった前髪を払って、やや赤みを帯びた頬を顔ごとクロウから逸らし、片手を首の後ろに回す。

「昨日声、押さえてたから」

 何だと問う必要もない。押さえた声など、心当たりはありすぎる。途端真っ赤になったクロウは、歩道の端まで一気に飛びのいた。

「っかかか、解決になってねえ!!」
「それでもマシだろ、あとただ、俺はただな!」

 追いかけてきた鬼柳が、ようやくクロウの腕を取る。人も増え始めた通りの真ん中で、男二人が赤面で向きあう光景はさぞかし異質だろう。咄嗟にそれを判断できたのか、鬼柳はクロウの正面ではなく横に並んだ。

「ただ……二人っきりになりたかった」

 誰にも聞かれていないだろうか。
 見回す余裕はなかった。

「デートみたいなことしてさ、クロウだけに、おやすみって言いたい、と思って」

 ちらと見やった鬼柳の顔は、どうしようもなく好きなんだ、と言われた時の顔とよく似ていた。眠りに落ちようとするクロウに、頬を寄せてくる顔ともよく似ていた。本音を告げるときの顔。
 今まで見たそれらより少し、照れ臭そうなだけ。

「買い物、もうないんなら、……休憩なんていらねえだろ」

 二人っきり。
 その言葉で、簡単にクロウの中の渦は回転を止めてしまった。
 止まった渦の中で暴れていたのは、認めたくなかった感情。もしくは、認めていたけれど、出すタイミングを見失ってしまった根本。

「たまには二人っきりってのも、悪くねえとおれも思う」

 そういうことだ。
 クリーニング屋は、明日寄ることにしよう。





 

 揃ってブーツを脱ぎ捨てて、転がり込んだホテルの一室。あまり広くない部屋。鬼柳はまず、入ってすぐのドアを開けた。

「なあクロウ、歯磨こうぜ歯」
「はぁあ? 何だいきなり」
「で、キスしようぜキス」
「っおま……」

 拒絶は、しない。
 狭いユニットバスに二人で入り込んで、包みに入った歯ブラシと歯磨き粉をそれぞれ取り出す。鬼柳は袋の端だけを開け、クロウは袋を縦に思いきり裂いた。
 並んで歯を磨く。こうして二人、ぎゅうぎゅうと肩をくっつけて鏡を覗き込んでするのは初めてのことだ。
 鏡の中で目が合うたび、照れ隠しに隣の肩や背中を軽く叩く。口の端から泡が垂れてきて、慌てて水を含んだ頭を下げると、押さえつけられてしまった。犯人は一人しかいない。

「ッ鬼柳テメ!」
「んー?」

 ようやく起き上がったクロウに笑いかけ、鬼柳も同じように水を含む。仕返しを狙うクロウの手をしっかり押さえつけ、鬼柳は水を吐きだし唇の端を片手で拭う。
 合わせた瞳に、悪ふざけの色は消えていた。背筋に走った感覚、咄嗟ににユニットバスを飛び出したクロウを捕らえ、鬼柳は強引に唇を重ねる。

「ん、っ!?」

 歯磨き粉と同じ味。湿った唇が角度を変えて幾度も重なり、奥まで入り込んでくる舌。腰を支えられ、足元を確かめる余裕もなくクロウの体はベッドに倒された。
 飛びこまされたベッドは硬く、衝撃にクロウは言葉を詰まらせる。すぐに上に覆いかぶさってきた鬼柳がシャツをまくり上げてきたので、慌てて片手で制止した。

「お前、言ってることさっきと、違…、」
「嫌か?」
「ん……」

 こたえる前に口を塞がれて、どうしろというのか。全くこういうところで抜けている。
 クロウはうっすらと目を開けて、ピントのずれた視界に早々に見切りをつけ、目を閉じ委ねた。
 べたべたと薄い粘膜を探り合うだけの行為。何の意味があるのか、クロウには未だに分からない。けれど鬼柳が限りなく近くにいることを実感できるという意味では有効だ。呼吸のリズムも熱を持つ体も、嫌でも伝わってくる。
 互いに唇をついばんで離れ、また鬼柳が唇を押しつける、その直前でクロウが彼のこめかみあたりを叩いた。

「しつけえ……って」

 鬼柳は素直に離れるが、真上からクロウを見下ろし、唇を片腕で拭い、にっと笑う。両腕の力を抜いてクロウの上に倒れ込み、頬を重ねて二度、クロウを呼んだ。

「いいから早く続き、って顔に書いてる」
「んなっ!」

 触れた頬が熱い。鬼柳の膝が足を割って触れた個所が反応を始めているのを知られるのは何か癪で、身を捩って逃げようと試みる。密着した体がその動きを察せないはずがなく、クロウは容易く抑え込まれてしまった。膝どころではなく、ぐいと片手で掴まれる。

「ぅげ」
「相変わらずムードねえ……」
「う、う、ぅ、うるせ、触んな、って」

 引きつった声で止まるのなら、鬼柳はとっくに諦めている。無理、と小さく笑って首筋を食むのは、クロウが本気でないことを見抜いているからだ。全く予想外のタイミングでわざと歯を立てるのは鬼柳の趣味。痛みはほとんどなく、くすぐったいだけ。くすぐったいとすら思わない時もあるのだが、クロウの体は徐々に溶かされていく。きっとこの癖が、他の誰でもない鬼柳のものであるから。

「あー……もう」

 呆れて吐いた息まで熱く、どうにもならない。シーツを蹴って、鬼柳の腕や背に腕を回して、顔を傾けて、クロウは声を潜める。

「なあ、早く、続き」

 シャツ越しに鬼柳の背と腕を撫で、暗に不要を伝える。くつ、と潜めた笑い声。クロウの腹に乗ったまま体を起こした鬼柳が、やや厚手のシャツを脱ぎ捨てた。
 明日の朝、コートを受け取ったらそのままこっちをクリーニングに出してしまおう。きっと鬼柳はそう思った。シャツに皺でも作ったら、ジャックがぶつくさ言うに違いない。

「邪魔」

 グローブをはめたままの手が鬼柳の胸を押す。腿の上まで移動した鬼柳の方に手をかけたまま、クロウも上体を浮かせた。昔より筋肉の付いた上半身、日焼けの跡をまじまじと眺めた後、クロウは器用に体を捩ってベストから腕を引き抜いた。もう片方を通す前に、鬼柳の手が伸びさらって、クロウの衣服と右のグローブも床に放ってしまう。
 
「よし、あとは任せとけ」
「任せねーよばーか」

 クロウの体はまたベッドの上に倒れ、鬼柳は彼の腕の細いベルトを外してその跡にキスをする。左右繰り返して、左のグローブを引き抜く。恭しく、今度は持ち上げた指先にキス。そのまま舌先で、ふっくらとした指の腹をついと舐める。
 次に爪の根元まで咥えて歯を立て、続くのかとクロウが目を閉じると、鬼柳の唇はまたクロウの唇と重なった。

「っふあ、…おい」
「目閉じるから」

 してほしいんじゃねえかな、って。
 鬼柳はくつり、また笑って、両手でクロウのシャツをたくし上げる。クロウが腕を通して頭からシャツを引き抜こうとするが、鬼柳がクロウの鎖骨の辺りで、シャツを掴んでしまった。

「おい、脱げな、いっ」

 唇はクロウの胸に落ちる。突起を撫でて、周囲をゆっくりと舌先で辿る。くるくると遊び、押し潰す。
 そして手は、胸に触れることなく臍まで下がって、ベルトにかかる。
 急がなくたって、時間は昨日よりずっとあるのに。
 思いながらも、クロウはされるがままになっていた。ふわと浮く感覚、快楽にはまだ届かないこの位置を、嫌いではなかったから。
 ベルトが外れ、ボタンとファスナーが下ろされる。鬼柳の唇が胸から離れ、黒の体を見下ろした。
 先ほどまでは隠したいと思っていたはずの性器が曝け出されることに、不思議と嫌悪はなかった。ゆっくりゆっくり引き下ろされ、顕わになっていく下半身。完全に脱がせてしまうと、足首のあたりの紅い跡がいくつか目に入った。同じ跡が集中的に残る内腿。半分以上立ちあがった性器には構わず、鬼柳はその跡を吸い上げた。

「っふぅあ」

 残っていたらしい羞恥から声が出た。歯を食いしばって抑え込んだせいで、余計に間抜けに残る。次に聞こえたのは、鬼柳が喉を震わせながら、クロウの足を持ち上げたせいでシーツの擦れる音。

「っき、てめ、おまっ」
「ん?」
「ひィっ!」

 クロウの膝裏を片方持ち上げ、自然と開いた両足の間にようやく直接触れる。舌先のざらついた感触が、ぴんと張り詰めた先端を撫でた。クロウの体ごと跳ねたそれを、鬼柳は愛おしげに撫でる。
 指で挟んで上下にゆるゆると動かし、先端をまた舌先で抉るように舐め取る。そのまま口を開いたので、クロウは慌てて体を起こした。

「馬鹿ッてめ、噛む、ァっ!」

 案の定歯を立てられて、クロウは衝撃に足を跳ねあげた。鬼柳はまだ唇を離さず、隙あらばまた口を開けかねない。必死で首を振り、どうにか鬼柳の狙いを変えさせようと、両手を伸ばす。
 鬼柳の髪に指が触れて、しかしまた、鬼柳の唇に先端を食まれて動きを止める。

「たまにはいいだろ? ここ、気持ちよくないはずねえんだし」

 クロウは唇を噛む。伸ばしかけた手は胸元で中途半端に上がったシャツをきつく掴むため引き戻した。
 どう言えばいいだろうか、クロウはそうして考えた。落とされる口付け、張り詰めた熱が触れられるたび集まり、翻弄する。

「そ、んなん、嫌だ」
「何で」
「っ…鬼柳、なんだって…おもいしら、される」
「俺のことならいくらでも考えてくれていいぜ」
「おれは嫌なんだよ…っ」

 鬼柳の舌と指先のかすかな刺激が、クロウの呼吸を乱す。快楽になど鳴り得ないはずの少なすぎる刺激、それでもクロウは身が焼き切れるような熱に襲われる。
 理由はひとつだ。触れている相手が鬼柳であるから。

「おれが、ぶっ壊れちまいそうでっ、お前のこと、好きだって、それも滅茶苦茶になっちまいそうでっ」

 現実に現実が溶かされる。
 鬼柳に触れる幸福も、本能からくる快楽に埋め尽くされて、消えてしまいそうになる。それがクロウには苦痛でしかなかった。

「っだから、もう、混ざっちまう前に、さっさと進めてくれ…!」

 男であるクロウに羞恥と屈辱しか与えないだろうと思っていた行為を、繰り返していられる理由はそこにしかないのだ。踏みにじられるプライドなどどうだっていいとすら思わせる、二人を確かめる時間が、この時だから。
 混ざってしまっては意味がない。快楽は快楽として、幸福は幸福として味わっていたいのだ。ある種贅沢すぎる、欲望。

「っすきだ、鬼柳…!」

 硬く目を閉じ名を紡ぐと、鬼柳の手がクロウの性器を掴んだ。強い圧迫感と直後訪れた性急な快楽に、クロウは喉をひゅうと鳴らして逸らす。

「クロウ」
「っあ、ぁ、鬼柳っ、きりゅうぅっ」

 強く扱かれて、解放までは時間はかからなかった。クロウの腹部にぱたぱたと、白濁が落ちる。鬼柳はその液を指で掬いあげると、昨夜の名残か、ひくついているクロウの穴に塗り込めた。

「き…りゅぅ」
「さっさと進めてくれ、だろ?」

 脱力した体は、容易く異物を受け入れてしまった。鬼柳の指にぐるりと混ぜられ、クロウは高く鳴く。咄嗟に口を閉じたが、鬼柳はクロウを気遣うこともなく、更に指を増やしていった。
 奥へ。外へ。目的なく彷徨う異物感にクロウが覚えたのは、悲しいほど愚直な快楽だけ。

「鬼柳…、も、うっ」
「俺達、案外ずれてるとこ、あるよな」
「……え?」

 混乱すらし始めたクロウの頭でも理解できる、場違いな台詞。
 鬼柳はクロウの中をその手で蹂躙しながら、微笑をクロウに向けた。

「っふぁ」

 指が引き抜かれ、鬼柳が両手を自身のベルトにかける。

「俺は気持ち良さそうにしてるクロウ見てるのが好き。だからこうやって、じっくりしてやりたいけど」 

 見せつけるようにゆっくりと、鬼柳の白い指が金具を外し、確かに主張しているものを解放へと向かわせる。鬼柳の視線はクロウへ向けられたままだ。そのせいか、触れられてもいないのにクロウの体の熱は引く気配を見せない。
 
「クロウは、早く、されたいんだもんな」

 そしてクロウの目の前に現れた性器を、鬼柳はクロウの中に埋めていた指でなぞって見せる。半分開かれたままの唇を一度閉じ、クロウは生唾を飲み込んだ。
 文字通りクロウを突き破る強い刺激と、その後待ち受ける穏やかな空白。心も体も待ち望んでいたものがそこにあるのだ。
 
「っはや、く、ぅう、ああぁ…!」

 クロウが自ら鬼柳の肩に足をのせると、鬼柳はひとつ頷いて、望み通りにクロウの中へと押し入った。
 抉るように入り込んでくるそれを受け入れるのは決して楽ではない。しかしクロウはじっと耐えた。奥まで収まり、引き抜かれ、角度を変えて抉られる、全ての痛みと違和感を、耐えて。

「っあぁ、う!」
「ここか? クロウ」
「っあ、ァ、っこ、やば、ぁ、いっ…」

 強く揺さぶられたクロウの歯が打ち当たり、ガチガチと鳴る。ベッドが軋む音も二人の耳に入ったが、時刻は夕方。きっとまだ、はしゃぎすぎた、で済まされる。一度理性が働いてそこまで思考したが、刺激に対して体は正直だった。
 クロウの足を支える鬼柳の手に力がこもり、対してクロウの手は自らのシャツに皺を増やし、わけも分からず枕を掴み、責めるように叩く。 

「きっりゅ、い、ぃうぅ、あ、ぃっあ、あああ」
「……ッ」

 深く繋がったまま、揃って絶頂を迎える。
 枕を掴んで白くなっていたクロウの手が、何かを求めて彷徨った。すかさず鬼柳がそれを掴む。肩を滑り落ちたクロウの踵は、ベッドのスプリングを打った。

「……俺だけ、すっげえ得してるかも」
「ぁ…? んで…?」
「してる時の顔も、今の顔も、俺は見てたい。二度満足」

 幼さすら感じさせるほど柔らかく笑んだ鬼柳が、クロウのこめかみに口付ける。入ったままの性器がまた奥に押しつけられて、クロウはきゅうと奥歯を噛んだ。
 鬼柳が動くと、内側に放たれた体液が蠢いて音を立てる。その感触が、クロウを誘う。余韻に浸るには早いのではないか、と。

「鬼柳、おれも、同じ」
「ん?」
「やる前と後の、こういう時間、すげえ好き……だし」

 潤んだ目を瞼の上から擦り、改めて視線を交える。

「やってる最中のお前の変態くせえ顔、悪くねえよ」

 言ってにやりと笑えば、鬼柳は不満げに眉根を寄せた。顔を近づけ、額をつける。奥の奥まで、熱を収めた鬼柳の次の行動は、クロウにはとうに読めていた。

「顔だけ?」
「声も」
「顔と声だけ?」
「じゃーお前はどうなんだよ」
「馬鹿、決まってんだろ」

 クロウの足が鬼柳の腰に絡む。鬼柳は片手だけクロウと指を絡め、もう片手をクロウの性器に添えた。


「好きすぎて絞れねえよな」
「つっまんねえ!」


 16:58。
 時計を横目に、互い以外に見えない笑みを近づけて紡ぐ模範解答。ケラと笑いあった後、二人は改めてベッドに沈んだ。












after--




 赤いTシャツにいつものジーンズを纏って、クロウはベッドの端に座りふと首を傾げた。

「ところでお前、何だってジャックのシャツ借りてきたんだ?」
「え、着てきた服クリーニング出しちまってて…」
「だったら別に、そんな高そうなシャツ着なくたって良かったろ」

 鬼柳は少し皺のついたシャツを羽織った状態で、しばし悩んでいるようだった。結び直した長髪をわざと指でぴんとはねて、「んん」と唸るような声を上げる。

「…………デートくらい、こう……決めたいだろ」

 言って頭を抱えた鬼柳に、クロウは思わず飛びついていた。もちろん、これでもかというほど笑ってやりながら。




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