「おかえりクロウ! いや、……おかえりってここ、どう言やいいんだ?」
「……おかえり、でいい」
「じゃあ、おかえり」
白いシャツの袖を肘まで捲って、ブルーのチェックのエプロンの紐を後ろで結びかけた手をそのまま、振り返って笑う。調理道具を並べて立つ彼の足元は黄色のスリッ
パ、なのに膝裏に皺の残るパンツはグレーのストライプ。スーツのようだ。
一時期は束ねて揺れるほど長さのあった淡い青みの銀髪は、一度さっぱりと襟首で切りそろえられていた。ちょうどその時の彼の姿が、クロウにとって一番新しい記憶だ。
しかし今彼は、ちょろりとゴムで束ねた尻尾を出している。
「先にちゃっちゃとシャワー浴びて来いよ、晩飯、俺の満足ナポリタンな!」
「待て、待つのはそっちだ! お前、なんで普通にここにいんだよ!」
クロウは抱えていたボストンバックを取り落とし、きっちり右手でキッチンの男を指差した。
鬼柳京介。本来、海の向こうにいるはずの人間だった。
「クロウクロウってずっと言ってたら綺麗な姉ちゃんがここに連れてきてくれたぜ」
くるくると回るフォークが、綺麗に麺を絡め取る。オレンジ色のナポリタン。ピーマンは抜き。細く切りすぎて、やや炒めすぎた玉ねぎは麺と混ざって舌の上で溶ける。薄切りのハムはたっぷり入っていて、具材の寂しさは感じない。美味いのか不味いのか、選べと言われたら前者だ。ナポリタンをたっぷり巻きつけたフォークにさらにハムを数枚刺して、クロウはむうと唇を尖らせた。
「上に住んでる姉ちゃんか……?」
「あ、そうかもしんねえな、そのまま上がってったから」
鬼柳の答えを聞く前に、大きく口を開けてナポリタンを頬張る。
「……バラすか、普通」
「俺が善人に見えたんだろうな、マーカー付きなのに」
異国の地で異人を相手に、きっと堂々としていたのだろう。サテライトの環境に育ち、ダークシグナーになり、終いには町の長になり。そんな彼がこの程度で今更動じるはずもない。
それに、彼は目立つ。薄青に光る銀髪も、溶けるような金色の目も、白い肌に刻まれたマーカーも、元々彼が備えている独特のオーラを視覚で知らしめる。
――そもそも、『鬼柳京介』を例の彼女は知っていた。
他の誰でもない、クロウの口から聞いているのだ。こんな外観のこんな男が遠くで暮らしていることを、酔った勢いで随分と誇張して語りつくされているものだから、一目でわかっただろう。
クロウはその人がとても好きなのね、とニコニコしていた彼女を思い出す。思い出してしまう。
「……あー、で、お前はナポリ作りに来たのか」
「ん? 思い立ったが吉日っていうだろ?」
はぐらかされてくれた鬼柳はにこりと笑って首を傾ける。「なっ」と更に押される、彼の言わんとすることは分かっていた。
「……泊まるのは構わねーが、おれ明日朝イチで練習だぞ」
「えっ」
鬼柳が、フォークを取り落とした。
ああやっぱり、とクロウはぼんやり唇を舐める。ケチャップの味がした。
サティスファクションタウンでは、きっと休日の手前だったのだろう。しかし、かつて在籍していたセキュリティとは異なり、プロのライディングデュエリストの休日
は暦通りにはいかない。随分と会っていなかったし、予定はいつも合わせていたから、思い至らなかったのだ。
肝心なところでこうだから、放っておけなくなってしまう。何しろ、ここで放っておいたら拗ねて面倒なことになるのだ。なのに構い倒せば潰れてしまう。
また、上に住む彼女の言葉を思い出した。
「面倒な男ね」。
クロウはそれを否定せず、だから楽しいと心から笑って返した。
「つまりそれは今夜は満足させねえぜってことか」
「お前の言う満足がおれの思う満足ならそうだな」
男同士ではあるが、事実、鬼柳京介はクロウ・ホーガンの恋人である。
恋人同士が同じ部屋で一夜を過ごすのならば、結論が行き違うことはないのは確実。それでも鬼柳はもう一度「駄目か」と問いかけた。勿論クロウは繰り返し、「同じこと考えてるなら駄目だな」と答える。
ああ、うん、うん。
鬼柳はぼんやりと頷いて、落としたフォークを拾い上げた。
空になった皿の隅にそっと置いた銀色を見つめた視線を、ちら、と持ち上げる。甘えるような目線から、クロウは即座に顔を背けた。
「……遠路はるばる来た恋人にどうなんだよ、なあクロウ・ホーガンさん……」
「追いこみの真っ最中に安眠妨害しようとする恋人には的確な判断を下してると思う
ぜ」
いくら鬼柳が項垂れようとも、クロウは食事をする手を止めない。
空腹は料理を平らげるにあたって最高のスパイスだと良く言われる。その真実を感じながら、もうふたつスパイスが投入されていることも同時にクロウは感じていた。一人の食卓よりも二人の食卓。
「……でもまあ、怒ってはねえよ」
最後の一つ、――料理は愛情。
「じゃ、おれ寝るわ」
新しい歯磨き粉が舌に合わない、辛いというより苦い。
違和感を隠せず、クロウはモゴモゴと口を動かしながら寝床へ真っ直ぐに向かっていった。小さなテレビを無感動に眺めていた鬼柳が、即座に興味を移してソファから飛び上がる。
クロウのいない間に着替えたようで、黒のタンクトップシャツにボトムはスウェットのグレー。途端に現れた生活感は、妙にクロウを安堵させた。
「メシ風呂寝る!? お前はいつの時代のおっさんだ!?」
信じられない、と目を瞠る鬼柳を横目に、クロウはまだ湿った髪をタオルでがしがしと擦る。ああ、と悲鳴染みた声を上げて、起ちあがった鬼柳は一気にクロウとの距離を詰めた。
何をしたいのか直感して、クロウはタオルから手を離す。
抱きこまれて、薄手のTシャツ越しに鬼柳の体温を感じたクロウは唇を結んだ。
「ンなことしてっから傷むんだよ、来い来い」
ぐいぐいと押され引かれて、決して大きくはないソファに重なったまま二人で腰を下ろす。鬼柳の脚の間に座らされたクロウはタオルの代わりに髪を撫でた指に目を細めた。俯いているせいで、鬼柳には見えない。
「…お前も食ったら寝るだろ」
「俺はメシ風呂クロウと寝る、だ」
「じゃあお前も寝りゃいいだろ」
湿ったタオルがまるで別のものになったかのように、クロウの髪を包む。驚くほど暖かくて、細めた瞼は自然と閉じていた。
繰り返していた言葉が暗示となったのか、眠気が急激に増していく。
「つかお前マジでヤりに来ただけか?」
落ちかけた意識の端だけを引き留め、早口で問う。
クロウに触れていた手が、ぴんと緊張した。
「……うーん……真面目な話、していいか」
「何だよ…遅ぇよ」
溜息。呆れた振りをして、鬼柳の胸に背を押し当てた。鼓動が感じ取れやしないかと。だが、薄着越しに触れあって数えられた鼓動は、どちらのものなのかすぐ分からなくなってしまった。
「……俺も、ここに住みたい」
クロウは目を見開いた。
強張った体を抱きしめられて、耳元で鬼柳の声が彷徨う。
「最近…、ホントな、お前の傍にいたい。我儘だってのは分かってるけど……お前に傍にいて欲しい。……あの町はもう、俺がいなくたって」
甘やかな告白だった。間違いなく。
しかしクロウの耳は、一言一句漏らさず彼の声を聞き取ってしまったのだ。
「なんだ…、何だそりゃ…」
汲み取れてしまった、彼の言葉の意図が。
彼がクロウに目を向けながら目を背けているものは、サティスファクションタウンだ。
随分と発展したあの町は、噂だが、近頃はさらなる途上を望む一派と現状維持を望む一派で意見が割れているらしい。
あの町は、誰もが満足の出来る場所になることを目指して再建を進められてきた。指導者となった人物、鬼柳京介の方針だ。
だが、安寧の地には定義がない。
ネオドミノシティのように、繁栄の限りをつくした土地こそ最善とする者もいれば、生活の基盤が整っていれば十分だという者もいる。逆にいえば、この分岐でぶつかれるほど町は住みよい地になったということでもある。
上に立つ者に託されるのは、選択だ。
町に残るという選択を最初に下した彼にだからこそ、託された選択。
「……お前が選んだんだろ!もう満足したってのかよ!」
投げやりに決められることではなく、否、投げやりにでも決めることを求められたとしても、もう彼は思うままに突き進める身ではない。独りではない。一人でもない。独裁者ではなく、統率者だ。
思っているのは、クロウだけではないはず。
鬼柳が、クロウをより強く抱いた。
「あとはもう俺じゃなくたって出来ることだろ、それに」
「お前が、選んだんだろ!」
鬼柳の腕を掴む。くろう、と弱く呼ばれても、クロウは彼の弱音を切り裂き続けた。そうか辛かったなと、抱きしめてやるべきなのだと思っていても。
「お前じゃなきゃ出来ないこと見つけてやり遂げるための場所だろ!」
鬼柳は口を噤んだ。
気付いたのだ。クロウの厳しさの意味に。
気付けるほど、傍にいる。
「おれはここで前に進む。あそこで、お前は前に進む」
震えだした声を宥めるように、鬼柳はクロウの頭に頬を寄せた。湿ったタオルの半端な冷たさが、頬から染みて、頭を冷やす。
「その為におれたちは選んだじゃねえか」
苦しかった。幾度も幾度も、決断は胸を締めつけた。
たとえばクロウにとって、故郷を離れる選択は、多くの期待と仄かだが色濃い不安が共にあった。鬼柳との距離も更に開く。それでもクロウが選んだのだからと、鬼柳は送り出してくれた。
突き出された拳に拳をぶつけたのは、仲間として闘った互いへのエールでもあっ
た。
「……俺はお荷物か」
「そうだ」
「……掃除洗濯料理、邪魔しねえぜ。それでも?」
「お前がここにいるってのが邪魔だっつってんだよ」
突き離す台詞は、簡単にクロウの口から零れ出た。一緒になって瞳から零れた水滴を腕で拭って、呼吸ごと嗚咽を呑みこむ。
もしクロウが同じ願いを鬼柳に投げたなら、鬼柳は諸手を上げて受け止めただろう。一緒に暮らそう。そうしたら苦しいことだって分かち合って行ける。
けれど、それは。
それは果たして、クロウにとって本意だろうか。
「…分かんだろ…お前、今のおれがどんな顔してるか」
わかるさ。鬼柳は頷く。自分も同じだと。
クロウの頭に乗ったタオルに、鬼柳が新しい水滴を増やす。不自然に震える喉が、呼吸が、吐息が。
「息苦しくなったんだろ。甘えてたかったんだろ」
「…それ、は」
「なあ、鬼柳、だったら分かるだろ」
ひとりでいることに、もう随分と慣れてしまった。
だからこそ、触れられる距離は気持ちを揺さぶる。涙を流す意味などないと言い聞かせるほど溢れて止まらなくなる。
「……おれだって、我慢はそんなに得意じゃねえよ」
力の抜けた鬼柳の腕を持ち上げるのは簡単だった。手の甲を頬に押し当てて、ゆるく歯を立てる。
「傍にいたら、もっともっとって近づいちまう、進めねえんだよ」
お前にとって、お荷物になるのがおれだなんて嫌なんだ。
言葉にしないままで伝わったのか、クロウには分からなくても続けられなかった。不安、切望、悔しさが、クロウの瞳を潤ませる。
嫌だと言いながら、彼を背負うことに、彼に背負われることに、喜んでしまう浅はかさが、悔しい。
強くありたい。強くあってほしい。なのに。
「…くそ、だから嫌なんだ」
「……ごめ、クロウ、…それは、ずるいな」
「どっちが…」
く、と鬼柳が突然笑った。
密着した身体の変化、クロウの腰の位置の熱が何であるか、出た答えにクロウは顔を顰めた。
「お前、なぁ…」
「ま、まあその、生理現象ってか…つか、キスしていい?」
「…はあ…」
鬼柳の腕を解いて、クロウは一度腰を上げた。そのまま鬼柳に向き直る。向き合って座り直すと、鬼柳は随分赤い目をしていた。
肩に手を置いて、じっと見つめる。鬼柳は照れ臭そうに、クロウの目元を手で塞いだ。
「さんきゅ」
唇が触れる。重ねるだけでは当然終わらず、するりと入り込んでくる舌。同じ歯磨き粉を使っていたはずなのに、違和感は感じなかった。それがまた悔しくて、クロウは目を閉じる。そうして、目の奥の熱を閉じ込めて。
そ、っと唇が離れた一瞬。
「……中に出すなよ」
鬼柳が、もう一度重ねかけた唇を寸前で止めた。
真っ赤になったクロウを見つめる目は唖然としているくせに欲望を隠さないままだ。
「……つまり、それって」
「……っ、ベッド、行くぞ!」
鬼柳の身体を突き離し、よろめきながらも鬼柳の片手を掴みあげる。落ちたタオルを踏みつけて、言葉通り、文字通り、寝室に向けて転がるように駆けだした。
「くっそ、もう、クロウに一生ついてく!」
「てめーについて来られたら気が休まらねえんだよおれがテキトーについてく!」
風通しが良いからと、開けたままだった寝室のドア。蹴破る勢いで向かって言っても何の心配もない現状に何故か幸福感を覚えた。足がもつれて転びかけても、一方がバランスを保つ。
不格好に鮮やかに、思うがままに。
「わ、ぅ!」
ベッドに倒されると同時に唇を奪われて、クロウは息を呑む。起きたまま放置していたベッドはやや乱れていて、反射的にもがいたクロウの手がシーツにより深く皺を刻む。
舌を絡めたまま、鬼柳の手は早々にクロウの下肢へ伸びていた。
「バカ、止、め…!」
「満足するまでは止めねえぜ」
「ん、…ぁん…ッ」
クロウは詰め込まれているスケジュールをこなし、帰宅して食事も忘れて眠る日も多かった。対して鬼柳も、板ばさみの心労でベッドはただ寝る場所だった。
――そもそも我慢など、出来たかも怪しい。
「クロウ、…クロウ、なあこっち向いて」
腕で顔を隠して横を向いてしまったクロウの腕を揺さぶりながら、もちろん片手は容赦なくハーフパンツの裾から内側へ潜り込んでいる。鬼柳は緩む頬を誤魔化すこともしない。腕を僅かにずらして、クロウはその彼をちらとだけ見た。
「や…、だね」
そしてまた、顔を隠してしまう。
鬼柳は相変わらず笑みを刻んだままだ。
「は、これはこれで、ゾクゾクすんなぁ…」
「マゾか…」
「弱ってるクロウも挑発的なクロウも好きだぜ、二度美味しいってやつ」
「ほんっと…平和、だな……っん…、」
クロウもくつりと笑う。
吐息が荒くなるのを隠そうと、唇を閉じると鼻から緩く息が抜けて、それがまた「やらしい」と鬼柳が目を細める。わらうな、と言わんばかりに、クロウは両手を持ち上げて鬼柳の頬を挟んだ。
「こんな会話しながら興奮してるアブノーマル野郎どもだけどな」
「やめろ惨めだ、…ぅあ」
眉間に皺が、両腿が内側に寄る。案外早い熱の膨張に、クロウ自身どこか戸惑っているようだ。鬼柳は一度湿った手を離し、今度はパンツのゴムを引いて、正面から手を差し入れた。
クロウが跳ねて、ベッドが軋む。
「…自分のこういう一面、おかげで嫌いじゃなくなったぜ」
「おれは嫌いだ、単純すぎ、てっ」
「可愛いぜ」
額にキスをする。鬼柳のやや長い髪が落ちてきて、浴室で嗅いだ慣れた香りが鼻孔をくすぐる。他人であるのに、自分のような錯覚。目の前に確かにいるのに、一つに溶けていくような。
「…だから、……っ嫌いな、ん、…ッま、ァ、きりゅ、だ、め、」
クロウは首を振った。予想外の限界を拒絶しているだけではなく、浮かんだ思考を払うため。どちらを察してか、鬼柳が囁く。
「…いく?」
「――ぅん、ンッ…!」
鼓膜に染み溶けた声まで刺激に擦り変わってしまった。
汚れただろう鬼柳の手と下着の心配もできず、久方ぶりの絶頂に沈む意識をどうにか持ち上げる。開きっぱなしの唇の端から唾液が零れそうになって、慌てて拭った、だけ。
「やっべぇ、やべぇよお前…何だその顔」
随分興奮した鬼柳に言われる、『やばい』要素が分からない。鏡でもあれば覗いてみたいと思うほど顕著な鬼柳の反応に、急に気恥ずかしくなった。また顔を隠そうかと腕を上げたクロウだったが、下着の不快感が急に顕著になったので、そろりとパンツのゴムに指をかけた。
汚れていない鬼柳の手が、断りもなく手助けをする。頼んでもいないのに衣服を完全に取り払われ曝け出された下肢は、窮屈さから解放され、また形を作ろうとしていた。
「……見んな高ぇぞ……」
「大人になったな」
マジマジと見下ろす視線を受けるだけで、期待する身体など、知りたくもなかった。鬼柳の手はクロウのTシャツを捲り上げ、自身のゆるいタンクトップシャツも床に落としてしまう。
少し焼けたのだろうが相変わらず白い、薄い印象の胸板を無意識に眺めている己に気付いて、クロウはむぐ、と唇を動かした。少し逞しくなっているような気がして、チリ、と胸の奥で何かが燻る。
「それ、…今言うことかよ。早くしろ…寝れねー」
「仰せのままに」
頷いた鬼柳の両手は、まるで作業上必要なレバーを操作する時のように機械的にすんなりと、クロウの両足を持ち上げた。
呆気に取られているうちに、クロウの両ひざは胸の位置まで近づいていて、鬼柳の片腕全体で膝裏を押さえられている。首を傾げている間に、右手指が臀部を貫いていた。
「え、ぇ、ふえ?」
「おお」
ぱちぱちと瞬いてみても、クロウの視界も感覚も現実以外は与えてくれない。取りあえず、鬼柳の腕の代わりに自分の両手で脚を支えるのが手一杯。
そうしてからやっと、とんでもない恰好をしていることに気がついた。
「…っば、か!いきな、りっ」
「入ると思ったんだよ…入ったし」
「お前の大事な恋人だろ、おれはよっ…!労われっつの…!」
「欲しそうだったから」
「妄想と現実を、混同、す、ん…な…! ぁあッ」
早口でまくしたてる最中に、指は押し込まれる。ばらばらに動いているのは、二本、いや、三本だ。うち一本が掠めたところで、たまらず声を上げる。持ち上げた足を抱える腕にも力が入り、爪先までぴんと張って、誤魔化しようもない性感を覚えていた。
「中まで、一人でしたり、してんの」
もう一度欲しいなど、とても口にはできずにふわふわと揺らいでいたクロウに、鬼柳は突然問いかけた。
「…空気…読めねえのかよ……」
「気になるだろ、遠距離中は」
仄かに孕んだ怒気。嫉妬。
他人に開いているとでも思っているのだろうか。クロウにも怒りの感情がこみあげる。しかし、やましいことなど何もない。それをぶつけてやることが、鬼柳にとってはダメージになるだろう。
鬼柳の問いにはイエスと答えるのが真実だ。もっとも、この真実こそ、一番やましいのかもしれないが。
「……、……そ、いう…風に、したの、お前だろ」
はっ、と鬼柳が肩を揺らす。瞳に走った狼狽、後悔、焦燥。やり返せたと確信して、クロウはこっそりと唇の端を上げる。
可愛い男だ、本当に、これだから――
「俺のこと思い出したり、して…?」
「…!」
――これだから、勝ちも負けもできやしない!
頬を赤くしたクロウに、今度は何を思ったのか。ふと真顔になった鬼柳は、そろりと自らの下肢も曝け出す。ゆっくりと近づけば、ベッドは鳴らない。シーツがパンツと擦れる僅かな音だけ。
「……中で出さなきゃいいんだよな?」
「ん……」
「出さなきゃいいんだよな?」
「ぇあ、…っ?」
不意打ちは来ると思っていて、覚悟だって決まっていたのに、クロウは衝撃に声を上げた。期待していた刺激だ、ここまで絡待って触れあって溶けあって、繋がらないままでは終われない。
「あ…つ」
「……久しぶり過ぎてなんとも……出たら謝る」
「アホ、ッ、…ん」
荒い呼吸で隠れる程度、鬼柳は自身でクロウの内側を撫でる。強引に突き入ったというのに丁寧に馴染ませる動きに、クロウの息苦しさは加速していく。腹部を押し上げる圧迫感もまた、単純な違和感をクロウに示した。
「う…ぅ〜…」
自然と両手で割り開いていたクロウの足の間から、鬼柳が不安げに覗き込んでくる。角度を変えてかかる体重をうけて、またクロウは呻いた。興奮しきっている鬼柳の肌も熱く、内側も熱く、先ほどよりも赤みを帯びた肌は、やはり、記憶よりも逞しい。
「大丈夫か?」
「うぇ…、ちょ、と、抜け…」
口を開くのも、心底止めてほしかった。
全てを込めて、クロウはやり直しを要求した。張り詰めた自身が腹部を掠めるのも、じれったい。どうせならもっとがっつけばいい、そう思ってしまった自己嫌悪も、払拭してしまいたかった。
「ん、」
「っひゃ!」
ずる、と外へ抜けていく凶器が、絶妙に内側を掠めていく。衝撃に締め付ければ、抜けきる直前で鬼柳は首をかしげ、
「ん?やめるか?」
「あう!?」
同じ角度を保って、また奥へと収めてしまった。
クロウが喉をひくつかせると、内側も反応するらしい。文句でも言ってやろうと鬼柳を睨み据えると、彼はにやにやと笑っている。
「…わ、わざとだろ…っ!」
「ばれたか」
責める言葉が続くよりはやく、ぱしんと肌が打ち合わさって弾ける。膝裏に自らの指が食い込むのも構えず、衝撃にクロウは歯を打ち合わせた。
「ゅ、…っぉ…お、ぁっ」
腕を逃れた足が鬼柳の肩を蹴った。しかし、攻め立てる動きは変わらない。体も頭も揺さぶるほど強く幾度も貫かれて、呼吸できているのかもすぐに分からなくなってしまった。
切なく締めつけるような、甘く溶けるような時間の後だからこそ、より手荒く感じる衝撃。穏やかに愛を語り合う仲なのに、無理矢理交わる奇妙な関係性。何も残さないからこそ無防備になれる、短くも長い時間。
腰を打ちつけながら、思いついたように鬼柳の手がクロウの胸元を撫でた。本人も気づかぬ間に尖っていた胸の先端を指で撫でて、鬼柳の声音は随分とご機嫌だ。
「あとで、こっちも、満足させてやるなっ…!」
「う、ぅあ、ァ、あっ…」
拒否などする意味もない。鬼柳の肩の上に乗った足をぴんと張って、クロウは悲鳴をあげる。誘うように、両手で鎖骨を隠すあたりまで捲れたシャツを握りしめて。
「あ、ひぁあっ、や…あ、ぁァッ!」
クロウが達する瞬間、思いきり締めあげられて、慌てた鬼柳が腰を引いた。引き締った腹部と、なだらかな臀部に、互いの白濁が降る。
限界までため込んだ熱を出しきってから、自然と続く呼吸の音だけを互いに聞いていた。
「クロウ」
シーツを擦って鬼柳が身を乗り出す。キスがしたいんだとすぐに分かって、クロウは既に気だるい身を捩ってすこし頭を持ち上げる。
「……あ」
と、ぱらぱらとどこかから情事では聞き得ない音がクロウの耳に飛び込んできた。薄いカーテンの向こう、雨粒が窓を叩く音。
「…なあ鬼柳」
「ん?」
くったりと仰向けに転がるクロウの上に転がって、鬼柳は好きなだけクロウの顔に
キスを落とす。腕で身体を支えて、クロウにとって不快な重みにならないよう計算をすることは忘れていない。
「明日まで、雨降ってたら、デュエルもしようぜ」
「…ん?」
首を傾げる鬼柳が急に幼くて、クロウは穏やかに、心底穏やかに頬笑みかけてやれた。
「朝練、雨天中止…そしたらおれも充電休暇する」
デュエルも。
あえてそう告げたのは、クロウにとっては精一杯の誘い文句。
鬼柳は眉尻を下げて、肩を竦める。
「それ、俺帰ったら満足しすぎてだらしねえって突っ込まれるわ」
「幸せだろ?」
「充電しすぎてもう俺何でもどうにでもできる気がする」
頬を寄せ合って、珍しく揃って雨を願ってみる。
最も、明日晴れたのなら、翌日が休日であることをクロウは伝えるつもりで、鬼柳はどうにかもう一日、時間を作る方法を探すつもりだった。
違う方向を見ているのに、同じものを見ている。
気付かぬうちに、生きているだけで、交差する相手。
共に暮らしてはいなくとも、きっと伴侶と呼ぶには相応しい。
『よう、町長さん生きてるか?』
突然携帯に入った電話に、重い瞼を擦りながら返答する。
寝惚けていても、言いたいことは山ほどある相手だ。愛しい恋人、一日何度だって声が聞けるのなら聞きたい相手、雑誌で特集組まれる有名デュエリスト、クロウ・ホーガン。
「……、クロウ、町にデュエルアカデミアの分校建つことになった…」
『マジか!つかお前寝起きか!』
「ん…いや、起きた。今起きた。あのな、昔は決闘者の墓場だったのが、決闘者の生まれる場所になんだぜ?満足するしかねえよな!」
へえ、へえ、とクロウは感嘆の声を相槌にする。そして鬼柳が最も力を入れて、実際拳を握って告げたいつもの言葉に、ケラケラと笑った。
『ナニ、じゃあアレか?お前校長になんの?』
「試験受けようかとは思ってっけど…ああ、あとな、ネオドミノシティと直通で定期便も実現できそうだ」
あと何を先に伝えたらいいんだったか。
考えなくても出てくるからこそ、止まらない。止められないからこそ考えなければならない。この矛盾にふと気付いて、鬼柳も何故か笑ってしまった。
『……えっらい頑張ったな、お前』
真剣な声がする。優しい声音だ。子供達に向けるよりずっと優しい、ふわりと包み
込むような声。
チームを組んでいたころにはきいたことのない、再開してからしばらくも聞けな
かった、恋人になってからやっと聞けた声。
そんなもの聞かされたら、愛しくなってしまうじゃないか。
「…褒めちぎって抱きしめてくれー」
『ハハハ、いいぜードア開けろ』
直後、部屋のドアをノックする音。
執務室といつの間にか呼ばれていた鬼柳の部屋は、内側からカギがかかる仕組みだ。嫌でも放置できない書類を預かる場所でもあるからこその構造。
「……へ?」
ノックは続く。
電話の向こうからも、ノックの音。
耳をすませる。雨は降っていない。自分の心臓もうるさいほど跳ねてはいない。
どちらから聞こえるのもノックの音だ、間違いなく。
足音を殺して、ドアに近づいた。
捻るだけで開く、キーが妙に重い、手が滑る、それでも、カチリ、音を聞いた。
「お疲れさん!」
電話が切れても声がする。声どころか姿まで見える。
反射的に抱きしめてしまって、鬼柳は一番伝えておきたかったことをすっかり意識から吹き飛ばしてしまった。
クロウ、いつかセンセイになる気ねえ?
俺ん家、一生泊まり込みで!
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