ひとつ。
 ふたつ。
 みっつ。

 数えるのも億劫になった。思いきり終話ボタンを押す。

「鬼柳…京介…っ!」

 たっぷりと恨みを込めて覚えた名を呟いた後、携帯電話を握りしめる。砕けてしまってもこの際構う気はない。この俺を、ここまでコケにした男を思い出す、銀色の携帯電話などもうこの俺の手元になくてもいい!




「遊星!」

 大学の食堂で、群れて食事をしている遊星を見つけて歩み寄る。
 遊星が群れているというよりは、遊星に群れているというべきか。考査前、几帳面な遊星のノートは劣等生共の救世主。
 そんなものがなければ先に進めないのならばやめてしまえと俺は思うが、遊星はそうは思わないようで、今日も今日とてコピーしたノートを配り歩いている。流石に料金は相手持ちだが。
 振り返った遊星の前には、ミルク入りの缶コーヒーや小さな牛乳パック、終いには飲んでいるのはイチゴオレだ。きっとノートの謝礼だが、いくらなんでも牛乳が多過ぎるだろう。
 腹もちもよく栄養価も高くバラエティーに富んで美味い、とは遊星談だが、俺には分からない。分かりたくもない。俺はコーヒーはブラックが好みだし、牛乳をわざわざ飲むなら紅茶に入れたいし、イチゴオレなど飲むならイチゴに練乳をかける方がいい。むしろ牛乳よりはその加工品が好きだ。違う。そんなことは今はどうだっていい。取りあえずストローから口を離せ遊星。

「……どうした、ジャック」
「鬼柳と連絡はとれたか」

 携帯電話を突き出して問うと、遊星は無言のまま、またぱくりとストローを加えた。ちなみに俺の携帯電話は昨日機種変をしてきたばかりの新品だ。角ばったデザインのスライド式携帯、色は青。水色ではない、もっとシャープなブルーだ。
 空になったのか、パックのイチゴオレをテーブルに戻して息をつく。遊星は俺の新しい携帯の色より黒の強い眼を真っ直ぐに向けて、異常なほど真剣にようやく答える。

「とっていない」

 なんだと!
 思わず叫んでしまったが、仕方がないだろう。クロウが心配だから様子を見ようと言い出したのは他の誰でもなく遊星で、そのためにパーキングエリアで一時間以上も待機を余儀なくされたり素泊まり宿でほとんど眠らず早朝までじっと見張りをする羽目になったというのに、その張本人が、ここまでさらりと!

 俺はいつもより5時間は早く起きたんだぞ!
 俺は予定より5時間は遅く寝たんだぞ!?
 その時間を、そして俺の財布の中身をお前に返せるのか!

「だが、クロウとは連絡を取っている」
「む?」
「クロウは嘘がつけないからな。何かあれば、すぐにわかる」

 言ってほほ笑んだ遊星は、群れの会話に戻ってしまった。手は缶コーヒーに伸びている。よく飽きないものだ。

 しかし、言われてみれば遊星の言葉は確かだ。とうとう理想の相棒を見つけた、と改造済みのZ1000を俺達に披露しに来た日、まさか5日前から気付いていたとは言えずにやや過剰に祝ってやったことはまだ記憶に新しい。
 そう言えば鬼柳京介とアドレスを交換してから、そちらと連絡を取ることに凝り固まっていた気がする。柔軟な発想を忘れてはいけないな。
 さっそく、クロウにメールを入れてみる。仕事が終われば返事が来るだろうと思えば、安心感から苛立ちも収まった。


 が、その夜。

 六時。
 七時。
 八時。
 九時になっても。

 俺の携帯に届くメールの中に、クロウのものはなかった。当然、鬼柳のものも。




「ゆうううううううせいいいいいッ!!」
「いきなりどうした。課題でも忘れたのか」

 遊星も俺も、親元を離れて今は一人暮らしだ。こうして唐突に部屋を訪れたところで困ることは、山ほどあるだろうが気にしないで玄関チャイムを鳴らした。
 風呂上がりだったのか、バスタオルを頭に被ったままドアを開けた遊星は、いつもの不機嫌面で俺を見上げた。そして、俺の形相を確認するようにまじまじと見てドアを大きく開いた。そして、上がれと、部屋の奥へ顎をしゃくった。
 部屋の隅に備え付けた随分立派なデスクの上、つけっぱなしのパソコンの前のキャスターチェアをすすめられたので素直に座る。パソコンの画面には来週締切のレポートが半分以上完成した状態で放置されている。
 くるりと椅子ごと体を反転させて、床に座った遊星を見下ろし、少し落ちついた呼吸を深呼吸で強引に鎮める。

「……クロウからメールは」
「……何かあったのか?」
「全く返って来ないんだ!」

 クロウは深夜に仕事だと走り回っていることも多いが、土日は開けるようにしている。土曜日であるこの日は、とっくに家にいるはずの時間だ。少なくとも、携帯を確認する時間くらいはある。
 遊星もそれを知っていたのですぐに顔を顰めたが、思いついたように携帯を手にした。
 そして何やら打ち込むと、どこかにメールを送ったらしい。クロウにだろうか。

 しばし待って、遊星の携帯が振動で着信を知らせる。常にマナーモードの携帯電話が二度震える直前、遊星は携帯を開いた。

「……ああ。……そうか。……一度代わる」

 そして、差し出される携帯。遊星のバイクよりも強い赤。画面を見ずにひったくるようにして耳に当てると、緊張感のない声が俺を呼んでいた。

『おう、ジャックかー!』
「クロウゥウゥ貴様俺のメールを無視とはいい度胸だ!!」
『ばっ、ちっげえ!携帯忘れてきたんだよ職場に!』  
「……ッそんなことだろうとは思ったが! もうボケが始まったの……」

 携帯を職場に忘れて、今ちょうどそれを手にしたのだろうか。ふと思って、問おうとする。

『わっ、ひゃ、ば、ちょっと待……』

 違う。
 誰かがいる。

『わーりぃジャック、返事明日すっから!』
「待てクロウ、誰だそこにいるのは、誰の携帯だそれは!」
『誰って、え?』

 間。ひそひそと声。何で、え、と時々クロウの声がして。吹きだして。かすかに聞こえた別の声は低かった、取りあえず男だ。
 
『あー、じゃあ、……トモダチ?』

 何だ。
 なんだその疑問形は。
 だがこれでよく分かった、そこにいるのは

「貴様か、鬼柳京すっ」

 電話は刹那遮断された。遊星も俺の手から携帯を奪い取るように取り戻し、さっさと何か操作をしている。すぐに取り返したつもりだが、着信履歴は綺麗に消されていた。怪しすぎるほど怪しい。

「……遊星」
「なんだ?」
「鬼柳京介のところにいるのかクロウは」
「さあな。友達の家だろう」
「とぼけるな!」

 どなり散らしながら自分の携帯から鬼柳京介の番号をリダイヤルする。しかし、聞こえてきたのは『電波の届かないところに』以下略の決まり文句。
 確実に。
 確実に、切られた。

「遊星……どういうことだ」
「……仲がいいことは素晴らしいぞ、ジャック」

 そして飲みかけのマグカップを渡され、激昂せずにいられる男がいようか!!

「遊星、クロウの家の前に張りこむぞ。今すぐだ。今からだ!」
「……鬼柳は悪い奴じゃないぞ、悪い奴じゃない」
「なぜ二度言う」
「…………」

 遊星は無言のまま立ちあがり、冷蔵庫の缶コーヒーの数を数えだした。そして更に一言。

「……今夜張り込んでも意味はないと思う」

 張りこむなら明日だな。
 その呟きは、考えすぎなければ何でもないことだ。ただ、男友達の家に泊まってくるだろうと推測した、それだけのこと。
 …なのだが、胸騒ぎがする。胸騒ぎしかしない。俺のカンは決して鈍くない。

 たまらなく泣きたくなったのは、全く持っておおらかすぎる親友と勝手すぎる親友を持っていると日々自覚しておきながら、傍観者でしかいられなかった俺が憎くなったからだ。


 杞憂であって貰いたい。心から思う。
 差し出された缶コーヒーは一口でもう飽きてしまった。






 翌日、暗くなってから帰宅したクロウに昨夜の『トモダチ』に関して問い詰めると、こちらの力の抜けるほど朗らかに微笑んで答えた。

「恥ずかしいから名前出すなって言われたから言えねえんだ、悪いな!」

 きっとその名を伏せられた男は、カスタマイズされた刀を最上の状態で維持できる男だ。それを乗りこなす腕もある。敬意を表すべき相手であるとは分かっている、分かっているし、自分のパートナーであるバイクであればどうしようと、勝手だ。勝手だが!
 
 腕があるからといって、…たとえ、親しいからといっても!!
 クロウのメンテなど、まして乗りこなすためのカスタムなど、俺は絶対に認めんぞ!!



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