ふわふわと揺れるオレンジ色の尻尾を追いかける、鬼柳はすこぶる機嫌が良かった。
水色がかった銀の毛で覆った細い尻尾を垂らして、塀の上を絶妙なバランスで歩く。耳をぴんと立てて、誰が見ても綺麗だと感嘆される金色の瞳を真昼にもかかわらず爛々と光らせて。
鬼柳は猫の世界ではなかなかの美形の部類に入る。人として見てみれば、水色がかった淡い色の髪はさらさらと心地の良い手触りをしているし、肌は女性もうらやむほど白い。白すぎるとも言えるが、それも彼の金色の目と相まって独特のバランスを作り出している。赤い半袖シャツの丈は短く、引きしまった腹部が見える。上に羽織った黒のベストと特徴的な形のパンツは彼でなければ似合わないほど、目を引くデザインだった。
ここまで想像させておいて何だが、彼は猫であるので、猫らしく三角の耳と尻尾は残してほしい。
鬼柳はいつもの散歩ルートを、いつもよりゆっくり歩く。ルートを考えることもなく、オレンジの尻尾を追いかけて。
鬼柳はシティの野良猫だ。シティに暮らす野良猫は、生かさず殺さず管理される。顔に刻まれるマーカーは管理の証。かわいそうにと言う人間も多いが、当猫たちはさほど気にしてはいない。それどころかどのマーカーがいいだの悪いだの、くだらない雑談の話のタネにされている。そんなことを知ったら、人間は笑うか哀しむか。
鬼柳が今追っているふわふわの尻尾も、野良猫仲間のものだ。名前はクロウ。雑種のメス。耳としっぽと同じオレンジ色の髪をヘアバンドで上げて逆立てて、タンクトップにカーゴパンツを纏って、一見して男性を思わせる性質ぶるまいをしている。
「なァ、クロウ。今日もガキのところか?」
ふさふさ尻尾をふわり。足を止めたクロウが振り向いて、唇をとがらせる。額に特徴的な模様のある彼女は、気付いた時には野良だった。警戒心は強かったが子供には甘く、今はシティの保育園が彼女の気に入りの場所である。そこでは更に数匹、野良の子猫が面倒をみられている。クロウとさほど変わらない子猫たちが、クロウにとっては何より愛しい家族であった。
鬼柳はそれが気に入らない。自分で言って思いだしておきながら、不快に顔を歪めるくらいには。
「だったらどーすんだよ」
「今日はオレも行こうかと思ってよ」
引きつってはいるが笑みを作った鬼柳を見て、今度はクロウが顔を顰める。
クロウの両頬には黄色いマーカー、鬼柳の右頬には赤いマーカーがある。黄色は、ただの野良の証。数が増えると、それだけ野良らしく残飯漁りや人の持っている食べ物を狙ったという証に変わる。けれど、人を襲うことはない。温和でやんちゃな野良猫であると、人はクロウの顔を見て判断する。対する鬼柳の赤は、凶暴な野良の証。気分次第で爪を剥きだし飛びかかってくる可能性もある、または実際に被害者が出た証。数が増えると、厳重注意以上の罰が待っている。人間の敵だと見なされれば、行きつくのは保健所の奥の奥だ。
「駄目だ」
尻尾を縦に振って、ぴしゃりとクロウは言った。鬼柳は舌を打つ。そうだろうよ、と呟いて銀の尻尾を揺らし、クロウとの距離を縮める。クロウの尻尾が振りおろされて、鬼柳の肩を叩いた。
「ガキどもに尻尾掴まれて、撫でくり回されて、引っ掻かないでいられっか?」
「あぁ? 無理に決まってんだろ」
「じゃあ文句言うな」
つんと前を向いて、またクロウは歩き出す。鬼柳はふてくされて塀に座ってしまった。長い尻尾を胸の前まで持ってきて、先端の毛を整えながら視線を横に流して、クロウの後姿を捉える。するとクロウは振り向いて、片方の耳を押し潰すように撫でつけてから心底呆れた顔で言う。
「保健所ぶちこまれんの勘弁だって言ってたの誰だよ」
言い逃げで駆けだしたクロウを、すかさず鬼柳は追いかける。クロウの逃げ足は速いが、常に周囲に気を配って足を運ぶクロウと一心不乱にクロウだけを追う鬼柳の出せる速度は異なり、鬼柳の手がクロウの尻尾を掴んだ。
「ふぎゃ!」
逆立った髪を更に逆立てる勢いで、クロウは飛び跳ねた。隙だらけになった背中に張り付いて鬼柳は両腕を前に回す。手の平が柔らかな肉に触れて、にんまりと微笑んだ鬼柳とは対照的にクロウは唇を戦慄かせ。
「育った、かぁ?」
鬼柳の両手で隠してしまえるサイズの乳をぐりぐりと揉みほぐされ、クロウは顔を真っ赤にして振り返る。満面の笑顔で迎えた鬼柳の目の前に、クロウは迷わず右手を翳した。
「あいつがメスだって、ときどき忘れそうになるぜ……」
鬼柳はシティの猫たちのたまり場となっている公園の片隅にやってきた。若い木の葉が温い風でぱさぱさと揺れ、柔らかそうな青い空。その下でぐったりと座りこむ鬼柳の左頬には、強烈な一撃をくらった証として引っ掻き傷が残っている。右のマーカーのインパクトも薄れるほど見事なそれを撫でて、ふうう、と溜息をつき彼は肩を落とした。
耳も尻尾もすっかり垂れて、覇気がない。肌の色が白いからなお意気消沈して見える。ベンチの上を陣取った首輪付きの白猫が呆れた顔で鬼柳を見る。彼はジャック。白いコートに金髪、猫には珍しい紫に近い瞳の色。非常に目立ち貫禄があるため、飼い猫たちのみならず野良猫たちにも一目置かれている。
「乳を揉んでおきながら言うな」
「あ? なんで知ってんだぁ?」
「貴様……これで何度目だと思っている」
そんなジャックが脅すように低く告げても、全く鬼柳は悪びれない。拳を戦慄かせるジャックの反対側で、先に木陰ですっかり寛いでいた黒猫がぴくと耳を震わせた。開いた目は蒼。左の頬に黄色のマーカーを刻まれた野良猫は、名を遊星と言う。濃紺のジャケットと黒いボトムを纏った細身の青年だが、眼は鬼柳やジャックにも負けぬほど鋭い光を放っていた。
「鬼柳、それは良くない」
「るせーよ、しょうがねえだろ」
それでも鬼柳は悪びれない。それはジャックと遊星が鬼柳の友である故に慣れてしまっているという理由のほかに、鬼柳自身の性格も影響する。理不尽な野良猫社会、この程度の睨みで引いていてはどうにもならないと良く分かっているのだ。
「お前はここらで一番強い野良だからな」
不意にジャックが口を開いた。分かったような物言いに遊星が首を傾げ、鬼柳は顔を顰める。
「その匂いを纏っていれば早々酷い目にも合うまい、と思ってのことだろう」
「なるほど。それがクロウには伝わっていないわけか」
野良猫社会は単純だ。弱肉強食。強いものが勝つ。
小柄で生意気なクロウは、雌猫でありながら平気で雄猫にも食ってかかる。子供を庇ってマーカー付きの雄猫と取っ組み合いをしたこともあるほどだ。その途中にジャックや遊星、鬼柳が割って入って仲裁をすることなど、日常茶飯事と言ってもいい。
動物はにおいと気配に敏感だ。鬼柳が触れれば触れるほど、クロウと鬼柳が近しい存在であると知らしめることができる。だから鬼柳はクロウに触れる。尻尾の先を弱く噛んでみたり、擦り傷を舐めてみたり、転寝をしている真横に座ってみたりしているのだが。
うるせえ、と鬼柳は随分と弱く呟いた。遊星の言うとおりであることを、とっくに自覚しているからだ。
「何をしているの、不動遊星」
「やあ、みんな」
突然聞こえた声に遊星が振り向く。見えたのは彼らの集会に時折顔を出す、彼らの友である飼い猫二匹。シェリーとブルーノ。
この公園の隣には、公演を囲む低い柵の向こうに一軒家がある。その一軒家で飼われている雌猫がシェリーだ。長い金髪を風に預ける彼女が纏うのは、体のラインを如実に示すぴったりとしたライダースーツ。彼女の飼い主が良く車に乗る影響だろう。白い柔らかな毛並みで覆われた耳と尾にはどこか気品がある。
一方のブルーノは、白を中心に配色されたジャケットを羽織り、少しくたびれたジーンズで長い足を覆っている。毛並みの色に似た深い青の髪はやや長めではあったが、嫌みではない。彼は街の片隅の時計屋で飼われている雄猫だが、ほとんど野良同然に街を散策している。新品の首輪がなければマーカーを付けられてもおかしくはないほどだ。
鬼柳はこの二匹が苦手であったので、うげえ、と思い切り声に出して向こうへ行けといわんばかりに尻尾で払った。
「おめーらは呼んでねーよ」
「確かに、呼ばれてはいないんだけど……」
「雌猫の話みたいだから、あなた達だけじゃ片づかないんじゃない?」
苦笑するブルーノをさっさと追い越して、シェリーは背筋を伸ばして三匹に歩み寄ってくる。スタイルが良い彼女が颯爽と歩を進めれば、鬼柳、遊星、ジャック三匹が持つ威圧感とは違う風格がある。遊星は笑顔で彼女を迎えたが、鬼柳とジャックは顰めた顔を見合わせた。彼らには構わず、遊星はシェリーを見やる。
「シェリーはクロウを知っていたか」
「ええ。あの小さい、オレンジの野良猫よね?」
シェリーはジャックが座るベンチの反対側に腰を下ろすと、自らの額に指でアルファベットを一文字描いてみせる。アルファベットのM。クロウの額にある特徴的な虎模様だ。とろとろと遊星の傍までやってきたブルーノがそれを見て小さく噴き出したが、鬼柳が横目で思いきり睨みつけたせいですぐにひっこめた。
神妙な顔で頷いた遊星がすぐに切り出す。
「ああ、鬼柳がそのクロウに惚れているんだが」
「ゆううううせぇえええっ!」
みぎゃあ!
悲鳴を上げて鬼柳が尻尾を膨らませた。今にも飛びかからん勢いで遊星を威嚇し、ぶんぶんぶんと首を振る。怒りというよりも羞恥を全身で表す態度に、シェリーとブルーノは目を疑った。
それからシェリーはくすと笑い、ブルーノは嬉々と鬼柳を見つめて尻尾を揺らした。隣にいる遊星の右肩を揺さぶり、すごいや、と感嘆の声を上げて。
「遊星、鬼柳が可愛……」
「ウルセエこのトーヘンボクが! ぶっ潰すぞ!?」
真っ赤になった鬼柳が標的を遊星からブルーノに向けると、ブルーノは悲鳴を上げて両耳を押さえて遊星の後にひっこんだ。冗談です、と言い残すことは忘れずに。
「本気のようね」
「ウルセー!」
ふうふう肩を怒らせる鬼柳に怖じることなく、シェリーは悠然と足を組んだ。長い髪を手櫛で梳かしながら、「でも」と思わせぶりに口を開く。ちらちらとその場にいる4匹の雄猫たちを順に眺め、少々困った顔をする。
「そこまで本気ならそろそろ手を打たないといけないと思うけど」
ぽかぽかとシティを照らす太陽をちらと見上げ、シェリーは首を傾けた。肩を流れた金色が、日を浴びて光る。非常に美しい光景だが、その光景に素直に笑みを浮かべているのはブルーノただ一匹だけだった。
「……なんでだ?」
鬼柳が不満げに問う。ジャックと遊星もかくり、かくん、と頷いて、シェリーに答えを求めた。疑問を顔全体に浮かべた三匹の視線とその三人の疑問に逆に疑問を抱いているらしいひとつずれた視線を受け止めながら、シェリーは眉尻を下げてきょろきょろとあたりを見回す。尻尾を抱き込むように組んだ足の上で手を組んで、最後に浮かべたのは苦笑。
「だって、……そろそろじゃない?」
彼女の言葉に、四匹はピンと尻尾を立てた。
「そりゃつまり……」
鬼柳が呟く。その先は、全員が頷き合うだけで理解し合ったことにした。
うららかな日差し。やわらかな風。初々しい雰囲気を纏った人間が朝夕道を行く。
季節は、獣の繁栄を望む、春である。
「クロウ!」
翌朝、公園の前をゆったりと歩くクロウを見つけると、鬼柳は進行を邪魔する街路樹を避けて車道を走り抜ける。クロウは一度振り向いたが、途端目を丸くして歩道を駆けだした。
「おい、なんで逃げんだ!」
「うるせえっ! くんなぁああっ!」
野良猫の中でも口達者なクロウだが、今日向けられる発言は随分と断片的だった。声も無茶苦茶に張り上げているだけのように聞こえる。
鬼柳はそれに言葉を返す間も惜しんで、さらに加速して追いかける。入り組んだ路地にも戸惑わず入り込み、いつものようにゴミ箱と壁の間をすり抜けて走るクロウの後に続いたのだが。
ゴミ箱の間を抜けた途端、鬼柳はクロウの尻尾の端を掴んでしまった。
「……あ?」
振り向いたクロウは、それほど走っていないにもかかわらず顔を真っ赤にしている。泣きはらしたように目尻は赤く、乱れたところなどほとんどなかった呼吸も不規則。鬼柳と呼ぼうとしたのだろう、開いた唇はぽってり赤く、漏れた声は弱すぎる呻きだけ。
鬼柳が尾から手を離すと、その場にへたりと崩れ落ちてしまう。明らかに様子がおかしい彼女に、鬼柳は心底困惑した。好奇心旺盛な子供たちとよく一緒にいる彼女は、新しい病原菌を拾う可能性も高い。大丈夫か、と出来得る限り優しく声をかけて鬼柳がしゃがみ込んでクロウの背を撫でると、クロウは過剰なほどに跳ねた。
「おい、クロウ?」
「だ、め……だ、さわ、っな」
耳も尻尾も震わせて、コンクリートに身を横たえて、絶えず身を捩る。ビルの壁とコンクリに背と脇腹が擦れて痛いだろうに、クロウはその場で丸くなることも、身じろぐこともやめようとはしなかった。同じ動作を繰り返すたびにクロウの眼に涙が浮かぶ。嫌だ駄目だとうわ言のように繰り返し、熱い息を吐き出しながら、両足をきゅうと閉じる。明らかに異様な行動。
鬼柳はクロウを見下ろし息をのんだ。シェリーの言葉を思い出しながら、ぽそりと問いかけてみる。そうであってほしいような、そうでなければ嬉しいような、複雑な感情を入り混ぜて。
「クロウ、お前、……発情期……っての?」
クロウは鬼柳の問いに応えることはしなかったが、意味もなく発される鳴き声の甘い響きが鬼柳の本能を刺激し、鬼柳の発言を肯定する。ちらちらと投げかける視線の普段からは想像できない艶めかしさに生唾を飲んだ鬼柳は、宙で手を彷徨わせる。
鬼柳の手を無視して、両膝を抱え込むように丸くなったクロウはその尾で鬼柳の手をくすぐって、くたりと目を閉じた。
「や、やべぇだろ、お前そりゃあよ……」
両膝をついて、鬼柳は彷徨わせていた手でクロウの背を撫でた。柔らかな尻尾がその手を叩く。そこじゃない。ぎゅっと寄った眉がそう言っているようだった。目を閉じたまま、クロウが上体を鬼柳に向けて捻る。薄く目を開いて、鬼柳の手を眺めて、それに向けて手を伸ばした。
「クロっ」
クロウの手が鬼柳の腕を引いた。固く目を閉じ、勢いよくクロウ自身の左胸に彼の手のひらを押しつける。どくどくと早く鳴る鼓動より早く鬼柳が感じたのは、そこにある特有の仄かな弾力と、手の平のほぼ中心に感じる小さな突起。クロウはそろりと目を開けた。一度鬼柳と合った目を横に逸らして、鬼柳の腕を掴んだ両手をゆっくりと放し、それぞれ耳の横に置く。転げ回ったせいで露出してしまった腹部を鬼柳に晒すように背を地面につけ、両足を左右に開くともう一度潤んだ灰の瞳で鬼柳を見上げた。
「……にゃ、ぁう……」
クロウはめったに弱く鳴かない猫だ。媚びるように声を上げる雌になど鳴りたくないと毛を逆立てるほどに。だから鬼柳は驚いた。驚きすぎて胸に置いた手をぎゅうと握ってしまった。ちょうど良くふんわり柔らかかったので、そのままふにふに揉んでしまった。
するとまたクロウが高く弱く鳴いたので、宥める方法すら分からなくなってしまう。本能が先立っているのだと鬼柳が気づいたのは、意識せずしてクロウの首に横から歯を立てていた時だった。
「や、にゃあっ」
耳の先を震わせ、クロウは両手を握る。しかし晒した体を隠すことはせず、ぴくぴくと震える耳を折りたたんで塞ぐだけだ。ぱたん、尻尾で地面を打って、覆いかぶさってきた鬼柳の脇腹に、ぱたん、とぶつける。
「鬼柳、きりゅぅ!」
にゃあにゃあと鳴く声は、拒絶ではないことが鬼柳には分かる。がぶがぶと首回りを甘噛みしながら捲れたタンクトップをさらに押し上げる。何で押さえることもしていない小ぶりな胸は、鬼柳が手の平で撫で上げると確かに柔らかい感触と弾力がある程度で、シェリーのそれと同じものなのか疑う程度の大きさしかない。しかし鬼柳は飽きずに手の平で捏ね回す。
クロウの素肌の感触を楽しむように角度を変えて撫でまわし、左右から両手でぐいぐいと寄せる。ふたつの乳房の間に無理矢理縦のラインをつくり、鬼柳はその間をべろりと舐めた。
「きゅうっ」
鬼柳を呼んだのか、ただ鳴いたのか分からない声に駆り立てられるように、鬼柳は開いた口をクロウの胸の突起の片方に運んだ。傷つけない程度に先端に歯を立て、跳ねたクロウの体を押さえつけながら鬼柳は舌全体で舐め上げた突起に吸いつく。ちゅく、と音を立てて吸い上げるとクロウがぐるぐると唸った。
「ばか、こどもじゃっ……なぁ、あっ」
ようやく上げた抗議の声も、鬼柳が反対側の乳輪部分を口に含んだことでかき消えて、クロウはふると首を振った。鬼柳は一心不乱にクロウの乳房をしゃぶる。長めの舌全体を使って舐り、丸ごと飲み込むほど大きく口を開いて吸い上げ、もう片手で唾液で濡れた乳房を掴む。クロウの腹を撫でた手を更に下ろしてクロウのベルトのバックルやボトムのファスナーを荒々しく外しながら、鬼柳は唇を離した。荒い呼吸音と視線が絡む。
本能で光る金と銀。クロウは鬼柳を、鬼柳はクロウを呼ぶ。熱のこもった声。
「おれ……おかし、ぃ……」
手で押さえつけなくとも耳が下がっているのではないかと思わせるほど、切なげな顔でクロウは呟く。鬼柳は首を振り、身を起こして一気にクロウの両足を揃えて持ち上げた。目を見開くクロウに構わず、ボトムを質素な下着ごと引き抜いた。濡れて染みを作って色を濃くしたそれらがクロウの目に触れないように、ぽいと後ろに投げ捨てる。
クロウの手が耳を離れて鬼柳に伸びたが、それを押さえつけて鬼柳はクロウの両足を再度割って覆いかぶさった。
「ゃ、きりゅ」
「おかしくねえよ」
右と左、黄色のマーカーを順に舐めて、鎖骨までたくし上げられたタンクトップを噛む。ふにゃあと弱くクロウが鳴いて、鬼柳は布地を噛んだまま頭を後に引いた。
「にゃあっ!?」
割いた薄い布地を両手も使ってぶちぶちと引き千切り、当たりに散らかし鬼柳はまたクロウの首を食んだ。歯を立てて傷つけてしまわないように繰り返し、クロウの目がゆると閉じられるとガードの外れた耳の先をかぷりと噛んだ。ひにゃあ、と上がった悲鳴を大きな耳でしかと聞きつけて、根元あたりも噛む。オレンジ色の逆立った髪は、ふわりと鬼柳の顔を受け止めた。
「は、にゃ、きぅ……」
クロウの唇の端を唾液が伝って光る。路地裏の暗さの中でも爛々と光る目とはまた違う煌めきに、鬼柳は舌をなめずった。限界を訴え始めた雄の象徴をパンツの上から指でなぞり、その感触でさらに限界を悟ったのだろう。なあ、と低く鳴く。
「クロウ、やべえ、好き」
「はぅ……」
「ほんと、雄とか、雌とか……そゆの、じゃなくて」
膝立ちになった鬼柳が、たどたどしく自らのベルトを鳴らす。その眼前に晒されたクロウの秘部に視線を固定したまま、尾で床のコンクリーとをざらざらと撫でる。
クロウはぼんやりと、顔を顰めた鬼柳を見上げた。自らの裸体を隠す余力もなく、すぐ側で放たれる雄の匂いにただ酔いしれていた。甘えるように鳴いて、力なく体と一緒に地に落ちた尾を振る。
「くそ、っんで、こう……!」
現れた鬼柳の性器を見ても、クロウは顔色を変えることすらしなかった。ぐちゃぐちゃに濡れた自らの雌の本能が求めているものがそれであることを、理解していたからだ。
鬼柳はぶるぶると身を震わせ、渋っている。クロウがもどかしさに身を捩っても、何と戦っているのか、唸り続ける。
「きりゅ、はゃ、く」
「っ」
「く、ぅし……いっぱ、……ほし……」
ねだるように鬼柳の足を尾で撫でるクロウの目は、虚ろなものになっていた。クロウは雌であることを嫌っていた野良猫だ。本能と本心の競り合いにすっかり疲れてしまったのだろう。鬼柳の方へざりざりと身を寄せると、交尾のための口が濡れた音を立てひくついた。
鬼柳は唇を噛む。
鬼柳もまた、雄であることを嫌っていた。雄であるから雌に惹かれる、そんな道理を嫌っていた。野良猫の当然の原理など鬼柳にはどうでも良いのだ。強くあれと思うのはクロウを守れるからで、雌を奪い合うためじゃない。しかし雌として雄をねだるクロウの姿に、本能が両手放しで喜んでいる自覚も、あって。
「き、ゃあぁああんっ!」
かたくかたく目を閉じて、クロウの両足を持ち上げて、鬼柳はその中に押し入った。やや無理な姿勢を強いられてもクロウは応え、歓喜か痛みか、どちらともつかない悲鳴を上げる。
互いに感じた異質の熱に戸惑うより先に、芽生えた本能が二匹を動かす。奥の奥までねじ込むように腰を打ちつける鬼柳に負けじと、クロウは彼を急かすように腰を振った。
「あ、ぁや、や、やぁあ、あっ!」
「っくろ……っん、すげ……」
ぐちゃぐちゃと濡れた音まで刺激となって、クロウと鬼柳を導いた。何をどうすれば行為が進むのか、また、終わるのか。学んだこともないのにとっくに知っている。鬼柳はクロウの中に深く性器を突き立てたまま、クロウの膝をさらに地面に近づけた。きゅうと小さくクロウは鳴いたが鬼柳の首に手を回し、鬼柳を受け入れ続けた。
行為に痛みはあった。けれどクロウが胸一杯に空気を吸い込むと、性の匂いの中に混じった慣れた匂いがその痛みを取り去っていく。
「ぅん、んっ、きりゅ」
それ以上は入らない、クロウが腹に力を込めてそう伝えても、鬼柳はなおも奥へ入ることを望んで腰を打ちつける。溢れた愛液がクロウの臀部まで垂れて、尾の根元まで濡らす。鬼柳もまた尾を動かし、するりとクロウの臀部を撫でる。柔らかな肉の上を、気遣うように優しく。
「だ……してぇ」
クロウの両手が再び自らの耳を塞ぐ。痙攣すら始めた足が、鬼柳の腰に回された。鬼柳は金の目を瞬かせ、また低く唸る。
「すき……きりゅう、すき……おれ、ぇ」
鬼柳がクロウの額を舐めた。性交は止まらないにも関らず、鬼柳の中の理性はひたすらにクロウの混乱を宥めようと指示を飛ばす。意味があるのかどうかも分からない行為に、クロウは確かに安堵していた。抉られるような行為の中でも、一番奥の部分だけは、驚くほど穏やかに、もうひとつの本能を産んでいた。
「おかあさ、に、なるよぉっ……」
泣きじゃくりながら零れた言葉と同時に、クロウが大きく体を震わせる。その時生まれた内部の刺激に促され、鬼柳はクロウのいちばん奥で子種を放った。
「……クロウ?」
ふと鬼柳が瞬いた時、クロウはぐったりと目を閉じていた。引き抜いた性器が萎えきっていたことと、クロウの中からあふれ出たものがなんであるかを即座に理解して、鬼柳はぐうう、と唸る。どれほど思いだしても、クロウの言葉が途中からぷつりと切れてしまっている。本能に呑まれてしまったことを悔いて、頭を下げる。目を開けると濡れた性器が目についてしまうので、目を閉じたまま。
鬼柳の唸り声が聞こえたのだろうか。ちょうどクロウの瞼が眠たげに開き、その手が持ち上がって鬼柳の喉を撫でた。優しい触れ方にごろと喉を鳴らしてから、はっと鬼柳は尾と耳を立てる。
「クロウ、オレ、途中で」
「鬼柳」
幸福そうに呼ばれた名に、鬼柳はつい「おう」とぶっきらぼうに返事を返してしまった。クロウは構う様子もなく、両腕を鬼柳の首に絡めた。覚えのある感触だった。鬼柳はクロウの目をじっと見る。まだ濡れてはいるが、どこかすっきりと、突然大人びて見えた大きな瞳。
「パパって呼ばせてやるからな」
ぎゅうと鬼柳に抱きついて、クロウは喉を鳴らした。クロウの言葉の意味を察せないほど鈍くはない鬼柳は、幸せそうに擦り寄ってくるクロウを抱きしめ返しながら一つ、無言で誓いを立てる。
将来何匹にパパと呼ばれても、絶対にニヤけたりはしまい、と。
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