自分の足下で丸くなって寝息を立てる弟分を見下ろして、鬼柳京介はぐったりと頭を抱えた。
新たな家具である大きなソファは、背もたれを倒せばベッドにもなる優れものだった。今は京介だけを座らせて、余計にその姿を大きく見せている。
近頃は決して寒くないが、このまま弟分を床に転がしておくわけにはいかない。かといって運び出すだけの体力はまだ戻っていない。ソファに引き上げるくらいなら可能だろうが、足下で眠る彼も疲れているだろうから、できれば起こしたくない。
葛藤しながら京介が見つめるマーカー付きの弟分は、少年らしい顔で実に幸せそうに眠っていた。
「便利だなこれ!」
「ああ、苦労した甲斐があったな!」
三段階に背もたれを倒せるソファは好奇心旺盛なチームの鉄砲玉の恰好のおもちゃになっていた。橙頭の鉄砲玉、名前はクロウ。背もたれを傾けるたび可動部分がかちかちと音を立てるのがまた気に入ったようで、倒しては起こし、倒しては起こしを繰り返して感嘆の声を上げる。
このソファベッドが京介の部屋に運び込まれたのは、一時間ほど前のことだ。
汚れをすべて拭き取って、カーテンだったらしい藍色の大判の布で覆ってしまえば新品か中古かなど見分けがつかない。布をソファの底で固定して、ほぼ完璧と呼べる状態で鬼柳の寝床にやってきた。
「こんなもんも捨てちまうなんて信じらんねえ…」
倒したソファに横向きに寝転がって、頬を擦り寄せひとつ伸びをする。その姿に既視感を覚えた京介は少し立ち位置を変え、頭の方からクロウを見下ろしてみる。そうすることで合点がいった。
「クロウ、猫みてえ」
「はー?」
「さっき見た猫」
ソファベッドが見つかったのは今朝の話。ジャンクの山から使えるものを探していた遊星が見つけて、京介達を呼んだのだ。
京介が指したのは、その時薄汚れたソファの上で我が物顔で眠っていた灰色の猫。あまりにも気持ち良さそうだったので動かすのが戸惑われて、しばらくチーム・サティスファクションの面々に観察されていた野良猫だ。
遊星は特に気に入ったらしくて、ひげがひくひくと動くたびに少しだが確かに幸せそうに笑っていた。
結局、4人分の視線はやはり落ち着かなかったのか、数分立たずに目を覚ましてさっさとどこかへ消えてしまったのだが。
クロウも自覚したらしい。否定もせずごろりと腹を見せるように転がって、少し首をかしげ、上目づかいに京介に向けてゆるく握った右手をあげる。
「にゃあ」
京介は口を開いて見下ろし続けるしかなかった。
クロウはソファでごろごろと暴れまわっていたせいか、普段は晒されていない腹までだらしなく見えている。ノースリーブのジャケットも肩から脱げそうな状況だ。
「お……」
完全に反応に困った京介を見つめるクロウの頬がほのかに染まり、連鎖して顔全体、耳までかっと赤くなる。そして次にクロウがとった行動は、滑り落ちるようにソファから床に移動することだった。
「く、くろう?」
近づいてみると、これまたやはり猫のように丸くなっているクロウがいた。顔が隠れるように、両手で頭を抱えるようにしている。
「忘れろぉお……っ」
唸り声に混じって聞こえた声に、見えないだろうとは思いつつも京介は一応頷く。約束はできそうにないが、頷く。するとクロウは勢いよく身を起こした。
「忘れろよ!? 誰にも言うなよ!?」
真っ赤な顔を上げて吠える姿はまさしく獣。ただし、決して大きくないタイプの。いや、むしろ小さいタイプの。
肩を怒らせているのは威嚇のつもりか、しかし見上げられている京介には今一つ迫力が感じられない。木にも登らないままの子リスが精一杯熊を威嚇しているようなものだ。京介はまた頷く。
深く息を吐いたクロウが、また床に転がった。ソファに頭をぶつけていたが、そんなことはどうでもいいらしい。丸くなって、また息を吐いた。
「床つめてえ」
「上がればいいじゃねえか、こっち」
「もういいっ」
今度はすっかり機嫌を損ねてしまったクロウの代わりに、京介がソファに腰を下ろす。布の手触りも悪くないし、クッション性も心地いい。これは確かにくつろぎたくもなるな、と呟いた京介だったが、クロウは無視を決め込むことにしたようだ。つい先ほどの一瞬の出来事が、すでに完全に思い出したくない過去になってしまったらしい。
背もたれを元に戻して、腕をかけて広く座ってみる。妙にしっくりきたので、京介は満足してそのまま目を閉じてみた。
眠ってしまった京介がふと目を開けたところで、冒頭に至るのである。
この数日間は難なく徹夜をこなす遊星や疲れた顔など見せないジャックですら無意識に溜息をつくような日々が続いていた。
クロウが面倒を見ている子どもの一人が熱を出したところで近隣のギャングが騒ぎ出したものだからすぐさま鬼柳が対策を練り、ジャックのデュエルディスクが故障し遊星が修理に追われ、パーツが足りないとジャンクの山を漁り、市場を漁り。
これらすべて彼らが楽しんで取り組めることであれば疲れたなど思わず済んだだろうが、起こるすべてが望まないトラブルだったものだからさすがの彼らもたまらなかった。
だからこのソファを運び込んだ後、遊星もジャックも寝室に籠ってしまったし、鬼柳とクロウも眠い眠いと文句を言いながらソファの布を広げていたのだ。少しでも快適に体を休めるために。
「だからって……このまま寝るか?」
むにゃむにゃと唇を動かすクロウに問いかけてみるが、反応はない。どうやら完全に夢の世界の住民となってしまっているようだ。しかしどう考えてみても、冷えたコンクリートの上で、むき出しの腕を枕に眠るのは良くない。
注意したところで慣れているからとクロウは言うだろうが、そうしなくてもいい環境にいるのだから、もっと楽をすればいいと京介は思う。
しばし考えて、京介は結論を出した。
ソファを下りて、いつも使っている毛布だけを片手に、クロウの足もとに腰を下ろす。コンクリートの床はクロウの言っていたとおり冷たくて硬くて、心地よさなどまったくないので、ソファに寄りかかって膝を立てて座ることで、少しでも床に触れる面積を減らそうと試みる。うまく行ったのかどうかは判断できないが、自分の足とクロウの足を覆うように毛布をかけた。
クロウはまた一段と幸せそうに笑む。寝床の環境が良くなったことが分かったのかもしれない。
「にゃー」
京介が鳴き真似にもならない声を上げると、クロウの足が京介の方に寄せられた。猫が尻尾を絡めるように。
『甘えたその8/にゃんこになるクロウ(と京介)』
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