Not not afraid,ride ride nonsense 京クロパラレルR-18
「きーりゅうー、風呂入れっぞ〜」
テーブルの上、開きっぱなしのバイク雑誌。向きあわせて並んだ小さな黒い座椅子、一つは俺の席。俺の前の席から姿を消していたクロウが、上機嫌で俺の背後に戻ってくる。
俺は雑誌のページをめくり、うーん、と不鮮明に声を上げる。
「…先、入れよ」
「いいのか?」
一番、がクロウは好きだ。だからさりげなく譲ってみる一番風呂。何事も一番がいいなんて子供みたいだ、思うが、気持ちは分かるから何も言わない。クロウの後、どうせ湯を足して入るからちょうどいいし。
と、そこでシャンプーが切れかかっていたのを思い出す。予備は買ってあったので、棚から持っていくように言ってやろうと振り返った。
「クロ、」
振り返った、ら。
見えたのは背中。肩甲骨のあたり二つの傷、その下、下がっていけば、締まった腰のラインと、足。ついでに黒い下着にかかった手。
「っちょ!お前向こうで脱げよ!」
声を荒げる勢いで顔を背けた。相手は男、ついでにクロウだ、言い聞かせて胸に手を押し当てる。ガンガンと鳴ってる心臓が虚しい。クロウだ、そう思いなおしたのは逆効果だったんだろう。
ええ、と不満げな声が返る。
「だってあっち寒いじゃ」
「脱いですぐ風呂入りゃいいだろ!」
俺だけがひたすらに動揺してる。クロウにとっては何でもないこと。
「…前は別に普通に脱いでたじゃねえか」
「そりゃっ…」
「最近、鬼柳、おかしい」
返しきれなかった言葉を遮った寂しげな声が、駆け足と一緒に風呂場に消える。何だ寂しいのかって、笑って撫でてやれたら、俺だってそれが一番いいって分かってる。でも。
「……ンなこと、言われたってよぉ……」
手の平の上にはもう立たない。肩の上に、頭の上にはもう座らない。俺の向かいに、俺の隣に、当たり前のように座って立って、前より遠くなのに近くで俺を呼ぶ。
最近料理を覚えて、俺の反応に一喜一憂したり、ずっと見るだけだったテレビゲームやカードゲームで一緒に遊んで、結果に転げまわったり。バカみたいに騒いでるだけ、クロウにとってはそうでも、俺にとっては随分デカい違い。
ぐりぐりと指先で撫でていた頭に手を伸ばせなくなったのは、いつだったか。今みたいに、抱きしめられるくらいの距離でも平然と見せられる肌に息を呑むようになったのは。
嫌いになったんじゃない。
むしろその逆だって、分かってるから余計に、溜息ばかり増える。
「鬼柳」
「うおっ!?」
後ろからがばと飛びつかれて、心臓だけじゃなくて体も跳ねた。振り向くこともできず、ぐしゃりと握ってしまった雑誌のページを平常を装って伸ばす。乾き気味ではあったけれど笑い声は、普通に飛び出てくれたから。
「早ぇな」
「そーか?」
「ってパジャマちゃんと着ろよせっかく買ったんだから!」
「んん」
俺の顔の真横、肩の上に顎を乗せて、クロウはくりくりと首をひねる。頭から被った特大サイズのバスタオル。剥き出しの腕。肩。視界の端に入る肌。パンツくらいは穿いててくれと内心祈りながら、俺は苦笑して、クロウの腕をペチンと叩く。
クロウはまた首を捻って、機嫌良く、くくっと笑った。
「なんかこの、バスタオルっての好きだ」
タオルの端を掴んで、ぎゅっと引っ張る。ほとんど新品のタオルの柔らかい感触が、俺の首の後ろをかすめた。
「生まれた時、こういうところにいたよな」
「あ…ああ、そういや」
最初、生まれたばかりのクロウをハンカチで包んだことがある。最初は暴れて、でもいざすっぽりと収まってしまうと心地よかったんだろう、すっかり大人しくなって。
「でっかくなっても、変わんねえもんって一杯あるな」
突き刺された気がした。
変わったのは俺。俺の感情だけ。
それももしかしたら、変わったんじゃなくて、育っただけなのかもしれないっていう、泣きたくなるような現実が、クロウの柔らかい声で突き刺さる。
「バナナは食いやすくなったし、ベッドも鬼柳と交代で使うようになったし、ラムネもハンバーガーも前より少なくなったけど…こういうの、変わんねえな」
今までは出来なかったこと。俺を抱きしめながら、クロウは俺の肩にぐりぐりと額を押し当てた。
「お前の肩の上、好きだ」
飛び出しそうな心臓を気持ちで押さえつけて、タオルの上から、クロウの髪を掻き回してやろうと、手を伸ばす。
何甘えてんだよ。そう言って笑って、ぐしゃぐしゃにしてやろうと。でも。だけど。できなかった。
「最近、あんまり触ってくれねえよな」
よりによってこのタイミングで、クロウは不満げに言ってくれた。
心臓、止まるかと思った。
「羽も、頭も、撫でてくれてたし。痛いときは一緒に寝てくれたのに」
「お、お前だって今、デカイし、ガキじゃ、ねえし」
誤魔化しきれずに上ずった声。クロウは不思議に思ったはずだが、それよりも現状の不満が上だったんだろう、唸り声を上げて、俺を抱きしめ、いや、しがみついて。
「おれはずっとガキじゃない。…でかくなったけど、でかくなったら駄目なのか」
撫でて欲しいのか。一緒に寝たいのか。言うってことはそうなんだろ。
からかってやればいい。そうすればクロウはきっとカッとなって、拗ねて、何も言わなくなる。そのくらいは分かってるのに、口の中はカラッカラに乾いていて、舌がくっ付いて、まともに言えそうな言葉が、出てこない。
「駄、目じゃなくて…お前が嫌、だろ?」
「鬼柳だったらいい」
まずった。なんで、こんなこと訊いた。
クロウは俺を慕ってくれる。真っ直ぐに。生意気なくせに、それだけは正直。勘違いだってしてしまいたくなるくらいに、クロウは、鬼柳京介が好きだと、言う。
「……クロウ、俺は、俺はな、少し後悔してることがあんだ」
クロウの身体がビシリ、強張ったのが分かる。俺は首を振ってすぐに続ける。早口が、上手くいかない。
「背中の傷、残しちまったこと、ツノみてえには残らなかったけど」
「これは仕方ないって遊星たちも言って」
「それと、それとな、俺はお前をそういう、目で、見てるっ、つか」
口を閉じる。クロウの言葉を遮って無理矢理紡ぎだしておきながら、その先でやっぱり戸惑ってしまった。
無理矢理引っ張り出して呑みこんだ唾液、無意味にふらふら開いたり閉じる唇。
「近すぎた時には何でもなかったんだ、でも、今の距離になって、気付いちまった、つか」
また、閉じる。
クロウは俺の肩に顎を乗せたまま、じっと俺の言葉を聞いていた。顔は見えない。見ない。
もうここまで来たら、いい、だろうか。
言って、しまおうか。
口を、開く。
「あー、あの…あー…エロ…いやなんて言うかその何だまあ満足できねえっつかしたいっつかいやそのな、うん、何でもねえ忘れてくれ」
油断していたクロウを引きはがして立ち上がる。ため息が勝手に出た。
「…寝るわ」
俺のアホ。クソ真面目。ド変態。意気地なし。
ふらふらとベッドに向かい、倒れ込もうとする俺。この話はこれでおしまい、と態度で示した瞬間に、後からクロウが追ってきた。
「あ、おれも! おれも一緒に寝る」
「駄目だ絶対駄目だ!」
ここになってすげえいい声が出た。拍手くらいしてやりたい。
クッションを前に抱えてきたクロウが、ベッドの手前でびたっと足を止める。ギリギリクッションで隠れていた下半身に思わず目がいったが、セーフ、パンツは穿いてる。
でも駄目だ、そっから下、どう見ても男の足だってのに、アウト。
愕然と立ち止まっていたクロウが、思い出したように喚きだす。
「なんでだよ!いーだろべつにぃっ」
「嫌なんじゃないぞ!? でも駄目だ!!」
「嫌じゃないならいいだろ! 久々に鬼柳と寝る!」
「寝る寝る言うんじゃねえ!」
「なんでだよ!」
勝手にベッドに飛び込んできたクロウを押し返して全身で拒否する。悲鳴レベルの声でも言葉を作れてるのが偉いと思うくらいだ。真正面から好きな子がパンツ一丁でせまってくるなんて平常心でいられる方がすげえじゃねえか。元不思議生物だけど。同年代男子だけど。見慣れたはずだけど。
俺の手を、足を、言葉を擦りぬけて、俺に飛びついてきた体を咄嗟に抱きとめてしまったとき、ぷちんと、キレた。
クロウの肩を掴んで引きはがして、でも掴んだ手は離さない。拒絶じゃない、とクロウは判断したんだろう。ぱっと明るく、俺に笑いかけようとした。
「鬼、りゅっ」
笑顔は見えない。呼ばれかけた名前も途中でお終い。噛みつくようにキスをして、呑みこんでやった。
「あ、……え……」
途端、大人しくなったクロウの頭の後ろに手をやって、寄せて、もう一度。むぐむぐと何か言いたげだが、噛みついても来なければ、俺を叩いても殴ってもこない。
あいた手を腰に回して身を乗り出して、ちょっとだけ、舌を入れてみた。ついでに腰の手で背中まで、わざとらしくべったりと撫で上げて。
面白いくらいに飛び跳ねたクロウが、一気に俺を突き放す。顔は真っ赤。
「鬼柳、待て、何かおかしいっ、おかしいよなこれっ」
「寝るって、こういうことだろ。同意の上でセックスするってこと」
クロウは目を丸くしている。俺はというと、いざ思い切ってしまうと随分と落ちついてしまって、笑うことも怒ることもせずにクロウと向き合っていた。
ただ、心臓だけは痛い。たぶんクロウが目の前にいなければ、布団抱えてベッドの上でのたうちまわってたに違いない。
クロウが取り落としたクッションを拾って、胸に押しつけて返す。
「その気があるやつ相手に、…言うもんじゃねえよ」
言っちまった。
あーあ、言っちまったよ。
急にクロウを見ていられなくなって、目の奥が痛んできたから、ベッドの端に転がる。体は横向きで、腕を枕に横たわれば、クロウが覗きこまない限り俺の顔は見えない。大丈夫。まだ、泣いてない。
きりゅう。俺の名前を呼ぶ声がして、ベッドが少しだけ揺れた。
「きりゅー…」
近くなった声。俺は目を閉じたまま何もしない。クロウの両手が、そっと俺の体に触れた。
「…最近おかしいのは、そのせいなのか?おれと、せっく?したいから」
しょげた声、めったに聞かないなあなんて思ったのは一瞬。
しまった。
こいつセックスが何の事だか知らねえんじゃねえか!!
どうしよう、と頭の中でそれだけを繰り返す。あれ、じゃあ俺、説明からしなきゃならないとか、そういうことか?
「したら、治るのか?」
ぺたんと俺の腕に置かれる手の平、髪の毛から滴ってくる水滴。
だったら、と。クロウの言葉が続く。
分かってる。知らないから。知らないから言ってるんだって、ことは。
「っいい加減にしろよッ!!」
分かってたって耐えられるわけないだろ!
飛び起きて腕で思いきりクロウを払って、飛び跳ねたクロウはベッドから転がり落ちた。一瞬言葉を止めた、が、すぐにクロウが起き上がって俺を見上げてきたので、呼吸を整えて、首を振る。頭が痛くなるくらい。
「俺が望めば何でもするってか?!違うだろ、お前はお前だ!俺のために生きる必要なんてない、今のお前なら俺がいなくたって生きていけるんだからな!?」
クロウは床に座り込んだままベッドの上で喚く俺を見ている。ドン引きだろう。でも、笑わないし、呆れない。クロウの眼はひたすらに、真剣だ。
「っ恩とかで言ってんならそんなんいらねえ、俺は俺がそうしたいから、お前の羽を切り取ったんだ!返されるモンなんてねえんだよ!」
俺は俺のために選んだ。
クロウに答えを託されたことより何より、俺のために。この言葉の意味ならクロウにだって分かるだろう。幻滅するかもしれない。最後も最初も俺を慕ってくれたクロウへの裏切りだと思う。
自分勝手。ちょっとだけ育っていた感情の行き場に、辿りついても許される場所に、クロウを近づけたかっただけ。
やっぱり、嘘にはできない。
「いなくなってもいいのか」
ぽつんとクロウが呟いたのは、俺を詰る言葉でも、発言への疑問でもなかった。
「おれがいなくなっても、いい、のか…」
口にしながら、だんだん弱くなる。ずっと俺を見ていた目線が、ゆっくり、ゆっくり下がって。
あ。
これは、やばい、と、身を乗り出していた。
「……、っ」
顔を上げたクロウの目が潤みきる前に、ベッドの上から無茶な姿勢で抱きしめる。両手で包んでいた体温が、両腕の中にちゃんとある。
ほっとした。
こんな状況で、こんな状態で、こんな心境でも。
俺はクロウを抱きしめて、こっちが泣きたいくらい、そうだ。
しあわせ。
だった。
首を振るのは、また否定のため。クロウをじゃなく、俺をでもなく、クロウの中の仮定を否定するため。
いなくなっていいわけない。
そんなこと許さない。許せるわけない。
「好きだ」
俺にとっては単純な言葉だ。意味だって理解するのは容易い。捻る場所もない。ぐるぐると回り続ける全てが繋がるのがここだと知っているから。
でもクロウにはどうだろう。好意の種類なんて、きっと分からない。俺が伝えることで、クロウの感情もすり替わってしまうかもしれない。
「好きだクロウ、意味なんて、全部の意味なんて、知らなくていいから…でも好き、好きだ」
俺に言えるのはこれだけだった。
俺にはこれしかない。俺ですらこれしか知らない。
クロウが答えを出すのに俺の答えが邪魔なら、放り投げてしまっていい。それでもいいと思えるくらいに、好き。大好き。
噛み合わないならずっと、時が来るまで耐えてやろう。後悔なんてしない。
ぎゅっと抱きしめて、決める。
クロウが少し、震える声で「おれも」と呟いた。
「おれも鬼柳好きだ。でも、きっと鬼柳は、おれと、違うんだな」
「ごめんな…ごめん」
一方的にぶつけておいて、知らなくていいなんて勝手だ。最初っからずっと俺ばかりが勝手。俺をひっぱたいて出て行かないのは、それこそ相手がクロウだからだ。
短い間だけど、でも、すごく傍にいたから。
俺の勝手さも、良く知ってるから。しかたねーなあ、って。お互いに言い合ってたから。
クロウの手が、俺の髪をくしゃくしゃ撫でる。ベッドから落ちそうなくらいクロウ側に寄る俺を、支えてくれながら。
「悪いことなんてしてねえよ。おれ、怒ってねえよ」
ごめん、を言いかけて口を閉じる。俺の声はまだ震えてる。鬼柳。鬼柳。クロウが俺を呼んで、抱きしめる力を同じくらいで返す。
「やっぱりしよう。せっく、しよう」
息を呑んだ。俺の決断、一瞬で粉砕。
良く考えれば、爆弾の投下だってお互いさまだ。
「お前のためと、おれのため。今度は俺が、お前の分も考えるから」
いや。ちがう。
今度はクロウが首を振る。
「おれが、知りたいから」
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