ワイングラスをひっくり返した形に広がるスカート。白いリボンでぐるぐると締められた腹部と胸元、対して首元は柔らかく覆われて時折頬を擽る。肩口をまるく覆うさらさら生地でできた短い袖は、鈴蘭の花弁のように二の腕の途中で開いて、そこから伸びた腕の半分以上を隠す真っ白な薄手のグローブ。手の平で握ったブーケは豪勢で、見た目通りにずっしりと重い。
マーカーは化粧で消され、無理矢理寝かされた髪は耳を擽り、ピアスも外されてしまって落ちつけるはずもない。
大きな鏡に映る自分の姿にげんなりと肩を落とし、クロウは壁に固定された全身鏡越しに背後の男を睨みつけた。
「……おい、どういうことだ鬼柳」
これは、男である自分が纏うものではない。
クロウ・ホーガンは満面の笑みを浮かべるこの町の事実上の最高権力者に今更ながら怒りをぶつけることにした。
「さぷりめんと?」
四角いテーブルに向き合って座る。午後の休息をのんびりと過ごしていたとき、鬼柳が突然白い箱に収まったドレスを差し出してきて、聞いたことのあるような言葉を織り交ぜて何かを言い出した。
拾った言葉を復唱したつもりになって首を傾げると、コーヒーカップを口元で傾けかけていた鬼柳が動きを止めて、くっと喉奥で笑った。
「『サプライズ』な」
「んあ。で、それとこれとどんな関係があんだ、言ってみろ」
先に空になっていたマグカップを突きつけると、けろりと鬼柳は頷いた。やましいところは何もない、そういう顔だ。
「サイズがな。ちょうどお前くらいだっていうから問題ねえかってことで、仮縫い試着してほしいんだよ」
「花嫁ゴツすぎんだろ」
「お前が小さ、痛ッ」
白い箱は紙製で、片手で軽く持ち上がる。クロウはそれを迷わず武器にして、届かない手の代わりとして鬼柳の額を小突いた。
駄目か、と額を押さえて、わざとらしく上目で見つめてくる鬼柳に、裏がないはずはない。とはいえ、本気で頼んでいるのは分かる真っ直ぐな眼を、無碍に反らすこともできなかった。
「……結婚式のブーケ」
「え?」
「ココロが欲しがってたから、それくれるってんならいいぞ」
甘かった。
どう見てもきっちりと仕立てられたドレスの首元から唇をブーケで隠し俯いて、クロウは深く息を吐く。生花の強い香りに頭痛がした。
鬼柳は、ぴったりと後ろから鏡の中のクロウを見ている。これでもかというほど、笑顔だ。
「……もういい。吐け」
「ああ、俺が見たかった」
「よしわかった。断食開始しろ」
裸足とはいえ、ドレスの布地が絡まって、思い通りに足が上がらない。クロウは舌を打ち、ブーケは随分と高価そうだったのでしっかり片手で抱きかかえてから、持ち上げた腕を耳の横から後ろに回し、真顔に変わった鬼柳の顔面に手の平を押しつけた。
「むぐ…気付いてたくせにそういうこと言うか?」
「現行犯逮捕だ、このボケ」
「ムショはもう勘弁」
クロウの手を取り、その手を自らの右頬に押し当てる。幸せそうに笑う割に、その言葉にこめられる過去が随分と重いことはよく知っているからこそ、クロウは拒まなかった。
空いた片腕が腰を抱いても、さらさらのスカートを撫でても。しかし突然、鬼柳がしゃがみ込んでスカートの影に隠れてしまった時は驚いた。
「おい、何してんだ」
振り向こうとした足がドレスの布に絡まり、むうと眉を寄せたクロウの隙をつき、ばさと一度広がった裾。たっぷりと余裕を持った布が不自然に膨らみ鬼柳が消えた、状況を理解するのに時間入らない。
「…え、おい、馬鹿!」
素足を撫でる生暖かいもの。鬼柳の指、おそらく、それにしても数が合わない。足首を掴むものと、太股と撫でるものと、足の付け根ギリギリの位置、ぞっと背筋から脳髄まで走る感覚。
「ひゃ、ひ、あ、ちょ……おまえっ」
逃れようとして前に進めば、鏡にぶつかった。蹴りあげようとした足は、絡め取られて動かない。下着を取り払われて臀部の膨らみを滑る、舌が止まって、もごもごと紡がれたことば。
「……あ、顔見れねえ」
しまった、とだけ言って、またごそごそと内側で動く。ドレスは持ち上げても持ち上げても、鬼柳の姿までは見えない。クロウ自身の爪先が見えるくらいで、見えたところで、際どい位置に刺激を受けた指先は目的を失ってしまう。
長い指が潜り込んでくる感触を否定など出来ない。覚えてしまった痛みと快楽は容易く彼を受け入れる。
「何言って、ぁ、う、あ、くう…う」
鏡を、頬が滑る。白いグローブは滑らか過ぎて、壁面をすべってドレスに戻る。裾を払う仕草で追い払おうとしたところで、拒否したい当人に見えないのでは意味がない。
「この…変態、あ、くそっ」
性器を直接握りこまれた。それで反応しないほど、クロウは老いていないし、鬼柳のことを嫌ってもいない。噛み殺せない声を幾度も飲み込んで、閉じていた目を開ける。すると。
「これ、なんっ、おれ……」
マーカーがない。寝起きに見てもぼさぼさに逆立っていた髪も、瞼にかかっている。別人だと言われれば信じるだろう、なのに、見つめ合う潤んだ目は間違いなく自分のもの。
抱えていたブーケを、とうとう落としてしまった。
「ひぁ……」
指先まで浸透してきた快楽は本物。見える姿も、見えない姿も、紛れもない本物だ。だが、切り離されている気持ちが拭えない。違和感と、恥辱と、困惑。
すった息を吐きだすとき、自然と涙が落ちた。せき止められなければ水はあふれる、人体であっても同じこと。
「ひ、…う、ぐ…くっ」
歯を食いしばり、嗚咽を必死に殺し、真っ白なグローブを引き抜き捨てた。見間違えることもない自身を構成するパーツ。頬を流れる涙を鏡面に擦りつけると、ほのかにベージュ混じりの濁った液で汚れた。
ぐちゃぐちゃになった顔を見ていられなくなって、クロウはそのまま俯き、壁にもたれてた身体を徐々に床に近付けた。
「なっ…、泣くなよクロウ!」
窮屈になったのか、クロウの異変に気付いたのか。分厚いカーテン状態だったドレスの裾を跳ねのけて、鬼柳が顔を出す。自らを支えていた鬼柳が抜け出たことで、クロウはそのまま、地べたに座り込んでしまった。
膝をついて肩に手を置き、鬼柳はクロウの顔を覗き込んだ。
ギリギリと歯を食いしばり、めいっぱいに見開いた瞳から真っ白な布へと涙を落としている、痛ましい姿。急にわき上がる罪悪感から、鬼柳は咄嗟に、「悪い」と呟いた。
「泣くほど嫌だっ……ん?」
素手で必死に拭うクロウだが、涙を拭っているのではない。鬼柳は化粧の落ちかけた頬を撫でた。撫でると言うには強く押しつけるように。
「――なさけねえぇ」
うっすらと顔を出したマーカーを手の甲でこすり、しゃくりあげながらクロウが言葉を紡ぐ。濁っていたが、確かに発した言葉を拾って、鬼柳は顔を近づけた。
「こんなん…ばかみて」
ぱたり。落ちた手が、床に広がる白を握りしめる。真っ赤になった頬も耳も目元も隠さず、クロウは唇を結んだ。
照れてるのかと、茶化す気持ちはもう鬼柳にはない。
「うん…悪かった、コスプレ好きでゴメン」
背中に手を回す。クロウは鬼柳の胸元に顔を埋め、その腕に体を預けてきた。何も言わない。代わりに、濡れた指が容赦なく鬼柳の服を握った。
「でもストップは悪い、無理」
「う……く」
床に倒されることに、クロウは抗わなかった。身じろいで、床の硬さに耐えられる程度の定位置を見つけて、顔を横に倒した。
うっすらと見える目尻のマーカーをなぞった指を舐めて、鬼柳が突然笑いだす。くすくすと、潜めてはいたようだが、はっきりと。
「…なんだよ…」
「ああ、やっぱこうじゃねぇとなって」
鼻をすするクロウの顔をやや強引に正面へ向けて、乱暴に額から頭までを撫でる。降りていた前髪を流しきって、クロウが目をそらす前に鬼柳は額を合わせた。
「マンネリも良くないって聞いたけど、うっかりしてた」
目を閉じた鬼柳から、鼻先にキスが送られる。咄嗟にクロウが目を閉じると、すかさず、瞼、目尻、頬と続く。そして耳元に唇が寄せられて、
「…クロウ」
名前を呼ばれて、くすぐったいと笑えば次は唇を塞がれる。そうしてじゃれていたら抱きしめられる。慣れても慣れても、心の底からくすぐったくて、恥ずかしくて、幸せで――
「最高に満足してんのに、変えることなんてなかったな」
キスの前に抱きしめられた。両足の間、ふわふわの布が邪魔だった。思いきり足を持ち上げると、鬼柳はクロウを抱きしめたまま首を傾げる。
「はやく、しろ」
長いドレスで隠れてはいても、昂った体を沈められる状況ではない。真っ赤な顔が訴える。
本音など最初から筒抜けで、見ないふりも図星も気分次第。変化が欲しいのなら、進歩が欲しいのなら、たとえばクロウが普段なら蹴りだす足を引っ込めれば、たとえば鬼柳が思いついたようにつらつらと語る愛を飲み込めば。
驚くほど、馬鹿らしいほど幸福な方向に世界は変わる。
「仰せのままに、マイハニー」
「きもい」
「ダーリンの方が良かったか?」
「のぼせてんじゃねー…っ」
真っ白なドレスを分けて入り込んだ腕が、一気にまくりあげる。腹部に溜まった裾をクロウが両手で押さえるが、随分とボリュームがあるものだから、クッション並みにクロウの両手を押し返した。
下肢に触れる外気と手の平の感触、急に楽しくなって、クロウはむずむずと唇の端を上げた。
「いきなりご機嫌だな?」
「どこが、っあ、く」
汗ばんだ手のひらと、グローブで隠れたままの手の平が、ドレスの布地を強く握る。皺になる、そう言えばブーケはどうなったろう、考えられたのは一瞬だった。
「ひ…ああ、あ!」
一気に体内に押し込まれたことによる凶暴すぎる圧迫感に、後頭部が床にがつんと当たる。構わない。反らせた背を床に落として、クロウは噎せる寸前で声も息も飲み込んだ。
持ち上げた足に引っかかった布地で、下肢で何がどうなっているのか、どれほど裾を引いても見えない。感覚と、鬼柳の表情だけが頼り。打ちつけられる熱の正体は間違えるはずもないし、鬼柳が眉根をほんの僅か寄せながら薄い唇を開く理由も、勘違いではない。
全てを見ているであろう鬼柳も、絶対の自信を持って言う。
「…もっと?」
「…っも、っぁうぁっ、あ!」
ずると引き抜いて、また奥へ。先ほど解された入口はまだ完全に受け入れる準備をしてはいなかったはずだが、肌がぶつかっているうちに飲み込み方を思い出したようだ。
単純な体だと、クロウは苦笑する。すると、同じタイミングで鬼柳も似たような笑みを浮かべた。
「…に、わらって、んだよっ」
自分のことは棚に上げて、ドレスのクッションを叩く。鬼柳はうんと頷いて、肩を竦めた。彼は、どうやら本気で苦しいらしい。
「いや、やばいな」
「なに…?」
「出していい、もう、これ」
「はっ?」
早いだろ。
クロウの心の声が聞こえたのだろう、真っ赤になった鬼柳があからさまな動揺で瞳を揺らして首を振る。その僅かな衝撃で擦れた内部に、反応してしまったことを隠そうとクロウはきゅっと唇を閉じた。
「あのな、さっきまで見えなかったのが急に見えると、なんかこう、クるものがあるっつか…キてるっつか、やばい」
言葉の最後で動きを止めてしまったところから察するに、冗談を言う余裕もないと言うことか。クロウは普段の自信などどこへ行ってしまったのかと指をさしてやりたくなるほどおとなしくなってしまった鬼柳を見上げて、唖然と口を開いた。思わず。
「…かーわいい」
「…うるせえよ…」
クロウが紡いだ言葉は鬼柳に、鬼柳が返した言葉はクロウにそっくりな言い方だったことには、二人とも気付かなかった。
ああもう、と片手で顔を隠す鬼柳に声をかけようとして、途端にクロウの中で羞恥心が肥大する。大きく足を開いて受け入れている相手にこうも恥じらわれたものだから、調子が狂っているのだ、頭はちゃんと結論を出すが、どうにもならない。
「あ、あれ、鬼柳、ちょ、待って」
「え?え、ちょ、クロウ、やめ」
「ぬ、ぬい、あ、…ぅん」
クロウは身を捩って、逃れようとしたはずだ。鬼柳もそれに従おうと腰を引いたのだが、内側が擦れて、互いに身を震わせる。普段なら冗談交じりに与えあう快楽が、どうしてか今、急激に全身の力を奪ってしまう。
「あ、ぁは…待った、やっぱ、抜く、な」
「じゃあ、なんかもう、いいかこれ…」
「うん…、ひゃっ、あ!」
中途半端な位置から突かれて、爪先までが張り詰めた。くるくると回る思考は止まる場所を見つけられず、また繰り返される挿入に乱れるばかり。
わけも分からず上げる声の甘さに鬼柳はすっかり酔ってしまい、意味もなく伸ばされたクロウの手を取って、強く握る。
「くろ…ぅ、かわいい」
「うるせ、よぉっ…!」
握り返された手を引いて、下肢から全身に伝わるほど強く、揺さぶる。
「ッぃ、ぁ、ぃイ、りゅ…っ!!」
クロウが高く、おそらく鬼柳を呼びながら白い布を白濁で濡らした。声で答えるより早く鬼柳は奥へ熱を放った。
「はは…クロ…、セーフ」
「なにが…」
ゆっくりと引き抜いて、余韻を味わう体を倒し、クロウはそれを受け止める。目尻を擦った白いグローブはほとんど汚れなかった。マーカーのあるだろう位置を、もう一度擦る。
「男、の、プライドっつーか…」
「でも、早かったな」
「言うなよ…」
鬼柳が全身で俯いたものだから、乱れた髪がクロウの耳元に降ってきた。首筋に埋まった顔は見えないが、真っ赤になっているのだろうと想像はつく。お互い様だ。
「風呂…」
いつにもましてぐちゃぐちゃになった気がするのは、服の白のせいだろうか。見下ろすが怖くなってしまったクロウは、伸しかかったままの鬼柳にしがみついた。
鬼柳はぼんやりとクロウの頭を撫でて、曖昧に返事を返す。
「脱いだらもう一発…いて」
返事とは逆に堂々と紡いだ言葉の途中で、ぐしゃりと髪を引く。力いっぱい、容赦なく。痛い、クロウ、と鬼柳の声が徐々に本気度を増してきた頃。
「…はやく」
手を離して、答えた。
ノーではないのなら、つまり。
「よっしゃ!」
言葉の意味を考える必要などなく、鬼柳は身を起こした。
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