子供の泣き声って、どうしてこんなけたたましいんだろう。自動車のクラクション、朝の鶏、発情期の猫、元気な番犬、どれも比べ物にならねえ。
「ぅやぁあああああぁぁうっ」
「嫌じゃない」
ぶっ壊れたぬいぐるみを抱きしめてびいびい泣いてるクロウをいたって冷静に見下ろしている兄貴は凄い。俺は耳を塞ぐので精いっぱいだ。
「泣いててもなおらないぞ」
「っぅうえ、えっ」
仁王立ちで見下ろされて、クロウは怖くないんだろうか。はたから見てる俺からすれば相当怖い。俺の方が怖い。まったく兄貴に表情が見えないのが怖い。
怒っているなら怒ってる顔を、怒っていないなら怒ってない顔をしてやってくれと言いたい。あ、でも無理だ言えねえ。
「なんで、壊れたんだ?」
「っ、っれ、わるくなぁもっ」
「誰が悪い悪くないじゃない」
兄貴はぬいぐるみがどうしてこうなったのか聞きだそうとしているらしい。その様子を壁際に立って眺めながら、クロウに分けてやろうととってきた袋詰めのシュークリームをかじってみる。甘い。
「ぽんぽ、ぎゅうしたの……したら、ぽんぽ」
「ぎゅうしたのか。それだけか?」
ぽんぽん。即ちブリザードのぬいぐるみ。名前は知っているはずなんだが、なぜかクロウはあいつのことをぽんぽんと呼ぶ。はじめて買ってやった時、俺がふざけて「ぽんぽん気持ちいいぞー!」とか言って散々腹触らせたせいなんじゃないかと思うが、クロウが喜んでいたから俺は満足だ。
ブリザードと呼ぶようになったら成長した証だし。
あ、想像したらちょっと寂しくなった。
「おそら、ぽーんした……」
兄貴の眉が少し動いたのを、顔を上げた俺は見た。
「ぽんぽんは、とべぅも……」
「そうだな」
兄貴は天井を一瞥する。ブラックフェザーたちが飛ぶには、低すぎる空だ。
クロウの発言から察するに、ブリザードを飛ばしてやろうとして、放り投げたということだろう。力いっぱい放り投げて、当然ぶち当たるのは天井。叩きつけられて落ちてしまうブリザードを見て、クロウは不思議だったのだろう。ブリザードは飛べるのだから。
調子が悪いのかと何度も何度も繰り返した結果が、あの悲惨な状況ということだ。
「まずは、ごめんなさいだな」
静かに兄貴が言った。クロウがぼろぼろのブリザードを抱きしめてしゃくりあげる。
「飛べても、天井にぶつけられたら、ブリも痛いよな」
クロウは大きな目をぎゅっと閉じて、何度も何度も頷いていた。かばってやりたい気持ちもあるが、そろそろクロウも物を大事に使うことを覚えるべきだ。
言い聞かせて飲み込む。シュークリームごと。
「そしたら、直してやるから」
「ほんと……?」
ぱち。
大きな目が瞬いて見上げると兄貴はひとつ頷いた。ごめんなさい。小さな小さな声で告げたクロウの頭に兄貴の大きな手が乗った。
兄貴は嘘はつかない。
クロウがやってきたその日から。
雨の日に葬式だなんて、出来過ぎてる。俺と狂介は制服を着たまま、陰気臭い式場に駆り出された。誰が亡くなったのか俺は知らない。でも、式場で大泣きしてしまったことははっきり覚えている。
子供が一人泣いていたから。周りの噂話で、泣き叫ぶ少年の両親が亡くなったのだと知った。その子が、死ぬ意味だってまだ知らないだろうその子が、すべてを悟ったように泣いていたから。
引き取り手もいない。親の遺産もない。子供は施設に預けられるらしい。それを聞いて憤った狂介を押し留めて、俺も一緒に唇を噛んだ。でもしょうがない。俺達にはこの子をどうしてやることもできないんだから。
「俺が」
聞こえた声に、俺と狂介は振り返る。遅れてやってきたスーツの男。見覚えのある顔。兄貴。
「その子。……俺が育てます」
驚く俺達を後目に、あれやこれやと話は進む。葬式の場なんてことを忘れるほど、流れるように話は決まった。傘もささずに子供を抱いて式場を飛びだした兄貴を追いかけた俺達が見たのは、紫陽花と一緒に雨に打たれる兄貴の姿。線香の煙の匂いもすべて流そうとしているみたいで、俺は差し出しかけた傘を手に、立ち止まってしまった。
「兄ちゃんが」
泣きやんだ子供、クロウは兄貴の方に頭をのせてぐっすり眠っている。雨は冷たいだろうに、兄貴にしっかりしがみついて、はなれない。その手が人のぬくもりを求めているんだと、直感的に俺は思った。
「ずーっと、守ってやるからな」
そう、その日から。
その日から、兄貴は嘘はついていない。
「……あれ、クロウ」
「お、お帰りー」
「おかーり、狂に……」
遊びまわっていたらしい狂介が、帰宅と同時に居間にいたクロウに驚く。お前な、ただいまより先にクロウを呼ぶのか。
まあ、普段ならこの時間元気にそこらを駆け回ってるクロウが居間のテーブルの前でしょぼくれて座ってんだから気になるのはしょうがねえけどな。ちらとクロウを見た目を俺に戻して、どすどす歩いて来て耳打ち。
「クロウ、元気ねえな」
「ぬいぐるみぶっ壊しちまって、今兄貴が直してる」
クロウを元気づけようと持ってきたがあまり意味のなかったゲイルの羽を振りながら、我ながら簡潔な回答。だが、狂介はそれであらましを理解したらしい。呆れと困惑半分ずつ、顔に浮かべてクロウを見る。
「クロウ、狂介が遊んでくれるってよ」
はあ?
狂介が慌てて声を上げたが、俺に肩を叩かれたクロウは狂介に一度目をやっただけで、また机の上で握った両手に視線を戻してしまった。
しょぼんって、そんな効果音までついてきそうな顔。逃げ出そうとしていた狂介が、じりじりと戻ってくる。そして、座ったままのクロウを両手で強引に持ち上げた。
昔と比べて重くなった体は、それでも、まだまだ小さい。
「……おら、ブリザードが帰ってきたらまた遊ぶんだろ」
「う…」
「クロウは高いの好きだろが」
両脇に手を入れて持ち上げたクロウをぶらぶら揺らして、狂介は苛立った声で、狂介なりにクロウを励まそうとする。その目が俺に向いたとき、そのとき俺達って、やっぱり兄弟だよなあと思い知らされた。
クロウを受取って、もっと高く持ち上げる。一瞬クロウの目が輝いたのを見逃さず、俺はクロウの足を狂介の肩に乗せてやった。
狂介がその足をしっかりつかんで、クロウが狂介の頭を掴んだのを見届けてから俺は背中を支えていた手を離す。
たぶん、少なくとも俺と狂介は今まで一度もやってやったことがない肩車。
「クロウ、鳥さん!」
「とり、さん!」
両腕を広げる。それは俺たちにとっては飛行機じゃなくて鳥のポーズ。クロウも目をキラキラさせて、俺と同じように両手を真横に持ち上げた。
落ちないように、さりげなく俺の手はまたクロウの背を支えてやって。歩き出す狂介を、間抜けなかっこで追いかける。かっこ悪いが、クロウが喜ぶなら満足だ!
「そうそう、高いなー!」
「高いー!」
きゃあきゃあと、今日、久しぶりにクロウが笑う顔を見た。なんだか安心して、俺達が歩く速さも早くなる。机に足をひっかけないように気をつけながら。
「狂兄ぃ、次あっちー!」
「はいはい、あっちな」
「もっとはぁく!」
「へいへーい」
すっかり元気になったクロウを乗せて、狂介は逆に疲れた顔だ。それでもクロウを下ろそうとしないんだから、やっぱり俺達兄弟、クロウには甘くなっちまうんだよな。
あっち、こっちと指差し進行方向を指示するクロウの後を追いかけるように、片手で鷲掴んだゲイルを鳥っぽく動かしてやる。振り向いたクロウが、また嬉しそうに笑ったのでその背中にゲイルの頭を擦りつけてやったりして。
そうこうしてたら、ドアが開いた。
「あ」
「兄貴」
長い髪を一つにくくった我らが長兄が、白いむくむくした物体を手に居間にやってきた。微笑を浮かべて、それを差し出す。
「ぽんぽん!」
クロウが暴れ出す前に狂介が兄貴に駆け寄った。兄貴はクロウの手に人形を渡してやって、いつもより高い位置にあるクロウの頭を、無理やり撫でてやっている。
それだけのことがなぜか様になる、同じ顔なのになんでだ。
「ぽんぽん元気なった!!」
「ばっ、暴れんなクロウっ」
ブリザードがつぶらな瞳でクロウを見ている。大好きなブリザードが元気になった喜びをクロウは全身で表現するものだから、狂介には一大事だ。
俺はゲイルをブリザードの傍に持っていって、青っぽい黒い翼でブリザードをつついてやった。クロウがきゃあきゃあ笑う。
さすがにそろそろ互いに危ないと思ったんだろう、狂介が腰を落としたので、俺はクロウを抱えて床におろしてやった。
「ほら、ゲイルもお帰りって言ってるぞー」
「げいるー!!」
小さな手でゲイルとブリザードを撫でて、よしよし、と口にする。きっといつもの俺の真似。そうしてから、満面の笑顔で「あのね」とクロウは口を開く。
両手でブリザードの羽を広げて、口元を隠すように抱き上げる。恥ずかしいんだろうか、柔らかそうな頬がほんのり赤くなっている。
「……兄ちゃん、大好きー、って、ぽんぽんがねっ」
え。
クロウは言ってから、やっぱり恥ずかしかったのかブリザードに顔を埋めている。ふわふわのもこもこ。気持ち良さそうだ。ってそうじゃない。
俺もだ。俺もだし。
「俺も大好きだぜクロウ!!」
ブリザードごとクロウを抱き上げた。驚いたらしいが、すぐに笑顔になってブリザードの代わりに俺に抱きついてくる。ブリザードとは違うけど、暖かい感触。
ああ、満足したぜっ!
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