「よう、待ってたぜ、無手札の鬼神」
 ホウキを逆さにしたような、と、ある少年が例えた特徴的な逆毛は、その色の鮮やかさもあり一度目に焼き付けば消えうせることはそうそうないだろう。
 無手札の鬼神と恐れられる決闘者――鬼柳京介にとってもまた、今目の前に立つ青年の印象は鮮明であった。
 黒き旋風、クロウ・ホーガン。
名の由来は、彼の駆るD‐ホイールと彼が好んで使うモンスター群にある。そうでなければ、彼を『黒』で称することはないだろう。それほどに強烈な、赤茶色を通り越した橙色の、
「………………ホウキ頭」
「……ああん?」
 時に、的確な表現は逆鱗に触れるものである。



Self-assertion!




「テメェの速さなんざ、このオレのダブルシンクロ召喚には到底叶いっこねーんだからな! なーにが無手札だ、めんどくせーことしやがって、イケメン決闘者だとかナントカ騒がれてるからって調子乗るんじゃねーってんだ、女に騒がれっ、て……」
 怒りに任せて噛みついたところで、クロウは突然言葉を止めた。さらに唐突に、深く息を吐く。
 海を渡る客船の廊下は、会話をするには広すぎる。
「……ちげーや。ンなこと言いに来たんじゃねえんだよ、オレぁよ」
 ホウキ頭を掻いて、クロウはふるふると首を振った。鮮やかな橙とは対照的な、深い藍の視線が鬼柳の良く似た色の瞳にぶつかる。
「不動遊星だ。悪いが、この大会中先にあいつと決闘すんのは、このオレだぜ!」
 ぐいと親指で自分を指して、クロウは挑戦的な笑みを浮かべた。片方の手は腰に当てて、鬼柳の背が低ければの話であったが、見下す体勢。もちろん、クロウよりも長身である鬼柳は冷ややかにそれを見下ろした。
「……変わった宣戦布告だな、クロウ・ホーガン」
 薄い唇が僅かに動いて、名を紡ぎきった時、呼ばれた当人は一度表情を崩した。弧を描き結ばれていた唇は、何かを言いかけて開く。
「……無手札の鬼神さんに覚えてもらえてたってのは光栄だぜ」
 やや呆けたように、唇の端をほのかに持ち上げての発言は、皮肉のような本音であった。一次予選の最中、決闘以外には完全に関心を示さなかった男が、己の名を口にすることは、決して当然とは言えないだろう。
「あれだけ派手にやられたらな。決闘者なら、忘れる方が難しい話だ」
 表情こそ変わらないものの、更に続いた言葉は、クロウの実力を評価しているからこそ出てくるものだ。剣呑な空気が薄れ、居心地の悪さにクロウは無意識にあたりを見回し出す。鬼柳はそれを眺めていた。かと思いきや、ふ、と鼻で笑う。
「貴様の決闘でオレが満足できるかは別の話だがな」
 意図せずして完成しかかった温厚な空気など、鬼柳にとっては不用のものだったらしい。凍りひび割れた空間で、なおも平然としている姿は、鬼神、と呼ばれるには随分と涼しい。否、だからこそついた名なのかもしれないが。
「テッメェ……なんっかいちいち癪にさわるっつーか!」
 片足の厚い靴底を床に打ちつけて、クロウは再度鬼柳を睨みあげた。空気に飲まれないのは、形こそ違えどこちらも同じ。
「まあいい! とにかく、そういうこった。悪いが邪魔はしないでもらうぜ」
 指をつきつけ、一方的に布告を終える。了承も拒否もしないで、鬼柳は突きつけられた指先を眺めている、ようにクロウには見えた。
「……ンだよ」
 たとえば、D1GPに唐突に現れた双子の兄のように、はっきりしすぎた物言いには腹が立つ。が、その逆、あまりにも曖昧ではっきりしない相手に関しても、クロウの怒りは容易く湧いた。
「言いたいことがあんなら、とっとと、言えってんだ!」
 唾を飛ばし飛び上がる勢いで、突きつけた指を上下に振る。下手すれば鼻先をかすめそうな距離、しかしやはり鬼柳は動じない。
「無いな」
「あぁ?」
「決めるのは大会主催者だ。だが、クロウ・ホーガン。お前の提案は、願ってもない機会」
 腕を組みかけた鬼柳が、肩にかかった長髪を後に払った。自然な動作。それがクロウをよけいに苛立たせた。腕を同じように組んで、一方的に睨み続ける。
「貴様があの男、不動遊星をどれだけ評価しているのかは知らないが……オレはオレを満足させる決闘者以外は求めていない。貴様に敗れるというならそれまでだ。無駄足を踏まずに済む」
 不動遊星。クロウが内心好敵手(ライバル)と認定した、熱いフィールの持ち主。その名を出されたときに、クロウはたまらず掴みかかっていた。
「ンだとぉ! 遊星が弱いってのか!」
 胸倉をつかみ、足を払う。鬼柳は咄嗟に腕を解いたが、勢いに負けて後ろに倒れ込んだ。クロウはしっかりと彼の上に乗り上げ、今にも噛みつかんばかりに食いしばった歯を見せる。鬼柳は構わず紡いだ。
「……あの男のフィールは、本当の限界をまだ知らない。貴様と決闘することで辿りつくのなら、好機とも言える」
 冷たい蒼は、どれだけ先を見ているというのか。先読みは、決闘では必須の技術。とはいえ、あの絶対王者の瞳にさえある、熱がない瞳が見る先など、クロウには見当もつかなかった。
「……テメェ、オレの話聞いてねーだろ」
 だが、彼が何を見ているとしても、確信を持てたことがクロウには、ひとつ。
「さっきから、自分の話ばっかじゃねーか」
 己を主張する傾向は、決闘疾走者にはありがちである。かくいうクロウ自身も、主張は強い方だ。とはいえ、己の思考主張に支配されて他者を寄せ付けなくするほどのことはない。
 クロウの目に、鬼柳はまさにそう映った。何かを隠して、ただ一人で抱えているものを解放する時を待って、壁を作ることで己の立ち位置を選ばずして立っている。
 決闘者にもさまざまな事情がある。クロウは単純に決闘をすることを目的としており、その目標の一つとして絶対王者との決闘を望んだが、不動遊星や十六夜アキなどは、彼と決闘したことのある者たちは、再戦を望んでこの舞台を選んだ。鬼柳は、様子からして絶対王者との間に因縁はあるのだろう。だが、ただ再戦を望む、彼らとは決定的に何かが違う、そんな予感もしている。
――これは全て、直感だが。
「もういい。とにかく邪魔しねえってのは分かった。おめーつまんねえわ。期待して損した、じゃーなあばよ」
 突き放すように告げて、鬼柳の上から立ち上がろうとしたところで、クロウのグローブを鬼柳の手が掴んだ。引き留めるための手だ。
「……放せよ」
「オレに、何を期待する?」
「は?」
「決闘の実力以外、決闘者に何を期待する? クロウ・ホーガン。貴様はどうして、G1GPに出場を決めた。招待されたから、か?」
 右耳を掠めた手が、クロウの項に触れる。そのまま引き寄せられて、あまり触れられない場所に触れられた動揺から、されるがままに顔を近づける。
「……決闘してぇからだよ。面白ぇ決闘を山ほどな」
 近くで見ればやっとわかる程度に、端正な顔立ちが歪む。不満。床に転がったままなのにどこか傲慢な態度が、クロウの怒りを逆に沈めた。はたから見れば、相当間抜けな姿であったから。
「決闘を決めるのは一瞬のフィールのぶつかり合いだろ? そいつを楽しんで、オレが勝つ。絶対王者にもオレが勝つ」
 自ら顔を近づけて、宣戦布告と同じ笑み。鬼柳の表情が、和らいだ、気がした。
「……貴様のフィール、そのままだな」
 気のせいではない、彼は確かに微笑んでいる。表情のなかった瞳に浮かんだ仄かな感情。マイナスではない、としか言えない、確定にたどり着かない感情。
「へっ……」
 ピリピリと、背筋が痺れるような感覚に驚いてクロウが顔を離しても、鬼柳の笑みは消えなかった。顔の評価は高い男、微笑めばさぞかし美系だろうという認識こそあったが、いざ目にしたそれはクロウの想像を超えていた。唇が動く。クロウは息を呑んだ。
「あの双子の兄より、幼い、直情型だ」
 く、と鬼柳が喉を鳴らす。言われた言葉が揶揄か、それよりももっと侮蔑をこめたものであることに気がついて、クロウは顔を真っ赤にした。勿論、怒りで。
「テメェ……やっぱり馬鹿にしてやがんな! 上等だ! テメェもオレがぶちのめす! 首洗って待ってやがれ!」
 胸倉をつかみ直して上下に揺さぶる。鬼柳の後頭部が床に幾度か打ち当たったが、鬼柳は怒りなど見せなかった。慣れていると言わんばかりの顔で、クロウの暴走を受け入れていた。
「おい、何をしている!」
 第三者の声が、クロウの手を止めるまで。
「っ、遊星!」
 振り向く前に名を呼んで、クロウが鬼柳から手を放した。駆け寄ってくるのは、薄汚れた紺のジャケットを羽織った、クロウ以上に特徴的な髪型の男。先ほどまで話題の中心だった、決闘疾走者、不動遊星だった。
「何があったんだ? けんかっ早いにもほどがあるだろ」
 鬼柳とクロウのそばに立った遊星と視線を合わせるため、クロウはすっくと立ち上がる。鬼柳は床の上から、二人を眺めていた。手の平を打ちあわせ払って、クロウはけろりと曇りのない笑みを向ける。
「色々あったんだよ。けど、オレ達は決闘者だ。決闘でケリはつけるぜ、ちゃんとな」
 言って、しっかりと鬼柳を跨いでいた足を傍らに揃えてから、鬼柳に向けて手を差し出す。
「それなら、オレが止める必要はないな」
「もちろんおめーともな、遊星。いい決闘になるだろうぜ」
 横目で認め合う好敵手達を見上げる鬼柳に、直後、二人分の視線が降り注いだ。
「鬼柳――もちろん、お前ともな」
 遊星も、クロウと同じように鬼柳に手を差し伸べた。「あ」、クロウが一言発して、遊星の手を掴んで押し戻す。
「悪ィな遊星、無手札の鬼神はオレが先約だ」
 屈みこんで、投げ出されたままの鬼柳の両手をしっかと掴む。思いきり引きあげても、鬼柳の体はほぼ持ち上がらないのだが、構わずクロウは鬼柳の腕を引く。
「オレのフィールで、こいつのっ、能面みてーな面の皮、剥がしてやっからよっ! 楽しみにしてな!」
 鬼柳は若干どころか、相当煩わしいのだろう。眉間に皺が寄っている。気付いてしまった遊星が、止めようと口を開きかける。
「間違ってねーだろ。こいつ、決闘中もつまんなそーな顔しやがってよ。いっぺん引っぺがしてやんねーと一生友達できねーぜ、こいつ」
 鬼柳が、左手だけをクロウの手から逃した。その手を支えに身を起こし、それから、右手も振り払う。
「……せいぜい、オレを満足させてみるんだな」
「おうよ」
 何事もなかったかのように立ち上がり立ち去ろうとする鬼柳の、やや乱れた後ろ髪を、クロウの手がするりと撫でて整えた。遊星が首を傾げるほどには、自然な動作で。
                    

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