俺が野良ネコに出会ったのは、二年の、ギリギリ春。
その野良ネコを拾いにいったのは、二年の秋か。
逆に野良ネコに拾われたのは、大学に受かったころ。
野良ネコの名前はクロウ・ホーガン、同じ高校の一つ下、一応所属してたバスケ部の後輩。ちなみに、人間。
バスケ部に所属してはいるものの実質幽霊部員で、商店街のあちこちでバイトやヘルプを転々として、そこで飯と、たまには寝床まで獲得してる気紛れさと人懐っこさから「野良ネコ」と呼ばれている――というのが、聞いた話。
二年の春、バスケ部の試合を見に行った。新人戦って名目での練習試合、うちの部はホントに人数がいなくて、もしかしたら出番があるかもと狩りだされた試合。
新人で、オレンジ頭。目立つ奴がいるなと思った瞬間には、「ああ、あれが野良だ」って理解してた。
「で、思うにその時点では惚れていたんじゃないかと」
「余計な話はいい続けろ」
「おう、悪い悪い、ジャックコーヒーお代わりくれ」
「……遊星」
「ああ」
チビのくせに、よく走ってよく飛ぶ。チームワークのなんたるかも理解してて、全然部の練習にいないくせに、試合中の一挙一動よく見て、癖まで掴んでる。悔しそうな顔も嬉しそうな顔もくるくる変わる。若いな、なんて思うくらい。
試合はギリで勝ったんだけど、野良ネコは勝利を噛みしめる間もなくあっさりバイトに行ってしまった。一応先輩の俺に挨拶もなしに。
だから次の日、会いに行った。
「……何の用ですか?」
先輩が呼んでた、とでも伝えられたんだろう、教室から出てきた野良ネコは警戒心剥き出しで毛を逆立ててた。いや、もともと逆立ってたんだけど、雰囲気が。 敬語、ちゃんと使えるんだなってちょっと感心した。バイトあれだけしてりゃ当然なんだけど。
「試合、おつかれさん」
「…?」
誰あんた?
視線でそう言われた。
一応会場にはいたんだけどな。そりゃ会話はなかったけど、俺のことがさっぱり分かっていない顔だ。この髪、目立つってよく言われんだけど。そりゃ、オレンジ色よりは目立たないかもしれないが。
衝撃にくらくらする頭を切り離して、笑みを向ける。前向きにいこう。知らないなら知ってもらえばいい。
「俺、鬼柳京介。一応バスケ部」
「……あ、ああ!幽霊先輩!」
ぽんと手を打ったと思ったら予想もしてない言葉が返ってきた。幽霊部員なのは間違いない、が!
「何だそれ!誰だよ、ンなこと吹きこんでんの!」
「みんな呼んでます」
「アイツらシメる…っ!言っとくけどな、俺生きてるからな?!足だってあるだろ!ただ夏の会長選挙に出なきゃいけなく」
右足を踏みならして名誉挽回の途中、野良ネコはぶはっと不躾に吹きだした。こうやって笑うと、バスケしてるときとも、教室から出てきたときとも随分印象が違う。年相応で可愛いもんだ。
「幽霊って悪口じゃないですって」
「いや…いっくらなんでも」
「おれも猫呼ばわりっすから、似たようなモンっす」
人懐っこい笑顔が困ったように歪み、野良ネコは両手を緩く握って頬のあたりまで持ち上げた。猫がじゃれるみたいにその拳を俺の肩に押し当ててくる。
スキンシップは厭わないタイプと見て、俺も拳を突き出した。
野良ネコは首を傾げて、ふと、合点いったといわんばかりに俺の拳に猫の手をぶつけてきた。
「で、俺は野良ネコを野良幽霊にするわけにはいかねえと思ってな」
「それでクロウを呼びに来てたのか…」
「ああ、練習すりゃもっと伸びると思ったし、もったいねえしよ」
「……急にそれが止まったのは?」
「向こうの事情も分かったし、俺の事情も変わったから」
「お前の事情?」
「ああ」
「野良ネコー、バスケやろうぜ!」
「うっわー涼しくなってきたってのによ…」
スポーツドリンク片手に一年の教室に押し掛けるのにも慣れてきた。生徒会の役員選挙を控えていたから、前ほどは来られなくなったはずだが、野良ネコ――クロウの警戒心は解かれきっていないようで、今にも教室を飛び出すところだった。
いつの間にか敬われなくなって、その代わり会話は増えて、俺は部内じゃ猫の飼い主認定されつつあると聞かされた。
「言われなくても今日は行くつもりだったっつーの」
視線を反らしているのがちょっと気になって覗き込む。言い辛そうに俺の方をちらちら窺って、やっぱり様子がおかしい。何か病気か。
「……今日なら、先輩も練習来んだろ?……シュート練したい」
ぼそぼそと言われた、俺の誘い文句。
クロウは攻撃的なプレイスタイルを好むわりに、シュートは苦手だ。本人は認めたがらないが身長が足りず、シュートの余裕もパワーも足りないんだろう。だから俺が教え込んでるのはコントロールと、体全体をバネにして跳んでからのシュート。もっと高く、もっと高く。クロウならきっと跳べる。ダンクシュートだって夢じゃない。
だから、俺がバスケ部に顔出すときはシュート練。
タルい、とクロウは言っていたのにこの変化。
「どういう風の吹きまわしだよ、野良ネコがようやく懐いてくれたって?」
「ちげえよっ、……最後になるかもって」
もごもご言う。らしくない、本当にらしくない。
確かに、生徒会長になったらやりたいことが山ほどあって、幽霊部員どころか部員として存在できるかも怪しくなってくると思う。
人数稼ぎで頼まれて入った部活だったけど、体動かすのは楽しかったし、部費も大したことなかったし、打ち上げは楽しかったし。
最後、って口にされると、急に後ろ髪を引かれる。
「……どうせ今までだって幽霊だし。変わんねえって!」
笑ってやっても、クロウは表情を曇らせたままだ。何も言わずに、体育館に歩きだす。後姿が小さくて、驚いた。
抱きしめてやりたいと思ってしまったことに、だ。
「…かわいい」
思ったまま口にしたら嘘じゃないことが自分でもよく分かった。気の迷いってのは否定しきれないけど、とぼとぼ歩いてる背中が、ぴた、と止まって振り返って。
相変わらず全身でしょげてて、遠くに行きそうなのは俺の方なのに、クロウが遠くに行っちまうみたいで。
「クロウッ」
階段を上がろうとした野良ネコを、走っていって捕まえた。
長いしっぽがあれば楽だろうに、俺が掴めるのは当然腕くらいだ。そりゃいきなり腕を掴まれたら驚くだろう、ふわっと毛を逆立てるみたいに振り向いて、ばちばちと目を瞬かせる。
「クロウ、駄目かも」
「何、せんぱ、い」
ふわふわのまま、抱きしめた。ここが廊下だってことは失念してたものの、人気の少ない、主要教室の遠い階段の一段目。体育館に行くにも遠いこの道を選んだのは、少なくとも、バスケ以外の時間を俺と共有したいと思ってくれてたからのはずだ。
でも流石に、顔を見ることは、出来なかった。
「俺、野良ネコ好きだわ」
「は…いきなり、何」
「楽するためにあっちこっちで愛想振り撒いてんのかと思ったら、これでもかってほど逞しく生きてんのな。文字通り猫かぶってんのかと思ったら、案外正直だし」
「はあ…?」
「俺、そういうの好きだな。でも、みんなの猫、ってのは納得いかねー」
クロウが身じろいだから、もっと強く抱きしめる。
ここまでして、意味が分からないなんて言われたらどうしようもないだろと思ったものの、心優しい先輩として、俺はもっと分かりやすく砕いて、砕いて。
「俺と付き合って、クロウ」
砕き過ぎて、驚くほどベタになった台詞に自分で驚いた。
「…忙しくなったというより…気まずくなったのか…」
「なるだろうな、常識では考えられん…もっと綿密に練った上で行動に起こすべきだったな」
「……綿密に練った……のか?」
「……………鬼柳続きだ」
「結局、逃げられて返事聞けないまま。――で、しびれ切らして、とうとう俺が迎えに行ったんだよ。4回目でようやく捕まえたんだけどな」
「あ! 見つけたぜ野良猫!」
一度教室に行けばいないと言われ、二度行けば走って逃げきられ、三度目はロッカーに籠城され、そして今日、ようやく野良ネコの捕獲に至れそうだ!
アルミホイルでもがっつりかみつぶした顔で俺を見たかと思えば、めちゃくちゃな走りで教室を飛び出そうとする。何の話をしていたんだか、俺の存在も吹っ飛ぶような、そんな話か。だとしたら、詳しく聞きださなきゃならねえ。
ガタガタあちこちにぶつかってる猫を引っ掴むのは簡単、襟首を握り、引き込んで。
遊星、遊星、知ってる、不動遊星。ジャックも言ってた。
問題児だが成績優秀なバイク乗り。話してみる機会は欲しいと思ってたが、今はその時じゃない。ジャックのみならずクロウの知り合いだってんなら、話す機会なんてほっといてもできるだろう。
「野良猫! お前今日は部活出るよな! 出ろよな!」
「ギャーこっちくんなっ遊星ぎゃあああ」
ジタバタと助けを求めるクロウを、遊星はぽかんと見ているばかりだ。現状を把握できていないのか、クロウなら本気を出せば逃げ切れるという信頼故か――ちょっと、この深い紺色の瞳からは読み取りきれない。
「引き継ぎあるんだよちょっと付き合え!」
「授業! 授業がありますセンパイ!」
「サボる!」
「うそだろこの上級生! ありえねぇええぇ!」
叫ぶクロウに、遊星は結局最後まで手を出さなかった。
どこまでもマイペースな奴らしい。なるほど、ジャックの言う通り。もう少し詳しい話は、そう、今度聞いてみることにするとして。
まず、センセイ様方に見つからない場所にこいつを連れださねえと。
「離せっ、バカ野郎次は英語なんだぞ、おれの、…えっと…あの」
「お前英語大っきらいだって言ってたじゃねえか、ラッキーだろ」
「それとこれとは話が違ぇンむっ」
右手で口を塞いでしまったことに後悔を覚えつつ、むぐむぐ言いながらも噛みついてこない懐きっぷりに少しほっとした。
手頃な場所を探して、探した末に、開いたドアの先は――
「な、…何の用だよ…!」
開口一番の台詞が何だかちょっと似合う、男子トイレ。ここで叫ばれないことと、後ずさりこそしているものの、逃げ出さないことを踏まえて、嫌われているわけではないと確信する。
ただ単純にどう接したらいいのか、どこまで触れていいのか、悩んでいるだけ。
本気で怯えられていたり、拒絶されるなら、どうしようかと怖かった。杞憂に終わって本当に良かった。これなら言える。
笑いかけて、クロウの両肩に手を置いた。ビクと跳ねて、怒られる前みたいに強張るもんだから、本当にかわいい。
「俺、進学すっから」
目を丸くしたから、頷いて続ける。
「おまえんちの傍の大学」
首を傾げて、クロウは考えるそぶりを見せた。クロウの家は実はまだ知らない。ただ、大学が近いと聞いたので、大学名だけ聞きだしてあった。何でも経済とか経営とか教えてる大学で、偏差値は秀才クラスでも下手したら狙うレベルだそうだ。
進学したいかって言われたら悩むところで、ただ、クロウの家の傍、それだけの理由で調べてただけ。が、ここに受かったら「奇跡」だなんて言われたら、起こしてみたくなるのが俺だ。
後のことは後で考える。大学は発見の場だとセンセイも言った。満足できることを探しに、奇跡を起こしてみるのも悪くない。
「……めちゃくちゃ頭いいとこじゃん」
クロウも、会話を続けてくれた。
腰は引けてるが、会話を続けてくれるということは、まだ俺と向き合う気があるってこと。だから俺は笑えた。いつも以上にゆるやかに唇の端を引きあげた。
「…受かったら奇跡って言われた」
「バカ?」
空いた唇が可愛い――と思っちまう時点で末期だな。
可愛い女の子は山ほどいて、好きだって言ってくれる子も中にはいて、なのになんで俺、この野良ネコ追いかけてるんだか。
追いかける楽しさ覚えちまっただけなのかって、手に入れたら飽きてしまうのが怖くて、ずっと踏み出せなかっただけで、ホントは最初から、抱き上げたくて仕方なかったんだけど。
「やってみなきゃわかんねーだろ?で、ものは相談なんだけど、おまえんち住んでいい?」
「はあ?」
「同居人最近あんま帰って来ねえんだろ?だったらいいじゃねえか二人分住めるならよう」
唇を尖らせて猫が喉を鳴らすみたいにかわいこぶって詰め寄ると、「可愛くねえ」と額をぐいぐい押し返された。俺もそう思う、お前がやった方が可愛いな絶対。
「なんでおれがお前と住まなきゃなんねんだよ、ヤだよ!」
「お前に理由がなくても俺にはあるんだよ、分かってんだろが!」
「っ」
肩に置いた手に自然と力が入る。言葉の意味は分かっただろう。俺はお前が好きなんだ、面と向かって告げるほど好きなんだ。既に、クロウは知ってる。
俺の手から力が抜けても、クロウは視線を落とすだけだ。
「……逃げねえな」
小さくクロウが震えた。顔を顰めて、必死に考えている。この場を切り抜ける方法を。
はっきりしないことが嫌いなクロウが、はっきりさせることを嫌がってる。そう、俺以外の選択なんて山ほどあるのに、振りきれないことに悩んでる。
身をかがめて、覗き込んだ。恐る恐る向けられた目が合って、借りられてきた子猫のように震えているブルーグレーに、吸いこまれた。
「っう……!?」
有無を言わさず唇を重ねて、逃がさないよう顎を掴んで、俺を押し返そうとする手を振りほどきながら、後ろに下がる体を追いかける。出口に向けて体を捻ったクロウは目を閉じているせいか、壁に背を押し当てたところで立ち止まってしまって、押しつぶすように密着した俺から逃げられずに、俺を、壁を拳でたたく。
でも、いざ俺が唇を離すとその手は止まって、唇を戦慄かせながら睨みあげてくる。
「…なあクロウ、好きだ」
もう一度言って、身をかがめたら。
――野良ネコ並に見事に、俺の腕をすりぬけて逃げてしまった。
「……結局、オッケー貰ったのは3年の始業式」
「オッケーしたのかアイツが!?」
「お守りくれたんだよ、受験のな。んで、『受かったらだからな』って」
「…なあ、鬼柳、それは同居の許可であって…」
「あの状況なら同じようなもんだろ? あ、でも夏に初めて二人っきりで走ったんだけどな、その時にちゃんと好きだって言ってくれたぜ」
「言ったのか!アイツが!」
「…ジャック、悪人の顔をしている」
「よし、鬼柳そっちを聞かせろ事細かにな!」
クロウはちょっとずつまた俺に歩み寄ってくれるようになってて、勉強の進度気にかけてくれるくらいになった。
バイク仲間が増えて、休日には時折走るようになって。大勢で行くのは楽しいし嫌じゃないが、たまには話相手を一人に絞ってみたい。ジャックは絶対俺と二人では走ってくれなかったし、遊星はどうせなら皆と走りたいって言うし、まあ、消去法でもクロウだよな。そうそう、どうしてもそうなっちまうんだ。
だからデートしよう、とクロウに言ったら、案外あっさりOKが出た。根詰めて勉強するのは向かないもんな、と笑ってくれたものの、笑顔が引きつってたような気はする。
町を抜けて、郊外に出て。目的地にしたのはアイスの美味い峠の道の駅。
俺はアイス食う気満々だったけど、クロウはそれよりちょっと安い土産売り場で売ってる草餅が食いたいっつーから、箱で買ってやる約束をした。一口で食えちまいそうな手の平サイズをのまるい餅や大福の最後の一個だけをちまちま食べる姿はたまに見かけるが、あれは狡い。マジで可愛い。早く見たい、その一心で走ったら、自己最短記録を叩きだしていた。
テンションが上がらないはずがない。バイクを止めて、メットもそのままに両手を上げて、俺はクロウも置き去りに太陽を見上げた。駐車場には、ほとんど車はない。
「ヒャッハァ! 見ィろよクロウ! まだ太陽が真上にいやがるぜェ!」
「……おう……そだな……」
メットを外したクロウの髪がふわふわふわと揺れるのに、またテンションが上がる。風が強いのかと思ったら息を切らしているようだ。バイクに乗ってただけなのに。
「…顔蒼いぜ、バイク酔いかァ?」
「……ついて行けた自分を褒めてやりてえ。……草餅……!」
心臓に悪すぎる。そう言って顔を上げたクロウの目が、のぼりの二文字を見つけて途端にきらめく。いや、そこは隣のアイス売り場を見るべきだろうと思うんだが、クロウは俺の肩をばしばし叩きながら草餅草餅はしゃいでる。楽しそうで何より。
でも、はしゃいでるせいで油断してるんだか、随分、――近い。
「…? なんだよ、まだ走り足りねえの?」
気付いたらクロウに擦り寄って、横からぎゅっと捕まえていた。クロウはちょっと強張ったものの、逃げないから、片手でメットを外してこくりと首を傾げた。いつもより柔らかいオレンジの逆毛がふわふわちくちく頬に当たる。
「やばい…良いにおいする」
「あ?…いやいやいやンなわけねえだ、ろ」
人は少ないとはいえゼロじゃない、なのに、爽快に走った後の俺は押さえがきかない状態だった。ジャックにもよく言われるが、たぶん、ぶっ飛んでる、ってのは的確。クロウに絡めていた腕を動かして、手の平をクロウの胸に押しつけて、体を捻って耳の上端をかるく噛んだ。
「な…クロウ、ヤろーぜ?」
綺麗に気を付けをして、クロウが唇を結んだ。どっと吹きだした汗が滲むのを感じる。ぴたりと触れているから、体温の上昇は簡単に伝わる。
それは、俺も同じ。
何言ってんだ、と途端に冷えた思考が、訂正にまでストップをかける。
「……嫌だ」
聞こえた台詞は予想してたものよりずっと重くて、あまりにも真面目だからダメージはでかかった。そっか。
俺の溜息が聞こえたんだろうか、離れようとした俺を、クロウは逆に腕を掴んで引き留めた。状況がよく、飲み込めない。
「……や……違えんだよ、なんつか、……おれ、ちゃんと、真面目に考えてて」
「……うん……?」
「こういうの、やっぱおかしいだろ。だから、真面目に考えてて」
「……」
俺を掴んでたクロウの手が、自分で俺を引き離して、突き放して。正面向いて見上げてくる顔は真面目すぎて、やな予感だけが頭をよぎる。笑えないほど、惨めな気持ちだ。
「ちゃんと、おれは、お前のこと好きだ、って」
え?
「順序とかはもういい、お前だし、ちゃんと、…あのよ、うん……好き、だから」
二回言われた。
もにゃもにゃ、猫が鳴くみたいな一人ごとにもなっていないクロウの声が、ぼとぼと地面に落ちていく。顔を見ないのは照れ隠しだってことくらい、俺にもわかる。
「大事に、その……だったら、ムードとか、しちゅー……えっと」
「……シチュエーション……?」
「それ。それ、必要だろって思うんだよ、おれは……特に、キスの先、考えたら」
「さ…き……」
聞きとれるようになってきた鳴き声は、また鳴き声に戻ってしまった。俺も俺で、随分冷静になったところに爆弾投下されてにっちもさっちも。映画かドラマか。漫画でもねーよ、こんな転げ落ちて転げまわって両手あげて走り回りそうな展開!
「く、クロウ、赤飯だ」
「……あ?」
もごもごしてるクロウの手を掴んで、不意打ちで走りだした。戸惑いつつも、クロウは持ち前の反射神経でついてくる、予想通り。
草餅売り場のニコニコしたおばちゃんに、赤飯!と言い放って困らせたものの。
「……お前ら、何してんだ?」
思い出すだけでにやけられる、割と最近のこと。思い出して淡々と語っていた俺の背後から、とんでもなく冷たい声が飛んできた。
「…………クロウ……その…すまない」
「俺と遊星のこれからの参考になるかと思って『先輩』に話を聞きに来たところだ」
目をそらした遊星が、開けかけのインスタントコーヒーの蓋を閉める。隣のジャックはニヤニヤと、腕を組み胸を張る。気配が近づいてきた。俺は、椅子に座ったまま、背を逸らして見上げる。あまり見ないようで実は良く見る、下からの視点で見るクロウはそれでもやっぱりなんか小さい。
「ほう……ほほう……で、京介、お前は何を喋ってんだ?」
「俺とクロウの愛と満足を満足いくまでイテッ」
髪の毛引っ掴まれた!両手で!
悲鳴も上がらないほど痛い、抜けそうで抜けない力加減が絶妙に痛い!
「く、くろ、してな、してないから、ヤった話はしてな」
「だああああああああ!!」
「〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」
今何本か抜けた!
助けを求めて持ち上げた手は誰も取ってくれない、ニヤニヤしてるジャックと、気まずそうに俯く遊星が視界に映っても。クロウの手が下に降りるのを追いかけて精一杯首を逸らして、張った喉の痛みにまた悶えそうになる。
でも、真っ赤になったうちの猫は相変わらずどこのどいつよりも可愛いなあと思ったら笑えてきて、神様クロウ様、俺はとても幸せです。
「ジャック、俺もあれをやった方がいいのか」
「そこを参考にするな…俺もあれはやらんぞ」
「じゃあ、バイクで二人で遊びに行くあたりはどうだ?」
「……悪くないな、行くか。邪魔したな」
疲れ切ったクロウの肩を叩いて、動き出した後輩達も幸せそうだ。
俺の未来、明るい明るい!
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