飼いネコの憂鬱



 古典的だが効果的、掛け布団を引っぺがしておまけに蹴りを一発入れて、目覚まし時計ごときじゃ起きない相手を起こすには一番いい。寝癖のついた水色の髪を掻き回しながら、だるそうに起き上がった背中に蹴りをもう一発。

「……はよー…」
「早くねーよお前今日同じ時間に家出るんだろ?」
「んー……? ……あ、一限」
「ほらみろ!」

 枕を掴んでぶつけてやって、適当なシャツとジーンズを投げつける。布団はぐちゃぐちゃだ、昨日の夜中からずっと。
 うにゃうにゃと意味のわからない声をあげながら、鬼柳はそれでもちゃんとシャツに腕を通している。朝方にシャワーを浴びておいたのは正解だった、と心から思う。どうせ朝には脱ぐんだからと、パジャマ着なかったのも、悔しいけど正解だった。

「くろう、朝飯ぃ…」
「諦めろ!こっそり食え!」

 ふらふら台所に歩いてきたところに、巾着袋に入れた弁当と握り飯を一つ投げつける。
 なんか、朝から投げつけてばっかりだ。なのに全部無意識に受け止めてくれるあたりこいつは大物だと思う。そんな話をしたら終わり、惚れたもん負けだよなあ、そう言って微笑まれて、おれは敗者を自覚するんだ。

「俺の…味噌汁…」
「諦めろ!」

 朝はパンでも米でもいい、だからだいたい米。育ち盛りだから、ついつい買い食いに走るのは目に見えてる。そんなとき手が出しやすいのはパンだから、朝は米。その方が、弁当仕上げるの楽だし。おれが。

「…ったく、だから走るなっつったんだよ」

 玄関口に立って鞄を掴んだ鬼柳の背中と時計を順に見つめてみれば、想定より余裕を持った時間だったことに気が緩んだ。ぽつり、零れた言葉を、鬼柳は拾ったらしい。「あ」、言って、振り向いた目に悪意はない。

「クロウ乗ってくよな?」
「あ?」
「痛いんじゃね、ケツ」

 あと腰。
 自分の腰に手をあてがって、何気なく小首をかしげる。油断しきった顔の癖に妙にサマになってやがるから、殴ろうとした拳も上げきれない。

「――ッ、デリバリーがねえ!」
「デリカシーは今更」
「るっせぇ!乗せてけ!」

 投げつけた言葉も受け止められて、笑われて終わった。

 靴をはくのも億劫で、爪先で引っかけて外に出た。鬼柳は悠々と靴箱の上のメットを二つ取って、おれが押さえてたドアから外に出る。
 履き古したスニーカー。おれの方が少しゴツいけど、鬼柳のほうが少し大きい。色も形も違うのに、当たり前に並ぶようになったのはこの春からだ。


 最初は酷いモンで、鬼柳の異常な性癖の犠牲になったのがたまたまおれだっただけの話だ。

 スピード狂の鬼柳は、バイクですっとばすとテンションが振り切れる。馬鹿みたいに飛ばすし、他人に喧嘩は売るし、下品なこともしれっと言うし、別人みたいに乱暴になる。
 それがなけりゃいい走り仲間で、それがなけりゃいい友達で、第一男同士だ。妙にじゃれてくるのだって冗談だろうって、心のどっかで油断はしていたんだと思う。

 だってそうだろ、綺麗な顔してんのは鬼柳の方だし、可愛い可愛いって頭撫でられたって、悔しいけどおれちいせえし、年下だし。そういう対象になるなんて思ってなくて、今も思ってねえけど、そういう流れになっちまって。
 無理矢理じゃ意味がないんだって、死にそうな顔されて。こっちが耐えらんなくて、――
 
 おれと鬼柳は男同士だけど恋人がするようなこと一通りする関係になって、鬼柳の進学に合わせて、一緒に暮らすようになった。
 相変わらずバイクでカッ飛ばした後は気でも狂ったんじゃないかってくらい獰猛におれを襲うけど、まあ、あとは相談の上で、それなりにうまくやってる。
 我慢できないって言われるときの感覚も、理解できるから頭の中で許してやるのは簡単だ。プライドと予定が邪魔をして、無駄にする時間はあるけど。






 まあ、無事お互いに始業には間に合ったからこれはもういい。
 しかしな、授業ってのはなんで座って聞かなきゃなんねえんだろうな。歯を食いしばって耐えてたら昼には慣れてきて、やっと放課後だ。


 廊下の隅、窓の外を横目で見ながら、壁にもたれて音楽を聴いていた。

 夜中に風呂に入って髪を乾かす余裕もなく眠ったせいでいつもみたいに決まらなかった髪型が、帰り際の今気になって仕方がない。手櫛で整えてみて、気休め程度に逆立てた。
 ルームメイトが迎えに来るとしたらそろそろだ。来たらすぐに出よう。片手に握った携帯を眺めようとすると、目の前でひらひらと、人の手が振られていた。

「あ? え? あ……あああ、ゆうせい! おう、どした!」
「……お前が、どうした?」

 遊星はおれが胸を張って言える親友。頭もいいし顔もいい、運動もできる、でもメンドクセーやつに好かれちまったおれ並みに運のないやつだ。何でもないつもりだったのに、そうは映らなかったらしい。隠し事は、苦手だ。
 考える。視線をとりあえず反らして、どこまでなら言ってしまえるだろう。

「昨日……元会長とツーリングする羽目になった……」
「……よく帰って来られたな……」

 同情の眼差しを受けて、クロウは頷く。選んだ台詞は間違いではなかった。嘘ではない。散々走って、帰宅して、走り足りないと喚いた末にあの男、そうだ、あろうことか床の上で事に及んだのだ、朝も早いというのに、よりにもよって床で!
 ひしひしと怒りに近い感情と、遅れた羞恥が沸き上がり唇の端が引きつる。

「断るに断れなかったからよぉ……走るのは嫌じゃねえんだもんなぁ」

 そうだな、と相槌が打たれる。ハラハラさせられることはあるが、何故かアイツと走ると天気はいいし風もいい、走るコンディション全てに愛されているみたいに。
 実際そうだ、アイツは愛されている。本人が思っている以上に、運命に愛されている。それならおれだってこうも絆されるよな。諦めにも似た感情で息をつく。でも、胸はすっとしてた。

「お前はジャックがいるからいいよな、あいつなら平気で京介も追い払うし」
「お前だっていつも逃げ切ってたじゃないか」
「ん? まあ……な」

 無碍に断るわけにもいかない。
 一緒に走ろうと言われて、嬉しくないはずもないのだから。
 
「おい、遊星」

 そこで、ジャックから声がかかる。
 咄嗟に姿勢を正して、おれは逃げの体勢をとった。ジャックはまずい、変なところでカンが鋭いし、何しろ遊星より鬼柳を知ってる。余計なことを言われる前に、逃げるに限る。

「じゃーな! おれ帰るわ!」
 
 ジャックの視線が追いかけてくる気がして、振り切るように下り階段に飛び込んだ。

 勢いよく踏み切ったからあちこち痛んで飛びあがりそうになった。が、おかげで転げ落ちるくらいの勢いがついたから今回は許す。
 ばかやろう、と外で待ってる奴にテレパシーを送ったつもりになりながら踊り場で小休憩して、そっからは手すりを掴みつつも小走りで降りていく。悲しいかな、おれの身体はずいぶんと後始末になれてしまっていて、どうにでもなっちまうんだ。慣らされたんじゃない、慣れたんだけどな。
 正面玄関から出るとバイク置き場には遠いから、上靴だけ下駄箱につっこんで、職員用玄関から出ることにする。踵に指を滑り込ませてきっちり履いて、ほとんど空っぽの鞄を持ち上げ直して深呼吸。

 帰りが一緒になるのは久しぶりだ。そんでもって二人乗りだ。朝はイライラしてたからそれどころじゃなかったけど、落ちついた今になって意識しはじめちまって、何か今さら恥ずかしくて、ああもう、ああ、もう。
 屋根付きのバイク置き場の下で、ぼさっと立ってる。煙草でも持ってりゃサマになるのに、あいつ、年上だっつってもまだガキンチョだもんな。
 頬が膨らんでるのは、鞄に入れておいてやった飴食ってるからだろう。夕飯は一緒に食えるって知ってたから、きっとあいつ、今日間食はあの飴だけだ。

「……、京介!」
「ん」

 最初は違和感しかなかったのに、顔を見れば当たり前に零れる名前。鬼柳って名字はいい感じなのに京介って名前がどうも普通すぎる、嫌いじゃないけど――グダグダ言うから自然とみんなが鬼柳と呼んでた伝説の卒業生を、おれはごくごく自然に名前で呼ぶ権利を持ってる。
 片手を上げて笑いかけてくる姿は、まだ少し遠い。もう一歩踏み出したら手が届く距離になった。メットを一つ渡されて、肩をどついた。
 照れ隠しなんかじゃ、断じて、ないぞ。
  
「……もっと早く来れなかったのかよっ」
「はぁっ!?俺めっちゃ飛ばしてきたぜェ?!」

 ちょっと間延びした声。一瞬で寄った眉間の皺。機嫌が悪いわけじゃなくて、これはむしろ、――良すぎる。

「……そうみてえだな」

 自然と腰を押さえて引いたおれをみて、京介はケラケラ笑った。昂ってるとやばい、場所がどこであるかもすっとばして全身で愛情表現しようとしやがる。なのに当然のようにバイクに乗ろうとしたもんだから、腕を掴んで引き留めた。

「なんだよ、だぁいじょぶだって、もう落ちついてっから」
「信用できねえ、お前うしろ」
「えー、もういいのか?」
「いーんだよ、安全第一で帰る」

 前におれが乗ってしまえば、後ろには鬼柳が乗るしかない。だからさっさと道を塞いで、顎で座れと促した。

「へいへい。んじゃお言葉に甘えて」
「首かじんなよ」
「へーい」

 返事は早いのに無駄にくっついてくるから、ばかやろう、と今度は口にして振り向かないまま腕を上げて後ろのメットを小突いた。項がなんとかって、後ろに座るとたまに人の首噛むんだこいつは。メット邪魔だろうに、制服の襟よけてもぞもぞ動くから擽ってえし、ンなこと、野郎同士で普通はしない。はず。
 おれ達は一緒に暮らしてるし、『そういう関係』だけど、遊星やジャックみたいに、妙な説得力を持って一緒にいて当たり前に見せられるだけの力はない。

 ああ仲がいいなと笑ってもらえるならありがたいが、きっと、おそらく、いつかは途切れてしまう関係だ。男と女なら将来の話でもしただろうが、おれ達はまだガキで、どっちも野郎で、楽しいことばかり探してる。
 来るべきごく普通の未来で失敗だったと思わないように、あくまでおれ達は外では仲のいい友人でいるって最初に決めた。

 面倒事にならないように、って、おれはそれしか伝えてないけど。
 妙に夢見がちな京介に、別れること前提でのお付き合いを、なんて、言えないだろ。

 ぎゅっと抱きしめられた腰、メットがぶつかるくらいの距離。退屈なほど標準速度で走りながら、ぼろぼろ零れてくるあまったるい言葉を聞き流す。
 好き、大好き、クロウ愛してる。聞こえてると分かってるのか、聞こえないと思ってるのか、ただの暇つぶしか。とにかく本音だってのは、分かってるつもりだ。
 

「……いつか」

 別れるべき日が来たら、おれがこいつを切り離してやらねえといけねえんだろうなぁ。
 しんみり考えてたら声に出そうになって、呑みこんだら溜息をつきそうになって、笑えた。
 振り返って抱きしめ返したいとか考えてるおれに、できんのかなあ。





















Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!