Say yes,Jesus!--京クロR-18
2




 真夜中。人の動く気配を遠くに感じ、鬼柳は目を覚ました。静かにベッドから這い出て、辺りを見回す。白い丸皿の上に、綺麗に剥かれた林檎の皮が置きっぱなしになっていた。変色してしまったその傍らに、木製の持ち手とさやのついたフルーツナイフが一本。
 鬼柳のマーカーを見て、鬼柳が重罪人であることは分かっていただろうに、彼女はどうしてこれをここに置いていったのか。鬼柳はナイフを握りしめ、苦悩した。
 試されているのか。それとも、鬼柳が殺しに刃物を使わなかったことを、知っていてそうしたのか。そうでもなければ忘れていたか、徹底的に、鬼柳を信頼したか。
 答えは出ない。けれど、ドアの外を過ぎて行った静かな足音を聞きつけて、鬼柳はナイフを手に取った。

 ドアを開く。人影はないが、廊下の奥に燭台の明かりが揺らめいた。誘うように揺らめくくすんだ緋色と影を追って、鬼柳はゆっくりと進む。

 知らない廊下であるせいもあって、随分と長く感じられる廊下。気を抜けば響いてしまう足音を押さえて進み、行き止まりにあった扉を開く。月の明かりと、僅かな燭台の明かりが照らす。床一面に、鮮やかな赤。
 辿りついたのは、鬼柳が倒れ込んだあの聖堂だった。

「眠れねえのか」

 かけられた声に振り向くと、クロウが手にした燭台を壁に取りつけられた止め具に設置しているところだった。仄かに笑みを浮かべて、鬼柳を見る。視線が近いことに違和感を覚えながら鬼柳が踏み出すと、爪先がこつりと段差を蹴った。
 そこで初めて、彼女が祭壇の前にいることに気付く。二段上の高さに置かれた低い白い祭壇。足を持ち上げて同じ高さに立つと、彼女は鬼柳を見上げて、どうした、と再度問いかけた。

「俺は……」

 鬼柳はクロウから目を逸らす。視線を定めることもできないほどに彼を突き動かそうとする、体の奥から湧きあがる衝動に耐えて、拳をかたく握りしめる。この衝動の行き先を彼は知っていた。幼いころから抱えてきて、今、彼にこの道をつきつけた影の正体。
 細い手首。凛とした眼差し。罪の証を刻まれてもなお残る信じがたいほどの聖の雰囲気。触れてはいけない。触れてしまえば汚れてしまう。
 鬼柳は弱く首を振ったが、なんの抵抗にもならない。燭台の明かりでは照らしきれるはずもない闇が、彼の内を覆った。

 視界の端に映った祭壇の装飾の眩さを、認識しきる前に、動く。
 クロウの細い手首を捉え、銀色の瞳を覗き込む。そのまま彼女の足を払って、祭壇の上に倒したその身を自らの身で覆い隠した。燭台の明かりで影が作られ、見下ろす壁の十字架は、クロウの表情を確認することはできないだろう。ニイ、と唇の端を釣り上げて、鬼柳は金の瞳を煌めかせた。

「ああ……そうだ、遅れちまったが」

 罪悪の欠片も見せなくなった瞳いっぱいにクロウの顔を映し、鬼柳は嗤う。事実、今彼は先ほどまでの葛藤も、足の痛みすら微塵も感じていなかった。体の奥で暴れていた衝動が、全てを奪い取ってしまったように。
 ほぼ別人と化した表情と態度に、クロウも戸惑いを隠せず鬼柳を見上げる。鬼柳は受けた視線に歓喜に似た感情を覚えて、更に笑みを深めた。

「助けてくれてアリガトウ。シスター・クロウ」

 顔の横で戒められた両手。祭壇の上に縫いとめられた体は、へし折られた黒い十字架のよう。クロウの体を倒すと同時に祭壇に突き立てたナイフが灯りを反射して光る。唖然と開かれた唇を、鬼柳は噛みつく勢いで塞いだ。

「っんん! ……ッ」

 口が閉じられる前に舌を捻じ込むと、浮いた足が空を蹴る。長いスカートから覗いた足は白く、足首までしか覆わないブーツは少し大きいのか、足が動くたび少しだけ不自然に揺れる。鬼柳が彼女の左手の拘束を止めれば、その手はすぐに鬼柳の肩まで伸びてきた。押し返そうとする力を感じながらも、鬼柳はまたナイフを手にした。

「……可愛い子羊どもが、起きちまうぜ?」

 ナイフの刃先が、クロウの鎖骨に触れた。はっとクロウが息をのむ瞬間、容赦なく胸元から彼女の着衣が切り裂かれる。臍のすぐ上まで裂かれた修道服を左右に開いて、鬼柳は思いきり顔を顰めた。

「ンだよ……小せえってーか、ねえな」
「う、うるせぇ!」

 彼女は下着をつけていなかった。ナイフで裂いた修道服は厚く、透けることもなければ彼女の体のラインを顕わにすることもない。手の平で無理に押し上げれば辛うじて膨らみを確認できる程度の胸が隠れていても、とやかく言う者はいなくて当然だ。
 くるくると手の中で回したナイフを、クロウの胸へひたりと押し当てる。中央よりやや左、心臓の真上。柔らかな皮膚を貫く寸前で止められる先端。

「っぁ」

 ほんの僅かに盛り上がった彼女の胸を、鬼柳の右手が絞るように掴みあげる。クロウの唇から零れる、高い悲鳴。ナイフの先端が肌を横に滑り、控えめに盛り上がった左胸の先に触れるとクロウは唇を噛みしめた。ちらとそれを見て、鬼柳は対称の位置にある右の先端を親指で押し潰した。
 
「は……ぁふ、う」
「感じてやがる」

 右の突起を摘みあげ、びくりと跳ねるクロウを見下ろし嘲笑う。左胸をくるくると先端でなぞっていたナイフは、唐突に振りあげられ、クロウの顔の真横に突き立てられた。
 木製の祭壇に突き立ったナイフが、マーカーの刻まれたクロウの頬を映す。クロウの灰銀の眼が、燭台の炎で浮かび上がるナイフの白銀を捉えて震える。一層大きく喉を震わせ笑った鬼柳の声が、不自然な静寂を裂いた。

「慣れてんのか? とんだ淫乱だぜ……コレに興奮してる奴らも大概、アレだけどよォ」

 唇を噛んで睨みあげるクロウの視線にもかまわず、鬼柳は次にクロウの両足を大きく開かせ、長いスカートをばさりと捲りあげた。小さなリボンのついた真っ白な下着が見えて、茶化すように口笛をひとつ。
 強い抵抗を示さなかったクロウが、そこでようやく無理矢理に上体を起こし、両手で鬼柳を制そうと暴れ出した。もちろん両足は必死に閉じようとしていたが、その間に鬼柳が立っているため目的は果たされない。ナイフを気にかけながら緩く首を振り、クロウは嫌だ、とたどたどしく繰り返した。

「嫌……っそこは、駄目、だっ!」
「今更何言ってんだよ、どうせこっちも――」

 幼さの残る下着を片手で引き下ろし、鬼柳は絶句した。
 年頃の女性であればあるはずの、体毛がない。不自然に剃られた痕は若干残っているが、つるりとした性器は何に隠されることもなく緩く口を開いている。諦めたように脱力したクロウを抑え込む意味はもうない。鬼柳は割れ目の上を指の腹で撫でた。少しだけ、細かな凹凸がある。

「こういうプレイが好きなのかよ、セキュリティ様は」

 ざらざらと撫でて、責めるようにクロウを見下ろす。拘束をされてもいないのに、祭壇にはりつけられたように動かなかったクロウは、今にも泣き出しそうな顔をより歪めて呟く。

「あんた、おれを、……犯すのか」

 慈悲を乞うには艶めき過ぎているが、誘いと取るには悲哀に満ちた、そんな表情。鬼柳は逆に表情を消した。じっと答えを待っているらしいクロウに答える代わりに、チイと舌を打つ。

「今更その質問は、とぼけすぎじゃねえか、シスター?」
「……止めた方がいいぜ……」
「そんな顔していう台詞じゃねえなあ」
「あんた、死ぬかもしれねえ……」
「はァ?」

 突拍子もない言葉が続き、とうとう鬼柳は不快感を表情でさらけ出した。クロウは拒絶の言葉をこれだけ吐いておきながら、鬼柳に本気で抗ったのは先ほどの一瞬だけだった。夜闇に紛れるほどに黒に近い修道服をここまで引きはがされて、ほぼ裸体とされた状態にもかかわらず、彼女は抗わずに淡々と告げる。

「おれを抱こうとした奴、みんな死んでんだ。例外はねえ」

 それはつまり、死刑宣告。
 ばかみたいな話だろうと彼女は自ら言って嘲ったが、鬼柳はそれを笑い飛ばすことができなかった。
 聖堂の祭壇の上、罪を刻んだ聖女。凛と咲く花のような、月のような、それでいて太陽のような。眩くも柔らかに鬼柳の眼に焼きつく姿は確かに、汚されてはならない聖域であった。

「カミサマとやらが、汚れるなって言ってんだろうよ。おれが死んだら御使いにでも仕立て上げてえのかな…山ほど人、殺しといてよ」

 クロウの手が、鬼柳に向かって伸びる。今鬼柳が身を倒せば、彼女の両腕は鬼柳をしかと抱きとめるだろう。自嘲の笑みを浮かべたまま。

「見たいなら脱いでやる。触りたいなら触ればいい。咥えて欲しけりゃしてやるよ。だから、そこまでにしとけ。悪いけどな、脅しじゃねえんだ」

 鬼柳の体に戦慄が走った。
 彼女は、鬼柳を許し、それどころか与えようとしている。罪の上に与えられた死という運命を、避けさせようとまでしている。
 正体不明の衝動はもう確信に変わっていた。鬼柳は伸ばされた彼女の手に触れることなく、僅かに湿り気を帯びていた割れ目にぐいと指を押し込む。

「っ! おい、あんた、話聞いて…!」
「クロウ、きっとお前は嘘はつかねえ。けどな、ンな話聞かされたらむしろ止められねえよ」

 鬼柳は笑った。先ほどまでとはまた異なる、大人びた微笑。浮かべた瞬間クロウの視界を支配するほどに美しく笑んだまま、無邪気な声で、今度は鬼柳がクロウへ告げる。
 
「『オレ』に出会ったやつは、みんな死んでる。例外はねえ」

 鬼柳が抑え込めない衝動は、鬼柳に罪を刻んだもの。鬼柳を恐れ逃げまどう顔も、無邪気に投げかけられた笑顔も、全てを壊して消してしまう。死を与える者として、彼らの生に鎌を振りおろす衝動。
 誰にも止めることができなかった凶悪な衝動を止める術を、自らの生の中で鬼柳は求めていた。だからこそ望んだ。
 これは鬼柳の懺悔であり挑戦なのだ。

 聖域を切り開こうとする鎌に、天は抗うだろうか?

「なあ、クロウ」

 ぐいとクロウに顔を近づけ、片手で自らの下の着衣を寛げる。やがてぴたりと触れた熱に、クロウは全身の皮膚を泡立てた。

「死神様がついてんだよオレには。お前のカミサマと勝負させようぜ?」
「っば、ば、か! それじゃ、あんた、…っひゃ、ぁあっ!」

 拒絶の言葉は悲鳴に消える。ず、と肉を割りめり込んだ熱が、きつい壁と薄い膜の抵抗を受けながら奥へと進んでいく。圧迫感に顔を顰めた鬼柳の髪を、すっかり顔を青くしたクロウが気遣うように
撫でた。
 鬼柳は頭を振ってその手を払い、残りを全て押し込める。クロウは最後に受けた衝撃に、眼を閉じた。

「……い、た……ぅうっ」
「ヒャハッ、オレの勝ち、だな」
「んん、あ、う、うううっ……」

 誰も蹂躙しきれなかった聖域を、死と性で汚れた熱が荒らす。妙に客観的に本能的な快楽を受け入れながら、鬼柳はクロウの小さな体を揺す振った。柔らかな肉が揺れるでもなく、祭壇をがたがたと鳴らしながら震える、見た目には幼すぎる身体。
 溜めた涙を零しながら、必死に鬼柳に向けて伸ばされる手は、行き場を見つけられずに彷徨う。震える指先に、鬼柳は自分の指をからめる。悲鳴染みた嬌声を聞きながら、彼女の涙を舌で掬い。

「なあ、お祈りしようぜシスター」
「ぅんっ……?」

 荒い呼吸にまぎれて、確かにクロウは声を上げる。頬と額の黄色は、一目見て罪人であることを理解させるための証だが、今はまるで鬼柳の罪を責め立てるかのように闇に浮かんでいる。
 小さな手。絡めた指。強く握って。

「あんたのカミサマが慌ててオレに天罰下さねえように。それから、オレの死神様があんたを殺す気にならねえように」

 彼の生を。彼女の聖を。
 何ものにも奪われないように、何ものでもないものに願う。下らないだろうと鬼柳が笑うと、クロウは苦痛で染まっていた顔に、それでも笑みを浮かべた。
 大きな手。絡んだ指。握り返して。

「主よ、我が主、罪を、っぁ、これを、罪とおっしゃるの、ならっ、お許し、くださ、っ、……うぅんっ!」
「死神様宛ては?」

 鬼柳は空いた手で彼女の胸を揉みしだき、内部に見つけたクロウの弱点をひたすらに責め立てる。すっかり甘く蕩けた声が、次の言葉を紡ごうとしてふっくらした唇から零れるが、意味をなす言葉はなかなか発されない。くく、と笑う鬼柳を睨みあげ、クロウはうう、と小さく唸った。

「っ、そ、な、されたらっ、できなっ」
「じゃあオレが代理、なっ」

 握った手をクロウの胸に押し付け、鬼柳が仰々しく天を仰ぐ。背後に飾られたオブジェが見えない位置で、聖堂に反響しない程度の声で。

「我が主、このオレ、鬼柳京介と、彼女の罪を見届けたなら、クソみてえな彼女の主なんぞ絞め殺しちまってくださぁい」

 はっとクロウが眼を見開く。しかし、見えない神に喧嘩を売る鬼柳はそれを見過ごした。
 思いきり中を抉られて喘いだクロウに、ようやく彼は視線を戻す。自然と額に浮かんだ汗を左手の甲で拭い、ふ、と息を吐き。

「そんで、シスター」
「ぁあうっ」

 繋いだ手はそのまま、片足をしかと掴んで腰を打ちつける。何度も繰り返された行為に、クロウの体はもう順応している様子だった。胸の上で握った鬼柳の手に、もう片手も重ねて、何度か口を開きかける。
 鬼柳はあえて、その声を聞こうとせずに続けた。

「そんなカミサマ見切りつけてさ、オレと逃げようぜ」

 








「……、鬼柳」

 柔らかな声に呼ばれて、鬼柳は倦怠感の残る体に鞭を打ち、まず眼を開けた。燭台の灯だけでなく、聖堂の窓から差し込んだ朝日が辺りを照らしている。それを知覚した途端、足の痛みに顔を顰める。小さな手が傷口の上に添えられて、今度は唇を動かした。

「……クロウ……」

 ボロボロの修道服を胸元で片手でかきあわせて、少女めいた笑みで頷く。「鬼柳」と、確かめるようにその名を呼んだ。
 祭壇に寄りかかり眠っていた体は、傾けるだけでビシビシと音を立てる。クロウは鬼柳の隣にちょんと座って、さりげなく彼の背に手を回した。
 鬼柳は深く息を吐く。昨夜の出来事は、今までにないほどはっきりと思いだせていた。触れた肌の柔らかさも、聞いた声も、己の言葉と行為も。
 彼女を殺めることだけはしなかった両手、それだけは褒めてやりたいと思いながら、頭を抱える。

「……悪かったな……代わりに、俺を殺すか、シスター?」
「……覚えてる、んだな。へええ、変なの」

 ちらと向けられた視線を受けて、クロウは笑みを崩さなかった。昨夜の行為を彼女こそはっきり覚えているだろうに、この態度はおかしい。しかし鬼柳には問うこともできず、しばし沈黙が流れた。

「なあ鬼柳、お前には死神がついてるから、人殺ししちまうのか?」

 クロウが問う。ぺたりと、鬼柳の頬のマーカーを手の平で隠しながら。 

「……さあ……そうかも、しれねえな」
「だったら」

 鬼柳の頬を軽く叩いて笑う。クロウはその目をきらきらとさせて、少し首を傾けた。

「お前こそそんなカミサマ見切り付けて、おれと逃げてみるか?」

 鬼柳がはっと眼を開く。
 震える体と、それを気遣う体。ふたつ、こうして並んでいた記憶が、どこかで引っかかった。慌てて合わせた視線、クロウの眼が細くなる。


「お前が怖がるような優しさなんて、おれは、持ち合わせちゃいねえから」




 ――怖くなってさ。
 ――優しくて。優しすぎて。


 ――お前、名前は?



 ――「きりゅう」





 遥か昔、収容所が建設される前の街。月すらない深夜のことだ。

「お前、名前は?」
「……」
「ないのか?」
「……」

 毛布を頭から被って、小さな教会だった建物の扉の前で座りこんだ子供。鬼柳と歳が近いようではあったが、少女なのか少年なのかすら分からなかった。けれど鬼柳は、構わずその子の隣に座り込む。ただ膝を抱えただけでも、子供の肩は顕著に怯えて震えたので、それ以上は近づかず。

「教会にいたって、いいことなんてねえよ。だって俺、教会から逃げてきたんだ」

 唇を尖らせ拗ねた口調で告げると、子供は少し、顔を上げる。かさかさに荒れた唇。毛布を抱え込む土で汚れた手。伸びっぱなしの爪。それをちらちらと見やりながらも、鬼柳は問わずに続けた。 

「親が死んでさ、うろついてたら拾われたんだ。シスターしてるおばちゃん、やかましくてさ。そんでも、めちゃくちゃ優しくて」

 膝を胸に引き寄せて、頬を推しつけるように乗せる。子供はまた、顔を上げた。眼は隠れて見えない。けれど唇が柔らかな曲線で形作られていたので、なんとなく、鬼柳はその子が少女ではないかと直感した。

「優しくて、優しすぎてさ、俺、逃げてきたんだ」

 震える手を握りこみ、鬼柳は唇を噛んだ。子供の震えは消えていた。半袖のシャツから出た鬼柳の腕に、汚れた毛布が触れる。

「俺、色々あってさ、一人で生きていくって決めてたの、駄目になると思って」

 毛布がさらに押しつけられた。鬼柳の体が震えだしたのに気付いて、毛布ごと、小さな体が寄り添ってきたのだ。鬼柳は少しだけ笑みを浮かべてから立ちあがる。
 寒いのではない。この幼い、ささやかな気遣いすら怖いのだと口にしなかったのは、小さいながらも男としてのプライドから。

「もし、優しいのが怖くないなら、明るくなったらあっちに真っ直ぐ行きな。ぴっかぴかの教会と家があってさ、ゆうせーとか、じゃっくとか、シスター・マーサ。いるから」

 指を指す。子供の顔が、指の先へくるりと向いたのを確かめて、もう一度、「真っ直ぐだからな」と繰り返す。

「歩いてけば、ゆうせーとかジャック、俺のこと探してるかもしれない。きりゅうがどうとか言ってたら、気にするなって言ってくれ。それで、優しいのが怖くないなら、そいつらにくっついてれば大丈夫」

 こくりと子供が頷いた。見届けて、鬼柳は歩きだす。子供は引き留めようとしたのか腕を伸ばしたが、力も入らずまだ短い腕は、鬼柳のシャツを掴むこともできなかった。






 優しさに怯えて逃げ出した少年の告げた通りの道を行き、その子供は、気の強いシスターと少年たちに囲まれて、少女でありながらも随分と勝ち気に成長した。
 その子に後日与えられた名がクロウであったこと、優しさに怯えていた少年、「きりゅう」が持つ優しさに彼女が気付き、あるとき神に願ったことが何であるかも、彼女しか――


「我が主、どうか人々に平穏を。けれどもし、彼が傷ついているのなら、その傷はおれに塞がせてください。彼がもう、怖くないように。おれが、そばにいてあげられますように」


 否。
 彼女の願いは、天もまた、知っていた。






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