あどけない寝顔 ▽

 夜は、嫌でも更けていく。
 
 テーブルの上に広げたカードをついと指で押しだして、ぴたりと左に寄り添った体温を感じながら、鬼柳は「でな、」と言葉の続きを紡いだ。
「これ出して、相手がこう来たら……クロウ?」
「……んぅ……」
 唸るような返事が聞こえた。
 違和感を感じて、出来るだけ動かぬよう隣の少年の顔を覗き見てみる。先程まで大きく開いて煌めいていた瞳は、きっちりと閉じられていた。唇はふわふわと動いていたが、やがて薄く開いたまま制止する。
 よくまあ、こんなスプリングのないソファの上、硬い男の腕に寄り添ってこうも気持ち良さそうに眠れるものだ。
「クロウ、……おーい」
 左腕は動かせないので、右腕を伸ばして、オレンジの逆毛に触れる。触れられたのは分かったのか、クロウは眉根を寄せ、鬼柳の腕を伝い降りるようにソファに身を沈めていく。
 子供扱いを嫌う彼だが、実に幼い表情。
「おいおい」
 本気で寝てやがるな。
 浮かべた苦笑がただの微笑に代わっていくのを感じながら、鬼柳はクロウに触れる前の右手を、テーブルの上に戻した。一枚ずつカードを山札に戻し、テーブルをリセットしていく。
 鉄砲玉と鬼柳が呼ぶほどには直情型のくせに珍しく、敵チームの対策を教えてくれとこのデッキを持ってきたのはクロウなのに、これではもう意味がない。目覚めたところでレクチャー再開と言い出すのも可哀想だ。
 と、ソファに投げ出されたクロウの右手、指先が、何かを探すように蠢いた。
「何だ……? デッキ返せって?」
 答えの来るはずない問いと共に、テーブルの上の山札をその手に握らせてやる。力のない指が、それでもその束を包んだ。偶然、指先が触れる。
「っ、……んー?」
 クロウが呻く。
 起こしたか、と鬼柳は身を硬くしたが、クロウの瞼は持ちあがらなかった。一度乱れた規則ただしい呼吸が戻る。
 鬼柳は放し損ねて触れたままの指の驚くほどの暖かさに、感嘆した。もともと鬼柳は体温が低い方で、クロウは高い方だと話したことこそあったが、ほんの僅か触れあっただけでこうも感じ取れるとは思わなかった。
 鬼柳はその熱に誘われるように、デッキごと彼の右手を覆うように手の平を押しつけた。触れる指の面積が増えて、ますます右手が熱を持つ。
「あ」
 胸を熱くする感情の正体が、安堵であると気付いて声を上げた。
 こんなにも傍にいると、訴えかけるような体温。こんなにも心を許していると無言で伝える寝顔。隔離された世界に、寄り添う者がいる今は、確かに現実。
「ひとりで幸せそうな顔しやがって」
 そっと、デッキから手を放す。じわじわと湧きあがる心の熱に任せて、握りつぶしてしまいそうだったからだ。
「……負けねえぞ」
 
 鬼柳は目を閉じた。
 左手をほんの少し、クロウの右手に触れる位置に動かしてから。


今夜は帰らないで ▽

 鬼柳の様子がおかしいんだ。
 思いつめたような。
 いつも怖い顔をしている。
 どれが誰から聞いたものだったか、クロウの記憶は定かではない。ほぼ全員が同じことをぐるぐると言い続けている気すらする。それほど、鬼柳の様子がおかしい。
 名前を呼べば、すぐさま返るはずの笑顔が変わった。
 一番の異変はそれではないかと、クロウは考えている。
 
 鬼柳京介は、サテライトで恐れられる決闘の実力と同時に、彼なら何かを変えるはずだと思わせる、強い光を持っていた。
 明るい色の瞳が金色に見えるほど、彼の笑顔は眩かった。生まれつきだという白い肌、銀と呼ぶには青みの強い髪がまず誰もの目を引いた。サテライトにいるには、彼はとにかく、汚れていなかった。
 それでいて内側には、隔離された空間の壁を眺めながら、超えられないことを嘆くことをしない心の強さがあった。それを見て、クロウは、クロウ達は惹かれた。
 全て、どこに行ってしまったのだろう。
 『何もかも錯覚だった』
 そう、言ったのは誰だったか。
 クロウはその日、部屋に訪れてぼんやりと外を見ている鬼柳の背中をじっと眺めていた。普段なら、気配に気づいた鬼柳が振り向いて、どうした、と笑いかけてくれる。
 木製のテーブル、一度折れた足に添え木を打ちつけてまだ使っている丸椅子が一つ。
 クロウがデッキの調整によく使っている場所だ。アジトのソファはいつの間にか使い難くなっていて、最近はいつも、ここにいる。
 たった一つの椅子を占拠して、鬼柳は外を見ている。傾きかけた陽が照らしても灰色の街を、鈍い金色に映している。
 金色に見えるほど煌めく瞳は、随分くすんでいた。青銀の長い睫毛が影を落としているせいだ。
 血が通っているのかも疑わせる白い肌は、闇に腕を伸ばせば、すいと消えてしまいそうだった。
 あれはまるで亡霊だ、誰かがそう言っていた。
 ふざけたことを言うなとその誰かを殴ったのはクロウだったが、今、同じ言葉を投げかけられたら、同意するか、迷っただろう。
 そういえば鬼柳は諦めていたのだ。最初から。
 サテライトに立つ人間には破り得ない壁を見上げて、ニコニコと、あれからは逃れられないのだと、笑っていたのだ。
 
 何故、そんな言葉に希望を見たのだろう。
 ――分かっている、ここでできることなどないと、思いこんでいたからだ。
 けれど知ってしまった。自分達は、手を伸ばせば届くものがあることを、鬼柳に導かれた先で知ってしまった。
 
 彼の希望は、絶望の裏返しだ。
 そんなことまで、分かってしまった。
 鬼柳が振り向いた。驚いた顔をしていた。
 クロウがそこにいたことに、本当に気付いていなかったようだ。ここで暮らしているのは、クロウだというのに。
 悪い、邪魔だよな、そう言って、オロオロと席を立つ。
 今までは、まるでここも自分の家だと言わんばかりに堂々と微笑んでいた。
 今はどうだ。迷子が、帰る家を探しているみたいだ。
 丸い鬼柳の背中を見送る前に、クロウは、以前より細く感じる彼の腕を掴んだ。緊張した指先は冷えていたはずなのに、鬼柳の腕はもっと冷たい。
 驚いた顔が、またクロウを見る。
 掴んだ腕をそのままに、距離を縮めて、もう片手でチーム揃いのジャケットを掴む。
 サテライトの希望であった、伝説の男を思い起こさせるデザインだ。クロウはこれを与えられて、とても喜んだ。あの男を追いかけられる気がした。
 しかしチームサティスファクションが引き継いだのは、強い輝きだけだった。サテライトの壁を打ち破ることなど出来なかった事実を背負いながら。
 結局自分が追いかけていたのは、どの背中だったのか。 
 
 戸惑う鬼柳の声に名前を呼ばれて、クロウは両手に力を込めた。いつか、夢の中で握れなかった手だ。
 決めなければならないと思った。この背中が自分にとって何であるか、答えを出さなければ。
 向き合わなければ、駄目だ。彼と。自分と。
 帰るな。
 言う前に、鬼柳の両腕に包まれていた。
 埃っぽい、乾いたサテライトの匂いがした。 
 クロウにとって一番自然で、落ちつく匂いだった。
 
(四本)

怒れる王者の目にも涙▽


「ッ、バカが!」
 壁を殴りつけた手が痛い。
 部屋の隅で蹲ったクロウと、椅子に座って動かない遊星は、何を言う気もないようだった。
「すまない……俺が……」
「貴様もバカだ!」
 怒鳴られた途端、遊星はまた口を閉じた。クロウが突然立ち上がり、遊星と俺の間に立ちふさがる。
「うるっせえんだよジャック、ギャアギャア言ってんじゃねえよテメェが何したってんだよ!」
「ギャアギャア煩いのはどちらだ! ならば貴様は何をした!」
「ッ」
 鬼柳が、セキュリティに連行された。
 性根の腐ったような男だ。己の正義と名を付けた権力を振りかざし、鬼柳の罪を裁くことより、鬼柳を捕らえ、拘束した名誉への賞賛だけを求めるだろうことは安易に想像できた。
 あの男のもとで、まともな裁きなど期待できないだろう。
「俺は何もしていない」
「ジャック」
「俺には関係ない!」
 
 セキュリティに世話になった経験のあるクロウには、より理解できていただろう。鬼柳がどんな目に合うか、もう出て来られないという言葉にどんな意味があるか。
「……鬼柳は、どうなるんだ」
 
 遊星の言葉に、俺もクロウも答えなかった。
 確かに鬼柳は『悪』だった。
 それをセキュリティが正す、その仕組みに異論を唱えるつもりはない。しかし、あくまでこれは正当な手段で全てが行われた場合の話だ。
「知らん」
 嘘だ。
 遊星の目が言っている。サテライトの闇を、知らない歳ではない。
 それでも俺に言えるのはそれだけだった。
「俺は、何も知らん。何もしていないのだから、何を知ることもない、あいつのお陰で当分は目立った動きは出来んだろうことは分かるがな」
「ジャック、テメェ……!」
 駆け寄ってきたクロウに下から胸倉を掴まれて、ジャックは唇の端を上げた。途端、クロウの表情が変わる。戸惑いがちに指が解けて、ジャックの前で、俯いてしまった。
「……ジャック」
 遊星の、気を遣ったのが顕著な声音が憎かった。
 俺は何もしなかった。何もできなかった。
 痛む拳に手を添えて、やり場のない感情が滴になって頬を落ちる感覚をじっと受けとめた。
 俯くクロウが肩を震わせたので、迷った末、肩に手を置いてやった。
 
 慰めにも、ならないだろうが。

 
かなしなきからす▽

「鬼柳が死んだ」
 ばしゃばしゃばしゃ、自分の足音がうるさい。
 水たまりを踏みつけるブーツが泥だらけになったそばから、強い雨に流されていく。
「鬼柳が死んだ」
 いつもなら、増えたマーカーに文句を言いながら歩いていく道だ。でも今日は違った。そんなもの、全て吹き飛んでしまった。
「鬼柳が死んだ」
 そう聞かされた。
 すっかり顔馴染みになってしまったセキュリティの男が、最後の最後、小さく耳打ちしてくれた。
 まだ、発表されていない情報らしい。つまり、よほど壮絶な死を迎えたということだろう。情報の整理に、時間がかかっているということなのだから。
「鬼柳が」
 はっきりしない視界に映る町並みは、何色もしていなかった。
 繰り返す言葉に現実味がない。そんな嘘、セキュリティがついても何の意味もない。元気出せよ、と、小悪党の背中を叩いてくれるような男だ。ますます、嘘をつく意味がない。
「鬼柳」
 いつの間にか小さく見えていた背中を思い出そうとして、どうしても、胸を張った、リーダーの背中を思い出した。
 
 あの背中を、おれは追いかけてた。
 あいつはいつも、前へ前へ進んでいた。壁の中をぐるぐると、それでも前へ。おれはそれに負けまいと、前へ前へ進んできた。今もまだ、壁の中にいる。
 どうしたらいいか分からなくても、それでも進んでいる。
 その強さをくれたのは、確かに、あいつだった。
「鬼柳、お前まぁた、先走りやがって」
 雨は冷たいはずなのに、目のまわりだけ妙に熱い。
 あれ、マーカーは内側に刻まれたんだったか、そんなバカな。
 笑おうとして頬を引きつらせたらちゃんとここにあるぞと途端に右頬が痛んできて、笑おうとしなくても笑えた。
 止まっていた足元を雨粒が叩く。バタバタと。項垂れたおれの頭からシャワーみたいに流れて落ちて、全部地面に吸い込まれていく。バタバタ、バタバタと急かされている気がして、おれは首を振った。
 
「……先に、行きすぎ、だ」
 もうあいついねぇんだから急かされたって、追えねえよ。
 声はなぜか嗄れていて、おれはいつから嗚咽を殺していたかぼんやりする頭で考えた。


喜びに潤む先の▽

「生き返りやがった…ほんとに、やってくれやがった! はははっ」
 ダークシグナーとなった鬼柳が蘇ったと聞かされて、俺達はサテライトを探した。自らの手で、事実上、二度葬った男は、橙の髪の最年少の親友の腕の中で、目を丸くしている。
「何? どういうことだ? クロウ? 遊星? ジャック? 何だ、これ」
「……何でもない。久しぶりだな、鬼柳」
 よくみれば、髪が伸びたようだ。赤かったマーカーはクロウと同じ黄色で、眼も自分たちと同じ。ボロボロの囚人服を着て、随分痩せてはいたけれど、間違いなく鬼柳がそこにいた。
「あ、ああ……そうだ、遊星、なんでだろう、俺は、お前に謝らねえと」
「必要ない」
「俺はお前を責めちまった、俺が、ちゃんと」
「鬼柳、」
 記憶が混乱しているらしい。それでも、ボロボロと泣きながら抱きしめているクロウの背をあやすように撫でてやっている。確かに、彼は鬼柳だ。
「っつか、なあ、なんでクロウは泣いてんだ」
「泣いてねー!!」
 ぐずぐずと鼻をすすりながら言っても、誤魔化せないのに。
「あっ、何だこれ、マーカーすげえな!」
「うるせー!」
 クロウの手が鬼柳の髪を引っ張った。今目を覚ましたばかりなのにひどい仕打ちだ。ジャックは、未だ目を覚まさない女性を抱き起こして、視線だけをこちらに向けている。苦笑だ。駄目だなぁ、と声が聞こえる気がした。
 いつだったか、鬼柳とクロウが、二人で眠っているところを見たことがある。
 知ったジャックが悔しがっていた。クロウが赤の他人と二人きりで眠るなど有り得ないと、テーブルを殴った。だけど、鬼柳は仲間だ。俺がそう言うと、ぐっと言葉を詰まらせていた。
 二人とも幸せそうだった。
 俺がわざとそう付け足すと、また、机を殴った。
「あ……、遊星、とにかく俺は」
「良いんだ。後で話そう。今は、……クロウを頼む」
 これは、ゴドウィン兄弟の計らいだろうか。
 鬼柳は闘いのことを覚えていないようだが、誤解は、とけているらしい。あのころに戻ったつもりで話をすれば、鬼柳の記憶も落ちつくだろう。
 ボロボロのクロウが、首を振る。
「ちげーだろ、『クロウ、鬼柳を頼む』って言っとけよぉ!」
「……ああ、任せろ」
「任せねえよ!」
 顔も上げられないほどぐしゃぐしゃに泣いておきながら。
 そもそも、二人とも満身創痍なのに。
 長かった、長すぎた、今日までの闘いの記憶がほどけて、膜を作っていく。
 もう、終わったんだろうか。
 追うのも、ただ悔いるのも、怯えるのも。
「遊星、何笑って……泣いてんなよ!?」
「えっ! 大丈夫か遊星!」
 なあ、今は俺もお前たちみたいに、あのころに戻っていいんだろうか。
「遊星がどうしたというのだ!」
「……遊星、傷が痛むの?」
「えっ! やだやだ! 遊星死なないで!」
「縁起でもないこと言わないでよ龍亞!」
「この屑……チッ、遊星! だからさっさと病院に運ばれとけって」
 慌てて駆け寄ってくるのが傍にいた二人だけじゃなかったものだから驚いて、だけど俺は、一筋零れた涙ごと、俯いて顔を隠した。


楽観的救世主へラブレター▽

「ブラックバードデリバリー…」
 執務中、届いた封筒を表裏とくるくる見回してみる。 
「お手紙ですか?」
「おう……ブラックバードデリバリーからな」
 不格好な丸い黒い鳥。見覚えはない、けど、何となく何かを、誰かを思い出す。
 ブラックバードデリバリー。誰かを思い出させようとしているのだろうか。送り主の代わりに、この文字が刻まれていた。
 黒い鳥。――カラス。
 ニコが淹れてくれた紅茶(砂糖入り)をひょいと取って、じっとそのマークを見る。
「……クロウ?」
 そう言えば、今シティで宅配業やってるって言ってたか。
 もしかしてそれで使ってるマークだろうか。文字はベタなフォントだが、絵はどこか手描きっぽい。成程、確かに頑張ってんな。
 紅茶を一口、どれ、と無意味に声を上げて封筒を開ける。
 ペーパーナイフなんて洒落たものがあったので、ちょっと格好つけて使ってみた。
 真っ直ぐに開かれた封筒から、便箋が出てくる。
 この前、町に来たときに伝えきれなかった現状を伝えてくれようとしているようだ。デジタルプリントされた写真がバラバラ出てきた。
 手紙を書いたのはジャックのようだ。
 『クロウの字は汚すぎるし、遊星は忙しいから、仕方なく』と前置きされているが、実はアイツがけっこうこういうマメなこと好きだってのを知ってるから、心はむしろ弾んだ。
 
 案の定、これはクロウの宅配業のトレードマークのカラスらしい。 丸焼きにしたら美味そうだなと思っていたら、ジャックも同じことを思っていたらしい。ローストチキンのようだと、例えられている。
 
 WRGPへの準備は着実に進んでいるらしい。
 ちらりと聞いた居候は、写真にいる見覚えのない青い髪の男だろう。人の良さそうな顔だが、得体のしれない感じだ。俺の直感がそう告げている。
 あれやこれやと便箋二枚、ジャックの字が続いて。
 
 終わった、と思ったら、封筒からもう一枚便箋がでてきた。
 鉛筆書きの、子供みたいな字。
 あこがれている人がいた。
 三人いて、今は一人だけいる。今だからいう、あのころのお前だ。
 いなくなったときはわけが分からなくて、どうしたらいいか分からなくて、自分が大したことないんだっておもいしらされた。
 
 あと、会って思った
 変わらねえな、おまえ
「……!」
 最後の行の下に、うっすら透けて違う文字が見える。
 ぐりぐり鉛筆で書くから、消したのに残っちまったんだろうな、何気なく目を凝らしてみて、見えてしまった。きっちりと。
 すきだ
「こ……っ、こいぶみ」
 いや、この言い方は流石にないだろ、ラブレターだろ。
 いやそれもないだろ、あのころのお前の生き方が好きだとかまあそういうことを言おうとしてくれてうっかり書いてしまって恥ずかしくなっただけで、いやそれでも嬉しいけどできればそういう意味だったら、
 アレこれじゃ俺まるでクロウのこと、
「…………俺、クロウのこと」
 ――うっすら残っていた、三文字。
「……好きだ……」
 零れた言葉が、ブワッと足元からのぼってくる気がした。花が一気に開くような図が相応しいくらい、世界が春色に変わるみたいな。
 ウワア、と声が出て、思わず封筒を取り落とす。
 ニコもウェストもこの場にいなくて良かった。いたらたぶん二人の手つかんで部屋中ぐるぐる回ってる。ダンスなんてしたことねえのにたぶん踊れる。
 よくよく思い返してみれば、昔から、そういう対象に含んでたんだと思う。
 傍にいて感じた暖かい気持ちは父性だけじゃなかったんだ。あてはめる言葉が、自分の中で勝手に除外されてただけで。
 とにかく、ガンガン楽しそうに鳴ってくれる心臓を宥めて、感極まって湧きあがった衝動的な涙を袖で拭った。
 いい大人がみっともねえ、ってあいつは言ってくれるだろうか。呆れた笑顔が想像できる。
 顔を見に行こう、この手紙をこっそり持って、思いきって聞いてみよう。この文字の意図。
 肩透かしでも勘違いでも誤魔化されても、この言葉を俺が言ってやった時のクロウを見に行こう。
 引くなら引け。嘘じゃないから俺は引かない。
 でももし受け入れてくれたりなんかしたら、

「満足による男泣きが怖えな」

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