さて現代、世の中にはあらゆる発想で生まれた菓子があふれる時代。長く愛された物には魂が宿るとどこぞの国では言いますが、形を変え進化を続け、愛され続けた彼らにもそれは当てはまるのです。
これは、おかしなおかしの国の物語。
暖かなパステルイエローの太陽に照らされて、淡い花弁をもつ花の咲き乱れる国の中央に、お城があります。ミルク色の城壁で囲まれた白には、ピンクとスノーブルーの旗が翻っています。お城の塔の一室で、少年がはしゃぐ声がします。
「なあニコ、これは何だ?」
ミストブルーの髪、やや切れ長の眼はひまわり色。まるでお伽噺の姫君のような白い肌の少年。スノーブルーのファー付きマントを纏う彼は、マシュマロの精霊たちが作ったこの国の王子様で、鬼柳京介といいます。
マシュマロ同様の弾力があるスカイブルーのソファに埋もれて、金色のぴかぴかのおおきな王冠が頭からずり落ちないように押さえながら、小さな王子が指したのは机の上の白い菓子。
「チョコマシュマロですよ、鬼柳王子様」
「そうか……これ、チョコか」
王子付きの召使である少女、ニコは口元に手をあてて微笑みました。ウェーブのかかったダークブラウンの髪を下ろした彼女には、モーヴのワンピースが良く似合っています。しかし折角のきれいな笑顔も、純粋に輝いていた王子の目が、きゅうと細められた瞬間には消えてしまったのですが。
「本物のチョコ、腹いっぱい食ってみてえなあ」
なあ、いいだろ、ニコ?
にっこり王子が笑うときはつまり、こういうことなのです。
チョコを腹いっぱい食べるまで俺はぜってえ満足しねえからな!
マシュマロの王子、鬼柳京介は非常に自由を愛する少年で、時折どころかほぼいつも城の人々を困らせていました。優しいニコは王子のおねだりに城で一番弱く、結局その日も甲斐甲斐しく準備をし、とっても難しい魔法を使って鬼柳王子様をチョコレートの国へと送りだすことにしましました。
茶色のベストを羽織って、大きめの赤いTシャツを着た王子は、慣れない恰好にくるくるとはしゃいでみせました。
「いいですか、鬼柳王子様。王子が一人で突然やってきたとなれば大騒ぎになってしまいます。形式ばったパーティーの中でチョコレートが食べたいですか?」
「それはやだ」
「でしたら、王子であることは決して言わないこと。それから、いいですか、絶対に夕飯までには戻ってくださいね。分かっていただけたらさあ、いってらっしゃいませ、王子様」
ニコはピンクと水色の魔法のマシュマロを、王子様に渡しました。行きはピンク、帰りは水色をかじる様に教えられて、王子は頷きピンクのマシュマロを頬張ります。
これが、おかしなおかしの精霊さんたちの、はじまりのものがたり。
精霊界には独特の決まりがございます。それは、自らが宿り守るお菓子は、他の国で販売してはならないというもの。協定した国の間でも、そのルールは有効です。チョコマシュマロはいくらでも食べられても、チョコレートは個数限定。王子のわがままで買い占めるわけにはいかないので、ニコは彼をチョコレートの国へ送る手配をしたのです。
面倒な決まりだとお思いでしょうが、なじんでしまえば当然のこと。それがプライド故の掟だと言う者もいれば、それこそが精霊たちが争わず互いを尊重できる秘訣なのだと言う者もいます。王子の友人達も皆が同じ意見を持っているわけではなく、司る菓子ごとに見解があるわけでもなく。王子自身はその理由を考えることはとっくに諦めてしまっていました。
チョコレートの国は、マシュマロの国とはずいぶん気候も見た目も違っています。吹く風は弱く、空気はどこかひんやりと冷たく。見た目に関して王子が知る国と比べてみて納得できたのは、クッキーの国の町並みでした。茶褐色中心の角ばったパーツで構成された家が並び、遠くに見える城の壁まで同じ色。時折白や緑、桃色なども混じってはいますが、白と淡色が中心で丸みを帯びた建物が多いマシュマロの国とは、正反対と言ってもいいでしょう。
その風景を見回すだけで、王子はかなり満足していたのですが。
「……おまえ、新しい精霊か?」
上機嫌の王子の後ろから、子供の声がしました。王子がくるりと振り向けば、立っていたのは同じ年頃の少年がひとり。
少し小首を傾げた彼は、マシュマロの国では考えられない濃い色の服を着ていました。髪の毛に至ってはオレンジジュースの色だ、と王子は目を輝かせます。
「お前、チョコレートの精霊か?」
「あたりまえだろ? チョコレートの精霊クロウ様だぜー」
多少ぶしつけな質問でしたが、少年は気にすることもなくにっこりと笑って答えました。ふくふくの頬にえくぼができて、王子もつられて笑います。
「オレ、マシュマロの国から来たんだ」
「マシュマロ! 遠いとこからきたんだなぁ」
クロウと名乗った少年も目を輝かせました。夜の空より明るい瞳は王子がよく知るニコの瞳と似ていましたが、それよりもずっととろけそうな光り方をしています。王子はすっかり、この少年が気に入ってしまいました。にこにこと笑顔のまま、手を差し出します。
「鬼柳って言うんだ、オレ。チョコレートを腹いっぱい食って満足するためにきた!」
「そ、なのか?」
まっすぐで単純で理解しがたい自己紹介を受け、少年は銀色の大きな眼をぱちと瞬かせました。けれどその顔が曇ることはなく、少し赤みを増した頬を緩めて照れ臭そうに笑います。
「……へへっ、ありがとな」
クロウ少年はチョコレートの精霊です。自らが見守り愛する菓子を求めてきたとこんな笑顔で言われて、喜ばないはずがないのです。ましてや感情がストレートな幼少期であればなおのこと。
少年は王子の片手をしかと掴んで、きらきらした目で見上げます。予想に反してひんやりとしていた少年の手に王子は驚きましたが、冷えた空気の中つないだ手になんだか嬉しくなってしまって、ぎゅっと握り返しましました。
「今の時期はちょうど、美味いチョコがたくさん食えるんだ。着いてこいよ、きりゅう!」
地面を蹴って駆けだす少年に引っ張られながら、王子は笑みを隠すことができませんでした。お城で歳が近いのは、ニコの弟であるウェストと、国同士の交流があるクッキーと飴玉の騎士や王子達くらいです。こんなふうに手を繋いで歩いてくれる人物などいません。
だからでしょうか。初対面にもかかわらず、王子様は心の底から、この少年を好きになっていたのです。
少し駆けると、大きな通りに出ました。どうやら王子が最初にいたのは街のはずれだったようで、通りに出るとますます綺麗な家々が並んでいました。
少年は王子から手を離し、あっちに行く、と通りの先の広場らしき場所を指します。広場の中央には、大きな樹が生えていました。噴水から噴き出す水のような、代わった形をしています。整えられた通りの足元にはスモーキーブラウンとホワイト、シナモン色のタイルがランダムに、けれど見栄えするように並べられており、ついつい王子様はホワイトのタイルを選んでその上を飛び跳ねるように進みました。
「あのな、バレンタインって、知ってるか?」
重そうなブーツをせっせと動かし、少年は王子とは逆にブラウンのタイルの上を選んで歩いています。次に右足を置くべきホワイトのタイルが少し遠くになって王子は立ち止まりますが、その先で少年が手を伸ばしました。王子はひとつ頷いて、えいやっと膝のばねを生かして飛びます。タイルの上に片足を乗せて、バランスを崩しかけた手を少年の手がつかみました。
「いえーい」
「いえーい!」
ほぼ並んだ二人は互いに掲げた両手を打ち合わせ、声を上げて笑います。しかし通りかかった成人済みの精霊たちが、くすくすと笑ったのを聞いて、互いに目を合わせてはにかみました。
王子はそこから5つ、少年は6つのタイルを踏んで、広場へ一歩踏み入れました。広場のタイルは家々に使われているような様々な茶系のタイルが中央の樹に向けて円形にグラデーションを描き、途中、何本かホワイトのタイルがラインを引いています。
広場の中央には精霊達が集まっており、近づくほど樹は見えなくなります。少年は王子の手を掴み、するりと大人たちの間を抜けました。
「バレンタイン、聞いたことある」
「ん、それがさ、今日なんだよ」
だから、ほら。少年はそう言って、目の前の大きな樹を指さしました。遠くからも見えた通り、茶色の噴水のように枝を伸ばした樹の葉は生えては落ち、生えては落ちを繰り返していました。ひんやりした空気は樹が育つのに向かないのかと王子は考えましたが、それであれば広場にわざわざ樹がある意味がありません。枝そのものは元気なようだったのでそういうわけでもないようです。
首を傾げる王子は少年に手を引かれ、大人の壁を抜けて、樹のすぐ前で葉が枝を離れた瞬間、王子様は歓声をあげました。
「ニンゲンが地上でせっせとチョコつくるから、管理しきれなくってさ。広場のチョコの樹から、こうやってぼろぼろ零れてくるんだ」
少年の言うとおり。
落ちた葉はすぐに様々な形のチョコレートに変わり、ふわふわとゆっくり落ちてきます。籠を持った精霊たちが、せっせとそのチョコレートを集めていました。まるで果実を収穫するように。
少年が軽く飛び上がって、角ばったチョコを掴みました。王子も真似て手を伸ばすと、丸いチョコが手の中に落ちてきます。粉砂糖で飾られたそれを口に含むとまろやかな甘みが広がり、王子は緩む頬を両手で隠しました。マシュマロの中のチョコとは違う、数度食べたことのあるチョコよりもずっと高級感を感じる味。
「マシュマロの国じゃ、花が咲くんだ」
ぴょこぴょこと飛び跳ねてチョコを集めながら、王子はぽそと呟きました。彼の国では家々の庭にある花壇や植木鉢に咲く花が枯れる前に種子の代わりにマシュマロを残します。菓子の国の中でも比較的温暖な気候を保っているマシュマロの国に花が絶えないのには、そんな理由もあるのです。
「そうなのか? すごいなあ」
言った少年の手の中に、バラの花をかたどったチョコが落ちてきました。王子の手には桜の形の桃色のチョコ。これがマシュマロに変わるのかあ、と少年はキラキラした目を手の中に向けます。少年はあまり花を見ないようだ、と気付いた王子は思います。
自分の国に咲くあの花と手のひらいっぱいのマシュマロを、見せてやりたい!
樹から降ってくるチョコの代わりに隣の精霊が手にしたチョコレートを迷うことなくひょいと横に放ります。偶然にもそれは、再度上に伸ばされた王子の手の中に収まりました。細長い黒い箱。王子の小さな両手で受け止められる大きさのそれは、赤いリボンで飾られていた。振れば中で、ごとごとと音を立てている。
「なんだこれ、箱に入ってる!」
「あ、それは食っちゃだめだ!」
チョコの樹から出来たのですから中身はチョコなのでしょう。リボンにかかった王子の手を、慌てて少年が叩きました。驚いて箱を落としてしまった王子の手に、代わりに少年は自らが手にした白いチョコを握らせます。
「たぶん、ありゃてづくりチョコってやつだ」
指先に溶けたチョコがついたのか、少年は人差し指と親指を順番に小さな口の中に押し込んでいます。王子もふと自分の手を見、溶けたチョコを見つけて少年のまねをしました。それから貰ったばかりのチョコを頬張ります。
手作りチョコは駄目。理由は分かりません。王子がチョコを味わいながら首を傾げると、ううん、と少年は唸ります。
「凄く強い想いがこもってることが多いから、おれたちみたいに小さいうちは、それに引きずられてよっちゃうんだって。……マーサがいってた」
ころりと転がってきたチョコを唇に押し当てて、少年は急に暗い顔をしました。どうやらクロウ少年、マーサ、という人間には頭が上がらないようです。浮かべた気弱な顔を覗き込んで、王子は今度はちゃんと問いかけました。
「よっちゃうって?」
「……知らない」
チョコをもそもそと食べる少年の目は、王子から逸れていきます。まっすぐできらきらした目が消えてしまったのが悔しくて、王子は自分から少年の前に体ごと移動し、チョコを握った手をしっかり掴みました。
「いけないことなのか?」
「……いけないから駄目なんじゃないのかなあ……」
おずおずと後退るクロウの手を強すぎるくらいに掴んで、王子は考えていました。こくんと唾を飲み込んだ少年の目が、王子が落としてしまった手作りチョコを見ています。そわと体が揺れたのも、王子はちゃんと分かりました。
「きりゅう!」
王子は箱を拾い上げると、片手で少年の手首を掴み再度大人たちの中に突っ込んでいきます。少年が焦った声を上げますが、握った箱も手も放しません。来たときよりも早く広場を抜けて、ぐるりとあたりを見回して、全く知らない町並みにある路地裏に向けて走りました。
少年は何が何だか分からないと言った顔で、王子と同じようにあちこちを見回しながらついていきます。王子が入った路地の先は、少年も知らないのでしょうか。それとも、王子の行動にただ混乱しているだけなのでしょうか。
路地の行き止まりは、ひんやりとしていました。何かお店の裏なのでしょうか。通り過ぎてしまいましたが窓は装飾されていて、ずうっと上に、四角い煙突が見えます。反対側は、チョコレート色のレンガの壁。もしかしたらチョコレートをレンガにしてしまったのかもしれないと思うほど、甘い匂いのする路地裏。
少年の手をやっと放した王子は、隅に座って箱のリボンを開きました。
「一緒に食お?」
中には、三つのトリュフチョコレート。チェックの柄のアルミカップに入って、ココアパウダーを塗したそれは、形は若干歪でしたが十分に美味しそうです。
「小さいって言われるの、嫌じゃん。だから大丈夫なんだって、みせてやろうぜ」
チョコを一つ摘んで、王子は迷わず口に入れました。少年が止めるより早く。先ほど食べたチョコより甘さ控えめのチョコを味わって、王子はにこり、笑います。
ん、と箱を少年に向けると、少年はそこからひとつ、一番形のきれいなチョコをつまみあげました。
「し、しらねえ、からな……」
「大丈夫、大人はおどかすのが好きなんだ」
えいっとチョコを放り込み、隠れるように少年も王子の隣に座ります。肩で押し合うほど近くに、冷たい壁にきっちり背を押し当てて。膝を抱えてチョコを味わう少年の横で、王子は三つ目のチョコを半分ほどかじりました。
残った分を少年の前に差し出すと、少年は王子の指から奪い取る様にそれをぱくりと咥えます。
「……うまい」
「うまいなあ」
やっぱりおどかしてただけなんだ、と王子は笑います。少年も照れ臭そうに笑って、頷きました。
しかし見つめあってからが問題でした。互いの顔に違和感を感じ、二人は同時に首を傾げることになってしまいます。
「クロウ?」
「ん……」
「顔、赤い」
「きりゅうも…あかい」
ココアパウダーの付いた指をそのままに、二人は互いの頬を両手で包み、もう一度目を合わせました。冷えた空気などお構いなしに、二人の手も頬も、ぽかぽかとしていて。
そうです。
マーサの話は本当だったのです。しかも、偶然にもこの3つのチョコレートは、大きな精霊ですら食べれば酔ってしまうほど強い強い想いを込めて作られたチョコだったのです。
立ちあがろうとした王子は、その場にまた座りこんでしまいます。それを支えようとした少年は、手で何も掴むことができず、王子の側に倒れ込みました。
「ふぁ、なんだ、これぇ」
「……よっちゃう、ってこれなのかなぁ」
涙が浮かんできた目をとろんと閉じかけて、王子は空を、少年は地面を見ます。細かい文字があるわけでもないのですが、ぼんやりとかすんで、見ているものがなんであるのかすら分からないのです。
「ふわふわ、す…う…」
「うん……ふわふわする……」
頷くことすらつらくなってきて、王子は手の中の箱をまた落としてしまいます。その音が空気を震わせることにすら、ふたりはびくりと肩を揺らしました。頭の中で音が反響するのです。身動ぎをして、靴底が地面を擦っただけでも、弱い振動に違和感があるのです。
「あ、う」
「くろ、う」
王子の上から退けようとしていた少年が、王子の両肩に手を置いたところで再度崩れ落ちてしまいます。彼の体を支えようとした王子は、息を吐き出しただけで何をすることもできませんでした。
「う、なんか……むずむずする、くすぐ、ったい」
「うん、オレも……」
王子の胸から肩に額を擦り寄せて、少年はどうにか体勢を立て直そうとしています。投げ出された王子の片足を跨ぎ越して、膝立ちになって。けれどそこからどうにも出来ず、王子の肩に顎をのせました。
もどかしい感覚に転がされるように互いに触れ合っていると、王子が何かを思いついたようです。
「くろー、ぎゅってしていい?」
弱弱しく少年の背中に腕を回し、王子は問いかけます。少年はふにゃふにゃと何か呟いた後、とろけきった笑顔を浮かべて頷きました。
「ん。ぎゅーってしよ」
少年が同じように王子の体に腕を回し、言い出した王子より先にその体を抱きしめました。幸せそうに頬を擦り寄せて、やわらかい、と舌足らずに呟く少年の声を聞いて、なぜか王子は心臓が大きくなるのを感じました。体の奥からのその衝撃で、ますます体が熱くなるのも。
「っひゃう」
王子の足の上に座り込んでしまった少年が、突然高い声を上げます。驚いたのと別の何かで、王子の胸は高鳴ります。
「きりゅ、足、動くとっ……へん……っ」
王子に抱きついていた腕を片方だけ放して、少年は自分の胸元に手の平を押し当てました。荒くなった呼吸のせいで上下するそこを落ちつけるように、目を閉じて胸に手を押し当てます。
しかし腰を浮かせると、くう、と小さく唸ってぶるりと身を震わせ、縋るように王子にしがみつく状態に戻ってしまいます。
王子はその身体を受け止めながら、腿の間の違和感を感じていました。ちょうど少年の膝が押し当てられた、お腹の下。上がった体温が集まっているかのような場所。
まだ幼い二人には、この熱の正体は分かりませんでした。
「クロウも、ここ、変なのか?」
「ひゃうぅ!」
王子は無遠慮に、自分の足の上にある少年のそこを掴みました。隙間にねじ込むように添えた手を緩く握ると、少年は悲鳴を上げて飛び跳ねました。耐えるように身を震わせ、涙をこぼしながら王子を弱く睨みつけます。
分からないけれど何かがおかしい。
何かがおかしいけれど、この全く感じたことのない熱が苦しい。
でも、もっと。
もうちょっと。
王子も少年も、全く同じことを考えました。全く同じ想いをこめたチョコレートを食べたからでしょうか。同じことを考えたのですから必然的に、少年の手も王子の下腹部に伸びていきます。手の平で隠すように押し当てると、服を通して感じる熱さ。
「ふぁ」
「っくぅ」
そおっと触れ始めて、物足りず、王子は服で隠れた熱を揺さぶる様に、少年は手の平の熱を押しつけるように手を動かします。感触が変わってきても手を止めることができず、唇から零れる声を隠すこともせず二人は頬を合わせました。
「う、っぇえ、とけちゃ、っよぉ! も、変っ」
「オレも、なんかやばい……あっつ……!」
暖かで柔らかい互いの手のひらにそれ以上熱くなってしまった下半身を押しつけながら、合わせた頬を擦り寄せました。マシュマロみたいに柔らかくて、マシュマロよりずっと熱い頬。その感触を感じた途端急に眠たくなって、ふたりはとろりと目を閉じたのです。
空には月。
王子の目よりも白に近い月が、チョコレート色の国を照らします。
「っあぁあ!!」
「ふぇっ!?」
王子の悲鳴で、少年は目を覚ましました。なんだか中途半端な眠気を残したままあたりを見回す少年の肩を力いっぱい掴んで王子は真っ青な顔で問いを投げかけます。
「今、今何時!?」
「っあぁあ!!」
少年が悲鳴を上げる番がやってきました。おそらくマーサという精霊との約束の門限があるのでしょう。王子と同じです。
「やっべえ、帰らなきゃ!」
「か、かえるって、マシュマロの国にか!?」
「ああ!」
「ばか! 来るのと同じ時間かかるんだぞ! こんな暗いのにっ」
おろおろと立ちあがった王子と少年は、じたばたと無意味に足踏みしながら互いに悲鳴じみた声を上げます。少年の言葉の途中で、王子はぶんと首を振りました。
「これがあるから!」
ズボンのポケットに押し込んだ手で取り出したのは、袋に入ったブルーノマシュマロ。少し潰れてはいましたが、それがマシュマロであることはクロウにも分かりました。
けれどマシュマロがあるから何なのか。ぱちりぱちり、瞬きをする少年に、王子は胸を張ります。
「これ食べると、すぐ帰れるんだ」
魔法のマシュマロなんだぜ。
得意げに告げるのを聞いて、少年は徐々にキラキラとした目を取り戻していきます。精霊たちの世界で、魔法が使えるのはちゃんと勉強をした大人達だけなのです。
「きりゅう、魔法が使えんのか!?」
「あ、いや貰ったんだ、けど」
そこで王子は思い出しました。マシュマロの国と、チョコレートの国は遠いのです。
今回は優しいニコが一生懸命準備をし、とってもたいへんな魔法まで使って送りだしてくれました。ニコが使った国へ一瞬で移動する魔法は、勉強の嫌いな王子様にとっては使えるようになるかも危ういような、とっても難しい魔法なのです。
次はいつ会えるのでしょうか。
折角仲良くなれたのに、次に会えるのは明日じゃないのです。
笑う顔も困る顔も喜ぶ顔も、ふわふわした、顔も見られないのです。
そんなのは。
「満足できねえよぉっ!」
「え?」
袋からマシュマロを取り出すと、王子はわっと叫びました。呆気に取られて口を開いた少年は、突然唇と口内に柔らかくて甘いなにかを感じて、瞬きを一度、しました。
マシュマロの国、王子の部屋。
夕飯時を過ぎても王子がいないと場内は実は大騒ぎになっておりました。ニコはもう泣きそうになりながら、王子の部屋をうろうろと歩いていました。
そこに、ふわりと青い大きな風船が現れます。音もなく溶けるように消えていくそれは、間違いなくニコが使った魔法。
「鬼柳王子様! お帰りなさ、……い?」
その中に、ちゃんと王子は立っていました。
驚くほど眩しく笑う王子は片手をあげます。
「遅くなってごめん、ただいま!」
その片腕に肩を抱かれたオレンジ色の髪の少年は、ニコと王子を順に見つめて、唇を半開きにしたまま瞬いて。
「…………ここ、どこ?」
オレの家!
そう答える王子の笑顔だけが、柔らかな部屋の色合いから浮いて輝いていました。
|