この町は、無駄に騒がしいままだ。 夜中だというのに、光にあふれ、眠らない町とも呼ばれるネオドミノシティ。その喧騒から離れるように、自然と男の足は人気のないほうへ向かっていた。 男がたどり着いた先は、街灯の光が申し訳程度についているだけの波止場。時間帯もあって、誰一人としていないそこで男の足は止まる。そして、水平線上にぼんやりと光る町を見つけた。 「……まさか、こんな形でここに帰ってくるとはな」 防波堤に両肘をついた男は静かに口を開くが、その声は打ち寄せる波の音によって消えてしまう。そして、男ははるか彼方に見えるかつての故郷でを眺め続けた。はるか彼方に見えるサテライトは男の記憶のままに思えた。 サテライトの夜は暗い。十分な電力供給すらままならないこの町は、工場の稼動が終わる日没にはすっかり闇に包まれる。サテライトにおける夜の明かりといえば、主に夜空に爛々と輝く月光と、もうひとつ。海の向こうの別世界、ネオドミノシティから発せられる光のみであった。サテライトに回ってくる電気の何十倍ともいえる光を、シティは毎晩惜しげもなく消費し、町を光で飾り立てる。月のない夜は、今みたいにサテライトの埠頭までいき、シティの光を羨んだことを男は思い出す。 この波止場はシティとサテライトを繋ぐ唯一の場所であった。サテライトからネオドミノシティへ渡るにはここから出港する船に乗ることが絶対条件だが、基本的にサテライトの人間がシティへ渡ることほとんどない。そう、特殊な事例を除いては。 男は懐に忍ばせていたカードを取り出し、指先でくるくると回す。それは、男が決闘疾走で使用するカードと似ているが、少し違っていた。 『栄光のチェッカーフラグ』と書かれたそのカードは、明日から行われるD1GPと呼ばれる大会の招待状だという。このカードを手渡した道化のような男は、まるで歌うようにこういっていた。 『G1GPは世界最強の決闘疾走者を決める戦い! 人種・性別、犯罪歴すら問いません! 決闘疾走の強さ、それだけがすべてを決めるのです』 「犯罪歴を、問わず……ね」 道化男の言葉を反芻するように男は呟くと、その顔に自虐の笑みを浮かべる。生臭い潮風が男の髪を撫でれば、その右頬には消えることのない黄色い印が刻まれていた。 男がいた当時、サテライトの人間が外の世界へ出ることは固く禁じられていた。だが、男は仲間とともに、その重罪を犯し、サテライトを脱出した身である。もう、ネオドミノシティには戻らないと決めていたはずだった。だが、こうして戻ってきてしまった事実に、結局、すべてが何者かの手のひらの上だったという錯覚さえ覚える。 「どうあがいたところで、俺はこの町から逃れられないのか」 男は諦めにも似たため息を吐きながら、もう一度彼方にあるサテライトへ目を向けた。男が離れてから数年、あの町に変化は訪れたのか、それともあのときのままなのか。物思いにふける男の後ろで、聞き覚えのあるエンジン音が近づく。 男が振り返れば、左方からこちらへヘッドライトの光が近づいていた。おそらく、Dホイールだろう。決闘疾走の発祥地とされるネオドミノシティでは、普通のバイクを見ることのほうが珍しい。 こちらへ近づくたびにはっきりしていくDホイールの形状とカラーリングに、男は強い既視感を覚え始める。黒を基調にし、黄色をアクセントにした軽量型のDホイール。男のかつての仲間のDホイールもこんな形状だった。彼は、その相棒に自分の名と同じ黒い鳥という意味の名をつけていて――。 気づけば、男はそのDホイールの進路に立ちふさがっていた。確証などない、だが男の本能は確実にそれだと告げていた。 いきなり飛び出してきた男に、Dホイールは酷い摩擦音を出しながら急ブレーキをかける。そして、男の身体寸前でようやく止まった。 「――ッ! あっぶねぇだろ! なにやって」 「クロウ、だろ?」 相手の罵声を遮るように、男はかつての仲間の名を呼ぶ。 「覚えてるか、俺のこと」 「……き、りゅう?」 きょとんとした声でそう聞き返した相手は、Dホイールから降りると、ヘルメットを脱ぎ捨てた。明るいオレンジの髪を逆立てた特長的な髪型と、額のMをはじめとしたマーカーだらけの顔、そして相変わらずの低身長。男は、記憶とあまり変わりない仲間の姿を見て、軽く息を吐く。 「久しぶりだな、クロウ」 「お前も戻ってたのかよ、鬼柳」 Dホイールを脇に止めたクロウは、鬼柳の隣、防波堤に持たれかかり、そう尋ねる。 「あぁ……」 「もしかして、これか?」 クロウは上着のポケットから一枚のカードを取り出し、鬼柳の目の前につきける。そのカードとはまさしく、『栄光のチェッカーフラグ』 鬼柳は返答の変わりに、黙って自分の持つカードをクロウに見せ付ける。すると、クロウは驚いたような、それでいて納得したような表情を浮かべたあと、わざとらしく息を吐いた。 「あー……やっぱりなぁ。あのピエロ野郎が思わせぶりなこといってたからさ、多分お前もなんだろうなって思ってたんだよ」 まさか、こんなに早く会うとは思わなかったけどな、と付け加えつつクロウはポケットにカードをしまう。そして、鬼柳と同じように海の向こうへ視線を向ける。サテライトが鬼柳にとっての故郷であれば、同じ環境で生まれ育ったクロウにとっても、それは同じであった。 「……俺らが出てって、もう何年になるっけ?」 「二年……いや、三年か」 「もう、そんなんになるんだな」 クロウはぼんやりとそう呟いたあと、小さく息を吐く。何年のという月日はそのまま、鬼柳とクロウがこの町で別れてからの時間とも言えた。 サテライトから逃げ出したあとは、それぞれの道を歩むべきだ――そう言い出したのはどちらからだったのか、もう二人とも覚えてはいない。どちらであったにしても、もう会うことはないかもしれない、そういう覚悟の上でお互い別離の道を選んだのだから。それなのにも関わらず、こうしてあっさりと再会してしまったことに、鬼柳もクロウは不思議な気持ちをかみ締めていた。 「……鬼柳、なんか雰囲気変わったな」 クロウの唐突な言葉に、鬼柳ははっと顔を上げる。いつの間に鬼柳の方に向いていたクロウの視線は、どこか寂しげな雰囲気が漂っていた。 「そうか?」 「髪の毛も伸びたし、なんか落ち着いてるし……最初、誰だか分かんなかった。――三年って、案外でかいんだな」 「まぁ、いろいろあったからな。でもお前は、あんまり変わらないな。身長を含めて」 「うるせ!」 身長のことを言われると、機嫌をそこねるところも昔と変わってはいない。鬼柳は小さく笑いつつも、変化のないクロウに内心ほっとしていた。どんなに自分が変わってしまっても、クロウは変わらないままでいてくれた。それが、鬼柳には何よりも嬉しく思える。 「ところでよ、鬼柳はどう思う?」 「何がだ」 「例の、ジーワングランプリ、だっけ?」 「……D1GP、か?」 「そうそう、それそれ! ……なんか、きなくせぇよなぁ。俺らみたいなはずれ者にまで集めて、何がしてぇんだ」 クロウは腕を組みなおし、神妙な顔つきになると鬼柳に対してそう問いかけた。鬼柳はそんなクロウの姿をちらりと見遣ったあと、ゆっくりと口を開いた。 「罠か……それとも、裏で何かするための建前だろうな」 決闘疾走の王者である、統一皇帝を決める戦いといわれているG1GP。見事、その地位に輝けば富も名声も、すべてが勝者の思いのまま。――馬鹿馬鹿しい話だ、仮にそうだったとしても、そんな大会を開いて誰が得をするのだと、鬼柳は内心悪態をつく。 「そもそも、主催が治安維持局ってあたりで、もうすでに何かあるって公言してるようなものだろう」 「だよな。どう考ええても怪しすぎるもんな」 ネオドミノシティを事実上牛耳る、治安維持局という存在。その黒い噂は鬼柳たちがサテライトにいた頃から絶えることはなかった。その治安維持局が重罪人である自分たちを今まで野放しにしたあげく、今になって大会へ召集した理由も鬼柳にはまったく読めなかった。 そこまで思案したあと鬼柳はふと、さっきから自分の考えに相槌を打ち続けるクロウへ、ひとつ疑問を投げかけた。 「そこまで怪しいと思っていたなら、どうしてお前はここに戻ってきたんだ」 鬼柳のその問いにクロウは目を見開く。これはどう考えても治安維持局の陰謀だ。それが分かっていながら、なぜクロウは自ら相手の手中に飛び込むようなことをしたのか、鬼柳は純粋に気になった。もし、また捕まれば今度はマーカーを入れられるだけではすまないというのに。だが、クロウはそれに答える前ににやりと笑って見せた。 「――愚問だな、鬼柳。決闘疾走者たるもの、喧嘩を売られて黙ってられっかよ」 お前も同じだろう、そう鬼柳に問い返すクロウの瞳は闘志という炎が熱く燃え上がっている。そうだ、クロウはこういう奴なのだ。罠であっても構わず飛び込んでいく鉄砲玉。そんなクロウだからこそ、鬼柳はともにサテライトを抜け出す仲間として彼を選んだ。自分もクロウも、あんな場所で終わっていい奴ではないという確信をもって。 「そ、それによ……」 先ほどまでの威勢はどこにやら、クロウは鬼柳から顔を逸らし、言いよどむ。どうしたんだ、と鬼柳が声を掛ければ、クロウはようやくおずおずとそれを切り出した。 「その……大会に出場すればよ。また、お前に会えるかな、とか思って……」 今度は、鬼柳がその場で固まる番であった。その様子を察したのか、クロウは慌てて鬼柳のほうへ向き直るが、その頬はまだほんのり赤いままである。 「か、勘違いすんじゃねぇぞ! 俺はお前との決着を着けたいだけだ! お前も、絶対王者っていう猿山の大将も、俺が絶対倒すんだからな!」 クロウは嵐のように言いたいことだけをまくし立てると、そのまま踵を返し自分の愛車へまたがった。ようやく硬直の解けた鬼柳は、そのクロウの後姿に声を掛ける。 「クロウ、俺もお前と戦えるのを楽しみしている。――俺を満足させてくれよ」 「……余裕ぶってんのも、今のうちだからな」 クロウはそう言い捨てると同時に、ヘルメットを被るとそのまま鬼柳の元から走り去ってしまった。 彼方に遠のくテールランプを見送ったあと、鬼柳は一人、声を出して笑った。 「……まさか、戻ってくる理由すら同じとは思わなかったぜ」 そして、再会の前夜は終わり、舞台はG1GPへと引きつがれる。 END |
「D1GPか…」 決闘疾走の統一皇帝を決める目的で開催される、大規模な大会。その参加者にのみ送られる、一枚のカード。栄光のチェッカーフラッグ。クロウのもとにそのカードが送られてきたのは、数日前のことだった。 クロウ・ホーガンは決闘と、決闘疾走を心から愛する筋金入りの決闘者だ。そんな彼が、決闘疾走のナンバーワンを決定すると大会の参加者として名を連ねていられる現状に高揚せずにいられるはずがない。 絶対王者、ジャック・アトラス。彼への挑戦権を得たこともまた、決闘疾走者にとっては名誉あることだ。一度敗れた者が再度その権利を与えられるにしても、一度も闘っていない者がその権利を与えられるにしてもそれは変わりない。 もっともクロウが感じる高揚感は、絶対王者との対決を経て、決闘疾走界のチャンピオンにまでのし上がれるかもしれないという希望から生み出されたものではなかった。まさに決闘という名が相応しいような、ギリギリの決闘。心の底から燃え上がる一瞬を間違いなく得られるだろうという期待が、クロウの鼓動を早くした。参加権を得たその日から、クロウの中の熱は鎮まることなく続いたのだ。 そんな彼にとってはあっという間に、大会当日はやってきた。はやる気持ちはあれど、会場に一番乗りを決めてじっと絶対王者を待つのはクロウの性に合わない。速さには自信のある己のD‐ホイールならば間に合うだろうと見当をつけて会場に向かい、その入口に立ったのが、今だ。案の定、大会の開始までは時間がある。余裕があるほどではないが、特別緊張することもないクロウにとっては、困ることもない。 D‐ホイールは先に会場に預けておくようだ。案内の通りにD‐ホイールを下りると、後方から別のD‐ホイールが走ってくる音がする。耳を澄まさなくても間違いない。すっと目を細め、クロウは薄く笑みを浮かべて振り向いた。 「アンタ絶対王者に用があるクチかぁ?」 振り向いたクロウの瞳に映ったのは、ほぼ歳も変わらないだろう青年だった。ヘルメットを外せば、長い髪が風になびく。コートまで長く、一見して地味な印象を与えるのだが、明るい色の髪を逆立てているクロウにも劣らない存在感が彼にはあった。 D-ホイールに乗っていなくても分かっただろう、彼は間違いなく決闘者だ。それも、かなりの実力者。 クロウはずっと疼いている内心の熱が、一気に燃え上がるのを感じてインナーの胸元を握りしめた。少年さを残す眼を男に固定したまま、ごくりと喉を鳴らす。男が顔を上げ、クロウを確かに正面から捉えて動きを止めた。釣り長の目。瞳の奥にちらつくのは、決闘(デュエル)への渇望だ。 びりびりと、電流が走るような。それでいて、ゆるやかに、全身へと染みわたって行く感覚。久方ぶりの予感に、クロウは次の言葉を紡ぐことも男の答えを待つことも忘れていた。ただ、じっと前を見る。会場の外まで聞こえてくる観衆の声も、アナウンスも、今は邪魔でしかない。 「お前は、どうなんだ?」 耳触りのいい声がクロウの鼓膜を震わせる。バトルフェイズの開始宣言を思わせる緊張感を持った声を聞き終えて、クロウは魔法も罠もない状態で、切り返す。 「オレは呼ばれたから来たんだよ。決闘できるっていうんなら、来ない理由がねーだろ?」 「俺は……ここが俺を満足させてくれるかどうか、確かめに来た」 男はぴくりとも表情を変えない。そうか、と相槌を打つこともしなかったが、クロウの問いには答えた。 「要するに、決闘しに来たんだろ。同じだな」 「同じ?」 男の目が、少しばかり大きく開いた、ようだった。 「ああ、そうだろ? 決闘がしたくてたまんねーってことじゃねえか、オレもアンタも。そうだろ?」 言って笑いかけると、男はほんの少しだけ唇の端を持ち上げた。一応は笑えるようだ、と若干不躾なことを考えながら、クロウは男の前まで歩み寄り、自らの右手を前に出す。 「クロウ・ホーガンだ」 「……鬼柳京介。お前が、俺を満足させてくれたらいいがな」 「ケッ、偉そうに! 後でこのクロウ様の実力、思い知らせてやるぜ!」 一度だけ硬く互いの手のひらを押し当てながら握り、離れる。そして二人は各々のD‐ホイールのもとに戻って係員を呼びつけた。会話を終えてしまうことに若干抵抗はあったが、やむを得ない。大会の開始予定時刻まで、後数分しかなかったのだから。 それに、決闘者ならば決闘で深く語ることができる。その瞬間を想像して、クロウは思わず、くつ、と笑い声を零した。大会の楽しみが、間違いなく目の前にあると実感して。 「満足ね、こっちもさせてもらおうじゃねえか」 一層強くなる歓声の中へ、一歩踏み出した。 「くっそ、俺の出番はまだかってんだ!」 開会宣言も終わり、第一疾走が始まった。観客たちの関心は全て繰り広げられる決闘疾走のフィールドへと注がれ、後にあの場で試合をすることになる大会の参加決闘者たちもまた、初手から留まることのない二人の決闘者の駆け引きを見つめる。 クロウも例外ではなく、始まったばかりでありながら歓声、罵声が耳が痛くなるほど渦巻く空間の中心に立っていると胸の奥で疼く決闘への期待が懲りずに騒ぎ出す。 さあ、どう出る。 クロウは己のデッキを想定しながら、彼らの決闘へ目をやった。行われる決闘疾走を視界いっぱいにとらえて、思わず声を洩らす。 「へえ……やるじゃん」 しかしクロウの感嘆の声の直後、すぐ傍から嘲笑うかのような潜めた笑い声が聞こえた。クロウは声の主を探すまでもなく、視線を右隣へ、さらに首を捻って後ろへと移す。明らかに、デュエルではなくクロウを見つめる瞳を見つけて、クロウは今度は思いきり、彼を睨みつけた。 「鬼柳京介」 入り口で出会ったばかりでありながら、逆に言えば入り口で出会ったばかりであるからこそ、自然と近くで大会を観戦しながら試合の順番を待つことになってしまった男。とはいえ今この瞬間までは、近くにいながらも会話らしい会話をするきっかけはなかったのだが。 「随分丁寧に呼んでくれたな、クロウ・ホーガン」 「へ、お前もな」 舌を出して見せても、京介は動じなかった。唇の端を持ち上げてはいるが、何が楽しいわけでもない、と冷めた瞳が語りかけてくる。つまり、浮かべているのはクロウを煽るためだけに作った表情であって、笑みなどではないのだ。 「じゃあ、聞くが、お前ならどうする?」 「何がだ」 「おまえなら、どうやった?」 京介は顔を持ち上げ、大画面のモニターを見やった。しかしそれを見る目には観客たちのような熱気はなく、挑戦者たちのように少しでも情報を得ようとする探究心もなく、クロウのように純粋に駆け引きを楽しむ気配すら見えない。ああ、と京介は音だけを洩らす。 「俺なら、もう終わってるさ」 言って、彼は完全に表情を消した。つまらないものを見た、と態度が語っている。始まったばかりの試合に対して、いくらなんでもその感想はないだろう、とクロウは思いきり眉根を寄せた。 雰囲気は随分と違うが、この鬼柳京介という男は、あのジャック・アトラスとどこか近しい人種なのかもしれない。口数は圧倒的に京介の方が少ないが、似ている。プライドが高く、デュエルでの敗北など考えることもなく、他者のデュエルで学ぶことも考えない。絶対の自信を持ているが故に、孤高の決闘者となる道を選んだ存在。 「ケッ……自信があるのはいいことだが、お前こそ、そいつに飲まれちまわないようにな」 やや斜め上方向、まさしく目の前に人差し指を付きつけて、クロウは先ほどの京介以上に挑戦的に笑ってみせた。ジャックを引き合いに出したのも、もちろん、故意にしたことだ。京介も気付いたのだろうが、こう切り返されるとは予想していなかったのか、彼は目を細めて唇の端を上げた。今度は、クロウの言葉の棘を受け止めたからこその笑みだ。少し気障な表情だが、妙に様になっている。 「言ってくれる」 表情は浮かべたものの、素直に煽られるつもりはないようで、くつりと笑っただけで彼の反応は終わってしまった。わっと周囲があげた歓声に釣られて、クロウは慌てて視線を決闘の光景へと移す。形勢はどちらにも傾ききらない。決まったと思いきや、ひっくり返る。終わりの見えない決闘。 無意識に唇の端を引きあげ、、クロウは片手を目の上に翳して走り抜けて行く二台のD‐ホイールを眺めた。ソリッド・ビジョンのモンスターが繰り広げる闘いは、モニター越しではやはり物足りない。 「おーれーのーでーばーんー……っ」 「なあ、クロウ」 拳をギリギリと握りしめていたクロウに、京介から声をかけた。珍しいこともあるものだ、出会って間もないにもかかわらずこんなことを考えるのはおかしいかもしれないが――そう思いながらクロウは首を傾げる。 「決闘をしに来た。お前、そう言ったな」 京介が腕を組んだ。その目は、完全にクロウだけを見ている。真摯に問われているのだからと、クロウもまた京介に向き直って頷いた。 「ああ。だからホントはこんな待ち時間はいらねえって思ってたんだけどよ。なかなか面白ぇ決闘してくれてるぜ」 「……ああ……」 納得したのかどうか、曖昧な反応だった。表情がないせいで上の空での空返事に聞こえたが、首は仄かに、縦に振られたようにも見えた。 「何だよ、はっきりしろよ」 唇を尖らせて訴えると、京介の視線が唐突に酷く冷ややかなものに変わった。蔑み嘲る視線だ。どういうことかと、クロウは一瞬たじろぐ。再び声を出したのは、京介が先だ。 「この程度の決闘を見て満足してるっていうなら、お前には俺を満足させることなんてできないぜ」 「は……?」 突然に京介の手が、クロウの手首を捻りあげた。上がりそうになった悲鳴をどうにか飲み込んで、ぱくぱくと動かした唇だけで訴える。なにをしやがる! 「まさか、こんなもんで満足なんてしてねえよな?」 京介は、再度問いとしてその言葉を投げてきた。 「っ、たりめーだろ、まだオレの決闘は始まってすらいねえんだからよ」 掴まれた手首を振りほどき、クロウは出来るだけ低く返した。下手に騒いで喧嘩だ何だと摘みだされては、せっかくここまで来た意味すらなくなってしまう。 「それならいい」 京介は再度クロウの手を掴もうとはせず、今までと同様に涼しい顔をして腕を組み直した。クロウがわざと手首を振ってやっても、謝罪の言葉も、ばつの悪そうな顔すらもしない。それどころか、また口を開いて語り出す。 「俺は、もう、この大会に出たのは正解だったって思ってるんだ。満足こそできていないがな」 「アァ? 何でだよ?」 素直に話題に乗るべきだろうとクロウは瞬時に判断した。 掴めない男。鬼柳京介。切れ長の目を細め、長いコートが風にはためくのが妙に似合う立ち姿で、彼は実に自然に持ち上げた手で横からクロウの額を手の甲で打った。音はしないほどには加減されていたが、クロウは顔をしかめる。 「ンだよ、ケンカ売ってんのか」 京介は首を横に振った後、僅かに笑みを作った。 「クロウ・ホーガン。お前なら俺を満足させてくれる。そんな予感がしてるんだよ」 ピリ、とクロウの内側でまた熱がざわめいた。初対面に感じた熱気とよく似ているが、並べられないほどに、熱い。 「……お、う。期待してろ」 言えば京介はますます笑みを深める。クロウは、インナーの胸元を皺になるほど握りしめた。 熱の正体がなんなのか、まだ、どちらにも判別は出来ない。 Destiny Draw―end. |