玄関のドアは、こんなに重かったろうか。
「……ただいま」
「お帰り鬼柳!」
いつもどおりに俺まっしぐらに飛んでくるクロウを受け止めて、土産を待つきらきらした目を見ないように顔を背ける。ショルダーバッグを開けなきゃならないが、ものすごく、開けたくない。俺の態度がいつもと違うことに気付いたのか、クロウはばたばた羽ばたいて俺の手を逃れ、鞄を下ろそうとする逆の手の指に降り立った。小さな素足で踏みつけられたって嫌な気はしない。少し癒されて、ほっと一息。しゃがみ込んで、意を決して床に置いた鞄のチャックに手をかける。
「うん、あのな、クロウ」
クロウがそろりと、口を開けていく。じりじりと開かれる鞄の傍らにクロウが下りて、何が出てくるのかと期待に満ちた目を鞄に向けながらも、どうしたのかと不安げに俺を見上げても来る。器用なやつだ。お前、出世できるぞ。
鞄が半分ほど開いたところで、その瞬間は訪れた。
「ヒャァーッハッハァ! あぁ、ようやくついたぜぇ!」
鞄から飛び出してきた手のひらサイズの不思議生物。クロウより少し大きいそいつは、骨組みに紫のぼろ布を張ったような羽を背中に背負っている。黒い服はどこかのゲームか漫画かって言いたくなるようなデザインで、誰が用意したんだかものすごく気になって仕方ないが聞きたくもない。
青っぽいさらさらの銀髪、健康的とはいえない肌色。顔の右側に赤いラインが引かれていることと、白眼が黒いことを除けば俺そっくりの不思議生物。
「……紹介するな、クロウ。こいつ、今夜あずかることになった……キョウスケ」
姿かたちがそっくりで、名前は俺とまるっきり同じ不思議生物。鞄の上でふんぞり返るそいつを見上げて、クロウはぽかんと口をあけている。ちょっとだけ「仲間がいた!」なんて喜んでくれるんじゃないかなと思ったんだがクロウはぽかんとするばかり。
キョウスケもそんなクロウを見下ろし、いや、思いっきり睨んでる。何だこいつって眼で見てる。鞄を蹴るように跳んで、クロウの前に立って、まだ睨んでる。クロウもさすがに気付いたのか、むっとして睨み返した。
「なんだよ」
残念ながら剥きだす牙はないが、せいいっぱい羽を広げて威嚇、クロウは退かない。縄張り争いに乗り出す動物的闘争本能が存在しているということか、それともただ単に売られたケンカは買う主義なのか。火花を散らしにらみ合う二人を遮ることもできず、俺は一人傍観の立場で待つことにした。
「変な羽だな……」
「な、テメェに言われたくねぇッ!」
腕を組んでトーンを落とし、じとりとクロウを見るキョウスケとは逆に、クロウは片足を前に出して右腕を大きく横に払った。羽はクロウのお気に入りだ。クロウの言いたいことはわかる。でも俺は、少しキョウスケの羽のデザインが気に入っていたりもしたので、ごまかすべく冷蔵庫に向かった。土産のバター醤油味のポテトチップスと冷蔵庫のコーラは相性がいい、きっとあの二人も和ませてくれるだろう。
あいつらサイズのコップなんてあるはずもなく、ペットボトルのキャップ二つに注ぐ。クロウは跳ねる飛沫を浴びるのが好きなので、急ごうと振り向いたはいいが、その瞬間俺の手から二つのキャップは床に一直線だった。
「てっめ何してやがる!?」
キャップを蹴飛ばしながら駆け寄って、床の上に転がった二人に手を伸ばす。
何を思ったか羽つきの俺、じゃねえキョウスケは、クロウを床に蹴転がして背中に座って抑え込み、ぶちぶちとクロウの羽を毟ってやがった!
ぎゃあと暴れるクロウの上からキョウスケを引きはがし、放り投げてクロウを拾い上げる。キョウスケは壁にぶち当たるかと思いきや、背中の奇妙な羽で空中でふわりとバランスをとった。
「テメーが何しやがんだよォォ!」
「知るか! クロウ、大丈夫かっ!?」
キョウスケが叫んでいるが、構わない。クロウは喋るのを忘れるほど動揺しているらしく、俺の手の中で出会ったときのようにピイピイ鳴いている。床に散らばった小さな羽が痛々しい。
ぼさぼさになった羽を撫でつける余裕もないらしく暴れるので、つぶさない程度に両手で握る。目線を合わせて何度も名前を呼んでやると、大きな目をいっぱいに見開いて俺を見る。きりゅう。小さく名前を呼んだので、俺は安心してその場に座り込んだ。
「そんなすぐとれちまう羽つけてんのが悪いんだろォが」
キョウスケが飛ぶのに、羽を羽ばたかせる必要はないらしい。ゆらりと羽を揺らして、机の上に降り立った。クロウがまた、ピイと鳴く。羽を広げて威嚇のポーズ、恐怖は抱いたがまだ負けを認めたわけではないということか。キョウスケは机を下りて、置きっぱなしだった俺の鞄にもぐりこんで中を漁りだした。
今すぐ鞄を閉めて閉じ込めてやるべきだ、そう思ってクロウを肩に乗せ、両手を伸ばす。けれど俺より早くキョウスケは顔を出した。
その両手が抱えているのは、クロウにやろうと思って駄菓子屋で買ってきたラムネ菓子。蓋はすでに開けられており、傾ければ白色の丸みを帯びた塊が転がり落ちる。クロウの目は鞄の上を転がり落ちるラムネに釘付けだが、キョウスケがいるせいか近づこうとはしない。
ラムネの瓶とそっくりな形をしたケースを手にしたまま、キョウスケはまた、舞い上がる。肩の上のクロウが反射的に羽を広げ、キョウスケは距離を保ったまま、真面目な顔でケースの先端をクロウに向けた。
「食えよ」
ずい、とさらに突き出す。白い粒がこぼれ、とっさに出してしまったらしいクロウの手の上に落ちる。
「オレに一発入れやがったのはルドガー以外にいねえからな。名前くらいは覚えてやるよ、クロウ」
キョウスケはそう言ってぽいとケースを投げ捨て、自分の頬を指先で弱く叩いてみせる。ラムネ菓子が床にこぼれるが一言も謝りやしない。
ルドガーってのはキョウスケを俺に預けてきた男で、俺の遠縁だ。確かに一発も二発もあいつなら入れるだろうが、俺と同じくこの奇妙な生命体には強く出られないでいるみたいだ。そういう血筋なのかもしれねえ、なんて思いたくねえけど。
二人は無言だが、険悪な空気はない。コーラをいれなおしてやることを心に決めて、俺は先に鞄の中のポテトチップスの袋を開いた。
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「お前ら実は気が合うんだな……」
コーラ入りのキャップを持って戻ってみれば、クロウもキョウスケもポテトチップスの袋の中にダイブして中身を貪り食っていた。油でぎとぎとになった顔できょとんと見上げられれば、逆に何も言えない。
わかったもういい。風呂と洗濯の用意してやるから、今は食え。
「んぁ……ぅ?」
変な声が出た。
机に突っ伏して居眠りをしていたらしく、体がギシギシと軋んでいる。身を起こすのが億劫で眼を開けたままぼんやりしていると、俺の手が触れている妙な感触に驚いて一瞬で目が覚めた。
手をどけて見えるのは黒と灰色のボーダー柄のルームシューズ。ぬいぐるみみたいな手触りのそんなもんが何でここにあるのか、寝ぼけた頭で数秒かけて思いだす。
デパートの雑貨屋で安売りされてたそれを掴んでみたのは、最近頻繁にくしゃみをするクロウの寝床にどうかと思ったからだ。
クッションのベッドにハンカチの布団はさすがにそろそろ寒いのかとずっと代わりを考えていたら、目に付いたのがこのルームシューズ。
クロウは最初狭いと文句を言っていたが肌触りと何より暖かさが気に入ったようで、羽をぎゅうぎゅう押しこんで潜り込んで寝るのが今や当たり前になっている。2つあれば交換して使えるし、俺にとっても意外と便利な優れものだ。
しかしもう少しゆとりがあると思って買ってきたサイズでもギリギリだったことを考えると、失敗したと思うより、ほほえましくなる。
それだけでかくなってるってことだもんな。もしかしたらいつか俺よりもでかくなるかもしれない。な、クロウ……
と、ここまで心の中で語りかけてから気づいた。
「……あれ」
黒と灰色のボーダー柄。その中にぎゅっと収まっているはずの、オレンジの頭と黒い羽は?
クロウは、どこだ?
「っクロウ?」
がばと身を起こしてあたりを見回すと、その姿はすぐに見つかった。ちょうど俺の後ろ。俺のベッドの上から、目を丸くして俺を見ている。
「……おま、何してんだよ……」
また机に突っ伏した俺を見て、クロウはきょとんと首をかしげた。朝抜け出したままの布団を小さな手で叩き、握る。
「寝るなら布団なんだろ?」
「……ん?」
「鬼柳の布団はこれだろ?」
必死に引っ張っているのは俺の掛け布団。潰れた羽毛の古い布団だ。良く見れば少しは移動しているらしい布団が、クロウが向かおうとしているのは机に突っ伏す俺の方。
これは、つまり。
「布団かけようとしてくれてた……のか?」
「鬼柳にいつもしてもらってるからな! 今日はお返しだぜ!」
ちょっとずつしか動かない布団を引っ張りながら、クロウは得意げに笑う。その速度じゃ終わるころにはもう朝だったぞ、なんて野暮なことは言わない。へらり、笑って起きあがる。
「ありがとな、クロウ」
「? なんだよ、起きるのか?」
俺が腕を伸ばして背を逸らせると、布団を掴んだクロウは不満そうだ。「せっかく世話を焼いてやったのに!」と、目が、そう言ってる気がする。あるいは、「大人しく世話焼かれやがれ!」かもしれない。クロウは口調も行動も荒っぽいが、実は俺より面倒見がいいのだ。それを楽しんでいるようでもある。
「ちゃんと布団で寝る。じゃないとちゃんと疲れ取れねえし」
「そうなのか!」
「そうなんだ」
じゃあおれも、とクロウが布団を手放しベッドのスプリングを生かして高く飛び上がった。広げた翼で綺麗に滑空してきたところを、すかさず両手でキャッチした。
「鬼柳ー!?」
クロウを掴んだ両手を胸の上に置いて、仰向けにベッドにダイブ。クロウは暴れているが、気にせず足で布団を蹴り上げるようにして腰の上まで引き上げる。
「おーれーもー寝ーせーろー!」
ばたばたばた。掴み損ねた羽を動かしてクロウは抵抗する。そんな音すら子守唄に変わったみたいに、俺は急に眠くなってしまった。クロウを片手で胸の上に押さえつけ、腰のあたりで止まってしまった布団を片手で引き上げる。
「このまま寝ようぜ、クロウー」
クロウがなんて返事をしたかは分からない。もう片方の手で羽をゆっくり撫でてやってから、布団代わりにクロウに重ねる。
クロウの手が、俺のシャツを掴んだのが分かった。それから、文句が聞こえて、だんだんフェードアウトしていく。俺の意識が飛んでいるのか、クロウの意識が飛んでいるのか、分からないまま。俺はたぶん、眠りに落ちた。
「鬼柳! いい加減教えろよっそれなんだよ!」
耳元でばさばさ、右で左でばさばさ、そんなのは気にせず俺はオーブントースターの中を見つめる。パンを焼くことでしか活躍したことのないこいつが、今日は大活躍だ。
並んだ白い四角がオレンジの光で照らされ形を変えるまで、ばさばさ、音を無視して待つ。
「まあ、焦んなよ」
「おい! でかくなってんぞ爆発すんじゃねえのか!?」
「だーいじょうぶだって、熱いから絶対触んなよー」
取っ手をつかんで引いて、飛び込んで行きかねないクロウを声だけで制止する。これが食べ物であることを本能的に予測しているらしいクロウは、期待に満ちた目で俺の一挙一動を追った。ばさばさ。近くを飛ばれすぎて、耳朶に羽の先が触れるのが少し痛い。
箸でひょいと持ち上げたそれを、トースターの上に置きっぱなしにしていた皿に乗せる。強いにおいはしないけれど、それが食べ物であることを確信したらしいクロウが俺の肩に、ようやくとまった。
「正月は餅食って満足だろ!」
「モチってうまいのかよ! 米みてえな匂いすんな」
熱いから絶対触るな、の忠告がまだクロウの中で生きているらしい。羽を揺らしながら俺の手の中の皿を見下ろしている。熱された餅が膨らんでできた割れ目から覗いた柔らかそうな白を見て、俺もなんだか腹が減ってきた。
さて、家にあるのは砂糖と醤油と餅と一緒に貰って来たきな粉か。よし、クロウは好きそうだ。
「まだ食うなよ」
「おう、いっしょにいただきます、な!」
テーブルに乗っかっていたゲーム機や漫画雑誌をどけて皿を置くと、どけたばかりのやや厚みのある少年誌の上にクロウが座った。椅子にするには低いらしく両足広げて座るから、どこぞの不良みたいだ。
砂糖と醤油とジッパー付きのビニールに入ったきな粉と一緒に持ってきた二枚の皿に、砂糖醤油ときな粉を分けて入れる。
面倒だから砂糖醤油は指でかき混ぜてやった。その指を舐めると、クロウが楽しげに真似をした。後でベタベタになるんだぞ、と心で忠告しながらも共犯の登場で俺はこそりと笑む。
さて食うかと思ったところで気付いた。
この餅、俺の手にはちょうどいいがクロウにはでかすぎる。
せめて半分に切っておけばよかった、後悔先に立たずとはこのことか。今から切るために席を立つ気も起きないし、クロウは熱くないものだと外見で判断できたんだろうきな粉を手の平で掬って舐めているし。お気に召したのだろうか、反対の手でまた砂糖醤油を舐めている。
「……男気見せるか」
「ん?」
呟いた決意が聞こえたのか、クロウは砂糖醤油を絡めた指をくわえながら顔を上げた。
俺は餅を一つ手に取り、だいたい真ん中から割れるように力を込めた。想像以上に熱い。つい声に出てクロウが驚いたが、そこはなんとか堪えて、左右に引く。
柔らかな白が面白いくらいに伸びて、クロウの目が次第に好奇心で輝き始める。手品師にでもなった気分だ。指先は熱いけど。
思ったより綺麗に餅は分かれて、ほっと息をついたとき、好奇心に負けたクロウの手がとうとう餅に伸びてきた。しかも一番熱いど真ん中に。
「あ」
俺とクロウと同時に目を見開いた。小さな手が白い餅にくっついて、熱かったのかそれとも感触に驚いたのか、飛びあがったクロウが足を滑らせて餅に突っ込む。立ち上がる気なんてなかったのに、つい立ち上がってしまった。机にぶつけた足が痛い。
「うわああクロぉおおおお!?」
「きっ、りゅううう」
髪がくっついたのが嫌になって暴れた結果、今度は羽までくっついてしまったらしい。これでトリモチ、なんてくだらないボケは今はいらねえ!
「クロウ、大丈夫か! 熱くねえかっ!?」
「あつ、あつい」
顔にもくっついた白い餅をはがそうと両手をばたばた動かしていたクロウは、混乱したのかそれとも食い物の匂いに反応したのか、おもむろに餅がついた手を口に運ぶ。そうしたら、ぱたと暴走が止まった。
氷を取りに行こうとした俺の足も、クロウが静かになったのでとまる。心臓がガンガン鳴っていたが、振り向いてみたクロウの表情が痛そうでもなかったので、ひとまず深呼吸。
「……どうした?」
片手を半分加えたまま、クロウはぽかんと俺を見ている。暴れた片足がきな粉の皿に突っ込んで、あたりに粉が散っていた。
「うめえ」
もうさほど餅は熱くなかったのだろうか、クロウはちょこちょこと餅に寄って、都合よくきな粉を浴びた餅の端にかじりついた。焦げ目のついた表面の食感もお気に召したらしい。キツツキが木をつつくように、せっせとあちこちから餅を食べている。
「そうか…美味いか」
「んめえ! もっと味濃くていい」
「砂糖醤油……そっちの茶色いのつけて食えよ」
「そっか!」
クロウは砂糖醤油の皿を引きよせて、その中につっこんだ手を餅に押しつける。小さな茶色い手形をいくつもつけて、楽しそうだ。
何度目だろうこのパターン。
好奇心旺盛はいいことだ、しかしそのたびにけがをするのは俺の方。脛を擦りながら定位置に座って、溜息を一つつき。
うまいうまいと餅を貪るクロウを見つめて、とうとう耐えきれず、にんまり、笑う。するとクロウと目が合って、クロウは大きな目をばちっと開いた。
「悪い! 忘れてたっ」
クロウは俺の前に座った。正座。べたべたの手を合わせて、一礼。
「鬼柳、いただきます」
「あ、いただきます」
俺も同じポーズで一礼すると、クロウが少し悲しそうな顔をした。なんで、と疑問を口にするより早く、クロウの口から答えが返る。
「一緒にいただきます、してから食うんだっつったのにな」
悪い、待たせて。
そう言って、クロウは俯いた。約束を守れなかったことで本当にしょげているらしい。いじらしい、ってこういうことか。悶え転げそうになってなんとか堪えて、半分にした餅に手を伸ばした。
俺がその餅に砂糖醤油をたっぷりつけるのを見て、クロウの目が輝く。食欲には正直、いつもの顔だな、よし。
「あ、あっ、鬼柳ずりい! 俺もいっぱいつけてえ!」
「よっしゃ」
クロウの餅を預かって、砂糖醤油に浸してやった。クロウに戻した時点で机が更に汚れるのは確定していたがもう今さらだ。置きっぱなしの雑誌も粉まみれだし。
ふたりでさらに冷めた餅をかじって、声を合わせて「うめえ!」と叫んでみた。
今年の餅は満足に美味いぜ、クロウ!
「鬼柳、足、どうしたんだ?」
「ん? ああ、こりゃぶつけただけだ」
「そーなのか……」
「痛いのは、飛んでけってやるんだったか?」
「え?」
「いたいのーとんでけー! だろ」
知人がどこぞの牧場に行ったらしい。牧場。言われてみれば似合うようで、まったく似合わない気がする。
クロウと晴れて友人になった俺そっくりの羽付き生命体も写真に写りこんでるんだが、これ、いいのか?
後日小人の目撃談なんかで地元の新聞なんかに取り上げられたりしないだろうな……困るの、あんたじゃなくて俺だぞ。
「鬼柳、これ何だ?」
土産だと届けられた小包の中身を、クロウがせっせと漁っている。キャラメルだとか、ヨーグルト、チーズ。クロウが興味を示したのは、小さな箱におさまったカマンベールチーズだ。キャラメルとヨーグルトは食べたことがあるからパッケージを見て予想がついたらしい。そういえばチーズは個包装の丸いヤツしかやってなかったっけな。
「食うか?」
「食い物なのか?」
「美味いチーズ」
「食う!」
いつも、返事はよろしい。
地域限定販売とか書いてあるから、まあ多分美味いだろう。クロウが精一杯の力で持ち上げた箱を受け取って、シールをはがして開けてやる。円形のチーズが袋に入っていた。指で強く押せば、つぶれてしまいそうなくらい柔らかい。これを切るのは至難の業じゃないだろうか、そう思って俺は手を止める。クロウが異変に気づいて、机の上から俺を見上げる顔を傾けた。
「開けないのか?」
「冷やしてからの方が良さそうなんだよ」
「えー……今すぐ食えねえのかよ……」
そうやって思いっきり、顔どころか全身で「残念です」って訴えるのは卑怯じゃねえかな、クロウ。
まあ、切らなきゃ食えるし、冷えてなくても美味いもんは美味いし、なんて俺の中でぐるりと言いわけが回りはじめてしまう。カシャカシャ鳴ってるビニールの端を指が勝手に探してる。かと思ったらほら、あっさり開くんだよなこういう包装ってさ。
結局剥かれたカマンベールチーズはビニール紙にのったまま机の上に鎮座。その隣に正座したクロウが、白い表面を指先でつんつんつついている。
「皮剥くのか?」
「いや、丸ごと食えるぜ」
「へー…」
立ち膝でじりじり近づいていって、両手をチーズの淵に添える。うしっ、と気合いを入れて、羽を揺らして。何でここまで真剣なんだろうって思いながら、俺はクロウがチーズをかじりにかかる様を見守ってる。チーズを支えながら端を思いっきり齧って、もそもそ口を動かして。
「…………味しねえ」
「中身までかじれよ?」
「ん」
一口目はそのまま飲み込んで、顔を突っ込む勢いでチーズの歯形を大きくしていく。口をいっぱいに膨らませて、目を丸くして俺を見る。唇どころか頬までべたべたにしているくせに、両手はチーズの上。
「ふぁいっ」
「そうかぁ」
「んむ」
美味い、そう一言言ったっきり、またチーズに顔を埋めてクロウはひたすら食いはじめる。顔を拭いてやろうと伸ばした手はしょうがないので、羽を撫でることにした。全身で食べるから、羽は常にふわふわ揺れている。触られるのは最初は嫌がったもんだが、今はもう何の抵抗もない。それどころか、転寝の最中なんかには嬉しそうな顔をする。
「頭撫でられんのはガキ扱いだろ。やだ。腹触られんのもやだ。でも羽なら、飛んでないときなら、鬼柳なら触ってもいいぜ!」
なんだか妙に得意げに腰に手をあてて、クロウが俺に強いた決まりごと。ちなみに顔を拭うのはまた別の問題らしい。
クロウがチーズに飽きるまで、俺も飽きずに羽を撫でてやろうと決めた。どっちが先に白旗あげるか、勝手に勝負だ。
キャラメルもヨーグルトも冷蔵保存しろって書いてあったけど、まだ余裕あるよな。
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