卵。
夕飯はオムレツでも作ろうと手に取って、ふと思い出した。
何か手伝わせろといわんばかりに回りを飛んでるクロウと対面した日のこと。

「よく考えりゃ、ある意味ホラーだよなお前」
「ん?」
「卵から小人とか…羽とか…ファンタジーじゃねえよホラーだよな」

ボウルに卵を二つ割り入れた後の俺の腕に、クロウはとりゃあ、と着地を決めた。
最近のクロウは随分とアクロバティックに飛び回る。あくまでクロウの気分であって、顔の半分くらいまでマーカーが出てきたせい、ではないと思いたい。
 両手を上げて得意げに胸を張った後、くりんと向けたのは笑顔。額に二つ、右目の下に二つのマーカー。

「おれはクロウだろ?鬼柳がつけてくれた」
「ああ、そりゃそうなんだけどよ」

自分で言うのもなんだが、俺はホラーが苦手だ。真夜中にどこかから物音がしようものなら、飛び上がって身構えるくらいには苦手だ。
でも今は、すぐにクロウを探すようになった。
一番怖いのは、人間のものさしじゃはかれないくせに今俺にとって一番近い位置にいる人間の身に何かが起きること。
強がる必要なんてないのに、一人でやろうとするから、落ちついて眠れやしない。

クロウは俺の手から降り、置き去りにされていた調味料の一つにおもむろに手を突っ込んだ。
あ、と声を上げると同時に、つい意地悪く笑ってしまった。クロウは止める前に口に入れてしまう、ほら。

「しょっ、ぺ」
「ああ、残念ながらそりゃ塩だ」

言って笑ってやれば、クロウは思いっきり不満気に俺の手を蹴った。一番近くにある卵入りのボウルを蹴らなかったことは、褒めてやりたい。
蹴られた手で頭を撫でてやりながら、戻ってくる言葉。


――小人じゃなくて、クロウだ。


その言葉に気付いたことがあって。

「なあ、お前にとって俺って、やっぱ親みたいなもんか?」
「親?」

クロウにとって、俺は何なんだろう。ふと浮かんだ疑問を口にしてみると、クロウはぱちぱちと瞬いた。
家族が何であるか、一応形式上はクロウも知っている。
卵から生まれた瞬間に見たのが、俺。鴨なんかはそうやって親を覚えているはずだ。だから、クロウもそうなのかと思った。

んー、と首を左右にぐりぐり傾けて、ぴん、と弾かれたように顔を上げる。

「鬼柳も鬼柳だ!」

あまりにもいい笑顔で言われたものだから、何だそれ、と聞くこともできなかった。
だけど俺は相当アホ面を晒していたんだろう。クロウはすぐに、んん、と眉間に皺を寄せた。

「おれは鬼柳にカンシャ…してっけど、家族とかじゃねえのはわかる。だって鬼柳だから」

んんん、と唸る時間が長くなる。
伝えようとはしてくれてるんだろう、けど。
正直よく分からなくて頷いてもやれない、ごめんな。

「鬼柳はおれの親でも家族でも兄貴でもなくて、鬼柳だ。鬼柳だからおれは、しんらいしてる」

さっきは蹴った俺の手にぺたんと両手を押しつけて、更に頬を押し当ててくる。じわじわと暖まってくるのがくすぐったい。
クロウは、ひょいと顔を上げた。

「もし鬼柳が人間じゃなくても、おれは鬼柳だったらしんようする。おれは鬼柳がすきだから」

ご機嫌に言われて、俺は衝動的にボウルの端を掴んでいた。
傍にクロウがいなかったら、きっと叫んでひっくり返していたと思う。


クロウの言葉に他意はない。それどころか一つの意味しかない。俺のことを認めて、慕ってくれているということだ。
だけど俺は、真っ赤になって蹲った。急すぎて、慌てたクロウが俺の頭の上に飛び乗ってきて、名前を呼んでる。


どうしよう。
今までこんな風になったことなんてない。


それこそ俺に羽でもあれば、ぶっとんじまうくらい嬉しかったんだ!!










「久しぶり、だな」

 家の近くのファミリーレストラン。電話をしてみたらちょうどそこにいるというから、俺は迷わずやってきた。
 タイミング、良すぎだろ。多分それは、全部予想していたから。

「遊星。電話でも言ったけど、改めて確認したいんだ」

 店の一番端の、一番目立たない席。遊星がそこを陣取って待っていてくれたのも、すべてわかっていたんじゃないかと思う。今更じゃないから、怖くもない。
 店員が水を置きに来た。注文は後でいいと告げると、すぐに退く。ラストオーダーまでもう時間がないことは忘れずに告げていったが。
 俺は椅子の横に置いたリュックの口を開けて、その中に手を突っ込んだ。内側で感じた温かさを確かめて、卵を拾い上げるように丸めた手で、そっと引き出す。

「ゆうせー」

 カーブを描いた鬼柳の手のひらの上、クロウはちょこんと正座していた。羽ばたかせかけた羽を止めて、すぐにたたむ。
 静かにしろよ、と俺が出かける前に何度も言った言葉をしっかり覚えていたから。よし、いい子だ。

「やはり連れてきたんだな」
「クロウにも気持ち、固めてもらわねえとな」
「おれはべつにいいって言ったんだぜ。でも鬼柳がしつけーから」

 そうは言うが、クロウの視線はさっきからテーブルの端のメニュー表に釘付けだ。
 俺がそれを取って、肉料理のページを開いてやると、嬉々として上に飛び乗って写真を眺めている。とはいえ、ほほえましい、と眺めている場合じゃない。出された水を飲んで、遊星と向き合う。
 遊星の側に既に飲みかけの水のグラスが二つあることにその時、気がついた。

「……そんなに待たせたか、俺」
「ああ、これは違――」
「安心しろ、待ったのは10分だ。遊星はな」

 途端、聞こえた声。慌ててクロウを隠そうとした手が、中途半端な位置に止まった。
 知り合いの声だ。遊星くらいに気の許せる、だけど遊星以上に連絡を取りにくい相手。

「じゃ、っく?」
 
 サングラスに帽子、高そうなジャケット、目につく見事な金髪。
 ジャック・アトラス。日本と海外をあっちこっちに飛び回り、たまに顔を見せては喧嘩を売ってくる、それでも俺の親友。
 
「お前、帰ってたのかよ!」
「鬼柳も決断したと聞いては、戻るしかあるまい。久しぶりだな」

 ジャックは遊星の隣に座り、足を組もうとしたがテーブルに阻止され舌を打った。
 クロウはジャックを見上げている。羽はぴんと伸びているが、威嚇をするつもりもないようだ。俺の知り合いだと分かっているからだろうか。

「じゃっく」

 確かめるように名前を繰り返して、じっと見上げている。
 そういえば遊星の時も、クロウはまったく怯える様子を見せなかった。
 ほぼ同じサイズのあいつには、かなり警戒心を抱いてた気がするのに、不思議だ。俺の親友だってことが雰囲気でわかるんだろうか。
 でも、ジャックも驚くほど優しく微笑み返したから、わけがわからない。
 ぼけっとみていると、突然ジャックに睨まれた。

「マーカー6つ。ここまで悩んでお前はどうするんだ」
「……ジャックもそのへん、詳しいのか?」
「聞いているのは俺だ」

 傲慢な態度。でも、いつものことだ。おそらくは遊星伝いに聞いたんだろうとあたりをつけて、俺は水を一口飲んでから口を開いた。

「俺は、ちゃんとクロウと暮らす」
「つまり?」
「……クロウの羽。落とす」

 口にすれば一瞬。だけどとんでもなく重い単語だ。振り向いたクロウの大きな目が、視線が痛い。決してクロウに悪気はないだろう、提案したらすぐに「いいぞ」と笑ってくれたくらいだ。
 だけどジャックは。

「これだけ待たせて苦しめて、さらにこいつに痛い目を見ろと」
「…っそれ、やっぱどうしようもねえのか…?」
「ない。お前の意気地のなさでクロウが苦しむんだと理解して……?」

 ぐさぐさと、思ったら全部言ってくるのがジャック。遊星も今日は俺とジャックを交互に見るだけで、助け船を出してくれない。

「鬼柳は意気地無しじゃねえっ」

 代わりに、机の上から声。クロウがジャックの目の前に、指を突き付けて怒鳴っていた。
 静かに、なんて言える状況じゃなくて俺も、黙ってる。

「鬼柳は考えてくれたんだ! 俺の分も、鬼柳の分もまとめて、ふたりぶんで考えてくれたんだ!」

 クロウが怒鳴ったところで、俺たちが普通に話すのと同じくらいしか店内には響かないみたいだ。いつも二人っきりですぐそばで話してたから、気付かなかったけど。
 ジャックはクロウとにらみ合っている。ぐっと拳を握ったクロウが、それをぶんぶんと振り回して、机の上に置かれたジャックの指にぶつけた。

「それってすげえことなんだぞ、意気地がねえなら、出来ることじゃねえんだ!」

 両手で、ジャックの指を掴んで。自分の何倍も大きい相手に羽を広げて精一杯体格良く見せて、思いっきり、にらむ。噛みついてやるといわんばかりに歯を剥き出して。
 
「鬼柳を馬鹿にすんな!!」

 力いっぱい。
 まだ反論しようとするクロウを両手で捕まえて、鞄の中に両手ごと突っ込んで、俺は随分とでかい声を張り上げた。

「フルーツパフェとハンバーグセットひとつ、お願いします!!」

 そうでもしなきゃ、俺、どうしようもなくて。



羽ついたクロウ−羽=クロウ。
俺にも一発で分かる式だ、単純明快。問題は、マイナス処理の部分にあるわけで。

食べ進めたパフェの真ん中に散りばめられたミカンをスプーンで救い上げて、口にはこぶ。
隣の白い皿の上、ナイフでこま切れにされたハンバーグは、たっぷりのデミグラスソースをまとった状態で皿の端からクロウの胃袋に少しずつ消えている。
添えられた千切りキャベツの緑と人参の赤が全く消えないのは、いつものことだ。

便乗してオーダーされたアイスコーヒーが二つ、全く減らずに目の前に並んでいる。氷が解けた分が、コーヒーの上に膜を作りはじめていた。
そろそろかと、覚悟を決めて。
甘いオレンジを噛みしめて、俺はまた、本題に戻る。

「……マーカーの時みたいな痛み止めとか」
「ない」

まだ開発されていないから、と遊星が眉尻を下げる。
遊星が自信なさげっていうことは、つまりそんだけやばいってことだ。分かった。諦める。

「…じゃあネズミ用の麻酔とかでなんとか」
「クロウを殺す気か!」

クロウには未知の部分が多く(卵から生まれた羽つき小人なんだから当然だが)、下手な薬を使うと冗談抜きに死の危険があるらしい。
ジャックがキレるってことは冗談じゃない。分かった。諦める。
…諦める、けど。

「…じゃあ……どうすんだよ…」

医者じゃなきゃ手術なんてできない、研究者じゃなきゃ仕組みなんてわからない、医者じゃなきゃ手術はできない、技術がなきゃ道具も作れない、この世界じゃ魔法なんて使えない。
クロウから羽を取り除くための、苦痛を伴う方法。候補を、聞かなきゃならない。
遊星とジャックは顔を見合わせ、遊星が困ったように口を開いた。

「…鋭利な刃物で根元からきれいに切り取るか」
「失敗すれば一生背中にツノのように残るがな」

すかさずジャックがリスクを告げる。とがった肩甲骨ってことか。そりゃ可哀想だ…

「…根元から、肉ごとえぐるか」
「失敗すればショック死するがな」

淡々と言うな!!
それは絶対却下!

「真上に…一気に、引き抜くか」
「根が半端に残ればマーカーなど比べ物にならない苦痛だと聞いたな」

両手を顔の前で握って上に上げるジェスチャー付きで、遊星は真剣だ。
俺の親友達は素直だ。テーブルの上で食べやすいように切り分けてやったハンバーグをかじるクロウの動きが止まっていようとおかまいなし。
俺の顔色がどんどん悪くなろうと、むしろ加速させてくる。鬼か悪魔か、遊星、ジャック。

「……決意揺らぐだろ……」

ため息交じりにつぶやいた言葉。一生懸命冷ましたハンバーグのひときれを皿に戻して正座するクロウ。
顔を見合わせる、遊星とジャック。

「何を。諦めるわけもあるまい」
「まあ、迷いはするだろうな。方法が多すぎて」

遊星は穏やかに、ジャックは…くっそ馬鹿にしてんのか!
とにかくそれぞれ俺に笑いかけた。
「やっぱり怖いからやめます」なんて俺が言うはずないって知ってるから。

「おれはどれでもいいぞ」
「バカヤロ、死ぬかもしれねえのはゼッテーやんねえ」

俺がお前を殺す可能性があることなんてできるわけないだろ!

叫びたいのを我慢して、たっぷりのクリームを掬って頬張る。
クロウはハンバーグに添えてあった丸い人参をぽいっと皿の外に放り投げて(遊星が何か言いたげだった)、白い皿に付いたデミグラスソースだらけの指先だけをはむと咥える。

「おれは死なねえもん」

クロウが俺を見上げる。べたべたの手を服で拭きかけて、手を止めたところに、遊星が紙おしぼりを差し出してきた。
さんきゅ、小さく言ったクロウがおしぼりをソースで汚しているうちに、さりげなく、遊星が皿から強制脱出させられた人参をハンバーグのそばに戻した。
手を拭いてどうするのかと思ったら、俺のそばまで歩いてくる。小走りすると、本当に鳥が歩いてるリズムだ。
伸ばされた手は、俺の手の中のスプーンを握った。

「人間になって、俺もパフェ食うんだ!」

満面の笑み。
怖くないわけがない。マーカーであれだけ苦しんだんだ。羽毟られてあんだけビビったんだ。それをなくすことが、怖くないわけがない。
それでもいい、って。

それでもいいって、言ってくれてる。
なら、俺は。


「…切る」


俺とクロウの願いを叶えるために、決める。


「羽、切り落とす。それでいいな、クロウ」
「……おう。鬼柳器用だもんな」

スプーンを通して伝わってきた動揺。俺は、スプーンを固く握った。
これでも震えるなら、俺の手に力が入りすぎたせいだ。
大丈夫。確信してる。クロウの言葉にウソはない。
なのに本能的な恐怖から逃れきれない体が、クロウにはむしろ苦痛なんだ。

「…まかせた、からな」

見上げてきた目が真剣だった。確信は、真実に変わる。
左手をクロウに近付けると、クロウはさっさとスプーンを手放した。俺の指、テーブルの上に広げた手の指に、両手をおいて。

「任せとけよ」

俺の言葉にクロウが頷く。クロウはもうハンバーグを食べる気持ちにはなれなかったらしく、俺の手のひらの上に正座した。

そうだな、帰ろう。
スタートは、早い方がいい。










 場所を提供してくれると遊星が言ったが、俺達は迷わず辞退した。特別な設備が必要じゃないことは、ちゃんと確認したし。

 肌を傷つけないなければ出血することもないという。
 本当に、現実味のない、これは、儀式。

 小さな折り畳み式ナイフはジャックからの借り物。指を擦れば簡単に筋を作る、こりゃ相当高いナイフだ。

「スパッと…いけそうだな、うん」
「間違って髪とか切んなよな」
「しねーよ、俺を信じろ」
「おう、まかせたぜ!」


 机の上。
 生まれて最初に触れたクッションの上、クロウは笑った。
 オレンジ色のクッション。趣味じゃなかったはずのこれは、いつのまにか俺の部屋に無くてはならないものになった。クロウの気に入りだったから。

 小さな身体を隠す服、茶色のベストをよいしょと脱ぎすてる。羽を通すための穴のあいた服は、クロウ一人では脱ぎきれない。両腕が袖から内側に入ったことを確かめると、俺が引っ張って羽からも抜いてやる。
 インナーも同様。
 腕と首を穴から抜いたのを確かめて、羽からは俺が取ってやる。

「さむ」

 ぷる、と震える羽の先。真っ黒な羽。触れたことがあるのは俺とクロウと、少しだけ遊星。
 遊星が触るときは、最後まで困ったような顔をしていたけど。

「少し我慢しろ」
「我慢したらえあんこな」
「エアコンは高いから無理だっつったろ」

 上半身だけ裸にしたクロウをクッションに転がす。うつ伏せに横たわったクロウは一度羽を大きく揺らして、眠りに就くのと同じように目を閉じた。
 小さい。文字通り小さい背中。外に出していないのに、俺よりも日に焼けて見える肌。手の平を押し当てたら全部覆ってしまえる大きさの。

「鬼柳?」

 はっ、とした。マンガみたいに見事に、俺はぼんやりしすぎていた。黒い羽が、中途半端なところで止まった俺の手をぺしと叩く。

「キンチョーするだろ。……はやくしろ」

 緊張なら俺の方がとっくにしてる。
 そう言いたい気持ちをこらえて、いや、顔に出てたかもしれないけど、とにかく俺は、ナイフの刃を羽の根元に押し当てた。
 クロウが、息を呑むのが伝わる。
 左手でクロウの左羽を引っ張って、出来る限り根元ギリギリに。背中を押さえつけないのは、クロウとの約束があったからだ。

 どんなに痛くても、苦しくても、辛くても、絶対に転がって逃げたりしない。反射的に羽が動くことはあっても、身体だけは、両腕だけは、言うことを聞かせてみせる。絶対に、クッションを離さない。

 それがクロウが自分から俺に持ちかけた約束。
 

 ナイフの感触が冷たいんだろう。ぴんと張り詰めた羽を、深く息を擦った後に強く握り引く。

「ぅあ」

 一気に、できるだけ一気に、一瞬で全部終わるように、羽の根元に押し当てたナイフを、引く。
 
「っぁううううう、ぅ、う!!!」

 クロウがクッションに悲鳴を埋める。切り口には想像していたエグイものはなく、羽のあった場所には黒い楕円形のラインが一本。ただ俺の手に、飾り物みたいな黒い羽が残る。
 詰めていた息を吐き出すと、クロウの背に残った黒はじわじわと、淡いピンクに色を変え、クロウの肌色に近づいていく。

「これ…うまくいって、んのか……?」

 クロウの返事はない。代わりに、残った右の羽がばさりばさりと俺の手を叩く。クッションを掴む手は真っ白だ。
 痛いんだと、そんなの見れば分かる。
 俺はすぐにその羽も捕まえて、同じようにナイフを当てた。

 伝わる感触。だけど俺は絶対に目を閉じるわけにはいかない。傷つけたくない。俺は『鳥』であるクロウから風切羽どころか、全部を失わせる決断をしたんだ。それ以上に失わせるわけにはいかない。たとえ、血の一滴でも。
 失うくらいなら、それなら、全部奪ってやりたい。体温も、感覚も、感情も、全て、俺のものにしてやりたい。

「う、……ゅう、……う」

 もごもごと、クッションが塞いだクロウの唇が言葉を紡いでいる。何を言っているのか、すぐに気付いた。

「クロウ」
「……き、う」

 俺。俺の名前。
 分かってる。大丈夫。すぐに俺が、楽にしてやるから。

 迷うことはもうない。痛いのは飛んでいけ。苦しむなら分けてくれ。辛いなら全部言ってくれ。
 そうだ。
 全部、分け合おう。



「――――ッ!!」


 押し殺した絶叫と、引きはがれた羽。強く引きすぎてしまったのか、最後折れたような音がした。
 もちろん動揺したけれどその頃にはもう終わっていてどうにもならなかった。



 俺の目の前で、クロウはくったりと、……気を失って、しまったらしい。


 恐る恐る見つめれば、背中には皮膚がひきつれたような傷跡が二つ。妙なでっぱりもないし、クロウはちゃんと呼吸をしている。
 でも、小さいままだ。

 つまり、失敗、した?

 呆然とする俺の手には、切り落とした黒い羽。つやつやとしたそれは、クロウの自慢で、大事なもの。見つめていると、こっちが苦しくて、こっちの背中まで痛んできた、気がした。

 クロウをそっと抱えて、着替えるのもやめて、ベッドにもぐる。遊星とジャックに連絡をするべきだったのかもしれない。かもじゃない、するべきだった。

 だけど今は、耳に残る音を消したくなくて。
 必死に呼ばれる俺の名を。その聞きなれた声を。








「……ぅん、……ん?」

 寝られた。
 信じられないほど本気で寝てた。抱えて寝たはずのクロウが両手の中にいなくて、慌てて飛び起きる。
 そして見まわした結果、見つけた。床の上。 

「たま……ご…?」

 俺の両手でやっと持ち上げられるくらいの卵が一つ。俺の頭より大きくて、幼児なら膝を抱えれば収まっていられるんじゃないかってサイズの卵。
 こんな現象の心当たりは一つしかなくて、迷わず両手で抱える。重い。でもやっぱり見たことのある卵だ。大きくなったくらいで。
 卵を手に、そっと。そっと。ちょうど卵を置くためにあるみたいな大きさのオレンジのクッションの上、卵を置いて。散らばった黒い羽根を全部摘みあげて、拾う。

 しんと。
 しいんと。
 部屋の中は、静かだったから。

 きっと。
 絶対に。
 俺の声は、殻があっても中に、届く。


「クロウ」


 こつんと、卵の中から音がした。
 見る見るうちに入るヒビ。飛び出したのはくちばしではなく、小さな手。その手は器用に殻を掴んで、かぱりと、自ら真上に割り開いた。

 中にいたのはオレンジの髪の、たぶん一番しっくりくる表現としては、『幼児』。いつか似たような光景を見たときと同じで服は着てなくて、慌てた俺は取りあえず起きっぱなしにしていたバスタオルをひっつかんでその子を包んだ。
 その時見えたのが、背中に二つ、引きつれたような傷跡。

 羽はなくて、顔に模様もない。大きな目にふっくらした頬、俺が初めて見たときより、ずっとずっと幼いけど。でも、誰が見ても驚くことはない大きさだ。卵から生まれたのを除けば、普通のコドモ。

 その子が、タオルに顔をうずめるみたいにして笑ったから。
 にっこりと機嫌良く、笑って。そして。


「きぅゆ」

 
 呂律の回らない第一声が、確証だった。
 もう、名付ける必要はない。だってお前は、お前だから。そうだろ?




「……っおはよう、クロウ!」

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