「すず」が教えてくれたこと           
                                 
これは我が家が12年間体験した事実です。
事実を忘れないうちに書き留めたものです。「すず」という長く居てくれた一匹の猫の話です。
妻がこの難病であります病症になった頃から1年くらい後の冬でした。私達家族が住んでいた公団の2階からなにげなく外を見た時です。下の通路に犬が…と思ったら、猫でした。大きいので見間違えたのです。よく見ると茶色などの三毛猫でした。その通路を歩く人に何と愛想が良い猫です。しかしこんな大きい猫が居るとは…知りませんでした。多分つい最近現れたのでした。実は1階の方は動物を何時も可愛がる人達でした。ひょっとしてそんな噂も何処からか知り、こうして猫を置いていく人もいる…・・・こう聞いていました。ところがその猫はおすでありしかも去勢していました。そしてその猫はあたかも自然にその家の人が面倒をみる事になりました。「すず」…と名がつきました。そうこうしている内に我が家にも顔を出す様になり、子供がまた喜ぶものでそのままでした。何しろ猫ですので出入りに不自由は無く、実際はかなり困る時も有りましたが、子供には勝てず妻本人は寛容でした。こうして年月が過ぎて私達の現在が在るのですが、 実はこの「すず」が教えてくれた事が有ったのです。それは「便」でした。排便の事です。私がある日その「すず」の排便を何げなく目にした時、相当に出にくい様でした。そしてやっと1個の丸くて黒い便を出しました。これは猫として別に通常な様子・・となっていますが、1つ疑問が出ました。なぜあんなにも真っ黒くて丸く硬いものでなければならないのか?・・という事です。私達が種々の体験を重ね、授けて戴いた思考は「自然の理に適っている…はず。」・・です。そうすれば猫であろうと何であろうと必ず自然のはずです。つまりこの便も必然…となります。しかし何か不自然な気持でした。私はそれではと何か感じ「すず」の足を握って見ました。しかしなんと冷たいのです。特に指が冷たい…のです。これは自然か?・・と思いましたがどうも違う様です。それで私はその足をいままでしてきた様に・揉んでみたのです。・・驚いたのは「すず」の方で、その瞬間丸い目が私を睨みつけて身構えましたが、さらに力・・を入れて揉みしごいたもので、「ぎゃあー〜〜〜」…と叫び私はその手を「がぶり!!」と噛まれ、大暴れで格闘となってしまいました。
さすがに本気になると猫といえども大変な力です。しかも手足の爪はまるで「釣りバリ」の様で、私の手は血だらけ、噛む所は指ではなく、なぜか手の甲の真中を狙うのです。それでもなんとか足の8本の「指」と付け根までの「筋」をかなりの力で揉みしごく事ができたのです。後々に妻本人が聞いた話との事ですが、隣の人はちょうど見ていて…「動物虐待だ」…・と思ったそうです。時間にしては5分も無いのでしたが、終って「すず」の様子はと見たら別にまいっている様子では無く、ペロペロとその足をいたわっています。私の力で「ぎゅう〜」…と、殆ど人間と変わりなくやったので相当に痛い事は痛い訳で、しかしその時だけですので、後はけろりとしています。その日はそれで終りました。
ところがその後日、よく見るとフラフラ?…の様子で歩いていて、下腹部、わき腹が何とげっそり…とやせているのです。子供たちも私の事を大非難です。しかし私は実はこの時点で確信が生まれていました。それはやはり自然の理に適うことでした。あのやせ様は実は腹の中の便が大量に出たためでした。やせたのでは無かったのです。その後日に「すず」の「排便」の様子が大変化となったのです。なんと便の色は人のそれと同じく、更に大きさも長く3本程の便となりました。殆んど人のと同じ物だったのです。足の筋が冷えていたのでした。この事は今の私にしては、何ら不思議な事ではありません。しかし今度は別の大変さが発生しました。それは「すず」の異常な食欲です。まいりました・・食べたと思ったら、すぐまた「にゃ〜にゃ〜」です。食べるわ、あさるわで・・・ほとほと参る事になったのです。つまり多く排泄すれば食べる量も多い訳です。しかしこれが自然の姿だったのです。今でも週に1回くらいは「すず」の足を揉んでいます。もう慣れてしまい「ぎゅっ」・・とやっても「にゃっ」と言うだけで、もう・・ちゃんと心得ているのです。本能的に「良い事」…と感知してる訳です。
ちなみに「すず」はH12年夏から「正式」に私達家族のー員となりました。それは、ある訳が有りました。私達はそこから遠くない所へ転居することになりました。それで当然ながら「すず」の事が問題になりました。この頃は実際には家の猫の様態でしたが、やはり階下の人達が飼主・・であり、それで困っていました。そうこうしているうちに引っ越しの日が近ずきました。そうしたら子供が言うのです。「すずが来て・・誰もいなかったら・・可哀想だ。……・…」 なるほど…と思いました。
「すず」の眼になって・・はじめて気がつくことだからです。その光景が浮かんでしまいました。そして妻本人も「そうしなさい・・。」と言ってくれたのです。それで決まりました。




・・「すず」が最初現れた時が平成4年の冬です。その時点で既に3歳位にはなっていたはずです。そうするとH15年の今は既に14歳となります。
しかし顔を見るとまだ5歳位の様に感じます。猫の腎臓も人のそれも同じ筈なのでした。体外へ出すという事が「肝腎」…と「すず」が正に「身を持って」教えてくれた訳です
ある日ノミがついて困ってしまい子供達が勝手に獣医さんに連れて行ったとの事でした。そしてノミよけの薬を首の真後ろにぬってもらいました。その獣医さんは腕が良いと評判の先生です。そしてすずの年は「まだ8歳くらいだよ」・・と言ったそうです。それは平成14年です。すずは大きな体で私達の前に現れたのが平成4年です。ですから最低10歳にはなっていますでしょう?しかも平成4年の時点では2歳〜3歳にはなっていたはずです。そうすると平成14年では12歳にはなっています。
専門の獣医さんがそれを8歳位・・と見間違えました。どうでしよう・・・いかにすずが若く見えたかまた体つきが健康に見えたかお解かりでしょう?

ところでこの話とは矛盾してしまいますが実は「すず」は2004年5月20日夜亡くなりました。一体なんで?・と思われるでしょうが・・・
ここからお話していきたいと思います。私達家族が前述 しましたように公団に住んでいました。当然動物は飼えません。下の子のあやちゃん(あや)は実は犬を欲しくてたまらなかったんですが飼えません。上の子のなっちゃん(なつ)はそんなに動物には愛着を示す様子ではなかったんです。しかしあやは本当に欲しくてたまりません。いつも同じ様な子供が犬を散歩させている光景をうらやましそうに見ていました。私はそんなあやにすまないと思っていましたがそのころもどうにもなりませんでした。そうゆう日々の中でした。そしてすずが現れたのでした。こうしてすずという猫と私達は同居していました。あやは特に嬉しかったのでした。ところであやはもともと自分から積極的には意見を言うような子ではなく・・いつもその結果をじっと期待する..そんな子でした。ややもするとこちらがうっかりして何か約束事を忘れているとじ〜とにらんで語らずなのでこちらとしては何がなんだかわからなく、単純に忘れているだけですがうらまれ、にらまれます。忘れる方がいけないのですが・・。そんな中で1つの事件が起こりました。私達が引っ越ししてまもなく上の子のなつが階段から落ちてしまったのです。そして はくり骨折をしてしまいました。きゃ〜がらがらどすん・・でした。ちょうど夏休みの最中でした。包帯をして松葉杖を使う格好がかなり長く続いていました。ところが それからしばらくしてなつが・・人が変ったような?感じがしました。何かが起こったような感じです。いつものつっけんどんで冷たい感じが・・一変しました。それはあとで気がついたのですが、すずだったんです。すずが原因でした。どの様な経由があってそうなったのかは特に聞いていませんからわかりませんでしたがすずが原因なのは確かでした。なつはそのときから動物に愛情を持つ喜びを自分のものにできました。これだけで十分すぎることでした。なつはあやより8年近くもすずとは愛着ある関係では無かった様でしたがこの日から今度はむしろすずにべったりの感じになりました。私はひそかに良かったな〜と思っていました。動物に愛着を持つことが出来るとそうとう生活が違ってきます。そう思っていましたから少なくても無いより有った方が良いかな・・と思っていました。そんなこんなで4年間の間はなつも嬉しい気持があふれていたと思います。しかし4年目でこの日が来てしまいました。
すずはその前々日に何か様子が違っていました。二階から降りてきても何にも食べた跡が無いのです。それでいつものようにあげましたが食べません・・・何か拒否しているようでした。 ・・それで水を飲ませようとしましたがそれも「ぷい」・・とそっぽを向くのです。そしてあやのベットの窓際でじ〜と座っていました。いつものあの活動的な行動は全く有りません。じ〜とまっすぐを見つめるようなまなざしで動こうとしませんでした。私は何か感じました。すこし不吉な予感がしてしまいました。夕方から雨が降っていました。すずは遅くなってから外に出て行き帰ってきません。子供達が帰ってきて探しに出ました・・しばらくして「すず〜」と呼んだらその平屋の普段は誰も住んでいない家の裏から出てきました。その日は無事に終わったのですが・・次の日の朝私は下で寝ていましたら普通に二階から降りてきました。そして「にゃ〜」と一言鳴きました。別にいつものようでしたが・・私はなぜかすずを抱っこして自分の寝ている胸に乗せて背中や体をなでました。長い間そうしていましたすずは気持良さそうにしていました。私は少し安心していましたが・・しかしどうも体が冷たい感じがしました。その後すずは少しふらふらした足で外に出て行きました。何か不自然な感じです。そして又向いの平屋の家に向かって行きました。別にいつもそんな光景は見慣れていましたから普通ならなんでもないことでしたがこの日は違っていました。私はそっと後をついていきました。すずはその家の裏に向かい、そのそばに色々物が置いてありますその中のダンボール箱の中にそお〜と入りました。そして私に背を向ける姿勢で そっと座ったのです。私はとっさに察知してしまいました。・・そして急に涙があふれてきました。「すず・・・・・なんだよ〜」そういってすずを箱から抱き上げました。すずは私と目が合いました。下からじ−と見つめてくれました・・そして嬉しそうなまなざしをしてくれました。私はそのまま家に抱いて帰りました。
しかし涙は止まらなくなりましたので子供にも見せられないなと思い必死で目を動かさないようにしました・・どうやらすずの体は相当温度が低くなっていました。体温が下がっていたのです。それでもあまりに急なことでしたので何か現実に思えずまさかとは思わなかったんだと思います。その日は私は横浜に行く約束がありました。そして夕方横浜線で帰ってきました その電車の中にあやから携帯にメールが来ました。「すずがやばい。このままでは・・病院に連れてゆく」でした私は付近の動物病院を知らせよと返事しましたらすぐ調べて 
返信がありましたのでそばの病院に電話しましたらそれなりの答でした。帰ってすぐあやが毛布で包み抱っこして私と車で付近の動物病院に行きました。先生はすずの体温を測りそしてこう言いました。「ん〜んかなりきびしいですね・・」私は何度ですか?と聞きましたら33度ですとの事。そして動物の猫の平熱は人間より1度も高いのでその人間よりも低くなっていてはおそらくふらふらの状態ですと言うのです。「入院しても・・・」確かにそういう状態でした。私も動物の体温の事は知っていましたので心の中では苦しい気持になっていました。その晩すずは何度か這い上がっては外に行こうとしましたがもう一人で立ち上がる力は無くなっていました。それでも外の窓のところにいって耳をピンと立てていました。「すず」にはあやが顔を見合わせて手をそえて、私は体を・・そしてかみさんは涙をあふれさせてすず、すずといいながら・・・その中ですずは低い声で「にゃ〜」とかすれるように鳴きました。
・・・すずの顔がその耳をピンとさせてそのままの姿で残りました。なつが「すず〜すずー」と叫びながらばたばたと帰ってきました。「すず−すず〜」と叫んで泣いていましたがどうする事も出来ずただ茫然と・・・してしまいました。12年間の間一緒に居たのです。子供達は二階に連れて行きその夜を過ごしました。なつはあやに「あんたの方が長かったんだから・・」そう言っていました。そういわれてあやは自分のベットに横たわせました。そして二日も置きました。それにしてもすずの顔はあまりにも・・美しい顔です。なんとあらわせばいいか・・細く凛々しい顔です。しかし何時までもそうしておけないよとさとし次の夜埋葬する事にしましたがどこにするか決まりません・・そしたら上さんが前の花壇にしてやればと言いましたのでそうする事にしました。そして埋葬しました。すずは私たちの前から姿を消してしまいました・・・・・なつとあやがそして上さんも不憫でしたがどうにもなりません。悲しみはというよりほとんどショックに近いものだったからです。それは無理ないことでつい二三日前にも「すず」は元気ないつもと同じ姿だったからです。
すずの顔は実に美しいいものでした。顔が細くなっていますが何と美しいものでした。その柳眉のまなざしは何とも表せない美しさと感じました。
すずは人間ではもう相当のおじいちゃんです。そのすずがこんなに美しいのは何か訳があってのものです。
すずが死んで3日目の日曜日でした。私がいつものように雨戸をあけて外を見たときです・・・なんと畑の中に・・・・どう見ても足跡です。
くっきりと大きな足跡がひとつありました。人の手のひらくらいの大きさです。「すず」だ・・・間違いないと思いました。大きな足跡がこちらを向いています。
はっきりと足の指が四本ありました.左足の爪のあとです。早速子供達に見るように言いました。さすがにこの時は驚いたようでした。なつはデジタルカメラで撮りました。私も携帯カメラで何枚も写し今も保管しています。これはすずが私達に伝えてくれた言葉の印だったのです。

初めからこう・・予想しています。
空の上で神様が一匹の猫を抱えて下にブラント下げています。さばとら模様です。
「さあ行くんだよ・・2004.5.20までだよ・・・・・・・・・」
そう言い渡されてすずという猫は地上に降りてきました。まるで雪のひとひらの様に・・だったと思います。
その前に実はいきさつがありました。私の父親は動物を可愛がる人でした。私が生まれて小学生の頃はにぎやかでした・・犬、猫、鶏、ウサギ。あひる、伝書鳩、そんな環境にいました。子供心に忘れないものですね・・・犬のちょんは15歳で交通事故で死にました。猫は「富士」というのですが私が知らない前でした。そのあとロンが来ました。これは私の 
上の姉が例のハチ公の生まれた大館駅前から子犬で連れてきました。そのときは猫のちゃこもいました。とにかく動物を愛していました。ちょんは私が小学校に行く道をいつも後ろから遠慮しながらついてきました・・「もう帰れな」と言うといつも下を向いて不満そうに帰って行きました。昭和30年ごろの話です。私が生まれる前に私の兄である長男が白血病で中学生の頃亡くなっています。父はそのことが人生の大きな穴になっていたのだと思います。子供心に記憶していますが父と居たときでした。その中で神様の事がなにかの拍子に出ましたが・・
父はこう言いました「神仏がいるならこんなことしね・・」   神仏がいるならこんなむごい事するはずが無いという意味です。この日から父は神仏を否定したのです。
そのとき私は子供ですが今50年たってもこれからも忘れません。その父が本当は嫌いな神様に頼んでくれたのです。あやをそしてなつを不憫に想ってのことでした。
そしてここからすずは現実に存在したのです。そしてすずはオス猫で既に去勢されていました。現実にはオス猫をわざわざ去勢して捨てて行った・・・事になります。ところで階下の人や他の人がどんなに手を差し出してもすずは抱かれようとしませんでした。不思議なことにそうだったんです。そしてあやにだけは従順にすなおに抱かれていました。皆こう言っていました「あやちゃんにはだっこされるんだよね〜」と羨ましそうに言っていましたのを私も聞いていました。でもその頃は別に何か意味があってのものだとかは気にしませんでした。それでも雨の日の泥んこ足や他にも色んな事が有り・・妻も困ってしまいとうとう家には入れないような防備などもしました。しかしどうしてもそれをすり抜けて入ってきます。それで頑丈にふせぎましたがある日は驚きました・・窓枠の小さい一枚のガラスの間に足場の無い状況ですずは飛んできました。すずの頭がドンと飛び出しました。そして無理でもなんでもこじ開けて体をもがかせながら中に入ってきました。ガラスでこすってですからかなり怪我してると思いましたが・・どこもなんとも有りませんでした。このときはさすがにぞ〜としました。家にはどうしても来るんだという・・まるで執念のようにさえ感じました。今は納得できますがその当時は本当に困惑状態でした。階下の方はなんでも容認してました。そして良く水が流れていました。
すずが玄関でオシッコを撒き散らしていたんでした。このことも私達が引越しする事になって始めて階下のお宅の状況を知ったのでした。それでもそこの方はなんと寛大だったんです。
今思うとそのこともすずは矛盾していません。それはあや以外の家で可愛がられてそこの人に管理されることを恐れてのものだったんです。わざと困らせてそこにいられない様にしていた訳です。 そしてすずは予定どうり私達と同居することになりました。
すずにとっても距離的にはすぐのところでしたがそこにはやはり縄張りがあり大きな茶色の猫が案の定襲ってきました例によってすずは無抵抗です。なんども傷を負いました。私はどうにもそのままではならないと思いその猫を撃退すべく機会を試行しましたがなかなか機会が無いのでしたがやっときました。でも何とそのぼす猫は怖い目でにらみながら帰りました。これは今後も大変だ と感じました。ところですずはひとつ面白いしぐさを持っていました。それは何かエサを食べる時普通の猫のような食べ方では無いのです。なんと手をそ〜と出してそのエサを手で運んできて口に入れます。まるで人間がフォークを使うようにです。手で食べます。その光景も写真で取りましたからたくさんあります。隣は畑でしたのでありとあらゆる生命体がいました。私は除草剤や虫の薬は絶対に使いません。ある日はコガネムシのような虫の子供が体を左右にゆすって私の足もとにかけてきました。何か喜びを表わしたように感じました。ですからおそらく虫たちも喜んでくれたと思います。今はそんなことぐらいしか私はできないのでした。すずはだんだんこの環境になじんでいきました。
すずの存在は今でこそでなくても大きいものでした。動物を愛するいわゆるペットを飼っている人なら誰でも同じ思いを持っています。ですからこの私達の体験と似たような事は世の中のあちらこちらにきっとたくさん存在しているのかも知れません。ただ私たちのこの体験は不思議なものでした。
すずの姿がいなくなって・・そして私は何か起きるような予感がしていました。もしかしてすずの事です・・「にゃー〜」と今でも目の前に現れるのではないかな〜とさえ思っていました。
最初の事件?が起きました・・アリでした。これまでアリが家にぞろぞろ入ってきた事は無かったのです。しかし正に台所中何と冷蔵庫の中までアリが走り回っていました。レンジにもアリがいっぱいです。ほとほと困り、アリが嫌がるかも知れないと思い酢をまきましたが間違いでした。その酢のサラに集まっていました。上さんがアリの嫌がる錠剤を買ってきて置きましたら数日で来なくなりました。それからしばらくしてあやが鳥の箱のようなものを抱えて入ってきました。何とそれはハムスターです・・ジャンガりアンハムスターだそうです。聞くと姉のなつがお金を出してくれたとの事。何か気を紛らそうとして二人の意見が一致した様です。「チム」と名を付けてその箱から出しては喜んでいました。私も少しホッとしました。毎日が重苦しく無口になっていた頃でしたので名案だな〜と子供達に感心しました。そうゆ日が何日も過ぎてやはりペットは何でも想いが移っていきます。どんな小動物でも同じく居るとだんだんその表情がはっきりと見えてくるようです。そうなるとその個性が存在するのです。そうこうして少し安心していました。ところがまたしても起きました。たまたま私のそばにおりを置いて朝を迎えましたら「チム」が中にいません。よく見ましたが・・いなくなっていました。ふたは閉まっていましたが?・・後で子供に伝えましたが本気にしないのです。それで大掃除のような作業が始まりました。家の中すみからすみまで・・・何から何まで、起こしては探し動かしては探ししました。大晦日の掃除より丁寧に探しました。何しろ親指くらいのハムスターですから、注意に注意をかけて探しました。しかしどうしてもいませんでした。またまた落胆と失望でもうぐったりしました。そしてそんなことなら飼わないほうが良かったと後悔に沈んでしまいました。
みんなに私はこう言いました「すずが遊びに連れて行って今ここで遊んでるんだよ・・心配ない」でもあまり効き目無い様子です。そうして早10日も過ぎましたある日です・・
上さんが何か叫んでいます「・・・がいた・・がいた」いつもは早足で歩けないのに小走りでまるで興奮しています。良く見ると・・手を握って前に出して・・何と中にチム?がいます。
二階から降りてきたら目の前の玄関のところにいたと言うんです。あまりの喜びと驚きでした。無理も無いことであのように探して絶対に居ないと確認したのです。ところが子供達はそのことを知っても「ウソだ・・絶対違うよチムじゃ無い」こう言います。第一10日もどこにいたのか?家中すべての隙間や可能性の有る所を探しました。やはり不思議な事件が起きたんです。私はそういいましたが子供達は「トウ(私)が例によってどこからか買ってきておいたんだよ」こう言います。私自身は違うことを知っていますが子供達(特にあや)はそう確信していたようでした。「じゃあ 良く見てチムかどうか判るだろう・・良く見て」そうしてそれから真剣にそのハムスターを見つめ始めました。でも1日目は違うといっていました。少し前よりやせていましたし・・実は私には判別つきませんでした。それは私は特に可愛がってもいませんでしたし無関心を装っていました。ところが2日目に子供達は「チム」だと言いました。「それ見ろ〜」 しかし今度は一体なぜ?が始まりました。でも喜びの方が大きく次第になれてゆきました。しかし10日もの間水なしで?どうして生きていたのか?そしたらこう言います「夜中におりに戻って飲んでいたんだろう」
そういえばいなくなったその晩からおりの戸を開けていました。もしかして帰ってるかも知れないと子供達がそうしたためでした。でも10日間も毎晩毎晩私が寝てしまってからそばを通ってちゃんとおりに入って水やエサを食べていたんでしょうか?その光景は私が口を開けてぐ〜ぐ〜寝ている前をすいすい走っていた事になります。やはり私は確信しています「すず」が遊んでいたんです。そして何か上げてたのかも知れないと思っています。それを知っているのは当のチムだけです。今日もチムは何事も無かったように遊んでいます。こうして2つの不思議なことが起こりました。

今は2004.7.20が過ぎましたであの日から二ヶ月がすぎました。私はすずのお墓・・・という感覚でないので形だけだと思っています。すずのお墓は今上さんが植えた松葉ボタンがきれいです。子供達も帰るとすずが埋まっている花壇に向かい何か呼びかけているようです。私も帰るると「すず・・」と声をかけるくらいでした。
足早に夏が来て草が大きくなりました。畑の中のすずの足跡が次第に土と同じ様に平らになってゆきました・・今はもううっそうとした草地になりました。しかし相当長い間足跡はそのまま崩れませんでした。その畑はどこかのおじさんが何時も耕して野菜を植えていたのですが しばらく見えなくなりそして久しぶりに畑をきれいにして帰っていきました。その時もすずの足跡はそのまま、偶然でしょうか残りました。
今・2004.7.27 すずのところはかみさんが植えた松葉ボタンでいっぱいです。
周りは草ぼうぼうです・・夏の最中です。ある日上さんが こう言いました「なんとね〜すずは孝行猫でね〜」「孝行猫・・?」 とは??
何の事か実はわかりませんでしたが・・それはこういう事でした。「すず」はなんと一度も・・・12年間です、病院に行きませんでした。つまりお金が一円もかかっていなかったんです。そういう意味でも「孝行猫」・・と言い表したのです。そういえばそうでした何回かは私が傷を見つけては直しましたし・・この12間に動物病院に行ってません・
最後に行きましたがそれとノミよけの薬を首の後ろに塗ってもらうために子供たちが勝手につれて行きました。それが全てでした。こんな長い間でなら病院にも何度もかかっているのが普通ですが・・。もっとも何度かすずはそばにいたボス猫にねらわれて背中を爪でさされて膿がたまっていたときがありましたが、私はそれも探して傷を開き膿を出して消毒して治していましたから病院にも行ってませんでした。それであってもすずは病気というものと全く無縁でした。年をとっても若々しく目は輝いていましたし、人間では90歳にあたっていてもしなやかなからだを保っていました。それでも上さんが言ってくれて始めて・・そうだったね・・とあらためてわかりました。こんな「すず」という一匹の猫がこんなにも大きい存在でしたが私はそのすべてを知っていました。なつはあやよりも短い間でしたがすずの愛情を大きく受けていたのでした。それだけにその悲しみは計り知れず不憫でした。あやはすずが存在する事になった本人です。12年もの間あやはすずと共に成長してきたのです。不憫でしょうがないのですが近いうちにその真実を知れば少しは和らぐかな・・・と思います。それよりもいきなりそうゆう事になった事が今でも信じられないのでした。本当につい今しがた元気だったすずがあるその日突然体温が急に下がる事がありえるでしょうか?私はその訳を知っているのですがそれとてそのことを家族に言いましたが半信半疑なのでした。それでも半分は信じているようです。それほど急なことでしたからその不自然さには納得できないためでした。どちらにしてもすずへは感謝でいっぱいです。みんな心の中で「すず・・・」と呼んでると思います。そしてそう仕向けてくれた父親(子供達のおじいちゃん)に感謝しています。
そしてそれを受け入れてくれた神様・・・だと思いますが・・感謝しています。私は何とかしてこの事実を他の子供達に伝えたいと思い今こうして書きとどめています。

そして今こう思っています。子供たちの祖父に頼まれた神様はしぶしぶこう言いました。「わかりました・・だけど何時までも居ることは出来ないよ・・そうだね・・あやちゃんが20歳の成人になるまでだよ」・・それが2004年なのでした。ところがこの約束の日が近ずくにつれ、ここで神様は困惑しました。2004年ともなればすずも高齢であり14.5歳になります。そうすると極自然に 老衰してゆくはずです。それが自然でした・・・ところが・・「すず」はその時が近ずいても何とまだ青年のまなざしをしていたのです。これには神様も困りました。
「なんということか・・・・」しかし約束は約束です・・最初から「2004年5月20日」と設定されていたのですから・・。神様はすずが突然そうなる事を不憫に思いましたが、どうにもなりません・・・。実はこれには訳がありました。それは私のエネルギーをすずに私の手を通して渡していたという事実が有ったのです。これは私たちの家庭の事情があってのものでした。それは上さんである妻がすずの現れる1年前から難しい病気になってしまい、以来話せば長いのですが私たちは世の中の不思議な?医療思想の先生達に遭遇するになりました。その経由の中から私は多くの難病にう対する考え方と真実を訓えて頂きました。そのため医療の考え方を今まで本人である上さんと共に行動して、実行してきたという経由が在りました。私はその稀有な先生達からある命を受けたと思うようになりました。そしてある多大なエネルギーを頂いたのです。そのエネルギーをすずにも与えていたのでした。 そして「すず」は元気はつらつな姿を継続していたのです。14〜15歳の猫が元気はつらつ・・とは・・これは後で加えた事実です。ですから予想の外です。これはいかに神様であっても・・予定外のことでした。しかし子供達にはまだこの真実を伝えてはいませんでしたから・・・それでもうすうすとは気ずいていたのです。ですからこういいました「すずはず〜と家にいることになったからね・・心配すんな」 実はその前はこう言っていました「すずは命令を受けてこの地上に降りてきた特別な猫だからね・・だからもう次の可愛そうな人の所に行ってるんだよ、だからねすずは何も困っていないからね」  あの足跡をつけてくれた時から少し前は本当にこう思っていたのです。その後私は心の中でこう言っていました「すず・・やっぱり家にず〜と居てくれないか?居てくれるならそう返事をくれ・・」そしてすずは足跡をつけて返事を知らせてくれました。ちゃんと家の方を向いている足です。つまり家に行くよ・・・という意味です。それを見たときからずーと居てくれると決まったのです。ところで今も思い出していますが「すず」はいなくなる10ヶ月前頃から「食欲」が・・大変なものになっていました。とにかくカンズメの殆どを食べたすぐ後にもう鳴くんです。「にゃ〜にゃ〜」と何か食べ物をくれくれとです。最初は普通の食欲だと思っていましたがどうも違います。とにかく顔つきが違ってきていました。目が今までとは違い真剣な感じでした。ぼんやりどこかを眺めるのが普通の猫ですが何か一点を見つめているようなまばたきもしないそんな目つきと姿でした。そして冬が近い頃から毎日毎日ファンヒーターの上にひょんと飛び上がりいつもそこに座っていました。時にはすずの足がかってにそのヒーターのスイッチを入れてしまい大変でしたので新聞紙を重ねて座布団代わりに置いてスイッチが押せないようにしました。とにかく何かにとりつかれているように様子が違っていました。そういえばストーブを置いていたもっと前からですから、すずが異常な食欲になったのは去年の夏ごろからでした。ですからかなり長い期間そうゆう状況が有ったのでした。上さんもほとほと困り果てていました。何しろチョットのすきに置いてる食べ物が無くなります。あっという間にテーブルの下ですずがうなりながらかぶりついています。最初はこちらも予想していませんでしたから、とにかくほとんど取られていました。その繰り返しをするうちにとうとうこちらも本気で考えるようになり食べ物はすぐレンジに入れたり隙間に置いたりしましたがすずの俊敏さにはかなうわけも無くほとほと参っていました。 「一体すずはどうなっちゃんたんかや〜」こう言っていました。 ある時は驚きました何とテーブルの皿に並べてある黄色い沢庵を取り・・うなりながらかじっていたのです。この様子を見た時は尋常で無いと私は既に何かを感じていました。今思うと納得できます。すずはその役目を果たす日が近ずきました。その異常な食欲が無かったら私は今回のすずの死をどうしても納得出来ないと何か疑っていたでしょう。でもこの食欲の事実があったために今までの全てが一本の糸でつながりました。すずは12年もの長い間与えられた役目を正確に果たしました。実はあの食欲はその役目に対するご褒美の意味が有った訳です。その様な形でしか現実の中では表せないものだと思っています。それにしても私はそうゆう意味を先には察知できませんでしたのでいつもと同じ食事しか与えていませんでしたので、今思うともっと何か上げてやればよかった・・・と後悔しています。たまにはマグロのさばき残しをスーパーでまとめて買ってきては生でやったり煮て保存して何日も食べさせていました。そのマグロは私も食べたいほどのものですからすずも喜んでいました。でもカンズメは安価なものしかあげていませんでしたからやはり後悔が残りました。ずいぶん前から私はすずのスナップ写真を撮っては保管していましたので今かなりの数になつています。また子供たちも携帯で撮ったりしていました。すずの行動範囲はそんなに広くないのですが1つだけ把握できないままの行動がありました。それは向いの仮住宅の間を通じてどこかへ行っていました。その間は2.3時間でしょうか帰って来ませんでしたからどこかの猫か人と会っていたのだと思いますがわかりません。私の父や姉達ががそばにおいていた動物たち・・・犬のちょん、猫の富士、犬のロン、ねこのちゃこ、アヒル、ウサギ、鳩、鶏・・そのみんなの代表で「すず」は存在してくれていたと思っています。今はあのすずの足跡がくっきりとあった畑の土も何も見えないような夏の草が生え茂っています。すずのお墓の花壇も松葉ボタンがひろがり咲き誇っています。本当にすずが12年間もいてくれた事が夢でも見ていたのかな〜と感じる時があります。子供達ももしかしてそう想っているかも知れません。本人である妻の病気をいつも見つめていたすずでした。すずの目にはもしかして一番冷静に写っていたのかもしれません。みんなすずに感謝しています。「すず」という一匹の猫がこんなにも長い間労を尽くしてくれました。「すず」・・・・ありがとう・・本当にありがとう。
そして他の 多くの子供達に「すず」というこんな不思議な猫がこの世の中に本当に存在した事をその多くの写真と共に残しておきたいと思います。


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