「じゃあ次は俺だな!」
「はい、おねがいします」
 嬉々として、虎徹は腕まくりをする。
「虎徹さんは普段から香水使ってるんですよね?混ざっても大丈夫なんですか?」
「ああ、だから今日はつけてこなかったんだ。俺、これ結構楽しみにしてたからな」
 嗅いでみ?と、まだ香水を振る前の腕を差し出される。
 戸惑いつつも一応嗅ぐそぶりは見せたけれど、やはり普段の虎徹のにおいがわからなくて、確かににおいはしませんね、と言うだけしかできなかった。
 ひとの体臭なんて特に興味はないし、唯一間近で触れる機会のある虎徹の体臭だって、特別それが気になったこともなかった。
 虎徹は、慣れた手つきでボトルを持ち、手首に2回、スプレーする。
 両手首をそっと擦りつけ、一度匂いを嗅いだ。少しだけ、彼の表情が緩むのがわかった。
 それから、首筋に手首を持ってきて、そこにも擦り付ける。
「そういえばさっきも思ったんですけど、なぜ首筋につけるんですか?」
「なぜって、そりゃお前……ん?なんででしたっけ?」
 難しい顔をしたと思ったら、それをへらりと変え技術者に向ける。
 毎度毎度、このひとは格好がつかないな。
「それは、香水をつけるところは体温が高いところがいいと言われているからですね。よく揮発して、香り立つので」
「そう、だからだ!」
 自慢げに言って見せたが、説明をしたのは虎徹ではない。
 だからといってそれを問い詰めても何も意味はなさないから、そうなんですか、とだけ返事をした。
「この香り、俺好みだなー、さすが専門家はわかってるよ」
「もちろんです、タイガーさんに似合うように調合しましたから」
「バニーちゃんはどう思う?」
 虎徹と技術者たちが楽しそうに談笑していて、少し蚊帳の外でであることを感じたすぐあとに、虎徹がバーナビーに声をかける。
 自分を気遣ってくれているのか、それとも本当にただ感想を聞きたかっただけなのか。
 きっとどちらでもなだろう。そういう、会話の仕方をするひとなんだ。
「嗅いでみないとなんとも……」
「そうだよなー!じゃあ、どうぞ?」
 ぐいと差し出されたのは、首筋だ。髪をかき分けて、上目遣いになりながらこちらを見る虎徹に、なぜか喉が鳴った。
 そこに顔を近づけようとしたとき、こちらをじっと見る視線に気付いた。
 興味津々と言った様子で見つめていたのは、ロイズと先ほど席に戻った技術者たちで。
「だから、虎徹さんがそうだから、いかがわしいとか言われるんですよ!手首で結構ですから、貸してください」
 せっかく出してやったのに俺のほうが変態みたいに言うな、という訴えを完全に無視して強引に虎徹の腕を取ってにおいを嗅いだ。
 思っていたよりも、強い、香りがする。
 なんだか、すごく大人の男性のイメージの匂いだった。嫌いではない。
「かっこいい香りですね」
「だろ!あとセクシー」
 自分の腕を嗅ぎながら、虎徹は言う。ずいぶんと気に入ったようで、サンプルをもらって帰るようだ。
 バニーはいいのか?と聞かれたから、せっかくなので、とバーナビーももらうことにした。付ける機会はないだろうけれど、記念にはなるかもしれない。
 それに、インタビューの話のネタにもなりそうだ。公表はしていいらしいから、宣伝も兼ねてそういう場に付けていってもよさそうだ。
「ご試香ありがとうございました。次は、完成しましたらポスター撮りなどお願いさせていただきます」
「了解しました」


 会議が終わると、バーナビーはデスクには戻らずに御手洗いにいた。
「バニーさ、そんな物欲しそうな目で見ないでほしいんだけど」
 広い訳でもない個室の中虎徹と二人、しかも虎徹に軽く拘束されるように腰を掴まれてうまく身動きがとれなくなっていた。
「……っ見てません!」
 強く否定はしたけれど、虎徹の言ったことは間違っていなかった。
 彼から漂ういつもと違う匂いは、何故かバーナビーの性欲を掻き立てるものだった。
 あの、首筋に顔を埋めたくて仕方ないんだ。
「いいんだけどね、べつに。俺もその気になっちゃったし?嗅ぎたかったったんだろ?ココ」
 先程と同じように髪を掻き分け、そしてもっと欲にまみれた表情で誘われてしまってはバーナビーの理性も形なしだった。
「我慢しなくていいんだぞ?」
「後悔しないでくださいね」
 見つめた、虎徹の瞳が暗く光った気がした。
 差し出された首筋から立ち上るのは香水か、フェロモンか、食い千切りたくなるほどの匂いを放つ。
「あーあー、かわいそうなくらい欲情しちゃって……」
 鼻をならすバーナビーの背中から指を差し入れながら、虎徹はつぶやいた。
 バーナビーがどれだけ息を吸い込んでも、その香りは絶えることがない。
 体の熱が下半身に集まってきていることに、やっと気付いた。ときおりピクリと揺れる腰は、意図せず虎徹の足に股間を擦り付けている。
 素肌を滑る虎徹の指は、バーナビーの背のボトムの際を丹念にさすっていた。
「バニーちゃん、このままじゃパンツどころかきっとズボンにまで染みちゃうから、もう、終わり。な?」
「そんな、無理です」
 張りついたバーナビーを引き剥がそうとする虎徹に、即答した。
 もう、身体の熱は後に引けないくらいのところまで来てしまっていた。
 この香りが、深く考えることを邪魔してしまう。
「ここ、会社なの。わかってんのか?」
 わかっている。そんなこと、でも、だから、余計に。
「こてつさん、すごいいいにおい、する」
 すんすんと、耳の後ろを深く嗅ぐ。ただの香水の匂いだけではない、虎徹の匂いもする。
 いつもの彼の匂いと混ざったこれは、なぜこんなにバーナビーを酔わせるのか。
「はぁ、わーった。誘った俺が悪かったんだよな。……自分でベルトはずせるな?」
「ん、」
「だっ、いつまで嗅いでんだよ」
 ガチャガチャと二つ穴のベルトを自分で外す間も、虎徹の首筋からは離れられなくて、顔を埋めたまま器用にベルトを外した。
「だって、こてつさんのにおい、興奮する」
 壁ぎわに追い詰められた虎徹は、はぁと盛大に息を吐いた。
 発情した動物みたいだと、自分でも思う。こんなことは今までなかったから、戸惑ってはいるけれど、それでも欲望のほうが断然強くて呆れるほどだ。
 それでも身体の奥が、嫌というほど疼いて仕方ないのだ。
「抜くだけだかんな」
 妥協したように発した虎徹の言葉に、物足りないというように腰が揺れた。
「それだけじゃ……後ろ、も、欲しい」
 今まで、こんなふうに誘ったことはない。いや、わからないけれど、こんなにはっきりした頭で、こんなに甘い声を出したのは初めてだった。
 もう無理矢理でも構わない。脳が、溶けているような気さえした。犯して、ほしかった。
「……指だけ」
「……ん、わかりました」
 頭に浮かんだ、おかしいとも思える考えを見透かすように、虎徹の提示した条件はあまりにも軽いもので。
 それでも、一度妥協してくれた虎徹にこれ以上みっともなく縋って嫌われでもしたらと思ったら、ここで引き下がる他なかった。
「いい子だ」
 くい、と顎に軽く触れた手で引き寄せられる。自然と開いた唇が、虎徹のそれと重なった。


 ◇◇◇


 自分の匂いに興奮はしなかったのかと聞いたら、虎徹は「そらしたさ」と答えた。
 あそこが会議室じゃなくて、俺の部屋だったら、ロイズさんとか他に人がいなくてふたりきりだったら、きっとバニーを襲ってた。
 それを聞いて、自分はなんてこらえ性が無いのだと悔いた。それから、少し安心した。
 彼も同じ気持ちだった。
 もらってきた試作の香水を傾け、彼の部屋に行くときにまた付けてみてもいいかもしれないと、思った。




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