spark6新刊
「Hey, little bunny!」
※ワルツハーゲンの追走/まつりさんとの合同誌です
ちゃぽん、湯から出てきた虎徹の指がバーナビーの胸をなぞる。
彼とこういう関係にならなければ使われることなどなかったであろう、バーナビーの所有する部屋のバスルームに備え付けられているバスタブは、成人男性が二人で寛いで入っていても窮屈さを感じることはないほどの広さを持つ。
それと、こういう関係というのはいわゆる身体のお付き合いということだ。もちろん身体だけではなく、虎徹とバーナビーはれっきとした恋人同士だった。
ゴールドステージにあるバーナビーのマンションは、庶民である虎徹にしてみれば到底届くことのない雲の上のような場所だろう。それ故バスルームの広さも相当で、一人暮らしをするのにバーナビーはずいぶんと持て余していた。使うのはシャワーばかりなのに無駄に広くて、このバスルームはバーナビーにとってはあまりくつろげる空間ではなかった。
バーナビーにとって人と深くかかわることは、心の奥深くに刻まれた幼い頃の記憶のせいか、ひどく不安定で信用できないものであったし、必要のないものだと思っていった。だれと関ろうとも人は移ろいゆくものだし、ましてや恋愛など一時の期の迷いでしかない。
その考えを覆したのは仕事上のパートナーである虎徹で、彼はバーナビーの中にあった価値観をどんどん壊していった。彼はバーナビーの世話をなにかと焼きたがり、それは一種の父性のようであった。虎徹と一緒にいると安心するし、落ち着く。この人とならどれだけ一緒にいても構わないと、そう思えた。
はじめはそれが、どんな感情から来ているのかわからなくて戸惑ったりもして、顔を合わせるたびにイライラしてしまったこともあった。そんなバーナビーに、虎徹はじっくりと付き合ってくれた。食事を取るときはよく一緒に連れたって食べにいったし、気分が悪いときにはいち早く気付いてくれ、機嫌が悪ければ明るく盛り上げてくれたりもした。
あいにく自分の気持ちにすら疎いところがあるバーナビーが、虎徹に対して抱く気持ちが恋慕だと気付いたのはずいぶんいい信頼関係が出来上がってからだった。
それからも、バーナビーにとって今の相棒という関係は、居心地がよくて、ずっとこのままでいたいと思えるものだった。その代わり、恋を自覚し始めたときから湧き上がってきたのはひどく浅ましい感情だった。しかし、彼にこのやましい気持ちを知られたくない、伝える必要はないと割り切り、しばらく親子関係のようなバディを続けた。
ふれてほしい、ふれたい、気付いて。そんな欲望が膨れ上がったとき、先にふれたのはバーナビーか虎徹か。同時だったかもしれない。そのとき自分の行動に驚いたのと同時に、受け入れられたことに喜びを感じ、伸ばされる腕にしがみついた。
身体ごと虎徹に預け背中をぴったりと密着させた格好でつかる湯は心地が良く、バーナビーは今にも意識の底へ引きずり込まれそうになっていた。熱くもなくぬるくもない、ちょうどよい温度で包まれて、虎徹にただやさしく髪を梳かれているのをずっと感じていた。
未だ眠りにつかないのは、虎徹の手を離したくなかったからで、眠りにつくことを無理に押し留めていたが、その努力もむなしくいつしかうとうとし始めた。
しゃら、と鎖が鳴る。
湯の中で後ろから回されている虎徹の左腕はバーナビーの平らな腰に絡まり、もう片方は首に下がる金のプレートを興味深げに弄っていた。指先でつまんでいろいろな角度で光を反射させたり、厚さを確かめてみたり。
「なぁバニーちゃん、これいつも付けてるけど外さなくてもいいの?」
小さいけれど、存在感を放つ金色のそれは、四六時中バーナビーの胸元に鎮座し、外しているところはほとんど見られることはない。ヒーロースーツに身を包んでいるときですら、つけだままだった。
「ええ、……特に濡れても問題ないですし……んっ」
ぺちと頬を叩かれ起こされた。
いい気分で微睡んでいたところを余計な質問で邪魔して、という気持ちをこめて相手を睨む。もう少し、この優しい手でなでていてほしかったのに。しかしそれは、どしたの?というとぼけた返答によってうやむやに散らされる。
虎徹はどこか手持ち無沙汰なのか、腰に回る手が腹筋をなぞっていた。下からひとつ、ふたつ、筋肉のくぼみに沿って指を滑らせている。鍛えられた腹筋は綺麗に六つに割れていたが、バーナビーの持つそれはいわゆるマッチョとは違い、芸術的とも言えるしなやかな体つきを飾るアクセントのようなものでもあった。
身体をすべる虎徹の手つきは、情事の最中のようないやらしいものではなかったが、ふれると言う行為自体に特別な意味を見出してしまうバーナビーの身体はゆるく反応していた。いつまでも余韻が消えずに残っている、自分の身体にウンザリする。
その間も、プレートへの興味はなくならないようで、覗き込んでしげしげと眺めている。
「あれ、これ名前入りなの?」
つるりとした表面をなでる虎徹の指。そこには、良く見ないとわからないほど小さかったが、『Barnaby Brooks Jr.』の文字がしっかりと刻まれていた。
「ええ、これは両親の形見のような物で……」
自宅の焼け跡から出てきたこのプレートは、おそらく父親が大切にしまっておいたのだろう、原型をとどめていない焦げた箱らしきものの中から見つかったらしい。
そのときに刻まれていたのは父の名前だけだったが、あとから『Jr.』だけ書き足してもらった。
バーナビーはうとうとしながらも、プレートの思い出を記憶の底から引き出してくる。
「そういえば初めて付けたのは、アカデミーに入学したときでした…。それまではつけてみてもどこか不恰好で似合っていないような気がしていて……いつか大人になったらつけようと思っていましたから。まあ、今思えばあの頃なんてまだまだ子供でしたけど。でも結構、重いんですよね、これ」
それを聞いた虎徹は、確かめるように手のひらに乗せ、確かにとつぶやく。
「その頃は、付けたり外したりしていましたよ、なかなか慣れなくて。外出するときだけ付けることが多かったですね」
バーナビーは懐かしさを感じていた。過去を語りだすととまらなくて、次々とよみがえってくる思い出をはきだしていく。
バーナビーは、自分を知ってほしいとでも言うように、過去を語る。彼は、未来よりも今よりも、過去にとらわれている節がある、と虎徹は思っていた。それは、ジェイク事件を片付けた今でも変わらないようだった。
「それが、コレ一度無くしたことがあるんです。まあ、すぐに見つかったんですけどね、」
目が覚めてきたらしいバーナビーはどんどん饒舌になる。腹筋の動きが活発になり、不規則にぴくぴくと蠢いてふれていた虎徹の指を押し返す。
そして、どこか自嘲した風にバーナビーは笑った。
「必死に探しました。それが、ゴミ箱に入っていたときはさすがに驚きましたけど。」
「えっお前嫌われてたの!?」
これには虎徹も驚いたようで、ばしゃりと水を跳ねさせバーナビーの顔を覗き込んだ。
さきほど洗ったたせいで、いつもはセットしてある髪が、水を含んでぺったりと張りついている。それに見開かれた瞳と相まって、虎徹がいつもより若く見えた。彼のこの東洋系の顔立ちをバーナビーは気に入っていた。なぜかはわからないが、安心する顔、というのだろうか。ゆるく垂れ下がった目じりに、特徴的なあごひげ、すっと通った鼻梁。バーナビーは周囲からハンサムだと言われていたが虎徹のこともなかなか美形だと思っていた。ヒーローとして出動したり、メディアに出演したりしているときはアイパッチで目を隠しているため、なかなか人には気付かれないのだが。
「前に…校長先生?だっけ?あのひとに話を聞いたときは、全校生徒の憧れだって言ってただろ?」
「よくそんなこと覚えていましたね。まぁ、僕くらいになれば羨望と同じ程度、嫉妬を向けられることはよくあると思いますよ」
バーナビーが自慢げにそう言えば見開かれていた虎徹の目は半分に閉じられ、じとっとした眼差しに変わった。
「お前…よく言えるよな、そういうこと……」
こんな軽口を叩きあうようなやりとりもすっかり慣れ、二人の日常になってしまった。外に向ける顔は作っているぶん、気を使わなくていい虎徹との会話はキライではないし、むしろ好きなほうだとバーナビーは思う。
虎徹は力を抜いてもう一度バスタブに身体を預けた。
「はー……にしても、バニーの学生時代ねぇ…十七、八くらいか?」
「ええ」
「そん時会ってみたかったなー」
ぐぐっと伸びをしているのが背中に伝わる。言葉を深読みして、アカデミーの頃なら可愛げがあっただろうからそっちの自分の方がいいのか、とは一瞬思ったが、虎徹はそういうことを言うような人間ではないし、思ったことを思ったように口に出すことは知っている。
ただ、どんな顔をしてそんなことを言っているのか見てみたかった。しかし、何故だか振り向くことはできなかった。
「犯罪ですよ」
そのかわり、呆れた声で言葉を発し、ため息をついた。
「バニー……さすがにそれはないな…。俺が三十のときに、どれだけバニーが可愛いくてもさ、お前、十代だろー?成人もしてない子供に手を出す気は起きねえよ…」
虎徹もため息を返した。年を遡るほど年齢差というのは顕著にでるもので、今の年齢差でさえ虎徹にはハードルが高く、恋人になるまでの最大のネックと言ってもいいほどであったと聞かされたことがある。バーナビーにとってはそんなことなんの障害にもならないとは思った。けれど、おそらくそれが七年ほど前の話となれば、犯罪云々ではなく恋愛感情とかそういった類のものは感じることすらないのだろう。
そんなことよりも。
「バニー?」
今まで叩いていた軽口を急に叩けなくなってしまった。気持ちをこらえ俯いてみれば、逆上せたのか、と虎徹はバーナビーの額に手を当ててくる。火照っているかどうかは自分すらよくわからなかったが、風呂に入っているのだからいつもより少し熱いのは当たり前だろう。手が離れた隙に上がろうとしたが、うまくいかなかった。顎をつかまれ虎徹の方へ強引に向かされても、バーナビーは困ったように眉を寄せるだけで、目は合わせることができなかった。
そして、風呂に浸かっているだけにしては不自然なほど赤い耳をしていることに気付かれる。
「あっれー?バニーちゃんってば、照れてる?」
「っ!!あなたが!勝手に僕のアカデミー時代を想像して可愛いとか言うからじゃないですか!…いつも、そんなこと…言って……僕が…」
バーナビーは始めこそ声を荒げたが、語尾は聞き取れるかと言うほど小さな声だった。
恥ずかしい。ところかまわず、男である自分にかわいいと連呼する虎徹にも、そう言われるたびに浮き足立つ自分にも。
「ホント、かわいいなあ……」
ぼそりとつぶやいただけの言葉も、こんな場所であれば余すことなく聞こえてしまう。虎徹の視線から逃れるようにずるずると深く沈んでいこうとしたが、バスタブの深さ的に顔が半分つかるくらいのところまでしか沈めなかった。逃がさないというように、虎徹はバーナビーの脇に手を入れ湯からざばりと引き上げ、先ほどの寛いだ格好に戻された。
それからバーナビーは少し身じろぎしてから、気持ちを波立たせないよう、ゆっくりと息を吐いた。
「もっと恥ずかしがればいいのに……」
いくらか落ち着いたところで、後ろから抱きしめられて、その格好のまま虎徹はバーナビーのの肩にあごを乗せた。
重さを感じ、ちらりと虎徹を見れば、眠いのだろうか薄く目を細め、頭を預けてきた。難しい顔をしているから、もしかしたらなにかを考えているのかもしれない。静かなバスルームに二人の息遣いだけが響いた。
「んー、暖まったしそろそろ出る?おじさん指ふやけちゃった」
手のひらをバーナビーに見せるように湯から引き出す。虎徹の言うとおり、指は水分を含み、表面がシワのように波立っていた。
入ってからずいぶん長く過ごしてしまったせいでぬるくなってしまったが、この湯ならいくらでも浸かっていられる。気持ちが良くて出るタイミングを逃し、二人でふやけた手足を見せ笑いあうこともよくある。
「おじさん通り越しておじいさんですね」
「うるせっ」
大げさに呆れてみせたバーナビーが肩をすくめる。
「うわあっ」
なにかが耳を這う感触にバーナビーは声を上げ、とっさに手で耳を覆い隠す。突然のことに、全身鳥肌が立ってしまった。
「なっ、…なにをっ!」
「んー、なんとなく」
身体を引いて虎徹を見れば、べえと舌を出ししてやったりという顔で笑っている。
「もう、僕は先に出ますからね」
余裕綽々の表情は少しバーナビーの神経にさわったが、そこで突っかかって虎徹の思うとおりになってしまってはそれこそ不本意なことになることは今までの経験でわかっていたので、ぐっとこらえてバスタブから上がった。
「ここで甘い雰囲気になるのが恋人同士ってモンじゃないのかよー」
文句をたれる虎徹を見れば、ニヤニヤといかにもオヤジという顔をしていた。
「さっき充分したでしょう。あなた性欲の有り余った十代男子ですか……」
身体についた水滴を振り払いながら、バーナビーは言う。
実際、帰ってきてからリビングのソファで一回、汗と精液を洗い流そうと二人で入ったこのバスルームで一回、既に二回もセックスをしていた。
さっきの行為を思い出してひくりと疼く後孔に、自分も大概性欲が尽きないとバーナビーは自嘲した。しかしさすがに三度目はつらいし、せっかく身体を隅々まで洗ったのにまたシャワーを浴びることになるのは面倒だし、それに。
「お先に失礼しますよ、虎徹さん」
「エー」
そう言い残してバスルームを出た。
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