spark6新刊
「-a sunny man-」
ある晴れ男のはなし
「キースさん、週末、どこか遊びに行きたいです」
可愛い恋人が、私を見上げてそう言った。トレーニングの合間、小休止を入れて汗を拭いているときだった。きっと、とても勇気をふりしぼったのだと思う。目に見えるほど赤く頬を染めて、私を見上げる彼をいっそう愛おしく感じた。彼から誘われるのは初めてのことだった。
いつもは私が彼を強引に誘い、食事や買い物に連れて行く。強引に、とはいっても毎回か必ず彼の同意は得ているし、つまらないというような素振りを見せたことは一度もないから、きっと楽しんでくれているのだとは思う。
仕事の都合上、遠くへ出かけることはできないし、休みの日に突然呼び出しがかかることも少なくない。そんな生活に彩りを与えてくれる、彼の存在は私のなかに大きく根を張っていた。それでも、そんな私にさえたまに遠慮の言葉を口にする彼に、私は信用されて居ないのか、心を預けられる存在ではないのかと幾ばくかの不安を抱いていた。
だから、今回彼からの誘いは願ってもないことで自分でも驚くほど浮かれてしまっていた。気を抜けば暴走しそうになる能力に気付き、心を落ち着かせる。
そして、もし先にトレーニングが終わったらロッカールームで待っていて欲しいと告げる。少しでも長く、彼と一緒にいたかった。
せっかくだからと強引に手を引き、連れてきたのはキースの部屋だ。一日中イワンと一緒にいられたらどんなに素敵なことだろうと、今夜は泊まってもらい明日は朝から二人で出かけることに決めた。その計画はイワンには今から話すのだけれど、きっと快く了承してくれるに違いない。彼は優しいから。
「あのっ、キースさん?どうして……」
「ああ、私の部屋だよ。今日は泊まっていくといい」
不安で瞳を揺らすイワンを安心させるように、なるべく優しい声で彼に語りかける。彼は眉を寄せつつにこりと笑った。
「明日一緒に出かけるのだろう?それなら私の部屋に泊まって一緒に部屋を出ればいい。どうだい?」
とてもいい案だと思うのだが、と続ければイワンはなぜか少し困ったように返事をする。
「えっと、嬉しいんですけど……そんなこと、できません……キースさんに一晩でもお世話になるなんて……悪いです」
「なぜだい?私は構わないよ」
だって、と口ごもるイワンにもう一度、なぜだい?と声をかける。ビクッと肩を震わせて、イワンはそれ以降口を堅く閉じてしまった。
こういうことは今までにも良くあって、こうなるとなかなか理由を話してくれなくなるのだ。そのたびに私はずいぶんと苦労をして彼の言葉を引き出してきた。
私自身、人からよく鈍感だとか天然だとか言われているけれど、誰かを困らせるように人と付き合っているつもりはあまりないし、誠心誠意対応していると思う。しかし、イワンにとってそれは窮屈なのかもしれない。私が気を使えば彼は萎縮し、縮こまってしまう。彼のためならどんなことでも投げ出せるくらいの覚悟で付き合っているというのに、どうすれば上手く伝えられるのだろう。
「気は使わなくていい。私が君と長く一緒にいられたらいいと思って連れてきたんだ。私のわがままだったかな、だめかい?」
すると、イワンの口元はぐにゃりと歪み、今にも泣きそうな顔になる。
「ああ、イワン君泣かないで!大丈夫、怖くない、私だ」
その顔は、嬉しくて泣くのか、悲しくて泣くのか。
「なんですか、キースさん。『私だ』って。キースさん以外に誰があなたなんですか?」
そう言えば、やっと明るい表情を見せ、ふふっと笑うイワンに安心した。よかった。彼は落ち込んだら立ち直るのにずいぶんと時間がかかるから、せっかくの休日を楽しめないかと心配してしまった。せっかく、デートコースを考えていたのだから。
「イワン君…そんなに笑わないでくれないか……」
それから、彼は笑いが止まらないようで、長いこと床を転げまわった。意図して慰めようとするとうまくいかないのに、何気ない言葉でこんなふうな表情を引き出すこともできる。人の心とは全く持って難しいと思う。
「ごめんなさい、でも、キースさんらしいなって思いました。やっぱり今日は、泊めてもらいますね」
「そうか!よかった。そう言ってもらえると嬉しいよ」
私らしい、とはどんなことをいうのか。そんなことより、今夜は彼と一緒に過ごせる、それが単純に嬉しかった。
「さて、それなら君は先にシャワーを浴びてくるといいよ。私は何か食べるものを作ろう」
安心したらお腹がすいた。彼を連れ帰ることに夢中で何も考えていなかったが、私たちはまだディナーをしていないことに気がついた。きっとイワンもお腹をすかせているに違いない。
「えっ……、あ、はい。じゃあ、お願いします。でも、シャワー……さっきトレーニングの後に浴びちゃいましたし、大丈夫です。ありがとうございます」
一瞬迷ったように見えたが、すぐにぺこりと頭を下げた。彼はお願いも少しずつできるようになってきた。
思いを通わせあった当時は、「スカイハイさんにやってもらうなんて!拙者、切腹ものでござるうううう」なんて錯乱するイワンを見てばかりだったのだから、ずいぶんと成長したのではないだろうか。
「そうか、そういえばそうだったね。では、ディナーの準備を手伝ってくれるかい?」
「もちろんです!」
凛々しい眉がいっそうきりりと引かれ、腕まくりをする姿に笑みがこぼれる。
「では、バゲットを切ってもらおうかな」
「はい!」
身体が、ぽかぽか暖かい。
アルコールを飲んだせいだろう、気分がとても良かった。
食事を終え、ワインの入ったグラスだけ持って、イワンと二人、リビングのソファでテレビを見ていた。
「ね、キースさん!ここのスカイハイさん凄くかっこよかったです!ここ!犯人を風で浮かせるところ!『もう逃げられないぞ!覚悟しろ!』って。わー、すごいなあ……」
ちょうど今日の物取りのハイライトが放送されていた。宝石店を襲った犯人は、路地を巧みに使いすばしっこく逃げ回っていた。そこをスカイハイは、力を使って捕まえたのだ。盗られた宝石も無事、取り返した。
スカイハイの勇姿を語るイワンの瞳はキラキラと輝いている。立ち上がってまで身振り手振りを繰り返し、ともすれば姿まで真似てしまいそうな勢いだ。
「いや、君も頑張ったと私は思うよ。市民が巻き込まれないように率先して誘導していたのを見ていたからね。だから私は犯人逮捕に全力を注げたんだ」
存分に語りつくして疲れたと言うように床にぺたりと座り込んだイワンの頭に、よくやった、とぽんと手を乗せる。そうすれば、彼の表情はへにゃりと崩れた。
イワンは体質でアルコールには幾分強いらしいが、全く酔わない、というわけではなくいつもよりも饒舌になる程度の耐性らしい。しかし今までに何度か一緒に飲んだことはあるが、いつも必ず自分の方が先に落ちてしまい、失態を見せてしまっていた。そのときの気恥ずかしさはもちろんすぐに忘れてしまう程度のものではあるのだが、自分が彼より年上であるということだけがささくれ程度に引っかかっていた。
そして、今回も。
「キースさんが見ていてくれて、僕、うれしいです」
見上げるイワンの瞳が、酔っているせいかうるうると濡れていた。とっさに抱きしめたい衝動に駆られるが、ぐっと堪える。付き合って一ヶ月はたつが、私たちはまだキスしかしていないのだ。いや、キスをしたのだってつい最近で、それも、彼からで。
そろそろ次の段階に進みたいとは思っているが、こんなアルコールの力でと思われるのも癪なので、今日は手を出さないと決めていた。もっと、雰囲気のあるシチュエーションで、かっこよくエスコートしたかった。
「キースさん?」
イワンに名前を呼ばれ、はっとする。少しの間呆けていたようだ。欲望と葛藤して彼をないがしろにしてしまうなんてと反省する。
「すまない、君に見とれていて。ワインもなくなったことだし、そろそろ寝ようか」
固まる彼に手を差し伸べ、ゆっくりと立たせる。ベッドルームへ誘導して寝かせると、おやすみ、と額へキスをした。
「えっ、どこへ行くんですか?」
彼から身体を離そうとしたら、ぐっと手をつかまれた。痛いくらいに、強くつかまれ思わず声が出る。
「あ、すいません……でも…キースさんは寝ないんですか?」
相変わらず、イワンの瞳は涙に濡れ、上気した頬にくらくらする。
「私はソファで寝るから、大丈夫だ。それよりも、今の君の前だときっと堪え性のないただの男になってしまいそうなのでね。君を傷つけないためにも、一緒に寝ることはできないよ」
じゃあ、とそう言ってイワンの手を離そうとしたけれど、赦してはくれなかった。
「ほら、だから手を離してくれないか」
「それなら、尚更離せません!」
ベッドから飛び出したイワンに、首根っこをつかまれたと思ったら、キスをされていた。押し付けられた唇から、体温が伝わる。何度か、乾いたそれをこすり付けられた後、彼が離れた。
「僕、もう待てないです」
無意識に色香を振りまいているだけなら、それに簡単に乗るわけにもいかないと思って自制していたが、それは間違いだったのだ。彼は、意識して誘っていた。潤んだ瞳も、無防備にさらされた白い肌も。すべて、私を誘っていた。
ぐるりと逆転した視界の中、薄く口を開けた彼を視界に捉えた。小さな動物の、発情期のように見えた。
「ん、ん…ふ、う……」
ぺろりと小さな舌が唇を舐める。ぐいと差し込まれるそれを受け入れようと口を開ければ、ぎこちない動作で歯を擦られた。
その可愛らしくも淫猥な動きに目が離せなくなった。キスをするときは目を閉じるものだということはわかっていても、こればかりは無理だと自嘲する。時折触れる小さな鼻を愛おしく感じ、涙に濡れ、震えるまつげが髪と同じプラチナブロンドであることを知った。アルコールに酔ってしまっていたかと思っていたが、彼を観察できるほど冷静な自分に驚いた。
自分を組み敷く小さな身体の細い腰に手を伸ばした。黒いランニングシャツは身体を覆うには頼りなく、すぐに私の手を受け入れた。優しく撫でれば、ぴくりと反応が返って止められなくなる。指の背で、腹をさする。ゆっくりと上のほうへ移動していく間も、キスは続く。それは、私の口腔を使って、彼が気持ちよくなっているような、そんな気がした。
「ふあ、や、あ……」
執拗に脇腹を撫で続けると、イワンはたまらず口を離した。それでも攻めれば、彼の口からあふれた唾液が私の喉を濡らす。
「だらしないね、イワン君は。こんなに垂らして」
口の周りを手で拭ってあげるが、脇への刺激は絶やさない。きゅ、と硬く閉じられる唇と寄せた眉に劣情をそそられた。
「キース、さん、なんで……なれて…?」
がくがくとイワンの腕が震える。感じすぎて力が入らなくなってきたのだろう、仕方なしに愛撫をやめ、彼をベッドの上へ横たえると、遠慮がちに問いかけられた。
「いや、慣れてなどいないよ。君が気持ちよさそうにするのが嬉しくてね、いやだったかい?それなら申し訳なかったね……」
しゅんと肩を落とし、ベッドを出ようとすれば、再び手をつかまれた。
「ここで、……寝てください」
「……全く、君には敵わないね…ほら、もうどこにも行かないから、手を離しなさい」
瞳が強く輝いて、有無を言わせないほどの気迫でこちらを見つめてくるので、折れないわけにはいかなくなった。とはいえ、理性が持たないという個人的なもの以外に、ここで寝るのになんの不都合があるわけでもないのだけれど。
「さあ、明日は出かけるのだから、寝ようか」
これ以上彼に手を出す前に寝てしまおうと、布団をかぶる。えっ、という抗議の声が聞こえた気がしたが、これ以上は構ってはいられなかった。彼に触れてしまったら、自分を抑えられる気がしない。こんなに私は我慢弱かっただろうかと苦く笑った。なるべくならイワンを視界に入れないようにとも思ったが、背を向けて寝るのも何だか寂しくてただ仰向けで寝ることにした。
もそもそと横で動く気配がする。何をしているのかと視線を向ければ、イワンはカーゴパンツを脱いでいるところだった。
「イワン君!君は何を……っ」
「なにって、このままじゃ寝にくくて……キースさんはGパンのままで寝られるんですか……?」
動揺して声が上ずってしまった。そして、ああと納得し、自分もジーンズを脱ぐ。
「なにか、履くものは用意したほうがいいかな?」
「いえ、……このままで結構です」
「そうか、では、おやすみ」
脱いだものは適当にたたんでその辺に放る。ふうと一息吐けば、まぶたが少しだけ重くなった。
まだ、先ほどのイワンの肌の感覚が指に張り付いている。身体にくすぶる熱は依然引きそうになかったが、どう発散していいのかも混乱したこの頭では思いつきそうもなかったので、自然にひくように祈りながら眠りにつく。落ちそうになったときに、イワンから手を握られたような気がしたが、眠気には勝てずそのまま寝入ってしまった。
明日は、いい日になればいい。