◆瑕疵愛人◆




「大人しくなさい、キシリア様。姿勢を崩したら承知しませんよ」

 花器を前に、大輪の赤い薔薇の花を活けていたマ・クベが、傍らの女にちらりと視線を送り、そう冷たく言った。

 マ・クベの側で、キシリアが一糸纏わぬ姿で床に膝をつき、片方の手に一つづつ、豊かな乳房を掴み、中央へ寄せ上げている。柔らかく白い乳房がむにゃりと形を変え、盛り上がって二つの小高い丘を形作り、その先では両方の桜色の乳首が触れ合いそうに近づきあい、かすかに震えている。

「あ……、でも」

「お黙りなさい。私のコレクションは喋りません」

 反論するように言いかけたキシリアにマ・クベが冷たい一瞥を放ち、ぴしゃりと言葉を封じる。

 冷たい視線だった。私は人だと思われていない。それ以下のモノなのだと思い知らされる。

 壷に大量の薔薇の花を活け終えたマ・クベが、今度はキシリアに向き直った。

 何か考え込むように顎に手を当てた。舐めるようにキシリアの裸体を見る。身体が男の視線に晒される羞恥にキシリアの肌が赤く染まった。だが、その目にも血は通っていないことを知り、絶望のふちに叩き込まれる。

 つい……と傍らの壷から、マ・クベが活けたばかりの薔薇の花を一本抜き取った。ぱちんと適当な長さに切り、優雅な手つきで、キシリアの、柔らかい肉で出来た双丘の間にそれを活ける。

「ッツ……」

 その瞬間、鋭い痛みが走り、思わず苦痛に顔を顰めた。薔薇の棘がキシリアの柔らかい肉を引き裂き、かすかに血が滲んでいる。

 みるみるうちに傷口から赤い血が溢れ、小さなビーズのような血の玉が重力に引かれて一つになり、美しい真紅の玉が、キシリアの身じろぎに崩れ、赤い軌道を描きながら一筋伝い落ちてゆく。

 白い胸に出来た鮮やかな赤い引っかき傷。完璧な物に少し傷をつけてしまうと、それは完全な防御と拒絶を失い、侵食を拒否できない、脆く、はかなく美しい別のものになる。

「おや、血が滲んでしまいましたね」

 そうなる事は予測できたはずだ。キシリアが恨めしげな視線を上げると、マ・クベがかすかに微笑み、傍らのグラスを手にとった。

「あ……っ」

 かすかに水音がし、血の色と同じ真紅の液体が胸の谷間に注がれた。馥郁たる香気がキシリアの鼻腔を擽る。

 手が痺れてきた。だが、少しでも姿勢を崩せば、胸の谷間にできたワインの小さな泉から、ワインが零れ落ちてしまう。

 人ではなく、奇妙な肉のオブジェとなったこの身を嘆く事は無かった。

 嬉しかったのだ!

 マ・クベの悪趣味な美意識に基づいて作られた作品の一つとして愛されるのが。それだけに、マ・クベの作品を崩してしまった時の事を考えると、言い様の無い恐怖がキシリアを襲った。 

「マ・クベ、もう、許して……」

 乳房を掴む手が少し震えている。感覚の無くなって来た腕と指先に、キシリアが恐怖を感じて懇願する。マ・クベの命令に従えなくなる事が怖い。

 自分に今与えられているのが、ものとしての愛情だという事が判っていた。だから、怖い。マ・クベから与えられた「形」が崩れてしまった時、作品としての価値を失い、壊れた陶器のように捨てられてしまうのが怖い。

「喋るな、と言ったはずです」

 自分の言いつけに逆らった事で、マ・クベが少し不快そうに眉を寄せた。ぱちん。ともう一輪赤い薔薇の花を切り、キシリアの胸の谷間に活ける。

「んん……ッ」

 腕の感覚は無くなり、与えられた痛みに耐え切る事ができなかった。手を離してしまう。胸元から腹まで、こぼれた赤い液体が身体を汚した。美しい薔薇の花が二輪、無残に床に落ちる。

「ああ、貴女は私の作品を台無しにてしまった上に汚れてしまった。汚れてしまった貴女には興味がありません」

「マ・クベ、嫌……」

 冷たくマ・クベがそう言い放ち、キシリアから目線を外した。マ・クベの中から、自分への興味が失われてゆく。足元が崩れるような不安と恐怖に、キシリアが涙ぐんだ。

 白い肌の上の赤い液体に指で触れ、おろおろと視線を彷徨わせる。

「綺麗にして欲しいのですか?」

 悲鳴のようなその声に、ちらりとキシリアを一瞥し、マ・クベが問い掛けた。

「はい……」

 小さな子供のように真摯な瞳で、両手を胸の前で揉み絞り、キシリアがそう言った。

「動かない事、声を出さない事が条件です。守れますか?」

 マ・クベの声に、裸で震えながらキシリアがかすかに頷く。

 あれほど誇り高く、毅然としていた女が、傷つき、汚されるのを待っている。

 マ・クベの舌が、キシリアの肌に触れた。痺れるような甘美な感覚がキシリアを襲う。赤い舌がキシリアの白い肌をねっとりと這い回り、こぼれたワインを舐め取る。未だかすかに痛む傷跡からも血を舐めとった。

 堕とされることはこんなに甘やかだと、マ・クベの舌がキシリアの身体と精神に教え込む。

 もう、どうなってもいいと、かすかに掴んでいた理性を手放した。キシリアの手から鳥のように飛び立ったそれは、すぐに手の届かぬ所へ行き、キシリア自身は、暖かい泥の中に引きずり込まれてゆく。救いを求めるように上げたほの白い手が、暗い森の沼にゆっくりと、少しずつ、少しづつ飲みこまれ、ひっそりと沈んでゆく。

断末魔の甘いため息が出た。

                                     









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