A day In The Mako’s Life


「疲れたな……」

 キシリアが読みかけの報告書を放り出し、う〜んと伸びをした。ここ数日忙しくて、ようやく少し余裕ができた。そうすると緊張が途切れたせいか、疲れが一気に出てくる。

「すこし、お休みになってはいかがですか? お茶でもお入れします」

 手に書類を抱えたマ子がそう言った。少し息抜きをするとする。それ位良いだろう。それほど働き詰めだったのだから。

「ん、頼む……」

 デスクの向こうのマ子に返事を返しながら、目を閉じて天井を仰ぐ。

 マ子がデスクに手を付いた。そのまま目を閉じたキシリアに近づき、唇が触れるか触れないかのキスを盗む。

「……?」

 唇に触れた感触に、ぱちっと目をあけ、わけがわからず頓狂な顔でそのままぱちぱちと二、三度瞬きする。

 マ子はキシリアが目を開けるより早く体勢を元に戻し、何事も無かったようにポーカーフェイスで立っている。キシリアには、マ子が動いた時に起きた風と、その風に乗った淡い香りしか残されていない。

「どうかなさいましたか?」

 無表情のまま、ちらと視線をキシリアに向けたマ子に、キシリアが首をかしげた。

「いや……」

 そういえば、こんな事が何回かあったような気がするな……と思ったが、疲れているんだろうと自分を納得させる。

 お茶を入れてきますと、マ子が退室の許可を得た。怪訝な顔をしているキシリアを背に、マ子が唇を手で抑え、何ともいえぬ幸せそうな顔でにま〜っと笑った。

 気持ちのいい光が沢山入る部屋に場所を移し、マ子がお茶を入れる。テーブルクロスの上にスコーンやベーグルサンドなどの軽食が並べられ、マ子が茶を入れる傍らで、キシリアがトリュフをつまんで口に放り込んだ。指についたココアを舐めとる舌の赤さと仕草に、一気に心拍数が上がる。

 ああ、そんな、ぜひ私に……。

 キシリアの白い指を舐め、甘いため息をつかせる白昼夢が思い浮かび、一気に燃え上がった。

「キシリア様っ!」

「あ、そうだ。ケーキがあるのだった」

 思わず我を忘れて抱きしめようとしたが、マ子の手からキシリアはするりと身をかわした。空気を抱きしめるマ子の腕が寂しい。

「…………」

 こうなる事は判ってた……と変に自分を慰めながら、カップにシュガーとウィスキーを敷く。

 上機嫌で戻ってきたキシリアの手のケーキの箱を見て、一つの疑惑が浮かび上がる。

 たしか、おはようございますと挨拶した時に手にその箱がぶら下がっていたような気がする。

「それ、総帥のケーキでは……」

「構わぬ。食べられるような所においてある方が悪い」

 恐る恐る言ってみたが、キシリアは構わずに真剣な目で崩れぬようにそーっとケーキを皿に乗せている。その真剣な横顔にまたちょっときゅんとした。そのくらい真剣な目で私を見ていただきたいとケーキに嫉妬する。

「お前、苺ショートとモンブラン、どっちがいい?」

 私が食べたいのはキシリア様です。という言葉をぐっとのみこんで、マ子は苺ショートを選択した。



「食べたいのか?」

 ティーカップを手にちらりちらりとキシリアを見るマ子の視線を誤解して、キシリアがそう言った。もちろんマ子が気になっていたのはモンブランではなく、キシリアのフォークを操る綺麗な動作や、赤い唇、口に入れて咀嚼して飲み込む一連のエロティックな動きが気になっていたのだが。

「い、いえ……」

 ずっとキシリアを見ていたことがばれて、赤くなって下を向いた。

 そんなマ子をどう解釈したのか、キシリアが食べかけの自分のケーキをすくい、フォークに乗せてマ子に差し出した。

 望外の幸運に小躍りしたいのを堪え、恥じらいながら、キシリアの手からケーキを食べさせてもらう。

「美味しいか?」

「え、はい、ええ!」

 幸せ……。

 ハートマークをいっぱいに飛ばして、彼女の副官が見たら腰を抜かしそうなほどの甘い笑みを浮かべる。ケーキなんかよりももっと甘い。

 おもわず、はいどーぞ。と最後に食べようと思っていた苺をキシリアに捧げた。

 マ子の手のフォークから、ぱくっと口を開けて食べるキシリアが可愛くて、きっとキシリア様はもっと甘いに違いない。と一人想像してまたにまぁ〜っと笑う。

 そんなマ子のささやかな幸せを、男の声が破った。

「見覚えのあるケーキだな」

 眼で人が殺せるなら、充分そうできるくらい、女の園に入り込んだ無粋な侵入者をマ子が睨みつけた。たいていそういう目をすると邪魔者は逃げてゆくのだが、マ子の最大のライバルにはこの程度では通用しない。

キシリア様との至福の一時を邪魔する黒い影、憎憎憎しいギレン・ザビ。

マ子の言いたい事は判っているくせに、わざとらしくマ子を無視し、テーブルに近づいてくる。

兄と部下が無言で火花を散らすのを知らず、キシリアは兄のためにポットからお茶をカップに注いで差し出した。 

「あら、そうですか? 証拠は?」

 ギレンがソーサーを受け取って疑惑の目を向けると、そう言ってキシリアは最後の一口を口にした。証拠隠滅を図られ、疑惑は迷宮入りになるかと思えたが……。

 済ました顔のキシリアの顎をギレンの手がくいっと上げた。何事かと理解する隙も与えず、いきなり口付けた。目を丸くしているキシリアの抵抗を器用に殺し、舌を侵入させる。

「この味は間違いない。『リキャル・ド・ジオン特製、森の妖精さんのモンブラン』だな」

「兄上〜〜〜〜!」

「ケーキを盗み食いした罪は咎めぬぞ。私も美味しく味わったからな」

 思ってもみなかった兄の逆襲にキシリアが真っ赤になっている頃、古今東西ありとあらゆるの呪いの言葉を心の中で唱えながら、引きつった笑みを浮かべているマ子の手にした銀のフォークがぐにゃりと曲げられた。

 キシリア様の上司じゃなかったら刺す……。

 兄の特権でキシリアを抱きしめ、ちらっとマ子を見て挑発するギレンに血管の二、三本は確実に切れた。

 多分、ギレンとのベッドの中で思わず「キシリア様〜」と言ってしまった事への制裁だ。

 その後もお茶を飲み終わるまでなんだかんだとキシリアにちょっかいを出し、怒りのあまりぶるぶると震えるマ子を他所に高笑いしながらギレンは去ってゆき、なんだったのだと肩を竦めるキシリアと、復讐を決意したマ子が取り残された。

 邪魔者は入ったが、楽しいティータイムが終り、一足先にキシリアを執務室へ帰す。

あたりをきょろきょろと見回し、誰もいない事を確認すると、そっとティーカップを取り上げた。

ちゅ……とキシリアの使っていたカップに口付ける。

キシリア様と、間接キス……。

頬に手を当て、少女のような微笑を浮かべたマ子の秘密をキシリア以外は全員知っている。



 終






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