乞愛奴隷







 乾いたノックの音が二度響いた。

 部屋の主の返事を待たず、ドアの軋む音と共に、青白い女の顔が隙間から現われる。部屋の主は無言で女を見つめた。

病的なまでに白い肌、肩を少し越す青色の髪

部屋の主が何も言わないのを入室の許可を得たと判断したのか、女がエキゾチックな柄の絨毯を踏みしめて、部屋の主に近づいてくる。

 女が入ってきた書斎は、アンティークなデザインのランプに照らされ、とろりとした濃い琥珀色の光に満たされていた。ランプは少しずつ歩みを進める女の姿を照らし、表情や軍服の皺に妖しい陰影を加えた。

女は口元にほのかな笑みを貼り付けたまま、まるで刺すように鋭い部屋の主の視線を受け止めている。

 ぱさり……と軽い布の音がした。独特なデザインをした女の軍服が足元にまとわり着く。部屋の主の視線を意識しながら、女が身につけたものを脱いだのだ。

下着はつけていない。一糸纏わぬ女の体が、部屋の主の前に晒された。

「今度は何を企んで私に抱かれるつもりだ」

 机で書き物をしていた手を休め、冷めた声で部屋の主が女にそう声をかけた。この女が自分に抱かれに来るのは、打算や目的があってという事を部屋の主は知っていた。

「……キシリア様のご提案をお受け入れ下さい。ギレン総帥」

 震えるような独特な声が、女の口から出た。

「ふ……ん。あれが聞いたら怒るぞ」

 やはりな……と内心で冷たく笑い、手にしたペンを走らせながら女にそう言った。

 キシリアの副官であるこの女が、狂信的なまでにキシリアを崇拝しているのはジオンの中でも知らぬものはいなかった。キシリアのためならばどんな手でも使うという噂は、噂ではなく真実である事をギレンは知っている。

 だが、キシリアは知らない。

 自分の望みをかなえるため、副官が女の体を武器にしている事を。

自分の主張が認められたと思っていた物が、実は欲望にまみれた汚い手段で得られたものだと知ればキシリアは烈火の如く怒るだろう。

「……そうでしょうな」

 キシリアの気性を知っている副官、マ・クベが、小さくそう呟いた。それでもこうしてギレンの部屋に来るのだ。彼女は。

「何のつもりだ? 殉教者を気取っているのか?」

 マ・クベの方を見もせず、手を動かしながらギレンがそう言った。なぜそこまでしてマ・クベがキシリアの為に犠牲を払うのか、ギレンには理解しがたかった。

 愚かだと思う。醜いと思う。だが、その姿は純粋で奇妙に美しい。

「キシリア様の喜ぶ顔が見たいだけ」

 マ・クベはギレンの背後まで近づき、後ろから椅子に座ったままのギレンを抱きしめる。艶かしい笑みを浮かべ、マ・クベがギレンの耳元にそう甘えるように囁いた。

「嘘だな」

 マ・クベの甘い声とは反対に、ギレンが冷たくそう言った。女の誘いを無視したように机の上のブランデーグラスを取り上げ、一口口に含む。

「お前のような女が、それで満足するものか」

 毒蛇のようなこの女が、それだけで満足するはずが無い。

 お前がそんな愁傷な女では無い事は知っている。

 その思いを込め、軽蔑さえ浮かべたギレンの眼差しにも、マ・クベが怯む事は無かった。悪びれもせず、にたぁと唇を吊り上げて笑う。

「……フフ、そのとおりです」

 そう言いながら、マ・クベがギレンに口付けた。ブランデーの香りがマ・クベの口の中に広がる。口付けながら、マ・クベの手がギレンの下肢を弄り始めた。マ・クベの細い指がギレンを包み込み、軽く扱き始める。

「どれほど望んでも地上の月はお前のものにはならぬぞ」

 塞いでいた唇を解放すれば、刺すような言葉がギレンの口から出た。硬さを増すギレン自身とは裏腹に、ギレンの声はどこまでも冷たい。体と心が分離しているかのようなギレンに、マ・クベが内心苦々しく思った。

「…………」

 無言でギレンを扱き上げる。びくびくと脈打つギレン自身は、マ・クベの手の動きに反り返り、透明な液を先端からたらして、確かにマ・クベの支配下におかれている事を感じさせた。

 だが、顔色一つ変えず、マ・クベのしたいままにさせているギレンに、マ・クベの心に焦りが生まれ始める。

 どれほど望んでもお前の物にならない。

 ギレンが言った一言が、マ・クベの心を乱れさせ、苛立たせる。その事はマ・クベ自身が一番良く判っている、だが、絶対に他人に触れて欲しくない事実。普段は冷徹なマ・クベが、キシリアの事となると十代の少女のように心乱れた。

「キシリアが他の男を愛すのにお前は耐えられるのか?」

「無理でしょうね」

 マ・クベを追い詰めるようにそう言ったギレンの言葉に、かすかな苦味を含んだ声で、まるで他人事のようにマ・クベが返事を返した。

「ならばいっそ、ここで私が楽にしてやろうか?」

 ギレンが椅子から立ち上がり、マ・クベの体を机に押し倒した。そう言って、ギレンがマ・クベの細い首に手をかける。軽く力を入れると、マ・クベの筋張った細い首はすぐに圧迫を受け、呼吸困難にさせる。その言葉が本気なのか、それとも今この状況を楽しむためのスパイスなのか、ギレンの表情からは伺えなかった。

「この手がキシリア様のものであれば、喜んでお受けしたのですが……。貴方に楽にしてもらうよりは、キシリア様の手でゆっくりと殺されるのを望みます」

 下からギレンを見上げ、言葉ではそう言いながら、マ・クベはギレンに抵抗する事はしなかった。呼吸を止められるという恐怖と、圧迫されて生じる息苦しさと苦しみが、マ・クベのマゾ的な感情を呼び起こす。

もっと苦痛が欲しい。キシリアを得られぬことで感じる痛みを、この苦しみが消し去ってしまえばいい。いや、もしこの手がキシリアのものだったら、どのような苦痛でも喜んで受け入れるのに。もっともっとと命を落とすまで強欲にねだり、絶頂を迎えたまま死ねるならどんなに幸せだろうかと思う。

「救いようがないな」

 そう言って、興をそがれたようにギレンがマ・クベの首から手を離した。他の女のことしか考えていない女を幾ら嬲っても面白くなど無い。

「救われようなどと……最初から思っておりませんな」

 ぽつりと、殊勝な声がマ・クベから漏れた。こればかりは、演技ではなく、本心からなのであろうという悲壮な響きが篭っている。

「ならばどうする? 心中でもするか?」

 自分が全く無視され、マ・クベがキシリアのことばかり考えているのを苛立たしく感じ、ギレンが吐き捨てるように言った。

 苛立ちをぶつけるように、その首筋に舌を這わせ、手で乳房を弄る。

「私がキシリア様を傷付ける事ができるとでも?」

 ギレンの手で愛撫を加えられ、マ・クベが甘い喘ぎを上げながらそう言った。

「それほどまでに欲しいなら力づくでものにすれば良いではないか」

「嫌です。そんな事をしたらキシリア様に嫌われるではありませんか」

 マ・クベの返事に、ギレンがマ・クベをじっと見た。マ・クベもギレンを見返すと、目を伏せ、ふっと呆れたように笑う。

「まるで乞食だな」

 マ・クベを軽蔑しきった声で、ギレンはそう言った。

「キシリアにみっともなく愛を乞う、哀れな乞食だ」

 そう言って、ギレンが喉を鳴らして笑った。そんなギレンを、マ・クベが人形のような無表情でじっと見ている。

「地上の月はお前のものにはならぬ……と言っただろう」

 口元に笑みを浮かべ、ギレンが意味ありげにそうマ・クベに言った。マ・クベの目が、すっと細められる。

「キシリアは、私のものだ」

 ギレンの言葉に、マ・クベの瞳がほんの少しだけ見開かれた。

「抱いた」

 ギレンがそう言うや否や、マ・クベが驚くべき速さで身を起し、ギレンを突き飛ばした。デスクの上にあったブランデーグラスを掴み、机にたたきつける。ガシャン! とガラスの砕ける派手な音をさせて、グラスが叩き割られた。ブランデーが辺りに飛び散り、芳醇な香りが部屋中に広がった。

 そのまま、マ・クベがギレンに飛び掛った。突然の出来事に防御する事も出来ず、ギレンが床に倒される。

「冗談でもその様な事は仰らないで頂きたい!」

 マ・クベがギレンの上に馬乗りになった。割れたブランデーグラスの鋭い切っ先をギレンの喉元に向け、マ・クベが激昂してそう叫ぶ。顔面は蒼白になり、唇がぶるぶると震え、ギレンを焼き尽くそうかとするように、激しい憎しみの炎がマ・クベの瞳で燃えている。

グラスを叩き割った時にマ・クベの手も傷ついたらしく、白い手は鮮血に染まり、ガラスの切っ先から、マ・クベの血がぽたりぽたりとギレンの喉元に落ちる。

「ようやく醜い本性を現したな。その方が何倍も美しいぞ」

 マ・クベの凶行に驚く事も無く、ギレンはマ・クベを馬鹿にさえして冷静にそう言った。

「キシリアは……、お前を地球へ遣るつもりだぞ」

 その言葉に、マ・クベの顔がさっと青ざめた。手からグラスが力なく落ちる。それだけで、マ・クベの受けた衝撃がいかに大きいか容易に想像できた。

 ギレンは、自分の言葉がどれほどマ・クベに衝撃を与えたかその表情で確かめた後、乱暴に、震えているマ・クベを突き飛ばした。

「嘘でしょう!」

 突き飛ばされ、あられの無い姿になっても、マ・クベは構わなかった。狂ったような目をして、ギレンを睨みつける。

「本当だ。お前は厄介払いされたのだ。裏切られたな、滑稽な女だ」

 発言の撤回を求めるマ・クベの視線を受けながら、ギレンが立ち上がり、大股で数歩歩き、テーブルの上に地図と共に置かれていた乗馬鞭をとりあげた。普段それは地図上の位置を指すのに使われていたのだが、感触を確かめるようにギレンが鞭を振ると、ひゅっと鋭い音が鞭の先から生まれた。

 これからどうされるのかを知り、マ・クベの瞳がほんの少しだけ揺れたが、またすぐにもとの無表情に戻った。

 痛めつけて欲しい。首をしめられながら犯されたい。血が出るほど鞭でぶって欲しい。

 そんな倒錯した感情がマ・クベの中に生まれ、どす黒く渦巻いた。

 ギレンにとって、マ・クベは己の欲望を満たすだけの玩具に過ぎないだろう。

 マ・クベにとっても、ギレンは己の渇きを忘れるための道具に過ぎないのだ。

 どこまでも不毛で、一欠けらの救いも無い。

 だが、マ・クベはそうせざるをえないのだ。まだ、そうした方がましなのだ。そうでもしないと、気が狂ってしまいそうなのだから。苦痛を感じている間は、まだ自分が正常だと判る。キシリアのことを考えずにすむ。


「私に刃を向けた罪、償ってもらうぞ」

 ギレンのその言葉が、優しくさえ感じた。



ENDE


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