4、花嫁の夢
泣きそうだった。
幼いキシリアの前にまっすぐに続く道がある。振り返れば、先が見えないほど真っ直ぐな道がやはり後ろにも続いていた。
どこに行けば良いのか判らない。心細くて涙ぐんだ。涙を拭った手は小さく、肩までの髪と、頭に飾ったリボンが揺れた。
大きな瞳にまた大粒の涙が浮かび上がる。
大好きな赤い靴、白いブラウスにスカート。お気に入りの洋服を着ているのに、心は弾むどころか、不安で一杯だった。
なぜこんな所に居るのだろう。何処へ行けばいいのだろう。
精一杯考えるが、何も判らない。
道を二つに分ける金属製のフェンスが、道と平行して何処までも切れ目無く続いている。誰かいないだろうかと、フェンスの向こう側を目を凝らして見る。
灰色の霧の中で、黒い人影が動いた。
キシリアが期待と恐怖に満ちた目で、その人影を見つめる。その人物は、ゆっくりと姿を現し、それにつれてキシリアの顔から恐怖が消え、喜びが浮かんだ。
「兄様! ギレン兄様!」
フェンスが手に食い込むほど握り締め、力一杯叫んだ。そこにいるのは確かに大好きな兄だった。
「キシリア?」
返答が返って来た。大きく手を振ると、近づいてきてくれた。フェンスの向こう側に兄が立っている。キシリアの背の倍はある長身の兄を見上げた。
兄はいつでも頼もしい存在だった。キシリアの憧れと尊敬を一度も裏切った事は無い。
やっぱり、兄様が助けにきてくれたんだ。
そう思って、フェンスの隙間から必死に指を伸ばした。その小さな指をギレンの手がそっと包む。
「どこへ行くのだ?」
「判りません」
唐突なギレンの問いに、涙ぐんでキシリアが答えた。ならば……とギレンが質問を変える。
「では、どこへ行きたいのか?」
ギレンの問いに、キシリアが首をかしげた。不安でしょうがなくて、そんな事を考えた事も無かったのだ。
「兄様の所へ行きたい」
少し考えて、キシリアがそう答えた。兄の所なら安全だし、何があっても守ってもらえる。それだけじゃなくて、キシリアは兄が好きだった。大好きな兄の側に行きたい。
「ならば、こちら側へ来ればいい」
ギレンがそう言った。冷たいギレンの瞳に、ぽっと熱が灯る。キシリアは目を伏せていたのでそれに気が付かなかった。
「でも、私、越えられません」
目を伏せて、悲しそうにそう呟いた。兄と自分を隔てるフェンスは、キシリアの身長を越えた所にあり、到底乗り越えられるものではない。
兄がほんの近くに居るのに、側に行けない悲しさにまた涙が出てきた。
フェンス越しでは、嫌。もっと兄上の近くでなければ嫌。
もっと、どれ位近く?
ふと、キシリアがそう思った。その問いを自らに発した途端、どっと感情が押し寄せてくる。
肌が触れ合うほど? いいえもっと近くに。二人が融けて一つになるほど。
身体も、心も、運命さえも。
「越えられぬものか」
きっぱりとそう言ったギレンの声と共に、キシリアの体がふわっと浮き上がった。驚いて見上げると、そこには兄の顔がある。力強い手がキシリアの腰に回されていた。キシリアの小さな身体を軽々と抱き上げてフェンスを越えさせたのだ。
「あ……」
驚いて思わず目を見開いた。抱き上げられて髪が揺れた。肩までではなく、背の半分を覆うほどの長くて豊かな髪が広がる。灰色の世界に、赤い髪が鮮やかに広がった。
不可能だと思っていたことが、こんなに簡単にできることだったという驚きと、急に兄に抱き上げられた驚きに出た声は、耳に心地よいアルト。
ギレンの瞳に自分が映っている。幼い子供の頃ではなく、今の自分が。
「簡単だろう?」
ギレンが微笑み、キシリアに囁いた。安心と愛しさにまた涙ぐんで、ギレンにぎゅっと抱きつく。
やはり、兄に不可能などなかったのだ。
兄の瞳に吸い込まれるような気がした。どちらからとも無く自然に唇を寄せ、キスをする。唇が触れ合うと、今までとは違う喜びに胸が熱くなった。
幼い妹が兄に向けるのとは違う。焼けるような感情と喜び。それだけがキシリアを嵐のように翻弄し、夢中になってギレンを求めた。
甘い余韻だけが、目覚めて残った。
夢の内容はおぼろげにしか覚えていない。未だ深夜だった。
兄の事を無条件に信じ、頼りきっていた頃の安心感が体中に残って、キシリアを心地よくぼうっとさせた。
ベッドに横たえていた体をゆっくりと起すと、ふと何かにぶつかった。
男の腕だ。
そこから視線を上げると、シーツから出たギレンの逞しい胸や肩が目に入った。
闇に目が慣れてくると、ギレンのなめし革のようななめらかな肌が見えてくる。唇を這わせると、心地よい感触をキシリアに与えてくれるギレンの肌、さらに視線を上げると、キシリアを前に、信じられぬほど無防備に寝顔を晒している。
半ば無意識に、キシリアはギレンの寝顔をそっと撫でた。ギレンは安らかに寝息をたてている。
そのまま、ギレンをじっと見つめる。
やがて手を伸ばし、両手をギレンの太い首にかけた。このまま力を込めれば、この恐ろしい男を亡きものにできるだろうか?
いや、もっと確実に、心臓を刃物で刺し貫いてやろうか? 銃で脳を焼ききってやろうか? それとも、唇に毒を流し込んでみようか?
考えてみたが、どれもこれも、キシリアの中では現実味を帯びなかった。
半ば脅すようにしてギレンはキシリアの身体を奪った。マ・クベとの間に生まれた、ささやかな感情も壊された。
初めて抱かれた日から、もう何度も抱かれてきた。幾度拒否しようとしても、ギレンは巧みにキシリアを追い込み、決して逆らえぬようにかんじがらめにしてからそうした。
私を恨めと言われた。素直にそうしたつもりだった。だが、何故ギレンはキシリアの前に無防備な寝顔を晒すのか。
あれほど頭のいい男が、自らを危険に晒すはずが無い。
ならば、確信しているのだ。
「ギレン、起きて下さい」
ギレンは私もそう望んでいると知っていた?
そう思うと、たまらなくなって傍らのギレンを揺り起こした。暗闇に怯え、親にすがる子供のように。
「……どうした?」
ギレンが目覚め、すぐに様子がおかしいキシリアの瞳を覗き込む。
ギレンは憎めと言った。無理に私を奪った。だが、本当は違うのだ。
憎めと言ったくせに、愛していると言ったくせに、貴方は私を一人だけ逃がした。
そう思うと、何も考えられず、混乱してギレンにしがみついた。
キシリアを追い込んだのは、無理に兄に奪われたのだと自分で逃げ道を作れるように、キシリアを楽にするため。
共犯者ではなく、いまだギレンの庇護下に置かれている、幼かったあの頃のように。ギレンはキシリアを甘やかしている。
だが、ようやくキシリアは気が付いたのだ。
「私を抱いてください。お願い!」
ああ、でもまだ怖い。貴方に溺れてしまうのが判っているから。身も世も無く貴方を求めてしまうのが判っているから。
そう思って、ギレンがそこに居るのを確かめるように、きつくきつく、キシリアはギレンに抱きついた。
抱きしめて欲しいのか、突き放して欲しいのか、キシリア自身もわからない。
「キシリア……」
驚いたように、ギレンがキシリアを見た。
「私、ギレン、貴方を、貴方を愛しているのです。何という事!?」
ようやく気が付いた自分の心に、狼狽してキシリアがギレンにすがった。
自分が愛していたのは、マ・クベのはずだ。それに嘘偽りは無い。
だが。
気が付いてしまったのだ。無意識のうちに避けていた自分の本心に。
そこには鉄の女将軍の面影はなく、ただ自らの心の奥にある情熱に怯える若い女でしかない。
「何も考えられないくらい、滅茶苦茶にして下さい。貴方で私を埋め尽くして! 余計な事を何も考えないように」
その言葉に、ギレンがしがみつくキシリアを強引にベッドに押し倒し、覆い被さった。噛み付くような激しい愛撫に、涙が一筋こぼれる。痛みも、快感も、全てが生きているという事を強烈にキシリアに感じさせた。
まだ充分に潤ってないキシリアの体に、強引にギレンが入った。
「痛っ……」
小さな叫びにギレンの動きが止まりかけたが、キシリアの手がギレンの背をぎゅっと抱きしめて催促した。
「いえ、止めないで。もっと、ああ」
ぐ……っとギレンが腰を動かし、己をキシリアの中へ突き入れる。狭い中を強引に押し広げられ、キシリアが仰け反った。
「私の……っ、心臓まで刺し貫いてくださいませ」
汗ばんだ額に、ほつれ毛がまとわりついた。それをかき上げることもできず、キシリアがそう息も絶え絶えに言うと、望み通りにギレンがキシリアを埋め尽くす。キシリアの足を担ぎ上げ、肩にかけてもっと奥深くヘ自分を入れる。何かを壊そうとするかのように激しく。残酷なまでにキシリアの言葉に忠実に。
引く、また深々と刺し貫く。かき回される。
獣のように荒い息と、女の悲鳴。ベッドの軋む音が全てとなる。何かを確かめるように、何かを忘れるように、夢中になってただ相手だけを求めた。
私はギレンを愛している。
その真実だけが、キシリアの心に焼き付いていた。
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ザビ家愛の劇場のきばたんさんがナイスでステキなイラストを描いて下さいました。口付けしたいのか絞め殺してやりたいのか判らない……というようなキシリア様の端正な横顔に切なさ乱れ撃ちです。あと揉みがいのありそうな乳がよい。お肌もすべすべそうで触りたさ通常の三倍です。
きばたんさんのキシリア様は常に家族の突っ込み役として冷静なイメージがあったので、こんな感じに乱れていただけるとさらに萌えます。とても女らしいと言うかなんというか。
そして無防備な兄上もス☆テ☆キ。私はギレンは天才で凄い男だけどどこか抜けてる説を唱えます。大演説してる時世界の窓(古い表現)が開いてたりとか。でもこの絵のギレンはキシリア様の前だからこそ無防備なのさと脳内妄想しときます。
きばたんさんありがとうございました!
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20040226 UP
Illustration 20040303 UP