8、独裁者の花嫁






 新年を祝うあのパーティからまたしばらく月日がすぎ、人々が前の年を忘れ、新しい年に馴染み始めた頃、人々が驚くような事態が起きた。

 サイド3のギレンとグラナダのキシリアのこう着状態に変化がおきたのだ。キシリアはギレンからの対話の申し出を受け、キシリアとギレンの話し合いが時にガルマやドズルを含め何度も行われた。

 そして遂に、ギレンとキシリアの不仲にピリオドが打たれたのだ。

 ギレンはデギンと他の家族に謝罪したのだとも、キシリアがデギンの処分に同意したのだとも、事情を知るほんの一握りの人々は噂したが、真相はザビ家の中に収められた。罵りあいも、泣き叫ぶ声も、全て。

 だが、その事によってサイド3とグラナダは以前の状態に戻り、固唾を飲んで見守っていた人々はほっと一息をついた。ザビ家独裁の長所と短所がいっぺんに吹き出たような出来事であった。

諍いの時は終り、キシリアがギレンの生首に口付けることも、ギレンがキシリアの屍を腕に抱くことも無かった。

そして今、かつてすれ違った二人はひっそりと羽を並べている。軍服を脱ぎ、同じベッドで睦みあい、裸のまま眠り、再び目覚め、世が明けるまでの一時を共に過ごす。

季節が巡るように、疑惑と憎しみの冬が終わり、再びお互いを求める春が始まったのだ。

 キシリアとギレンの間に、マ・クベを挟み奇妙な三角関係が成立していた。二人だけでは激しすぎる愛憎のぶれを、マ・クベを間に挟む事で、今の所上手く調和させている。

命を捧げるほど愛した女を、他の男と共有するのはどんな気持ちか、マ・クベは口には一切出さず、淡々と二人の間に入り込んでいる。なにもかも納得しているように見せかけ、機会を狙っているのか、そうでないのかは定かではなく、キシリアにはキシリアの、ギレンにはギレンの、マ・クベにはマ・クベの思惑があり、複雑に絡み合って均衡を保っている。



「どうしました、ギレン?」

広いベッドの中で裸で横たわり、自分の胸の中に愛しげにギレンの頭を抱きしめていたキシリアが耳元で囁く。

「ン……?」

 キシリアの声に、女の肌の匂いに包まれて考え事をしていたギレンが身を起した。

「急に黙っておしまいになるから……」

 キシリアも身を起すと、ギレンの目を覗き込む。

「うむ……」

 どこか心ここにあらずといった風情のギレンを見て、キシリアがくすりと笑った。

「……また兄上の事ですから、良からぬ事を考えていたのでしょう」

 キシリアの言葉に、ギレンが、心外な。というような顔をすると、キシリアがギレンの首に腕を絡ませ、自分のほうへ抱き寄せた。

「なんだね?」

 ギレンの問いに、キシリアが抱き寄せたギレンの耳元でひそひそと何事かを囁く。

「…………」

 キシリアが囁いた内容に、思わずギレンが絶句する。

「当たりでしょう?」

 ギレンの様子を見て、聞かずとも自分の考えの正しさを確信し、自慢げに口に出した。

「なぜ判る……」

 キシリアが囁いた内容は、まさにギレンがその時考えていた事と同じで、見事当てられた悔しさと驚きが声に篭る。

「判ります。貴方の事なら、なんでも」

「ふん」

 ギレンが不満げに鼻を鳴らすと、キシリアがくすりと笑った。

「根回しは私がしておきましょう」

 ギレンの構想を実行に移す際、様々な下準備をするのはキシリアの仕事だった。いつものようにキシリアがそう言う。

「お前が余計な事の押さえをしてくれるから助かる」

 また目を閉じながらギレンがそう言った。ギレンの言葉に、キシリアが少し意地悪してやろうという気になった。

「言っておきますけれど、私、あなたの便利屋ではございませんからね」

 軽い気持ちで冗談めかしてそう言うと、ギレンがぱっと目を開けた。おや? とキシリアが驚いていると、キシリアの腕を掴み、ぐいと自分に引き寄せ目を覗き込んだ。

「俺はお前をそんな風になど思ってはおらんぞ」

 ギレンの目が思ったよりも真剣で、意地悪を言ったキシリアのほうが面食らってしまう。

以前のギレンなら、こんな事は決して言わなかっただろう。

「判っています。冗談ですよ」

 ギレンを安心させるように頬を軽く叩き、そう言って微笑んだ。嬉しくて、ギレンの胸に抱きつき顔を埋める。

「私はお前にどう報いてやればいい?」

 頭上からギレンの声が降ってくる。その声がとても優しい。「ギレン兄さんは優しい人です」とガルマが昔力説していたのを思い出した。その時は何をばかなと否定的だったが、今ならガルマの言葉に同意してもいい。同時に、ですがなかなか兄上には近づけません。と少し哀しそうな顔をして付け加えていたガルマが、最近嬉しそうな顔で良くギレンに話し掛けているなと気が付いた。

「判りません」

 ギレンの胸の中から身を起し、ギレンの顔を見ながらそう言った。本当に判らないと思って、素直に口に出す。やらされていると思っていた以前と比べて、報酬など無くとも、やりたくてやっているという自分の心境の変化に驚いた。

「だけど、貴方が私の為にそう思ってくださったことはとても嬉しく思います。」

 そう言って、優しく微笑みながら、キシリアがギレンの肩にもたれかかった。ギレンの方もキシリアの肩に手を回し、自分のほうへ引き寄せる。

「貴方に無い物は、私が補って差し上げましょう。貴方が過ちを犯すようなら、私が命をかけて止めてあげますからご安心を」

 キシリアがそう軽口を叩いて、ギレンにキスをした。


 どんなに人々から非難されるような事をしても、ギレンは私利私欲で動いているわけではない。もちろん、ギレンの独善というのはあるが、基本的にギレンの行動は本当に良かれと思ってやっているのだ。

 だが、ギレンの思うことがいつも正しいとは限らない。

 ギレンが天才である事は、キシリアも良く知っている。だが、天才と呼ばれた人々の多くがそうであったように、突出した能力と引き換えに、どこかが大きく欠けている。ある部分では判りすぎるほど判っているのに、ある部分は恐ろしいほど何も知らない。ギレンは大きすぎるために、だれもギレンにそれを気付かせる事も止めることも出来なかったのだ。

冷静で冷たい一面、純粋で情熱に溢れた一面、そして、駄々っ子のように独善的な一面。ギレンのそのアンバランスさが今のキシリアには不思議に愛おしく感じる。

ギレンが判らないと苦悶していた昔の自分を思い出して、キシリアは苦笑した。

 ギレンは表現する術を知らなかっただけなのだ。自分こそ、ギレンと言う男の表面しか見ていなかった。ああいうことしか出来ない男だったのだ、ギレンは。今ならそれが判る。

 頭が良くて、力があり、傲慢で、冷徹で、それでいて子供のように純粋で何も知らぬ男。

 私はこの男を愛している。

 キシリアが心の中でそう呟いた。甘い感情がキシリアの胸を満たす。

 キシリアも、ギレンと敵対している間に色々な事を思い知らされた。

 ア・バオア・クーの戦いの後にギレンの元を飛び出したのは酷く軽率な事だった。

普段は現実的だが、激昂すると感情に流されてしまう傾向がある。全く何も考えていないわけではないが、やはり良くない事だと反省した。

自分の部下には慕われているが、ギレンのように、演説一つで人民を動かせる圧倒的なカリスマ性はない。また、ギレンが生み出すような、時代を新しく作り変えるような発想も自分には無い。

 ギレンに成り代わり、私が宇宙を支配してみたい。という気持ちは、キシリアの欲求としてずっとあった。だが、最近少し心境が変ってきたのだ。

ギレンにあり、キシリアにないものがある。ギレンに無く、キシリアにはあるものがある。

 私たちは、お互いタイプが違うのだ。

 私たちは似たもの同士だという思いと、全く違う。という矛盾した思いが同居する。

昔は、ギレンの事を快く思っていなかった。ギレンはあまりにも夢見がちで足元のことを考えていないと思ったし、その強引なやり方にも不満を持っていた。いまも百パーセントギレンに同意できるわけではないが、なぜ昔はあんなにも反発していたのかと考えると、以前はギレンへの対抗心ばかりが先立ち、どちらが優れているのかという事ばかり考えていたからなのではないかと思う。ギレンは、キシリアの乗り越えなければいけない壁だと思っていたのだ。

だが今は、二人でどこまでできるのかと思う。自分が変ったのを感じる。

 百年、二百年、あるいはもっと長い期間を見据えた壮大な構想がギレンにはあり、キシリアには、十年、二十年を見据えた現実的な構想がある。

 ギレンに興味があるのは、人類という種についての普遍的な命題であり、キシリアが興味があるのは、明日の生活をどう向上しようかという事である。

 どちらが上という訳でもなく、どちらかが必要で、どちらかが不必要だということも無い。どちらも大切な事だ。

 自分ができる事、得意な事、したい事が改めて見極められたと思う。ギレンに対抗する事ばかり考えていた頃に比べて余裕が出てきたと自分でも感じる。昔なら気に食わなくて噛み付いていたことも、今なら違うように対処できる。ドズル辺りから丸くなったと何度も揶揄されるので、そんなに昔の私は険があったかと苦笑させられる。たしかに、ギレンのアンバランスさも愛しいと思える今の自分は昔の自分からしたら考えられない。それだけ自分も変ったと思う。

 ギレンと二人ならば何でもできる気がする。その環境も整っていた。ギレンとキシリアがいがみ合っても、ドズルとガルマが二人をいさめ、お互いの橋渡しを買って出てくれる。今なら、家族で協力し合って何でもできる気がする。

 自分以外は人間ではないと思っているかのような傲慢な男だが、ギレンは、恐らく本能で、自分には無い物を持っている私を求めていたのではないのだろうか? いささか歪んだ方法ではあったが。

キシリアがふとそう思った。

キシリアはギレンの言いたい事は良く判る。だが、同意できない部分も多々ある。ギレンに心酔し、ギレンの言う事ならと同調をするだけで、ギレンの言いたい事を本当は理解できてない人たちに囲まれ、ギレンは実は孤独だったのかもしれない。心の奥底で、例え敵でも、自分のことを理解してくれる人を探していたのかもしれない。

この男がそんな愁傷な事を考えている訳が無いか……。

 そうキシリアが自分の考えを打ち消したが、幾ばくかの消せなかった感情がキシリアの心の奥に残り、キシリアがそっとギレンの顔を見た。ギレンは目を閉じ、キシリアを腕枕してその長い髪の毛をゆっくりと撫でている。

 しばらく無言のまま身を寄せ合い、お互いの体温だけを感じる。

 こんな安らかな時を共有できるとは思わなかった。愛しさと憎しみの狭間にある、ほんの一時の安らぎを、いずれ無くなるという事が判っているから、余計に大事に思う。

「ギレン、夜が明けます」

 しばらくして、キシリアがそうぽつりと呟いた。カーテンの隙間から黄金色の光が漏れ、一日の始まりと、甘い時間の終りを知らせている。

「うむ……」

 どこか、残念そうにギレンもそう呟く。

「今日は、戻られませんとな」

 意を決したようにキシリアがギレンの腕の中から出て、ベッドから立ち上がり、シルクのガウンをゆるく羽織った。薄い布地が体に絡みつき、女の体の豊かさを引き立たせる。

 ここ数日、二人はここに入り浸りで、ギレンは公邸へは帰っていなかった。二人で居るのは麻薬のように強く離れがたく、つい自堕落になってしまうのが困りものだった。

「お前、私を追い出したがっているようだな」

 キシリアの後姿に少し拗ねたようにギレンがそう言うと、キシリアが振り返る。このようなギレンなど、キシリアしか見られない。

「そんな事ございません」

「何か私に隠しているのか?」

 意外そうに振り向いて答えたキシリアに、ギレンがなるべく平静を装ってそう聞いた。

「何か隠していたとしても、申し上げません。秘密の無い女などつまらないでしょう?」

 冷たくされたと思って拗ねているギレンを、たまらなく愛しく可愛く思った。キシリアがベッドの上に四つん這いになり、ギレンに覆い被さるようにして、目を覗き込みながら言った。

 ガウンの合わせから、キシリアの白い太股が露に覗き、胸元からは大きな胸がきわどく覗いている。

「性質の悪い女め……」

 言葉でも、態度でも挑発しているキシリアにギレンが思わず呟いた。

「こんな女にしたのは貴方でしょう」

 クスクスと笑いながら、キシリアが言い返した。はらりと肩からガウンが滑り落ち、半裸の状態になっても、直そうとしない。

「後悔はしていまいな」

「もちろん」

 ギレンの問いに即答し、一瞬見つめあった。同じ運命に飛び乗る事を、眼差しで確かめあう。

「このような時を過ごすのも、今はまあ、よろしいでしょう。だけど、貴方は油断ならぬ男、従えぬと思えば何度でも貴方に逆らいます」

 それでも、私は私の生きたいように生きていく。とキシリアが付け加えた。今は一緒でも、盲目的に男についてゆくような女ではないし、離れる事を恐れてもいない。逆らう事すらも愛情表現になる。

 この男となら、どんなに離れても、いつかまた、再び同じ所で落ち合えると信じているからだ。

「口の減らぬ」

 ギレンが大げさに肩を竦めると、キシリアが愉快そうに笑った。獲物に食いつく寸前の獅子のように、ぐっとギレンに近づいてその目を覗き込む。

「なら、貴方の唇で私の生意気な唇をふさいで下さいませ」

 キシリアの言葉に、ギレンが手を伸ばし、豊かな赤い髪の中に指を潜らせた。何も言わずにそのまま自分に引き寄せ、口付ける。

 口付けしながらギレンの手がキシリアの体を捕らえ、くるりと体勢を逆転させた。ベッドのシーツの上に、ぱっと赤い髪が広がる。

組み伏せられ自分を見下ろすギレンの瞳に、キシリアがかすかに頬を染めた。とたんに、主人の腕の中で甘える猫となった愛しい女に、ギレンが深く口付けた。

 捕らえて、逃がさぬように。




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