蛇恨
「せ、先生、猿飛先生」
途切れ途切れの苦しそうな声が、閉じられた襖の奥から漏れ聞こえてくる。苦痛に…というにはあまりにも艶を含んだ声で男の名が呼ばれる。
「ああ、先生……。頭がおかしくなりそう……」
仄かな行灯の光に照らされるのは、男に絡みつく艶かしい女の裸体だった。
着物は着崩れ、大きく開いた着物の合わせから二つの乳房が露になっている。大きく足を広げているせいで、裾を割って、白い太股も、その奥までもが晒されている。
女は寝具の上に横たわる男の上に股がり、あられもなく快感の声に喘ぎながら前後に腰を使っている。下の男は死んだようにぴくりとも動かなかった。ただ、その鋭い眼光だけが女の目を睨みつけている。
ぐちゅぐちゅという湿った水音が、着物の奥の交わった部分から聞こえる。不意に女が背を仰け反らせ、ひぃぃぃぃぃと長い悲鳴を上げた。蛇のように長い舌を伸ばし、半ば白目を向いて絶頂を迎える。男の腹に女の爪が食い込み、赤い引っかき傷を作った。
身震いするような悲鳴が夜の闇に吸い込まれると、糸が切れたカラクリ人形のようにがくりと男の体の上に倒れこむ。その瞬間に術が解け、女の体から本来の男の体へと変化する。
「大蛇丸、これで満足か?」
ぜいぜいと息をつき、大蛇丸と呼ばれた男が舌が唇をぺろりと舐めた。まだ快感の余韻に身を震わせる大蛇丸に、冷たい声がかけられる。
「満足など、しませんわ。猿飛先生の精を絞り尽くして、私の物にするまではね」
その声の冷たさに逆らうようにそう言い、先ほどまで己の中にあった、いまだ勢いのあるそれを口にくわえ、嬲りだした。ねっとりと長い舌が絡みつき、この世のものとは思われぬ快楽を与える。
「好きにするがいい」
それでも、大蛇丸に与えられたのは、変わらぬ冷たい猿飛の声だった。その声に、ぴく……と大蛇丸の体が震える。
「どうしてです? どうして私を愛してくださらないの? 猿飛先生」
一瞬、捨てられた子供のような、絶望的に孤独な目が猿飛を見る。
「…………」
「言ったでしょう、先生が私を愛してくださらなければ、私はどうするか判らないと」
だが、そんな表情をしたのも一瞬の事で、すぐに怒りを込めた冷たい無表情に戻る。怒気を孕んだ大蛇丸の声に、猿飛が身を起した。
「女になれ」
ぶっきらぼうにそう言うと、大蛇丸がにやぁと笑った。
女になった姿しか愛さないのは、弟子と交わるおぞましさと背徳感に対しての小さな誤魔化しだった。
「嗚呼嬉しい。やっとその気になってくださったのですね、先生」
変化の煙の中から、再び女の体が現われた。女は美しかった。ただし、毒花の美しさだ。赤い唇に淫乱な笑みを浮かべ、どこかぞっとするような爬虫類じみた目で猿飛を見る。
その目を避けるかのように、猿飛は大蛇丸を四つん這いにし、後ろから尻を抱えた。
「う、ふ、ふ、ふ、ふ。先生は私の本当の体はちっとも愛してくださらないんですねぇ。男がお嫌いの先生のために、体を色々いじったんですよ。ほら、中まで本当の女みたいでしょう?」
変化の術で見た目を変えても、機能まで変える事はできない。だが、大蛇丸の言う通り、大蛇丸の体はその中までもが女と一緒だった。猿飛が己を大蛇丸から出し入れするたび、女の蜜が溢れてくる。
あああああああと呻き声をあげ、大蛇丸が腰を使った。常人なら気が狂ってしまいそうなほどの快楽が猿飛を襲う。だが、猿飛は恐るべき精神力でそれに耐え、何十度も力強く大蛇丸を突く。
「アア、凄いわァ……」
快感に溺れた空ろな目で大蛇丸がそう言った。大蛇丸と交われば、大抵の男も女も狂わされた。だが、今、快感に乱れ狂わされるのは大蛇丸のほうだった。大蛇丸は幾度となく猿飛によって絶頂へと追い上げられ、蛇のように体をくねらせて貪欲に快楽を味わう。その度に大蛇丸の中は本物の女以上にひくつき、猿飛を締め付けた。
猿飛が顔を顰めた。大蛇丸が人体実験をしているという噂は聞いている。信じたくは無かったが、今の言葉と、なによりも大蛇丸を味わう自分の体で確信した。
「先生、出してえぇ。私の中で。出してぇぇ……。先生の熱い精を私の中に……」
地獄の亡者のような地を這う声が大蛇丸の裂けたような口から漏れた。呪詛のように猿飛を縛る。
「先生が欲しいぃ……」
「ム……ン」
呟きと共に大蛇丸の締め付けがきつくなり、さすがに猿飛も限界を超えて、どくどくと男の精をその中に吐き出した。
「嬉しいィィィィィ」
大蛇丸がぞっとするような叫び声をあげ、熱い迸りを偽物の体に受け入れて白目をむいて痙攣した。
「ああ、勿体無い」
足の間から漏れる男の精に触れ、大蛇丸がそう言ってにやぁと笑った。変化は解いたはずなのに、大蛇丸は男と女、両方を備える両性具有の体を維持していた。
猿飛が思わず顔を背ける。
自らの体を弄ぶ大蛇丸の歪んだ精神と、そんな大蛇丸を抱いた自分自身への嫌悪。
「ねぇ先生、やはり私を四代目にはしてくださらないんですか?」
嫌がる猿飛の機嫌をわざと損ねるように、大蛇丸がそう聞いた。
「何度も言っているだろう」
「何故貴方は私を認めてくださらないのですか? 私よりも彼の方を愛しているのですか?」
猿飛が苦しむのがこの上ない喜びのように、口元に邪悪な笑みを浮かべて大蛇丸が追い詰める。大蛇丸の才能を誰よりも愛したのは他でもない、猿飛自身だ。だが、三代目火影の責任として、重大な欠陥のある大蛇丸を後継ぎにすることは出来なかった。
「お前を抱けばその話は持ち出さぬと約束したはずだ」
誰よりも才能を愛した弟子を切り捨てる苦痛に猿飛が苛まれる。その苦痛を知ってか知らずか、大蛇丸は猿飛を責める。
「……違いますわ、先生。私を愛してくれれば…と言ったんです」
大蛇丸が背を向けている猿飛の方へにじり寄った。背にしなだれかかり、耳元で囁く。
「だけど、先生はちっとも愛しては下さらない。まるで汚いものでも見るように、私を見るじゃありませんか…。約束違反は先生の方ですよ」
「…………」
「先生が欲しいと言ったのに」
毒蛇の囁きが、猿飛を責める。
「やると言った」
顔を顰め、苦しそうに猿飛がそう言った。言葉がまるで苦い汁のように感じる。
「では私がここであなたを殺しても良いんですか? 駄目でしょう?」
「もう少し待て、大蛇丸。必ずワシをお前にやるから」
「愛してくれ」と懇願する大蛇丸に、それはできぬと突っぱねた。モラルと、里の長として、師匠としての立場が大蛇丸に溺れる事を拒んだ。代わりに、大蛇丸との取引で、その代わりにこの身を好きにしていいとたしかにそう猿飛は約束した。大蛇丸が死ねと言えば死に、抱いてくれと言われれば抱く、と。
だが、出来てまだ間もない木の葉の里の情勢がようやく固まろうとしている時、自分がいなくなる訳にはいかなかった。せめて四代目を決め、その力が磐石な物になるのを見届けるまでは「死ね」と言われても死ぬことが出来ない。大蛇丸の言う事全てを叶えることにはならず、自分を好きにしていいと言った大蛇丸との約束を破る事にもなるのだ。
「もう、口約束は飽きました。愛しても下さらないし、好きにさせても下さらない。先生はちっとも私の物にならない。嘘なんだわ。私を騙したんだわ」
大蛇丸の言葉に、猿飛は答えることが出来なかった。嘘ではない。その言葉が喉もとで引っかかる。だが、今は自分を大蛇丸の望み通りにする事は出来ない。
大蛇丸とて、猿飛の命が欲しい訳ではない。出来ぬと知って責めているのだ。愛してはもらえぬ鬱憤をこうした形でしか晴らすことが出来ないのだ。
「やはり、欲しいものは自分の手で奪わないとねェ〜〜」
ぐるりと目が裏返り、辛うじて黒目が目の縁に引っかかっているようにぶるぶると震えている。ぺろりと長い舌が獲物を捕まえるように伸び、唇を舐めた。
「…………」
大蛇丸の破壊の衝動を猿飛は判っているが、止める事が出来ない。もしその衝動が大蛇丸の中から溢れ出せば、この里を、いや、この里だけではなく、国を巻き込んでの惨事が起こる事は間違いなかった。
私を愛してください。と大蛇丸は言った。お前を愛す事は出来ない、と答えた。
大蛇丸の衝動が溢れ出すのを止められぬのなら、いつか近いうちに必ず来る破滅の時に、自分はどうするだろうか?
ワシに殺せるか? こいつが?
猿飛が自問する。
答えは出せなかった。
大蛇丸が必ず里に仇成すと判っていても、切り捨てることが出来なかった。
心の奥底で、大蛇丸をおぞましく感じると同時に、哀れにも感じる。才能あふれる忍びでありながら、欠けた心のために満足するという事を知らない可哀想な弟子。
どこか心の奥底で、愛しく思っている。
哀れで、脆く、それでいて強大な力を持つこの弟子を。
ENDE