「待てってば、ひろ! ひろゆきっ! 井川ひろゆきーっ!」

 天和通りに、全力で走りながら叫ぶ天の慌てた大声が響く。


 あの後、二人は泥のように眠り、起きてシャワーを浴びた時もひろゆきはいつも通りでなにも言わなかった。

 天がひろゆきの手の傷の手当てをした時も、ありがとうございますと微笑み、怒った素振りなど微塵も見せなかった。

 だが、それがひろゆきの作戦だったのだ。

怒ってないのかな? と油断したのが思ったのが甘かった。

天がシャワーを浴びて出てきたとき、ひろゆきは忽然と姿を消していたのだ。

 あのヤロー黙って出ていきやがった!!

 やはり相当怒っていたのだと気がつき、部屋を出てひろゆきを追った天が、駅へ急ぐひろゆきの背を見つけたとき、大声で叫んだ。

 その声を無視して早歩きするひろゆきに、走ってきた天が追いつく。ひろゆきの腕をがしっと掴む。

「道の真ん中から大声で呼ぶなっ!」

 息を乱す天に、ひろゆきの怒声が浴びせられる。

「ひろ、許してくれ、俺が悪かった。謝る。この通りっ!」

 天はひろゆきの言った事を無視して、いきなり商店街の真ん中で土下座する。

「ちょっと、止めてくださいよこんな所で!」

 いきなりそんな事をした天に、ひろゆきが慌てた。

「天さんにはプライドってもんはないんですか!? 恥ずかしくないんですか?」

「そんな事よりひろに嫌われるほうがずっと怖いだろうが!」

 土下座しながら大声で天がそう言い返す。

 はっ、恥ずかしいやつ〜〜〜〜。

 天のセリフに、思わずひろゆきが怒りを忘れて赤面した。

「天ちゃん、何してんの?」

店の前で、土下座している天と、赤面して固まっているひろゆきを見て、店のおじさんが店の奥からわざわざ出てきて天にそう問いかけた。

商店街の皆が、なんだなんだとわらわらと集まってくる。

「見ての通り、ひろに土下座」

「ははぁ、またなんかやらかしたんだろ? でも珍しいね、天ちゃんがそんな事するなんて。どんなに殴られても土下座なんかしなかったじゃないか?」

「いやぁ、今それとは比べ物にならないほどのピンチだからね」

 天は、土下座しているというのに卑屈な感じが全く無い。

 何のんびり話してんだよ!!

 そうひろゆきの怒りが増し、天を無視して歩き出そうとした時。横からひょいと捻り鉢巻をした職人風の男が顔を覗かせ、ひろゆきに声をかける。

「だんな、どうしたんですかい?」

「僕はだんなじゃないー!」

 あの悪夢を思い出して思わず叫ぶが、誰も意に介さない。

 また一人、前掛けをした男がひろゆきの肩に手を置く。

「だんな、事情は良く判らないんだけど、天を許してやってください。天さん、馬鹿だけどいい奴なんです」

「だんな、あっしらからも頼みます」

 集まってきた商店街の皆が、なぜか天をかばって口々にそう言った。天はかなりここの皆に好かれているらしい。

「うるさいっ! 事情もわからない癖に余計な嘴挟むんじゃねえ! ひっこんでいてくれ!」

 外野にやいのやいの言われて切れたひろゆきが、目を血走らせてそう叫ぶ。

「あ、だんな、口悪い」

「天ちゃん、何があったの?」

「いやぁ〜」

 そう聞かれて、にやけた顔をした天をきっとひろゆきが睨みつける。

 無理やり変態ぽいセックスして怒られました。……なんて天が言ったら、二度とこの界隈を歩けない。

「言ったら殺す!!」

 そう言ったとき、手にぐいっと何かが押し付けられた。

「だんな、お怒りをお鎮め下さい。うちの魚でひとつ!」

 魚屋がそう言ってひろゆきの手に売り物が入ってるらしき袋をぐいぐい押し付ける。

 受け取ったら負けだとひろゆきが後ずさる。

「だんな、うちのコロッケもつけますんで」

「じゃうちはだんなに新鮮な野菜を……」

 手に手に売りものを持った商店街の人らに囲まれ、ひろゆきが逃げ場を無くす。

「だんな、天ちゃんを許してやってください!」

「ひろ、ごめんっ!」

 周りが口々にひろゆきに天を許してくれと懇願し、その声に応援されて天が一層深々と頭を下げる。

 天と初めて会った時も、天と商店街の人らがグルでしかけたイカサマに引っかかったのだが、今またあの時のような連携プレーでひろゆきを追い詰める。

 この商店街は、みんな天とグルなのかっ!?

 だんなー、だんなーと連呼され、皆が口々に天さんを許してやってくださいと言い、頭を下げる。

「判ったからだんなって言うなー!」

 この先また、天と、天に協力して電気の配線を切った誰かに煮え湯を飲まされる事を知らず、ひろゆきはそう叫んだ。











 やっぱり、なんだかんだで天さんにいいようにされちゃうんだよな……。

 仲直りのセックスで、耳元で愛していると囁かれながらイったのがすごく良くて、結局また天と離れられなくなってしまった。布団の中でしみじみとそう思っていると、天がぐいっとひろゆきの体を抱き寄せた。

「沢田ってヤクザの代打ち引き受けたんだって?」

 後ろから軽く首筋にキスしながら、天がそう口にした。

「よく知ってますね」

「そういう事は筒抜けなんだよ、俺には」

 平静を装いながら、また何か言われるかとひろゆきは心の中で身構えた。

 天は、自分がヤクザと係わり合いになるのを快く思っていない。昨日突っかかってきたのも、ヤクザの代打ちを引き受けると知っていたからなのだろう。

「止めろって言っても、止めねえんだろうな、お前」

「?」

 だが、天は、ひろゆきを止めるような言葉は口にせず、そう言った。

 幾ら言っても前のように反発されるのが落ちだ。と思ったのだ。

 意外な言葉に、思わずひろゆきが振り向いて天を見上げる。

「俺、ひろには、暑い思いも寒い思いもさせたくなくて、辛い事から全部守ってやって、猫かわいがりしてうんと甘やかせて、お前の笑顔しか見たくねえ」

 ひろゆきの顔をじっと見つめ、愛しそうに髪を撫でながら、天がそう言う。

「でも、俺のそういう愛し方じゃ、多分お前ダメにしちまう」

 天が何を言いたいのか判らずに、ひろゆきは怪訝な顔をする。

「お前が女ならさ、三人目の俺の嫁さんって事でそれでいいんだろうけど、男だからな。俺に守られてちゃ、ひろの為にならない。今のお前には、俺は害でしかないんだよな」

 ひろゆきの髪を指で弄びながら、まるで独り言のように天がそう言う。

 手中の玉のように転がしてその心地よい感触を愛で、キスをして、甘い言葉を囁いて、俺無しではなにもできなくなる位に溺れさせたい。

 本当はそうしたいと思う。

 だが、それでは、ひろゆきを駄目にする。

 大学出て、きちんとした所に就職して、可愛い女の子と恋愛して、やがて結婚し、子供ができる。

 天は、今はこういう関係でも、いずれひろゆきはそういう道へ戻るべきだと思っている。

 ひろゆきとの事が、遊びだという訳ではなく、ひろゆきが大事だからこそそう思う。

恋人にしても、友達にしても、関係が変わっただけで、天にとって、ひろゆきを愛している事や大事にしている事には変わりない。そうすることがひろゆきに一番いいと思えば、恋人だとか友達だとか形にはこだわらない。


 今自分といると、ひろゆきは身を持ち崩すだろうと思う。

戻れなくなる。


かといって、今急に友達には戻れない。それは、天にとってもひろゆきにとっても無理だ。ずるずると関係を続けるのは目に見えている。

俺といるとひろゆきの幸せを奪ってしまう。

天がそう苦々しく思った。

 ひろゆきはまだ未熟すぎて、天の与える愛情に溺れ、全てを見失うだろう。

 いつまでも天に守られたままでは成長できない。


俺が甘やかしていたら、ひろゆきが駄目になる。

俺はひろゆきを駄目にするような愛しかたしかできないし、側に居るだけでひろゆきを危険に近づける。


そう思い、一つの決意が天の中に生まれる。


距離をおくしかない。できることはそれしかない。


会えば惹かれる、我慢できなくなる、だから……。



「ごめん」

 天が、ひろゆきの目をじっと見つめ、悲しそうに呟いた。

「俺がお前を抱いたのは、俺のエゴだ。お前の言った通り、友達でよかったんだ、俺たち」

「それは違います」

 後悔しているような天の言葉に、ひろゆきが強く否定した。

「俺は今すごく幸せです。なのになんでそんな事言うんですか?」

 必死にそう言うひろゆきを、天が見つめる。

 天の心にある後悔と決意が、天の瞳に悲しい影を宿らせた。


 出合った頃は、ひろゆきがこんなに愛しくなるとは思っていなかった。


 一度の過ちと言うのは、天の中でひろゆきは愛しすぎて、ひろゆきの心を天は乱しすぎた。

 いや、判っていたはずだ。こうなる事は。


 触れたかった。思う存分その体も心も愛し、満足のため息をつかせたかった。


 我慢が出来なかった。


 そう思って、自分の腕の中にいるひろゆきを見つめる。

「何か悪い事があるとしたら。俺には有るとは思えないんですけど……。俺にも責任があります。俺も天さんに抱いて欲しかったんだから、そうでしょう?」

「そうだな、悪い」

 首を回して天を見て言う、ひろゆきの拗ねたような言葉に、天が素直に謝った。

 だが、内心の決意は消えない。

 ひろゆきの目から逃げるように、天が目を閉じた。ぎゅっとひろゆきを抱きしめる。

「何があっても、俺はお前が好きだよ」

 耳元で囁くように天がそう言った。天の言葉を聞き、心を優しく愛撫され、ひろゆきが甘いため息を付く。

「でも、忘れていい」

「え?」

 小声で言った天の言葉に、ひろゆきが眉をひそめる。

 今何て言ったんです? と聞きかえそうとしたひろゆきの体の上に、ずしっと天が圧しかかった。

そのせいで、ひろゆきの中から口に出しかけた言葉が消える。

「ちょっと、天さん、重い」

「いいから、じっとしてろって」

 抗議の声を上げたひろゆきにそう言って、ひろゆきを胸元でぎゅっと抱きしめ、目を閉じる。

「あー、気持ちいい」

 腕のなかにひろゆきをすっぽりと納め、うっとりとした顔で、本当に気持ち良さそうに天が呟いた。

「……何もしてないのに?」

 天をからかうようなひろゆきの言葉に、天が腕の中のひろゆきを見てにやっと笑った。

「判んねえ?」

 天の言葉を聞いて、ひろゆきが天の胸に自分の顔を押し付けてじっとする。

 ゆっくりと脈打つ天の心臓の音が聞こえる。

素肌と素肌が触れ、体温が伝わってくる。

 天の重さが、抱きしめる腕の力が、体温が、肌の感触が。

 天がどれだけひろゆきを好きなのか、それぞれの形で伝えてくる。

 僕も天さんのことが好きだと、抱きしめ返す。天に自分の気持ちが伝わっているのが判る。また、天がひろゆきの事を好きだと言う。また答える。


「うん、気持ちいい」

 目を閉じ、幸せに満ちた優しい口調でひろゆきがそう言った。


 忘れませんから。


 天に聞こえるか聞こえないかの大きさで、ひろゆきがそっと独り言のそうにそう呟いた。












「ただいまーっ!」

 ドアが開く音と共に、元気な女の声が二人分部屋に響く。

「おー、お帰り。楽しかったか?」

 玄関に出迎えた天がそう二人に聞くと、二人は顔を見合わせて笑った。

「いやー、楽しかったー」

 その返事に、そりゃよかったと言いながら天が荷物を受け取ると、天の後ろからひろゆきが顔を出す。お邪魔してますとお帰りなさいを一緒に言うと、嫁達の顔が輝いた。

「あー、少年、いらっしゃーい。いい時にいるね、お土産有るよ!」

 そう言って、お土産の袋をひろゆきにどんどん手渡す。

 カニ、ホタテ、かまぼこ、饅頭、チョコレート、クッキー、魚の干物、せんべい、その他色々。

 どれだけ買ってきたんだ、この人達は……。とひろゆきが呆れていると、満面の笑みでお土産を手渡していた嫁が何かに気がついたようにはっと表情を変えた。

「あ、ってことは、天、もしかして少年とエッチしたぁ?」

「おお、したした。お前達のいない間やりまくった」

 あけすけな嫁と天の会話に、ひろゆきが手に持っていたお土産の袋を取り落とした。

 会話を聞くに、嫁公認というのは方便でなくてどうやら本当らしい。

「おー!」

 天の返事に、嫁二人は顔を見合わせて感嘆の声を上げる。

「じゃあ今日は家族が増えたお祝いだっ! いい地酒が手に入ったことだし、燃え尽きるまで飲もう!」

「おーっ!!」

 一人がお土産に買ってきた日本酒の一升瓶を高々と掲げると、天ともう一人の嫁が拳を振り上げ、叫ぶ。

「ふっ、増えません! 増えませんよ」

 慌ててひろゆきが否定すると、嫁二人に囲まれる。

「え〜〜、何で〜〜? 一緒に暮らそうよ」

「あたしたち、少年ならいいよって天に言ってたんだから、ねー?」

 有無を言わせぬ調子で詰め寄る嫁二人に、ひろゆきがたじたじになる。

「ちょっと天しっかり捕まえといてよ。私たちも若い男の子欲しいんだから!」

 標的をひろゆきから天に変え、甲斐性なし! と二人で非難する姿に、ひろゆきが目を白黒させる。

 浮気したと天を責めるならまだ判る。だが、自分たち以外の、しかも男を抱いた天に向かって、甲斐性無しと罵るのは全く理解できない。


「あ、あんたたち、おかしいよっ!!」

 やっぱりこの人たちにはついていけない!

 久しぶりにこの人たちの非常識さを目の当たりにし、ひろゆきが心の中で叫ぶ。


「俺もなー、いつまでも手元に置いときたかったんだけどな、無理みてえ」

 天がのんびりとそう言った。

 天の瞳が僅かに翳る。

 能天気に騒ぐふりをしながら、天の心はこの先にある別れを意識している。

 天が、気付かれぬようにじっとひろゆきを見つめた。



 俺にできる事といったら、ひろの前から消える事しかない。

 俺はお前の前にいないほうがいい。天はそう思っている。

その事でひろゆきが傷つくのは判っている。ひろゆきからしてみれば、自分はずいぶん勝手で酷いことをしているだろう。

 だが、それ以上に自分はひろゆきの妨げになる。

 だからこうするしかないと思う。

 俺といると俺はどうしてもお前を甘やかすし、裏世界に巻き込む。

 俺が好きなお前の綺麗な目が穢れるのは嫌だ。このままだと、お前はきっと昔の俺のように苦しむ。


 だから、サヨナラしよう。

 心の中で、天はひろゆきにむかってそう呟いた。



 好きだよ、お前が。


 でも、忘れていい。



 そう言ったときの、忘れませんからと小さく呟いたひろゆきの顔が浮かぶ。

 胸がどうしようもなく痛む。

 最初出会った時、これほど愛しくなるとは思わなかった。

 これはきっと、俺への罰だな。

 そう思い、かすかに苦笑いする。

 ひろゆきを傷つける事に対する痛みと、ひろゆきを手放す事に対する痛み。

ノイローゼになりそうなほど、強すぎる胸の痛みが天を苛む。

 目に見えぬ心の傷がじくじくと痛んで消えない。だが、ひろゆきを汚すよりはましだ。

この痛みを忘れまいと思う。

ひろゆきを傷つけた自分のせめてもの贖罪として。


  




室田と、そして赤木と天の激闘の後、突然告げられた別れに、悲しそうに目を伏せたひろゆきは天を責めなかった。

ひろゆきもこのままではいけないと判っていたのだろう。こうするしかないと判っていたのだろう。

怒っても、殴ってもよかったのにな、お前。

ひろゆきの青ざめた顔を見ながら天がそう思った。

賢すぎるひろゆきは、全てを理解して怒る事も責めることもしない。

罵られれば、嫌われれば、いっそのこと吹っ切れたのに。その方が楽だったのに。

このノイローゼの状態から抜け出せたのに。


俺のものにしてしまえばいいじゃないか。


そう悪魔が囁き、未練が絡みつき、天の足を重たくする。抱きしめそうになる自分を必死で押さえる。

 

俺がもっと大人の愛しかたが出来るようになって、

 ひろが俺を受け止められるくらい成長したら。


 また会いたい。


 お前に殴られてもいい、何されても良いから、また会いたい。

 

ひろが何もかも忘れてくれたら、俺はまたお前に会いにいけるのに。


 だから。


忘れていいんだよ、ひろゆき。


 ひろゆきと判れる事を決めた天の心が、もう一度呟いた。

 

そう思う自分は、とことんずるくて汚いと思う。

ひろゆきに酷いことをしておいて、まだ俺はこんな事を思っている。最低な人間だと思う。

 だけど、もう一度……。汚れても、汚くても、最低でも。

 もう一度。


 天がゆっくりと口を開く。


「じゃあな…。いつか…、雀荘でな……」



 もう一度お前に会いたい。




ENDE





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