恋華
五嶺様の様子がおかしいことは、すぐに気がついた。
五嶺様は、通ってくる男がいる事を俺に隠しはしなかったからだ。
誰かが来る。とは言わず、五嶺様は俺にただ酒を二人分準備しろと言う。俺は何も聞かず、五嶺様がやってくる男を迎えるための酒席の準備を整える。
五嶺様が誰と遊ぼうが、俺の口出しすることではない。だが、今度の五嶺様のお相手は俺を心配させるに十分だった。
その男は、夜な夜な五嶺様の部屋へ忍び込み、一夜を過ごして明け方に消える。
男だと判るのは、五嶺様の体に愛された跡があるからだ。
その男は五嶺様の事をよっぽど気にいっているのだということが一目で判る、激しく愛された体。
「エビスの、女がアレの時、何か掴んでるのはどうしてだか不思議だったんだけどねぃ、気持ちが判るようになったよ」
白い体に舞う花びらのような口付けの跡を隠そうともせず、五嶺様は嫣然と俺に笑って言った。
着付けを任される俺は、どういう言葉を返せば良いのか判らず、着付けに熱中するふりをする。
毎夜通ってくる男に女のように抱かれ、声を上げる。
それは、俺の知らない五嶺様だった。
残酷な命を下す時も顔色一つ変えず、哀れな霊を処す時も涼しげな顔で、時に鬼のように部下をしかりつけ、不要となればぼろ雑巾のように捨てる。それが俺の知っている五嶺様。
五嶺様は一体どうしてしまったのか、何が起きているのか。
五嶺様の相手に謎が多いところも、俺の心配を募らせる。どこの誰なのか一切判らない。警備が厳重な五嶺家に忍び込むなど、できるはずがないのに、その男は毎夜五嶺様の寝所に滑り込む。
男が通うたび、五嶺様が身も心も変わっていくのが判る。
前からお綺麗な方であったが、いっそう艶やかさを増した。剃刀のように鋭い分軽かったのが、落ち着いた凄みを持つようになった。
飽きれば終わる。今まではそうだった。俺は自分に言い聞かせる。
しかし今までの遊び相手の誰も五嶺様をここまで変えはしなかった。と俺の冷静な部分が囁くのを無視する。
「今宵はもうさがっていい」
五嶺様は膳を二人分持ってきた俺にそう仰い、魔法律戦略図を紐解いてあたりに広げた。
家で寛ぐときはいつもそうだが、上着の紐は解け、胸元が扇情的にはだけている。袴だって緩んだままだ。
ちらりと覗く肌が白い。女の肌の色だと俺は思った。
「お休みにならないのですか?」
「ちょっと突き詰めて考えてみたい戦略があってねぃ」
五嶺様はそう仰った。今宵は魔法律戦略図の勉強をするのだろう。その得体の知れない男と二人で。
前までは、その相手は俺だった。
五嶺様は勉強家だ。それに魔法律がとても好きでいらっしゃる。魔法律戦略図を研究することは、五嶺様にとって楽しみな一時でもあるのだ。その一時をその男と過ごしたいというのか。
俺は動揺した。
魔法律戦略図は五嶺家の家宝。部外者に見せるなど……!
五嶺様はその男に誑かされているのではないか? その男は、五嶺家の秘密を盗み出すために五嶺様に近づいたのではないか?
俺の中で不安が渦巻く。
俺の知っている五嶺様なら、そんな事は絶対になさらない。だが、五嶺様がそいつに誑かされ、まともな状態でなかったら?
その考えは、信憑性のあるものに思えた。五嶺様の変わりようが、その考えを十分裏付けているように思えた。
俺は、ひとつの決心をした。
五嶺様に知られれば、殺されるに違いない。
俺はそう思いながらも、庭の茂みに息を潜め、五嶺様の部屋を伺っていた。
月が煌々とあたりを照らし、昼間と思うほどに明るい。
と、庭を影が走った。
大きな黒い鳥……。
慌てて空を見上げた俺は一瞬そう錯覚した。
黒い羽だと思ったのは、墨染めの衣が風を孕んだせいだった。
さあっと銀色の光がさしたと思ったのは、その男の銀色の長い髪が月の光を反射したせいだった。
男の影に、角がついている。
月を背に五嶺家の庭に降りてきたのは、質素な墨染めの衣を身に纏い、銀色の長い髪と鹿のような角をもった、人ならぬ存在だった。
バカな。バカなバカなバカな……。
心臓が早鐘のように打つ。バカな。信じたくない。
毎夜五嶺様の元を訪れ、五嶺様を抱くのは、人ではない化け物だったのだ。
あんな化け物に五嶺様が……。
空から庭に飛び込んできたその化け物は、無遠慮に縁側に上がり、ほとほとと五嶺様の寝所の戸を叩いた。
信じたくない。
その俺の気持ちを裏切って、すぐに戸が開く。
戸の隙間から見えたのは、男を待ちかねていた五嶺様の笑顔だった。
バカな。バカなバカなバカな……。
五嶺様はあんな顔をしない。
あれは、恋をする女の表情だ。
五嶺様がそんな顔をするわけがない。
その場に倒れそうなほど心乱れる俺に気がつかず、五嶺様は男を部屋に招きいれ、すぐに戸を閉める。
喜びに気が緩んだのか、微かに戸が開いて、細い線のような光が外に漏れている。
俺は、気付かれないようにそっと移動し、じっと息を潜めて戸の隙間から中を覗いた。
ちょうど斜め後ろから俺はお二人を見ることが出来た。
五嶺様のあんな笑顔、見たことがない。
お二人は、まるでご兄弟のように親しく魔法律戦略図を囲んでいる。
嫉妬に身を焦がしていたが、俺は、いつのまにか男の講釈に耳を傾けていた。
この男、何者だ……?
魔法律戦略図を完璧に解釈したあと、弱点を補い、応用までしてみせる。さらに、五嶺家に伝わっていない戦略図をさらさらと書き上げ、五嶺様に説明しているのだ。魔法律の知識を豊富に持ち、五嶺様の質問への答え一つ一つに俺はいちいち感嘆した。
悔しいが、五嶺様が夢中になるのも無理はない……。
「イサビ殿の博識には恐れいりますねぃ……」
五嶺様がほうとため息をつきながら仰った。
イサビ。
聞き覚えの有るその名に、一瞬首をかしげたが、それが誰かを思い出した瞬間、心臓が止まりそうになる。
イサビだって……!?
五嶺様の口からこぼれた伝説の禁魔法律家の名に俺は動揺を隠せなかった。
まさかと思ったが、相手がイサビならいろんなことに納得がいく。イサビほどの禁魔法律家なら、五嶺家に忍び込むなど朝飯前に違いない。
五嶺家の頭首と禁魔法律家が逢っているなどと知れたら……。
俺はゾッとした。
信用を全て失い、五嶺家も、五嶺魔法律事務所も崩壊しかねない。
五嶺様、どうしてそんな男を……!
五嶺様は誑かされているのだ。そうに違いない。
俺はそう考えることで精神の平静を保とうとした。
「あ……」
五嶺様の甘い声に、俺の思考は中断させられた。あわてて戸の隙間から中をうかがうと、五嶺様はイサビに後ろから抱きすくめられ、唇を奪われていた。
「イサビ……どの」
その五嶺様の声があまりにも甘くて、男に媚びた響きに耳を塞ぎたくなった。
やめてください。五嶺様はそんな声をだすようなお方じゃないはずだ。いつでも人を見下し、傲然と構えている人のはずだ。
「ん……っふ」
ちゅくちゅくという深い口付けの音がここまで聞こえてくる。
イサビは五嶺様のお着物の下に手を入れている。胸元の辺りを執拗に弄くっている。
「ああ……」
五嶺様の熱を孕んだ甘い喘ぎ声。
「こちらも……」
甘い誘いに、イサビの手が五嶺様の袴の中にもぐる。やがて、何かを掴んで上下するような動きと、五嶺様のより一層の甘い声に、俺は何が起きているのかを悟る。
「あっ、あっ、あ……」
五嶺様のいやらしい声に、くくっと男の押し殺した笑い声が重なる。やがてくちゃくちゃと水音が混じり、五嶺様は我慢できずに魔法律戦略図が広がる机に突っ伏した。
「もう、ああ……」
五嶺様が切なげに身じろぎする。
「焦らさ……ないで、ください」
「……欲しいか?」
イサビが囁くと、五嶺様は頷いた。
五嶺様はイサビに着物を剥ぎ取られ、文机にうつぶせにさせられる。
突き出した尻の白さに思わず息を呑む。
「こんな格好、イヤです……っ」
真っ赤になった五嶺様がイサビを振り返り抗議するが、イサビは返事代わりに五嶺様の尻を叩いた。
ここから何をしているのかははっきり見えないが、何をされているのかは判る。
「はぁぁっ」
五嶺様が声を漏らされる。
恥ずかしい箇所に指を入れられ、愛撫されているのだ。
五嶺様は自分の手で口を塞ぎ、声を漏らすのを必死で堪えている。
イサビは懐から何かを取り出し、五嶺様に使うとくちゅくちゅと粘着質な音がするようになった。たまらない。といったように、五嶺様の尻が揺れる。
しばらく執拗にそうしていたが、イサビは五嶺様から手を離すと、自分の着物の裾をめくった。
裾の間から現れたのは、淡い光に照らされ、隆々と反り返るイサビ自身。
「陀羅尼丸」
イサビが声をかけると、五嶺様が快感に濡れた気だるい表情をしてのろのろと振り返る。
五嶺様は、イサビ自身を見ると嬉しそうに手を伸ばし、なんの躊躇いもなしにそれを口に含んだ。
頬をへこませ、顔を上下して吸い上げながら、幹の部分を手で扱く。
上目遣いでイサビを見ながら、先の部分を舌でなめまわす。
綺麗な顔を歪ませ、己を赤い唇に含んでしゃぶる五嶺様の頭を、心から愛しそうにイサビが撫でる。
「もう、よいぞ」
イサビがそう言うと、五嶺様が名残惜しそうに顎を引く。すぼめた唇から、ぶるんと五嶺様の唾液に濡れたイサビ自身が姿をあらわした。
「尻を突き出せ」
その言葉に五嶺様は一瞬迷いを見せたが、恥かしげもなく四つんばいになり、イサビに尻をむけた。
「もっと高くじゃ」
イサビの命令に素直に従い、白くなまめかしい尻を上げる。
「雌犬になったと思って喘げ」
イサビは意地悪くあざ笑い、五嶺様の腰を掴み、己を突き入れる。
「んぁぁぁっ」
ぶるぶるっと五嶺様の体がふるえた。
「イサビ殿、イサビ殿っ……!」
腰を引き寄せられ、男を体の中心に深々と打ち込まれる。
そのたびに五嶺様はあられのない大声を上げた。
「あ、いいです、ああ……」
五嶺様の乱れた髪が規則的に揺れる。
ずっ、ずっと男のモノで粘膜を擦り上げられ、嬌声を上げる。
まるで雌犬のように喜んでいる。
イサビの動きは力強く、五嶺様は翻弄され、あまりの快感に逃げようともがくと、両手首を後ろからがっちりと捕まれて、深く男を咥えさせられている。
どれくらいそうしていたのか、俺は呆然と五嶺様の前後に揺れる細い体を見ていた。
「あ、イク。イきます、イサビ殿、あああっ」
びくんびくんと体をふるわせ、五嶺様は絶頂を迎えた。イサビはまだ容赦なく五嶺様を突き上げる。
「イサビ殿、もう、無理です。ああ。お許しください」
五嶺様はいつまでたっても許されず、やがて、喘ぎ声が、「あ……、ひぃ」というようなすすり泣く声に変わり、急に「ああっ」と再び大きく声を上げて背を反らせた。
ようやくイサビが精を放ったのだ。名残を惜しむように数回突き入れると、イサビは己を引き抜いた。
中から放ったものが溢れ出てきたのか、五嶺様と己を拭うような仕草をしている。
イサビの手が五嶺様の体を離すと、五嶺様はご自分でご自分のお体を支えることが出来ず崩れ落ちた。
五嶺様の白い肌の色。夜にだけ咲く月下美人の色だと思った。昼間の五嶺様が凛とした菖蒲の花なら、夜の五嶺様は月下美人だ。甘く濃い香りを漂わせる、夜ひらく妖しく美しい花。
俺は惨めな気持ちで俯いた。股間の辺りが濡れて気持ちが悪い。射精していた。
頭を冷やし、そこでようやく、俺はおかしいと気がついた。
五嶺様がこれだけ声を上げているのに、屋敷のだれも気がつかない。五嶺様のお部屋は離れにあるのだが、俺の部屋は、五嶺様のご命令にすぐ従えるように、五嶺様のお部屋の一番近くにある。なぜその俺が気がつかなかった?
今晩だけではないだろう。この痴態は毎夜繰り広げられているはずだ。
考えられることは一つ、イサビがどうにかして二人の間を隠しているに違いない。その効果が今夜俺にだけ現れないのをもっと不思議に思うべきだった。
五嶺様は、畳に突っ伏したまま荒い息をしている。
その姿を心配して見ていた俺は、ふと目線をイサビに移した。
「くっ……!!」
思わず声を漏らしそうになった。
イサビの目は、じっと俺を見ていた。
俺を見るイサビの目と、イサビを見る俺の目がぶつかったのだ。
全身の血が引いた。
青ざめる俺を他所に、イサビはふっと俺に笑ってみせた。
手を伸ばして筆をとり、さらさらと半紙に何事かを書き付けると、くしゃりと丸めて、覗いている俺の前に投げた。
五嶺様はお気づきではない。
ひ・ろ・え。
俺が戸惑っていると、イサビは声を出さずに口でそう言葉を形作った。俺はそっと戸を開け、急いで紙切れを掴み、脱兎のごとく逃げ出した。
自分の部屋の布団にもぐりこみ、あれは夢だ、あれは夢だと呟くが、手の中の紙切れがそう思う事を許さなかった。
俺は観念し、震える指で紙を開いた。
男らしい見事な筆跡で、五嶺様を本意に愛している事、俺に、二人の仲を協力するように。という事が簡単に書かれていた。
逆らえばどうなるのか判らない。俺も、五嶺様も。
俺は巻き込まれたのだ。俺が見たのではなく、見せられたのだ。
気がつけば夜が明けかけている。
五嶺様とあの男は名残を惜しみ、口付けてまた今夜会う事を約束して判れるのだろう。
信じたくない。五嶺様があのような化け物に身を任せ、毎夜毎夜淫らに声を上げているなんて。
五嶺様は、なんという事をされたのだ。そう責めたい気持ちが湧き起こる。
翌日、なにもお気づきではないのか、何もかもご存知なのか、五嶺様はいつも通りだった。
凛としたお姿で執行をこなし、皮肉げな笑みを浮かべて、魔法律協会に巣食う奴らをバカにする。
その姿は前よりいっそう艶やかで、自信に溢れたそのお声や仕草に俺は何度も目を奪われそうになった。
この二人の間になにか困ったことがあれば、俺がどうにかしよう。
そう俺は決心した。
イサビが怖いのではない。
恋をする五嶺様が綺麗だからだ。
あの男が咲かせたのだ。
五嶺様にあんな顔をさせることが出来るのは、あの男しかいないからだ。
終
20080823 UP
初出 20070818発行 迦陵頻迦(かりょうびんが)