クニフロの泣ける話、感動する話まとめ
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インターネットで公開している、泣ける話、感動する話をまとめています。号泣できる話から、ほっこりと心温まる話をいろいろ集めてますので、楽しんでください。

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2012/05/03
悟られない人がいる。
 いつも穏やかに微笑んで、その陰にある気の遠くなるような忍耐を誰にも悟らせない人がいる。
 悲しいことも、苦しいことも、痛いことも、自分の胸に収めて、笑顔を絶やさず、泣き言を言わず、頑張っている人がいる。
そんな人を見ると、後ろ姿にお辞儀をしたくなる。
友達の見舞いで通った病院に、そんな人がいた。
 顔を合わせるといつも、花のつぼみがほころぶようなのんびりした笑顔で会釈してくださった。話したことは結局一度もなかったけれど、友達から後で聞いた。そのひと言を聞いて、たったそのひと言だけで、わかる訳でもないけれど。
 元気に働いていたのに、ある日突然倒れたらしい。原因不明の高熱が続いて、ようやく熱が下がった頃には言葉も満足にしゃべれず、身体の自由もきかなくなっていた。
 少しずつ、本当に少しずつ、それは進歩しているのかどうかわからないぐらいの、まるで風に雲が流れてゆくぐらいの、ゆっくり、ゆっくりしたスピードで、もう何年もリハビリを続けているそうだ。リハビリをやめると、筋力が徐々に失われてゆき、やがては動けなくなってしまう。
 友達も、ほとんど言葉を交わしたことはなかったらしい。
 肺に穴が開く病気で入院した友達は、スポーツ選手を続けることを断念せざるを得なかった。その激しい苛立ちから、家族にも当たり散らしていたようだ。人のことを気にかける気持ちには、とてもなれなかっただろう。
 ある日、いつものようにリハビリをしているその人に「何でそんなに頑張れるんですか?」と聞いたそうだ。
「生きたいんです。すこしでもながく。」
 当たり前のことだなんて言うなよ。回復していく見込みだってほんの数%しかないらしいんだぞ。俺、それ聞いて、それ以上そこにいられんかった。トイレかけこんで泣いたわ。めっちゃ泣いた。なんかな、俺、自分がアホみたいに情けなぁなってな・・・そう言いながら、泣き出した。
 悟られない人がいる。
 言葉にしないからじゃなく、誰かの、何かのせいじゃなく、まぎれもない自分の強い意思の力で、人に悟らせない生き方を選んでいる人がいる。強い。そういう人を、強い人というんだろう。
「俺も、あんな風になれるやろか?まだ、なれるやろか?」
泣きながら、彼はそう言った。

 悟られない人に、なりたいと思う。悲しいことも、苦しいことも、痛いことも、自分の胸に収めて笑顔を絶やさず、泣き言を言わず。
 もしそれでも悟ってくれる人がいたとしたら、その人はきっと、自分にとってかけがえのない大切な人だろう。
「生きたいんです。すこしでもながく。」
 そう言ったあの人は、大切な人を守るために、今日も歩いているだろう。
posted at 2012/05/03 0:13:22
lastupdate at 2012/05/03 0:13:22
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うちは片親で、母親と二人でした。お母さんは毎日どんなに忙しくても、私にお弁当を
作ってくれました。やきとりが中に入ってる事もあったりして。私はその時お弁当が恥ず
かしくて、こんなお弁当いらないょとお母さんに言った事があります。私は作る側になっ
て、初めてそんな事を言われる気持ちを知りました。どんなにつらかったか。毎日仕事を
しながら、お弁当を作ってくれたお母さん。事情があって会えないけど、お母さんに会い
たいです。そして、私を育ててくれて本当にありがとう。親不孝な子供でごめんね。
posted at 2012/05/03 0:13:22
lastupdate at 2012/05/03 0:13:22
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2012/05/04
糖尿病を患ってて、目が見えなかった、ばあちゃん。

一番家が近くて、よく遊びに来る私を随分可愛がってくれた。
思えば、小さい頃の記憶は殆どばあちゃんと一緒に居た気がする。

一緒に買い物行ったり、散歩したり。だけど、ばぁちゃんの体が弱っているのは子供だった私でもわかった。

高校に入ると、友達と遊ぶほうが多くなっていて、ばあちゃんの家に行くことが少なくなっていた。

たまに行くと、「さぁちゃんかい?」と弱々しい声で反応してた。
もう、声だけじゃ、私だってわからなくなっていた。
「そうだよ、さぁちゃんだよ。ばーちゃん、散歩行こうかー?」
手を取って、散歩に行ったけれど、もう昔歩いた場所まで、ばぁちゃんは歩けなくなっていた。

それから、あまりばあちゃんの家に行くことは無くなってた。

暫くして、母さんから「ばぁちゃんがボケちゃったよ」と聞いた。
誰が誰だか、わからないんだって。 私のことも、わからなくなってるらしい。なんとなく、覚悟は出来ていた。けれど、悲しかった。

それから。半年くらい過ぎた頃。
ばぁちゃんが死んだっていう報せが届いた。
泣くこともなく、通夜、葬式が終わった。

葬式が済んだあと、私は叔父に呼び出された。
叔父はばぁちゃん達と最後まで暮らしていた人だ。

「箪笥の中にな、『さぁちゃんの』っていう封筒が入ってたんだよ。」
そう言って、私に封筒を手渡した。

ばぁちゃんの字で、"さぁちゃんの"って書いてあった。中身は、通帳だった。私名義の。二十万ほどの預金が入っていた。働いてないばぁちゃんが、こつこつ貯めたお金。

そういえば、昔、ばあちゃんが話していた。
「さぁちゃんが結婚するときのために、ばーちゃん頑張ってるからね。」
「だから、ばぁちゃんにも孫抱かせてね。」

その夜、初めて泣いた。

ばぁちゃん。
あれから5年も経っちゃったけど、さぁちゃん、来年結婚するよ。
孫抱かせてやれなくてごめんね。

でも、喜んでくれるよね。
posted at 2012/05/04 0:10:36
lastupdate at 2012/05/04 0:10:36
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2012/05/05
色々な事が重なって、友達に「死にたい。こんな自分嫌い」とうざいメールした。
夜中だったし絶対寝てると思ったら五分後、
「何があったか知らないけど、私の好きな人の事を嫌いとか言わないでくれる?」と返事がきた。まじめに嬉しくて涙がでた
posted at 2012/05/05 0:22:54
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2012/05/06
中学校の時、もともと不良っぽい問題児だった洋平って奴がいた。
そんなに怖がられるような奴ではなかったし暴力騒ぎはおこさなかったが、
洋平の大学生の兄がバイク事故で亡くなった。
洋平は荒れて、学校に来ない日が続き、ようやく出席しても特に先生に対する
暴言、暴力を振るった。更には同級生にまでささいな事で一方的に喧嘩をふっかけた。
担任の赤田先生はそれでも洋平にストレートにぶつかっていた。
洋平は赤田先生に平気で暴力をふるうまで荒れて、手が付けられない、そんな状態でした。

しだいに生徒の親やPTAで問題視され学校側も対策を考え出したみたいでした。
ある日、洋平はいつも通り赤田先生に注意を受け、暴言で返し、再度注意を受けると
赤田先生に蹴りを入れました。
「いちいちうるせぇんだよ!死ねよ!」
洋平は赤田先生にそう言いました。

すると、一度も手を上げなかった赤田先生が洋平を思い切り殴りました。
−大変な事になる!クラス全員がそう思ったと思います。
でも、洋平は目を真っ赤にさせて赤田先生を見ると
「すいません」
と言って教室を出て行きました。

赤田先生は当時はわかりませんでしたが辞表をその日に提出したみたいです。
そして翌日、赤田先生は現れず、教頭が来ました。
洋平が呼ばれました。そして数十分後、戻ってくるなりこう言いました。
「俺は殴られてない。聞かれたらそう言ってくれ」
その後、教頭と数人の教師が来て「赤田先生は手を上げた?」と聞き、僕らが
何も答えないとクラス委員を指名して答えされました。
「いいえ。」
と首をふりました。
その後、一人一人指名して行きましたが、全員が
「いいえ。」と答えました。

赤田先生の担任復帰はかないませんでした。赤田先生は謹慎期間を終えると、別の
学校へ赴任して行きました。
後日談として、洋平は今、高校の数学の先生をしています。
posted at 2012/05/06 0:05:08
lastupdate at 2012/05/06 0:05:08
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2012/05/08
アルゼンチンのプロゴルファー、ロベルト・デ・ビンセンツォはあるトーナメントで優勝し、
賞金の小切手を受け取って帰る準備をしていた。
彼が一人で駐車場に向かっていると、一人の女性が彼に話しかけてきた。
彼女は彼の勝利をたたえた後、
自分の子供は重い病気にかかって死に掛けているが
お金がないために、医者に見せることもできないのだ
と彼に伝えた。
それを聞いて哀れに思ったビンセンツォは
「これが子供のために役立てば良いのだけど」といって、
獲得したばかりの賞金の小切手を彼女に握らせた。
 翌週、彼がカントリークラブで食事をしていると
テーブルにゴルフ協会の職員がやって来た。
「先週、駐車場にいたやつらが、君がトーナメントで勝った後、
そこで若い女性に会っていたといっていたが・・・」
ビンセンツォはうなずいた。
「実は」と職員は続けた。
「彼女は詐欺師なんだ。病気の赤ん坊なんていないんだ。
結婚すらしていないんだよ。君はだまされたんだ」
「すると、死に掛けている赤ん坊なんていないのか?」
「そのとおりだ」
すると、ビンセンツォは笑いながらこう言った。
「そうか。そいつは今週で一番の良い知らせだ」と。
posted at 2012/05/08 0:02:33
lastupdate at 2012/05/08 0:02:33
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もしも、このまま私が死んじゃったら、この目をパパにあげる。
そうしたら、ママとキスするときに、もう困らないでしょ。
 耳は、アメリカの偉い人にあげて。あの、いつもテレビに出てくる人。
遠くで誰かが泣いている声が、ちゃんと聞こえるように。
 この足は、歩けない人にあげて。その誰かがステップを踏む音が、ママとパパに
聞こえるから。
 このお口は、歌いたがってる人に。そうしたら、その人は心を込めて
歌うでしょう。死んじゃった赤ちゃんを抱いている人にかもしれない。
それか、床で死を待つ人へ。
 この腕は、私は持って行けないの。地球儀の端から端をつなぐために、
きっと必要としている人がいるから。
posted at 2012/05/08 0:02:33
lastupdate at 2012/05/08 0:02:33
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 小学生のとき、少し知恵遅れのA君がいた。
足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅い。でも、絵が上手な子だった。
 彼は、よく空の絵を描いた。抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。
 担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
 冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。私はN先生が大嫌いだった。
 クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することに
なったので、全校集会で先生のお別れ会をやることになった。生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。お別れ会で一人立たされて、どもる姿を
期待したのだ。
 私は、A君の言葉を忘れない。
「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。水彩絵の具の色の使い方を教えて
くれたこと。放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
 その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。N先生がぶるぶる震えながら、
嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。
 昨日、デパートのポストカードなどに美しい水彩画と、A君のサインを発見いたしました。
N先生は今、僻地で小学校で校長先生をしております。
蛇足かもしれませんが補足。
 先生は教員が少なく、子供達が家から2時間ほどかけて登校しなければならないような過疎地へ自ら望んで赴任されました。
 N先生のお家には、毎年夏にA君から絵が届くそうです。A君はその後公立中高を経て、美大に進学しました。お別れ会でのN先生の挨拶が思い浮かびます。
「A君の絵は、ユトリロの絵に似ているんですよ。みんなはもしかしたら、見たこと無いかもしれない。ユトリロっていう、フランスの人でね、街や風景をたくさん描いた人なんだけど。空が、綺麗なんだよ。
 A君は、その才能の代わりに、他の持ち物がみんなと比べて少ない。
 だけど、決して取り戻せない物ではないのです。そして、A君はそれを一生懸命自分のものにしようしています。これは、簡単なことじゃありません!」
 A君は、空を描いた絵を送るそうです。その空はN先生が作り方を教えた、美しいエメラルドグリーンだそうです。
posted at 2012/05/08 0:02:33
lastupdate at 2012/05/08 0:02:33
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これはオレの上司の係長の話。

 オレは今の職場(の今の係)に採用されて3年目の若造。
 採用一年目の時は、オレの話など聞く耳もたず、何をそんな次元の低い話をするんだ、みたいな態度だった。
 この係は3人いて、係長、オレと、もうひとり先輩がいて、ほとんどその先輩でもっているような係だった。
 2年目になってその先輩が異動になってしまい、その先輩がやっていた仕事をすべてオレがやることになった。もちろんオレは1年ですべてを吸収できるはずもなく、あれこれ試行錯誤しながらとにかくがんばった。
 そんな状況でも係長はとくになにかアドバイスるわけでもなく、オレのやる仕事についてはミスがない限りはあれこれいう人ではなかった。
 だが、そんな係長も3年目になると異動が近いということもあるのだろうか、オレにいろいろアドバイスをしてくれるようになった。
 組織の中で仕事するときの考え方、今自分がやろうとしていることの他係への影響、将来への影響など、その仕事の持つ意味や、広い視野で仕事に望むことの重要性について
などである。
 このときは、係長として当然のアドバイスなのだと思って聞いていた。と同時にその指導が、係長への尊敬の念を産むことになっていった。
 そうしているうちに係長の異動が正式に決まった。
オレが所属している課でその他の異動者も含め、送別会を行ったときのことである。
異動者からそれぞれ挨拶してもらうことになり、おれの係長の順番になった。
 係長は「今の係での仕事は『産む時代』だったと思う。新しいシステムを導入し、運用した。
さらにバージョンアップを2度も行った。この任期の中で常にあたらしいことをし続けた。」
と発言した。
 確かにそのとおりであった。そして次の一言が私の胸に突き刺さった。
『そして、皆さんもご存知のとおり、一人の若者を育てた。』もちろん一人の若者とはオレのことである。
そして、「育てた」という言葉は『成長した』という意味である。
 オレはうれしかった。いままで仕事でそんなほめ言葉をもらったことはない。
 しかも、「産む時代」と発言した中のひとつとして、オレのことを全員の前で話してくれたのだ。そして、そんなことをめったに話すような人ではないということはこの3年でわかっていた。
 さらに、係長の最後の3年目の指導がオレの今の仕事に対する姿勢や考え方のベースになっており、感謝し、尊敬している。だからこそ、このときの発言
がとても心にしみるものになった。
 こんなこと、普通の人にとってみればたいしたことではないかもしれない。
しかし、オレがひそかに尊敬していた上司からこのようなことをいってもらえた
のは本人にしかわからないうれしさがある。
係長、いままでありがとうございました。
posted at 2012/05/08 0:02:33
lastupdate at 2012/05/08 0:02:33
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2012/05/09
部活の大会で、みんなから応援メッセージが書かれたボードをもらったことが
あります。
その中に「ナンバーワンを目指すこと自体が、オンリーワン」と書かれていました。
書いた人に、スマップですか?と聞きましたら、違うと言われました。

ナンバーワンにならなくてもいい♪っていうのは駄目ではないかと思う
ナンバーワンを目指す気持ちがなきゃ、オンリーワンじゃないんじゃない
ナンバーワンになろうと努力する君は、もうすでに、一位をとることより
素晴らしいものを得ていたんだよ
たとえ一位になれなくても、君の努力は人生のすべてで必ず生かされる
だから安心してナンバーワンを目指してください!

卒業してからそんな手紙が届いたとき、私が学校の先生になれたら、必ず必ず生徒に言ってやろうと思った。
posted at 2012/05/09 0:05:57
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