クニフロの泣ける話、感動する話まとめ
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インターネットで公開している、泣ける話、感動する話をまとめています。号泣できる話から、ほっこりと心温まる話をいろいろ集めてますので、楽しんでください。

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2012/05/10
TDLにある食堂で本当にあった話。

ある若い夫婦がお子様ランチを2つ注文しました。
食堂の主任さんが、
子供もいないのになぜだろうと不思議に思い訳を尋ねました。
その夫婦の娘さんは、TDLに来てお子様ランチを食べるのを
とても楽しみにしていたのに、その夢もかなわず亡くなってしまいました。

その思いを大事にしたくてお子様ランチを頼んだそうです。
そこで主任さんはお子様ランチを3人分と子供用の補助椅子を持ってきて、
「これは当店の気持ちです。どうぞ娘さんとご一緒に・・・。」
と言ったそうです。
夫婦は大いに感激し、娘さんとの食事を楽しんだそうです。
posted at 2012/05/10 0:16:20
lastupdate at 2012/05/10 0:16:20
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2012/05/11
初めてのあかちゃんに無我夢中だった。
ろくに眠らず、夜鳴きもひどかった娘。
へとへとに疲れはてて、抱っこでゆすりながら
「あんたはママを苦しめたいの?ほんとにひどい子だ」と
悪態をついた日々。
赤ん坊の気持ちなんて、全然わからない。
母親の自信なんて、みじんもない。ただ、もがくだけの日々。

あれから数年たって、娘は五歳になった。
「あのね、ママ」(もじもじ)
「なぁに」

「あたしね、ママのこと、生まれたときからすきだったの」

あの頃の私が一番聞きたかった言葉。
やっと聞けた。こっそり台所で泣いた。
posted at 2012/05/11 0:07:49
lastupdate at 2012/05/11 0:07:49
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2012/05/12
不妊に悩む女性がいて、やっと子宝に恵まれた。
 子どもが二歳になり、いろんな言葉も覚えた頃に「お母さんのお腹の中のこと、覚えてる?」と聞いてみた。
「おかあさんのとこだけだれもならんでなかったから、ぼくがならんであげたんだよ。」
posted at 2012/05/12 0:01:15
lastupdate at 2012/05/12 0:01:15
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2012/05/13
20代半ばをすぎて、母親に結婚しろ〜孫見せろ〜と言われ続ける日々。
そりゃ結婚に憧れはあるけども、
やりたい事もまだまだあるし、何より相手いないしねorz

そんなやりとりの中で、私は母にひどい事を言ってしまいました。
心のどこかで、ずっと封印してきた漠然とした不安。

「もしこの先、生まれてくる子どもが障害をもってたらどうしよう…」

私には知的障害者の妹がいます。
母方のいとこにも知的障害者がいます。
「遺伝」ということはないのだろうか。
差別するとかそんなんじゃなくて、私に育てられるんだろうかと。

この考えは、今を一生懸命生きてる妹やいとこはもちろん
親戚や母自体をも否定してしまうことになります。
だから今まで誰にも言えなかった。
言った瞬間の母の顔・・・。

「そんなんお母さんが育ててあげるやん!」

母はすぐにニヤっと笑って言い放ちました。
障害もった子は、この人なら育てられると神様が親を選んで授ける、と
聞いた事がありますが、本当かもしれません。
たったひとことでいろんな不安が小さくなって、涙がでました。

この母に、育ててもらった私ならきっと大丈夫です。
本当にひどいこと言ってごめんね。
早くいい人みつけるからね。お母さん。
posted at 2012/05/13 0:11:07
lastupdate at 2012/05/13 0:11:07
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そいつは生まれつき腎臓が弱く人工透析なしではいきられない体だった。
知り合った時は年の割には老けてるがなぜか悟りを開いたような
高僧の雰囲気を持った奴だなと思っていた。
頼まれた仕事はイヤな顔ひとつせず、いつもニッコリ笑って
引き受けてくれた。
少しはのんびりしろよ、と言ってもいつも頑張ってた。
そいつが昨日死んだ。幼い子供2人残して・・・
安らかな死に顔だった。
もう透析しなくていい。もう重い体で働かなくてもいい。
死の恐怖に怯えて生きなくていい。
子供の事は心残りだろうが、ゆっくり休んでくれ。
自分より若い奴の死はつらい・・・・
posted at 2012/05/13 0:11:07
lastupdate at 2012/05/13 0:11:07
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2012/05/15
障害者のお母さんの話しにグッときた、俺たち夫婦は神様が選んでくれんかったんかな〜、
結婚して3年目で奥さん御懐妊嬉しかったナー何事もなく3ヶ月たち、出張先のホテルから
ウチに電話、俺「体大丈夫か〜」奥さん「う〜ん」俺「どした?」
俺「なんかあった?」奥さん「お腹ちょっと痛い・・」俺「スグ病院に行って!」奥さん
「うん」とりあえず仕事はキャンセル、家に帰ったら留守電ランプが点滅中、再生したら
「もしもし、私今病院に着いたから」と奥さんの声、俺も即病院へ直行、
「すいません!○○の病室はどこですか?」「○号室ですよ、慰めてあげてね」「?」何
だよ〜どういう意味だよ!病室に入ると奥さんは点滴中、俺に向かって一言「ダメだった
よ」側にいた医者から流産の説明を聞き、点滴が終わったら奥さんも帰ってイイとの事、
「何かねぇ私が足の不自由な男の子と遊んでるのよ、楽しくてさぁ、その子可愛いのよ」
「ナニ?」「病院で見た夢」「それで?」「多分私達の子供だと想う・・ゴメンねバイバ
イって消えちゃった」「・・・」前がみえないだけ泣いたさ。
posted at 2012/05/15 0:02:01
lastupdate at 2012/05/15 0:02:01
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2012/05/16
随分前になくなったおばあちゃんが作ってくれた「ずんだもち」。
緑色のお餅だったんだけど、なぜかわたしは食べる気がしなくて、せっかく「食べてね」って勧めてくれたのに、結局食べなかった。
そのあとおばあちゃんは亡くなり、、、。
せっかくせっかく食べさせようって思って一生懸命作ってくれたものなのに、なんでわたしはひとくちでも食べて「おいしいよ」って言ってあげられなかったんだろうってずっと後悔している。

17さん、いいお話聞かせてくれてありがとう。
わたしも人の心づくしを無にしない人間になりたいです
posted at 2012/05/16 0:40:24
lastupdate at 2012/05/16 0:40:24
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2012/05/17
震災

小4の時の1月15日連休最初の日だっけかな?
いつものメンバー5人で俺の住んでたマンションで遊んでいた。
あん時はミニ四駆を廊下で走らせてて騒いでは管理人さんによく怒られたもんだ。
俺は改造が下手でいつも遅かった。そん中の香具師が肉抜きしてやるから貸してや
といわれて俺はどうしても1番になりたかったから貸して改造をお願いした。
休み終わったら学校に持っていくわと言われてかなり楽しみにしてた。
その休み明けそれが1月17日震災の日だった。
俺は電球の傘にぶつかって額を切ったがなんとか無事だった。
避難した公園にいつもの奴らが集まってくる4人揃ったが後1人こない。
心配になって4人とうちの親父とでそいつの家の前に行ってみた。
光景は悲惨なものだった。1階部分が見る影もなく2階しかなかった。
そいつの姉貴が2階で寝てたらしくて無事に出てきたがワンワン泣いていた。
「お母さん、お父さん、〇〇、何してんのよ早くねてらんと早く出てきてや。」
俺たちもその前で立ち尽くすばかりで何もできずそれぞれ親戚の家や知り合いの
家に避難することになってしまった。
そして2月に入っての新聞。死亡者名の欄にあいつと、あいつの両親の名前が載っていた。
俺はそれを聞いて地元にいったん戻った。2月20日の合同慰霊祭。あいつと対面したのはその日だった。
スプレー塗装が剥げてるボロボロのミニ四とメモをやつ姉貴が渡してくれた。
メモには「ちょっとオマケでスプレーもしといたで。これでお前もいっちょまえになれるな
次走るとき楽しみにしてるで」

「いつ走るねんや。アホが」涙で言葉はそれしかでなかった。

あれから9年、色あせてもう動くことはないだろうミニ四
今も部屋の机の上に置いている。
posted at 2012/05/17 0:33:20
lastupdate at 2012/05/17 0:33:20
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2012/05/18
大学のサークルで吹奏楽をやっていた頃の話です。
ある日楽器を持ってバス停に立ってました。
するとそこに居合わせたおばあさんが、「楽器弾くのかい?」と声を掛けてきたので、「ええ、近々演奏会があるので良かったら聞きに来て下さい」と答え、軽い会話程度でバスが来たら別れました。
そういえば正確な日付や時間も教えなかったな‥などとバスの中で思い返しましたが、次第にその出来事は雑踏の中に消えて行きました。

演奏会当日‥最後の曲の後の拍手の中、ステージ前に立つ小さな人影を見ました。
あの日のおばあさんでした。
自分はステージ前に出て、おばあさんの差し出す紙袋を受け取りました。拍手が大きくなりました。
紙袋の中には一生懸命選んでくれたであろうお菓子が沢山入っていました。
自分で演奏会のスケジュールを調べて来てくれたのだろうか‥感動が止まりませんでした。
その時の流れでステージで会った以降会うことはありませんでしたが、もう一度ありがとうと言いたかった。
posted at 2012/05/18 0:24:19
lastupdate at 2012/05/18 0:24:19
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2012/05/20
わたしの両親は6才の時に別居し、10才の時に離婚しました。
でもわたしが幼稚園の年少組の時はまだ両親が仲がよくて
日曜日の夜には、いつも2人で晩酌をしていました。
わたしは9時には布団に入れられるんだけど、晩酌の仲間に入りたくて
のどが渇いた、とか、トイレ、とか理由をつけては起き出し
おつまみを食べさせてもらっていました。
ちくわチーズとかサラミとか、たいしたことないものなんだけど
仲間に入れてもらったのがうれしくて
次の日いつも妹に自慢してました。
いまでもおつまみを食べると思い出してしまいます。

小学校に入った頃から両親の仲が悪くなり、父がほとんど帰って来なくなりました。
ある日、久しぶりに帰ってきた父と母が大喧嘩をし
母が夜中に出ていってしまいました。

不安でわたしも起き出したのですが、なんとなく
ケンカのことは触れてはいけないように思い
「おなかすいたんやけど・・・」と父に話しかけました。
しかし「こんな夜中になにゆうてんねん。さっさと寝ろ」と怒られ、
「なんでママが出ていったん?パパなんかキライや、パパが出ていけばよかってん。」
と言い捨て、布団に潜り込んで泣いていました。

しばらくすると、なにごともなかったように父が部屋にやってきて
「ラーメンと焼きそば、どっちがいいんや?」
と聞きました。
泣きながら「焼きそば」と答え、父と2人で夜中に台所で
鼻をすすりながらUFOを食べた思い出があります。
posted at 2012/05/20 0:10:52
lastupdate at 2012/05/20 0:10:52
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