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インターネットで公開している、泣ける話、感動する話をまとめています。号泣できる話から、ほっこりと心温まる話をいろいろ集めてますので、楽しんでください。
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2012/07/22
[泣ける話]
かぁさん…ごめん。俺はかぁさんに迷惑ばかりかけてきた。ある日警察が家に来て警察所
で強盗致傷容疑で逮捕された。地元のニュースや新聞にもでた。捕まって面会にきてくれ
た…泣きながらちゃんと食べてる…?寝れてる…?洋服後でかっとくね…?泣きながらゆ
うかぁさんをみて思わず涙がでてきた。生活がきついのに仕事をやすんでまできてくれ
て、被害者には何回も頭下げて謝るかぁさんを思うと涙がとまらなかった…面会にきてく
れた時今までしてきた事、迷惑かけてきた事。頭下げて謝った。今毎朝弁当作ってくれる
かぁさんありがとう…
で強盗致傷容疑で逮捕された。地元のニュースや新聞にもでた。捕まって面会にきてくれ
た…泣きながらちゃんと食べてる…?寝れてる…?洋服後でかっとくね…?泣きながらゆ
うかぁさんをみて思わず涙がでてきた。生活がきついのに仕事をやすんでまできてくれ
て、被害者には何回も頭下げて謝るかぁさんを思うと涙がとまらなかった…面会にきてく
れた時今までしてきた事、迷惑かけてきた事。頭下げて謝った。今毎朝弁当作ってくれる
かぁさんありがとう…
posted at 2012/07/22 0:08:29
lastupdate at 2012/07/30 20:12:17
【修正】
2012/07/24
[泣ける話]
感動とか言うよりも、未だに思い出す度に
後悔の気持ちでいっぱいになって自分自身が泣けてくる話を一つ…。
多分と〜っても長いです。
長文苦手な方は読み飛ばしてくださいね。
私がまだ小学2年の頃、継母が父の後妻として一緒に住むことになった。
特に苛められたとかそういうことはなかったんだけど、
なんだか馴染めなくて、いつまで経っても「お母さん」と呼べないでいた。
そんなぎくしゃくした関係だったけど、
継母が私のために一生懸命だったことはよくわかってた。
小学校4年になった夏休み、
私は継母の提案で二人で川に遊びに行くことになった。
あんまり気が進まなかったけど、
断る理由もなく言われるままにしぶしぶついていった。
現地に着くやいなや、私は継母のことを放ったらかしで川に浸かって遊んだ。
しばらく水と戯れてた時、急に深みにはまって溺れて息が出来なくなった。
すごく苦しかった。
でもそのうち喉の奥が「クッ、クッ」と鳴ってだんだん苦しくなくなってきて、意識が飛んだ。
--------------------------------------------------------------------------
やばい、また涙が出てきた。
でも、今の自分を客観的に見るためにも頑張って続きを書きます。気が付くと、私は病院のベッドで寝ていた。
一時心臓が止まって危なかったんだよと涙ぐんだ父が言ってた。
ベッドの傍に、継母はいなかった。私は父に「あの人は?」と訊いた。
父は一呼吸置いてゆっくりとした口調で教えてくれた。
私が溺れた時に継母が服のまま飛び込んで私を助けてくれ、
そのまま力尽きて下流まで流された。
その後救助されたものの、今も意識が戻らないのだ、と。
私は次の日に継母のいる病室に行った。
継母は機械に囲まれて、いっぱい管をつけられていた。
彼女は、そのまま我が家に戻ってくることなく…。
葬儀が終わって母の遺品を整理してたら、鍵のついた日記が出てきた。
私は父と一緒になんとか鍵を探し当てて、日記を読んだ。
そこには私との関係に悩む継母の苦悩など、私のことばかり書いてあった。
ずっと読み進めていくと最後のほうの日記に
「ちょっとはにかみ屋さんだけどとてもいい子。
あの子なら、命かけてでも守れる自身がある。
○○ちゃんを私に託してくれた△△(実母の名前)さん、本当にありがとうございます。」 継母は、あの日記を書いた数日後に命と引き換えに私を守ってくれた。
いつだってとても優しい目で私を見てくれていた。
いつも私の目線と同じ高さになるように中腰になって話し掛けてくれた。
そんな気持ちはちゃんと伝わってきてたのに私はあの人に何一つしなかった。
愛情をもらいっぱなしでそれに答えなかった。
私は愛情どころかあの人の命まで奪ってしまった。
日記を読んではじめて、私は「お母さん!」と大声で叫びながら錯乱状態になり、
声が出なくなるまでごめんね、ごめんね、と言って泣いた。
ぐしゃぐしゃになって泣いても、後悔ばかりで気持ちは晴れなかった。
年月が過ぎても、私は未だに「母」に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
数十年経った今でも夏になるたびに思い出す。
後悔の気持ちでいっぱいになって自分自身が泣けてくる話を一つ…。
多分と〜っても長いです。
長文苦手な方は読み飛ばしてくださいね。
私がまだ小学2年の頃、継母が父の後妻として一緒に住むことになった。
特に苛められたとかそういうことはなかったんだけど、
なんだか馴染めなくて、いつまで経っても「お母さん」と呼べないでいた。
そんなぎくしゃくした関係だったけど、
継母が私のために一生懸命だったことはよくわかってた。
小学校4年になった夏休み、
私は継母の提案で二人で川に遊びに行くことになった。
あんまり気が進まなかったけど、
断る理由もなく言われるままにしぶしぶついていった。
現地に着くやいなや、私は継母のことを放ったらかしで川に浸かって遊んだ。
しばらく水と戯れてた時、急に深みにはまって溺れて息が出来なくなった。
すごく苦しかった。
でもそのうち喉の奥が「クッ、クッ」と鳴ってだんだん苦しくなくなってきて、意識が飛んだ。
--------------------------------------------------------------------------
やばい、また涙が出てきた。
でも、今の自分を客観的に見るためにも頑張って続きを書きます。気が付くと、私は病院のベッドで寝ていた。
一時心臓が止まって危なかったんだよと涙ぐんだ父が言ってた。
ベッドの傍に、継母はいなかった。私は父に「あの人は?」と訊いた。
父は一呼吸置いてゆっくりとした口調で教えてくれた。
私が溺れた時に継母が服のまま飛び込んで私を助けてくれ、
そのまま力尽きて下流まで流された。
その後救助されたものの、今も意識が戻らないのだ、と。
私は次の日に継母のいる病室に行った。
継母は機械に囲まれて、いっぱい管をつけられていた。
彼女は、そのまま我が家に戻ってくることなく…。
葬儀が終わって母の遺品を整理してたら、鍵のついた日記が出てきた。
私は父と一緒になんとか鍵を探し当てて、日記を読んだ。
そこには私との関係に悩む継母の苦悩など、私のことばかり書いてあった。
ずっと読み進めていくと最後のほうの日記に
「ちょっとはにかみ屋さんだけどとてもいい子。
あの子なら、命かけてでも守れる自身がある。
○○ちゃんを私に託してくれた△△(実母の名前)さん、本当にありがとうございます。」 継母は、あの日記を書いた数日後に命と引き換えに私を守ってくれた。
いつだってとても優しい目で私を見てくれていた。
いつも私の目線と同じ高さになるように中腰になって話し掛けてくれた。
そんな気持ちはちゃんと伝わってきてたのに私はあの人に何一つしなかった。
愛情をもらいっぱなしでそれに答えなかった。
私は愛情どころかあの人の命まで奪ってしまった。
日記を読んではじめて、私は「お母さん!」と大声で叫びながら錯乱状態になり、
声が出なくなるまでごめんね、ごめんね、と言って泣いた。
ぐしゃぐしゃになって泣いても、後悔ばかりで気持ちは晴れなかった。
年月が過ぎても、私は未だに「母」に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
数十年経った今でも夏になるたびに思い出す。
posted at 2012/07/24 0:01:51
lastupdate at 2012/07/24 0:01:51
【修正】
2012/07/26
[泣ける話]
貴方と私はなんでであったのでしょう・・・初めは、適当な気持ちで付き合ってたのにいつの間にか本当に貴方を愛してた。初めて人を愛するって事をまなんだ。でも、あなたと私の恋はとても皮肉な結果に終わった。身分違いの恋とはこのようなことなのでしょうか。貴方はお金持ちのお坊ちゃん。あたしは普通の家の娘。そんな2人を貴方の両親は許してはくれませんでしたね。お金ってそんなに大切なものなの!?家柄だとか、身分とか学歴とか・・・確かに回りは貴方がお医者様だってことにうらやましさを感じていたみたいですが・・・。あたしは貴方の仕事にひかれたんじゃない、貴方がなんであろうがよかった。お金がないなら2人で稼げばいい話だし。貴方は誰よりもやさしくてあたしを理解してくれた。どんなわがままもやさしく包んでくれた・・・。でも、もう貴方と私は違う道を歩き出してしまったのですね。お願いです、神様来世があるならばまたあの人に合わせて下さい。遠くから見れるだけでもいいから。今となっては貴方をみることすら許されませんから。毎日会いたくて会いたくて、でも、会えない・・・神様は私に何を求めたのでしょうか・・・。
posted at 2012/07/26 0:22:28
lastupdate at 2012/07/26 0:22:28
【修正】
2012/07/29
[泣ける話]
俺が小学生の時の話。
当時俺はクラスで一番背が低かったけど体はめちゃめちゃ丈夫だった。
病気やケガもろくにしたことなかったし当然学校を休んだこともなかった。
そんな俺が小4になったころインフルエンザにかかって初めて学校を休んだ。
今までろくに病気になったことのなかった俺は病気への免疫が出来てなかったので相当きつかった。
熱は40度を越え子供ながらに俺はもう駄目なんじゃないかと思っていた。
俺が熱にうなされながらふとんに横になっていると母親が「外に誰かが来てる」と言った。
その日はものすごい大雨だった。
誰かが見舞いに来てくれたのか?でもこんな大雨の日にまさかなと思いながらも俺はよろよろと起き上がって外に出てみた。
俺が外に出ると大雨の中傘もささずに走り去る人影が見えた。
その後ろ姿はクラスメイトのYのようだった。
当時俺とYは犬猿の仲でささいなことでいつも殴り合いの喧嘩をしていた。
Yは昔で言う所の番長的な存在の奴でクラスの嫌われ者だった。
先生を殴ったり教室から先生を締め出したりするかなりの悪ガキだ。
Yと俺の家は近所で集団登校でも同じ班だった。
俺は心からYを嫌っていたわけじゃなかった。
みんなから嫌われているのを知っていながらワガママな所を直そうとしないYのわからず屋な所やひねくれた根性が嫌いでよく喧嘩をしていた。
あいつが俺の見舞いに?それとも病気の俺にとどめを刺しにきたのか?上等だやってやると思いYを追いかけようとしたが体が重くて動かない。
バカらしくなって家に戻ろうとした俺は門のブロックの間に挟まっている手紙をみつけた。
そこには汚い文字で『おい、S。風邪ぐらいで学校休むな!早く治して学校に来い。決着をつけてやる。』と書かれていた。
Yなりの見舞いの言葉だったのだろう。
俺はその手紙の内容とあまりの字の汚さに思わず笑ってしまった。
翌日、熱が下がった俺は学校へ行ってYに昨日のことを問いただしたがYは自分じゃないととぼけた。
それから二年後。
俺が小6になった時に事件は起こった。
なんとYの親父が警察に逮捕されたのだ。
Yの親父は当たり屋だったのだ。
親父の逮捕後Yの一家は大阪に引っ越した。
クラスメイトは問題児Yの転校に大喜びだった。
でも俺は正直寂しいような気持ちになった。
別に喧嘩相手がいなくなってどうこうではなくて毎日のように学校で喧嘩をしなくてすむのならそれにこしたことはない。
理屈抜きに本気でぶつかり合える相手がいなくなったことが寂しかったのかも知れない。
大騒ぎするクラスメイトを横目に見ながら俺は学校の帰りいつも下を向き一人で寂しそうに下校していたYを思い出した。
そのあまりのYの様子に何度か一緒に下校したこともあった。
Yが転校してしばらくの間は俺の家にYが電話をかけてきていたがすぐにそれもなくなった。
俺は小学校を卒業しても中学になってもときどきあの時の寂しそうなYの姿を思い出してはYのことを心配していた。
あのワガママな性格は直ったんだろうか。
向こうの学校でいじめにあってないだろうかと。
さらにそれから数年後。
俺が二十歳になり友達と成人式に行った時のこと。
懐かしい旧友と再会し昔話をしていると一緒に来た友人が慌てて俺の所に走ってきた。
そんなに慌ててどうしたんだ?と訪ねると友人は「Yが来てる。お前を探してる」と言う。
俺はその友人の言葉に驚いた。と同時に俺は駆け出していた。Yが来てる。
子供のころは顔を合わせば喧嘩ばかりしていたYを今俺は必死になって探していた。
が、会場はかなりの人ゴミでなかなかYを見つけられない。
と、後ろから俺を呼ぶ声が聞こえた。友人の声ではない。
後ろを振り返るとそこにはすっかり大人になったYがいた。
8年ぶりの再会だったがすぐにYだとわかった。
俺は開口一番Yに言った。
「友達もいないくせによく来たな」
我ながらバカなセリフだと思った。
Yは昔と変わらない不敵な顔で笑うと答えた。
「お前がいるだろ」
俺達は友達だった。
8年経った今初めてそのことがわかった。
それから俺とYは時間が経つのも忘れ二人で色んな話をした。
Yは大阪でヤクザになっていた。
今では子分もいるらしい。
でも俺はそんなことは気にならなかった。
あれから俺には想像も出来ない苦労があったらしい。
今こうして元気なYの姿が見れただけでうれしかった。
それからさらに4年が経った今もYは大阪にいる。
結婚を期にヤクザからは足を洗った。
今は子供と奥さんと三人で仲良く暮らしている。
今でもYとの交流は続いている。
当時俺はクラスで一番背が低かったけど体はめちゃめちゃ丈夫だった。
病気やケガもろくにしたことなかったし当然学校を休んだこともなかった。
そんな俺が小4になったころインフルエンザにかかって初めて学校を休んだ。
今までろくに病気になったことのなかった俺は病気への免疫が出来てなかったので相当きつかった。
熱は40度を越え子供ながらに俺はもう駄目なんじゃないかと思っていた。
俺が熱にうなされながらふとんに横になっていると母親が「外に誰かが来てる」と言った。
その日はものすごい大雨だった。
誰かが見舞いに来てくれたのか?でもこんな大雨の日にまさかなと思いながらも俺はよろよろと起き上がって外に出てみた。
俺が外に出ると大雨の中傘もささずに走り去る人影が見えた。
その後ろ姿はクラスメイトのYのようだった。
当時俺とYは犬猿の仲でささいなことでいつも殴り合いの喧嘩をしていた。
Yは昔で言う所の番長的な存在の奴でクラスの嫌われ者だった。
先生を殴ったり教室から先生を締め出したりするかなりの悪ガキだ。
Yと俺の家は近所で集団登校でも同じ班だった。
俺は心からYを嫌っていたわけじゃなかった。
みんなから嫌われているのを知っていながらワガママな所を直そうとしないYのわからず屋な所やひねくれた根性が嫌いでよく喧嘩をしていた。
あいつが俺の見舞いに?それとも病気の俺にとどめを刺しにきたのか?上等だやってやると思いYを追いかけようとしたが体が重くて動かない。
バカらしくなって家に戻ろうとした俺は門のブロックの間に挟まっている手紙をみつけた。
そこには汚い文字で『おい、S。風邪ぐらいで学校休むな!早く治して学校に来い。決着をつけてやる。』と書かれていた。
Yなりの見舞いの言葉だったのだろう。
俺はその手紙の内容とあまりの字の汚さに思わず笑ってしまった。
翌日、熱が下がった俺は学校へ行ってYに昨日のことを問いただしたがYは自分じゃないととぼけた。
それから二年後。
俺が小6になった時に事件は起こった。
なんとYの親父が警察に逮捕されたのだ。
Yの親父は当たり屋だったのだ。
親父の逮捕後Yの一家は大阪に引っ越した。
クラスメイトは問題児Yの転校に大喜びだった。
でも俺は正直寂しいような気持ちになった。
別に喧嘩相手がいなくなってどうこうではなくて毎日のように学校で喧嘩をしなくてすむのならそれにこしたことはない。
理屈抜きに本気でぶつかり合える相手がいなくなったことが寂しかったのかも知れない。
大騒ぎするクラスメイトを横目に見ながら俺は学校の帰りいつも下を向き一人で寂しそうに下校していたYを思い出した。
そのあまりのYの様子に何度か一緒に下校したこともあった。
Yが転校してしばらくの間は俺の家にYが電話をかけてきていたがすぐにそれもなくなった。
俺は小学校を卒業しても中学になってもときどきあの時の寂しそうなYの姿を思い出してはYのことを心配していた。
あのワガママな性格は直ったんだろうか。
向こうの学校でいじめにあってないだろうかと。
さらにそれから数年後。
俺が二十歳になり友達と成人式に行った時のこと。
懐かしい旧友と再会し昔話をしていると一緒に来た友人が慌てて俺の所に走ってきた。
そんなに慌ててどうしたんだ?と訪ねると友人は「Yが来てる。お前を探してる」と言う。
俺はその友人の言葉に驚いた。と同時に俺は駆け出していた。Yが来てる。
子供のころは顔を合わせば喧嘩ばかりしていたYを今俺は必死になって探していた。
が、会場はかなりの人ゴミでなかなかYを見つけられない。
と、後ろから俺を呼ぶ声が聞こえた。友人の声ではない。
後ろを振り返るとそこにはすっかり大人になったYがいた。
8年ぶりの再会だったがすぐにYだとわかった。
俺は開口一番Yに言った。
「友達もいないくせによく来たな」
我ながらバカなセリフだと思った。
Yは昔と変わらない不敵な顔で笑うと答えた。
「お前がいるだろ」
俺達は友達だった。
8年経った今初めてそのことがわかった。
それから俺とYは時間が経つのも忘れ二人で色んな話をした。
Yは大阪でヤクザになっていた。
今では子分もいるらしい。
でも俺はそんなことは気にならなかった。
あれから俺には想像も出来ない苦労があったらしい。
今こうして元気なYの姿が見れただけでうれしかった。
それからさらに4年が経った今もYは大阪にいる。
結婚を期にヤクザからは足を洗った。
今は子供と奥さんと三人で仲良く暮らしている。
今でもYとの交流は続いている。
posted at 2012/07/29 0:03:12
lastupdate at 2012/07/29 0:03:12
【修正】
2012/07/30
[泣ける話]
もうすぐ私は23歳になります。
本当なら、今ごろは社会人一年目を終えようとしている頃なのに、今の私は、仕事を辞め
て、またお父さんとお母さんに助けてもらっています。
心配をかけています。
こんなことになっちゃってごめんね。
はやく自立できなくてごめんね。
二人とももういい年なのに、私の為にやりくりさせてしまって、本当にごめんね。
私は今、就職活動中です。
私はお母さんとお父さんの愛情を今ものすごく感じています。
今まで、そして今この瞬間もどれだけの愛情を受けているのでしょう。
こころから感謝しています。
私が仕事で悩んでいたら、電話で話を聞いてくれた。
私が仕事で交通通事故を起こした時は、怒らずに力になってくれた。
私が泣いて電話しても泣き止むまで話を聞いてくれた。
私が会社をやめたいと言ったときも私のことを一番に考えてくれた。
どんなに大変でも、いつだって二人は私に笑顔で接してくれた。
どんなわがままを言っても、融通を利かしてくれた。
どんな夢を語っても、いつだって応援してくれた。
私がどんなに気弱になっても、あなたならできると信じてくれた。
どんなに頼っても、嫌な顔一つせずに受け入れてくれた。
どんなに離れていても、いつだって気にかけてくれた。
時には厳しい事を言ってくれた。
けど、一度だって手を挙げて怒るような事はなかった。
力任せに感情をぶつけることなく、いつも向き合ってくれた。
どんな言葉の裏にも、二人の大きな愛情を感じられた。
お父さんのようになりたい。
お母さんのようになりたい。
いつだって立派に働いている二人。
いつだって尊敬できる二人。
昔、お母さんが自分の誕生日に言ったよね。
誕生日っていうのは自分が生まれた日であると同時に、生んでくれたお母さんに感謝する
日なんだよ。お母さんが一番頑張った日なんだよって。
当時小さかった私は、あまりぴんと来なかったけれど、
あの時、おばあちゃんに感謝していたお母さんの事が、今は強くこころに浮かんできま
す。
今度の誕生日には、お母さんとお父さんにありがとうと伝えよう。
生んでくれてありがとう。
育ててくれてありがとう。
そして春までにはなんとか就職して、いつも忙しく働いている二人に、なにかプレゼント
をしてあげたいんだ。
待っててください、お父さん、お母さん。
本当なら、今ごろは社会人一年目を終えようとしている頃なのに、今の私は、仕事を辞め
て、またお父さんとお母さんに助けてもらっています。
心配をかけています。
こんなことになっちゃってごめんね。
はやく自立できなくてごめんね。
二人とももういい年なのに、私の為にやりくりさせてしまって、本当にごめんね。
私は今、就職活動中です。
私はお母さんとお父さんの愛情を今ものすごく感じています。
今まで、そして今この瞬間もどれだけの愛情を受けているのでしょう。
こころから感謝しています。
私が仕事で悩んでいたら、電話で話を聞いてくれた。
私が仕事で交通通事故を起こした時は、怒らずに力になってくれた。
私が泣いて電話しても泣き止むまで話を聞いてくれた。
私が会社をやめたいと言ったときも私のことを一番に考えてくれた。
どんなに大変でも、いつだって二人は私に笑顔で接してくれた。
どんなわがままを言っても、融通を利かしてくれた。
どんな夢を語っても、いつだって応援してくれた。
私がどんなに気弱になっても、あなたならできると信じてくれた。
どんなに頼っても、嫌な顔一つせずに受け入れてくれた。
どんなに離れていても、いつだって気にかけてくれた。
時には厳しい事を言ってくれた。
けど、一度だって手を挙げて怒るような事はなかった。
力任せに感情をぶつけることなく、いつも向き合ってくれた。
どんな言葉の裏にも、二人の大きな愛情を感じられた。
お父さんのようになりたい。
お母さんのようになりたい。
いつだって立派に働いている二人。
いつだって尊敬できる二人。
昔、お母さんが自分の誕生日に言ったよね。
誕生日っていうのは自分が生まれた日であると同時に、生んでくれたお母さんに感謝する
日なんだよ。お母さんが一番頑張った日なんだよって。
当時小さかった私は、あまりぴんと来なかったけれど、
あの時、おばあちゃんに感謝していたお母さんの事が、今は強くこころに浮かんできま
す。
今度の誕生日には、お母さんとお父さんにありがとうと伝えよう。
生んでくれてありがとう。
育ててくれてありがとう。
そして春までにはなんとか就職して、いつも忙しく働いている二人に、なにかプレゼント
をしてあげたいんだ。
待っててください、お父さん、お母さん。
posted at 2012/07/30 0:07:01
lastupdate at 2012/07/30 20:12:09
【修正】
2012/08/01
[泣ける話]
おねえちゃん
妹の友だちだった。
幼い頃から脳の病気を患っていて、手術の繰り返しで四肢もまともに
機能しなくなってしまって、それでもがんばって歩いて学校に登校
していた。
小学生の頃、一度帰宅時間にその子と一緒になったことがあって、
友だちの姉として面識の会った私はなんとなく一緒に帰ることに
なった。
片足が麻痺していて歩くのにとても時間がかかるその子。
私はその日遊ぶ約束をしていて、正直早く帰りたくて仕方がなかった。
会話もあまりはずまなくて、その子の家まで送るべきだったのに、
「いいよ。私ひとりで帰れるよ」
と言うものだからそれに甘えて途中で別れた。
数年後、あの子が長くないと母に教えられて妹と見舞いに言った。
個室で、脳の病気のせいでその子とわからないくらい頭が肥大していて、人工呼吸器も苦しそうで意識は殆どないようだった。
その子の母はもの凄く冷静で、淡々とあと一週間かなとつぶやいてた。
母は号泣していたけど、私と妹はなんと言ったらいいかわからなくて、
ただ突っ立ってその子を見守っていた。
まだ15歳だったのに、そのまま死んでしまった。
その子の家に行ったら、まだ部屋がそのままになっていて、机に
飾られた写真、元気そうに笑ってる写真を見ていたら一緒に帰った
あの日のことを思い出した。
「おねえちゃんおねえちゃんって、**はひとりっこだからすごく
嬉しそうだったのよ」
そんなこと言われて、おうちまで送ってあげればよかったなと思ったら
涙が止まらなかった。
ごめんね。
妹の友だちだった。
幼い頃から脳の病気を患っていて、手術の繰り返しで四肢もまともに
機能しなくなってしまって、それでもがんばって歩いて学校に登校
していた。
小学生の頃、一度帰宅時間にその子と一緒になったことがあって、
友だちの姉として面識の会った私はなんとなく一緒に帰ることに
なった。
片足が麻痺していて歩くのにとても時間がかかるその子。
私はその日遊ぶ約束をしていて、正直早く帰りたくて仕方がなかった。
会話もあまりはずまなくて、その子の家まで送るべきだったのに、
「いいよ。私ひとりで帰れるよ」
と言うものだからそれに甘えて途中で別れた。
数年後、あの子が長くないと母に教えられて妹と見舞いに言った。
個室で、脳の病気のせいでその子とわからないくらい頭が肥大していて、人工呼吸器も苦しそうで意識は殆どないようだった。
その子の母はもの凄く冷静で、淡々とあと一週間かなとつぶやいてた。
母は号泣していたけど、私と妹はなんと言ったらいいかわからなくて、
ただ突っ立ってその子を見守っていた。
まだ15歳だったのに、そのまま死んでしまった。
その子の家に行ったら、まだ部屋がそのままになっていて、机に
飾られた写真、元気そうに笑ってる写真を見ていたら一緒に帰った
あの日のことを思い出した。
「おねえちゃんおねえちゃんって、**はひとりっこだからすごく
嬉しそうだったのよ」
そんなこと言われて、おうちまで送ってあげればよかったなと思ったら
涙が止まらなかった。
ごめんね。
posted at 2012/08/01 0:10:38
lastupdate at 2012/08/01 0:10:38
【修正】
[泣ける話]
いつも面倒ばかりかけさせちゃって本当ゴメン。
俺がまだガキでそこらで暴れ回ってた頃よく顔を腫らして帰るたびに母は泣きながら俺の
事を叱ってた、でも俺は『うっせぇ!!』の一言で何も言う事を聞こうとしなかった。それ
でも母はいつも俺の事を気にしてくれて、俺もその事に気付いてたけどムリして突っ張って
た。でも最近素直に母の気持ちを受け入れられるよぉになってきた。まだ素直にありがと
うを言葉にできないけど俺なりに親孝行してるつもりだからもぉ少し見守ってて下さい。
絶対超幸せな老後にしてやるからな!!
俺がまだガキでそこらで暴れ回ってた頃よく顔を腫らして帰るたびに母は泣きながら俺の
事を叱ってた、でも俺は『うっせぇ!!』の一言で何も言う事を聞こうとしなかった。それ
でも母はいつも俺の事を気にしてくれて、俺もその事に気付いてたけどムリして突っ張って
た。でも最近素直に母の気持ちを受け入れられるよぉになってきた。まだ素直にありがと
うを言葉にできないけど俺なりに親孝行してるつもりだからもぉ少し見守ってて下さい。
絶対超幸せな老後にしてやるからな!!
posted at 2012/08/01 0:10:38
lastupdate at 2012/08/01 0:10:38
【修正】
2012/08/03
[泣ける話]
うちは母子家庭。
あたしが小1の頃に離婚した。でも幼稚園の頃から既に両親は別居していて、父親と一緒
に住んでいた記憶はほとんどない。
両親が離婚すると聞いた時、あたしとお兄は母親に引き取られる事に決まっていた。あた
しはまだ小さくてただ訳も分からずおかんに「なんでお母さんにはあたしもお兄ちゃんも
いんのに、お父さんは独りぼっちなの?」と聞いた。
昔の事なので母親の返答は覚えてないが、納得がいかずあたしは家出を計画した。
もちろん、そんな小さい頃に行く宛てなんてあるはずもなく、父方のおばぁちゃんちまで
まだ補助輪のついた自転車で行った。
ただおとんに会いたかった。寂しい思いをしていないか気掛かりだった。両親に考え直し
てほしかった。
偶然にもちょうど父親がおばぁちゃんちに来ていた。だがすぐにおかんに居場所がばれ、
間もなく迎えにきた。
帰りたくないと喚くあたしを後部座席に乗せ、車をだす母。後ろの窓から外をのぞくと、
おとんが切なそうな目で見送っていた。本当にすごく寂しそうで、胸がいたかった。あの
おとんの目は忘れない。しっかりと記憶に残ってる。今でも思い出すと泣けてくる。
離婚してからすぐに引っ越し、二年程たってからあたしとお兄とおかんの三人で暮らして
いた家に、一通の郵便物が届いた。
写真が入ってた。
おとんの結婚式の写真だった。
再婚者との。
以前まだおとんと四人で住んでいた家の住所変更をして、前の家宛ての郵便物は私達の家
に転送する様にしてあった。
たぶん誰かがその時には誰も住んで居なかった家に、まだおとんが住んでいると勘違いし
て間違えて送ったんだろう。
あたしはまだ小さかったし、その写真は見せてもらえなかった。
あれから十年くらいたった。あたしも恋愛する年になって、その時のおかんの気持ちを考
えると、切なくてたまらない。
ねぇおとん何で?何年もずっと一緒に居た人を、たった一年や二年で忘れてしまうもの?
偶然にも再婚者の結婚式の写真がうちに送られてくるなんて。
あたしとお兄の為に、昼も夜もなく必死で働いてたおかん。辛いところなんて見せた事な
かった。
だけど今は分かるよ。
一度愛して、結婚までした人をそんな簡単に忘れる訳ないよね。
だから今だに再婚しないの?
おかんは、母親である前に一人の女なんだよね。
あたしが小1の頃に離婚した。でも幼稚園の頃から既に両親は別居していて、父親と一緒
に住んでいた記憶はほとんどない。
両親が離婚すると聞いた時、あたしとお兄は母親に引き取られる事に決まっていた。あた
しはまだ小さくてただ訳も分からずおかんに「なんでお母さんにはあたしもお兄ちゃんも
いんのに、お父さんは独りぼっちなの?」と聞いた。
昔の事なので母親の返答は覚えてないが、納得がいかずあたしは家出を計画した。
もちろん、そんな小さい頃に行く宛てなんてあるはずもなく、父方のおばぁちゃんちまで
まだ補助輪のついた自転車で行った。
ただおとんに会いたかった。寂しい思いをしていないか気掛かりだった。両親に考え直し
てほしかった。
偶然にもちょうど父親がおばぁちゃんちに来ていた。だがすぐにおかんに居場所がばれ、
間もなく迎えにきた。
帰りたくないと喚くあたしを後部座席に乗せ、車をだす母。後ろの窓から外をのぞくと、
おとんが切なそうな目で見送っていた。本当にすごく寂しそうで、胸がいたかった。あの
おとんの目は忘れない。しっかりと記憶に残ってる。今でも思い出すと泣けてくる。
離婚してからすぐに引っ越し、二年程たってからあたしとお兄とおかんの三人で暮らして
いた家に、一通の郵便物が届いた。
写真が入ってた。
おとんの結婚式の写真だった。
再婚者との。
以前まだおとんと四人で住んでいた家の住所変更をして、前の家宛ての郵便物は私達の家
に転送する様にしてあった。
たぶん誰かがその時には誰も住んで居なかった家に、まだおとんが住んでいると勘違いし
て間違えて送ったんだろう。
あたしはまだ小さかったし、その写真は見せてもらえなかった。
あれから十年くらいたった。あたしも恋愛する年になって、その時のおかんの気持ちを考
えると、切なくてたまらない。
ねぇおとん何で?何年もずっと一緒に居た人を、たった一年や二年で忘れてしまうもの?
偶然にも再婚者の結婚式の写真がうちに送られてくるなんて。
あたしとお兄の為に、昼も夜もなく必死で働いてたおかん。辛いところなんて見せた事な
かった。
だけど今は分かるよ。
一度愛して、結婚までした人をそんな簡単に忘れる訳ないよね。
だから今だに再婚しないの?
おかんは、母親である前に一人の女なんだよね。
posted at 2012/08/03 0:17:46
lastupdate at 2012/08/03 23:39:18
【修正】
2012/08/05
[泣ける話]
土曜日の14時〜頃、コーカサス館で娘(小3)にバラソフトを
買って下さった方、有難うございました。
娘が戻って来て、買って頂いた事を知って慌てて周囲を探した
のですが、もう見当たらなくて。
娘に聞いたら、多分・・・携帯で見てたのは「2ちゃんねる」
だと思うと言う事だったので。
うちの娘、聴覚障害者でお金と「ばらソフトクリーム1個下さい」と
書いたカードを持たせて買いに行かせました。話しを聞くと、順番が
来る前に注文を書いた紙を出そうとしたらない・・・・
涙目になって、お姉さんのオーダーに答えようとしていたら、後ろに
いた「お兄ちゃん」が、写真を指差し、携帯画面で「これでいい?」て
聞いてくれたそうです。うん、とうなずいたら、そのソフトを2個
買って一つを娘に手渡してくれました。娘がお金を渡すと「いいよ、
お兄ちゃん一人で来たから一度二つ買ってみたかった」と言う文章を
見せてくれたそうです。
その人がここの人がどうか分りませんが、とにかくお礼を言いたかった
ので、こちらを借りてレスさせて頂きました。
どうも有難う。何度か万博へ行って色んな思い出がありますが・・・・
多分・・・この思い出が私の中でも、娘の中でも最高の思い出だと
思います。素敵な思い出をどうも有難うございました。
買って下さった方、有難うございました。
娘が戻って来て、買って頂いた事を知って慌てて周囲を探した
のですが、もう見当たらなくて。
娘に聞いたら、多分・・・携帯で見てたのは「2ちゃんねる」
だと思うと言う事だったので。
うちの娘、聴覚障害者でお金と「ばらソフトクリーム1個下さい」と
書いたカードを持たせて買いに行かせました。話しを聞くと、順番が
来る前に注文を書いた紙を出そうとしたらない・・・・
涙目になって、お姉さんのオーダーに答えようとしていたら、後ろに
いた「お兄ちゃん」が、写真を指差し、携帯画面で「これでいい?」て
聞いてくれたそうです。うん、とうなずいたら、そのソフトを2個
買って一つを娘に手渡してくれました。娘がお金を渡すと「いいよ、
お兄ちゃん一人で来たから一度二つ買ってみたかった」と言う文章を
見せてくれたそうです。
その人がここの人がどうか分りませんが、とにかくお礼を言いたかった
ので、こちらを借りてレスさせて頂きました。
どうも有難う。何度か万博へ行って色んな思い出がありますが・・・・
多分・・・この思い出が私の中でも、娘の中でも最高の思い出だと
思います。素敵な思い出をどうも有難うございました。
posted at 2012/08/05 0:03:01
lastupdate at 2012/08/05 0:03:01
【修正】
2012/08/07
[泣ける話]
中三の頃、母が死んだ
俺が殺したも同然だった・・・
あの日、俺が楽しみにとってあったアイスクリームを、母が弟に食べさせてしまった
学校から帰り、冷凍庫を開け、アイスを探したが見つからなかった
母親に問い詰めると、弟が欲しがったのであげたと言った
その時楽しみにしていた俺は、すごく怒った
母親に怒鳴り散らし、最後に「死ね!」と叫び、夕飯も食べずに部屋に篭った
それから何時間か経った
俺は寝てしまっていたが、父親が部屋に飛び込んできたので目が覚めた
「母さんが轢かれた・・・!」
あの時の親父の顔と言葉を、俺は一生忘れないだろう
俺達が病院に着いたとき、母親はどうしようもない状態だと言われた
医者は最後に傍にいてあげてくださいと言い、部屋を出た
それから少しして、母親は息を引き取った
その後、母親があの時間に外にいた事を父から聞いた
買い物に行くと言って出て行き、その帰りに車に轢かれた事
現場のビニール袋の中には、アイスが一つだけ入っていた事
救急車の中でずっとごめんねと呟いていた事
その時、俺のために母はアイスを買いに行って事故にあったとわかった
通夜と葬式の間中、俺はずっと泣いた
そして、今でもこの時期になると自然に涙が出てくることもある
母さん、ごめんよ
俺が最後に死ねなんて言わなかったらと、今でも悔やみ続けている
俺が殺したも同然だった・・・
あの日、俺が楽しみにとってあったアイスクリームを、母が弟に食べさせてしまった
学校から帰り、冷凍庫を開け、アイスを探したが見つからなかった
母親に問い詰めると、弟が欲しがったのであげたと言った
その時楽しみにしていた俺は、すごく怒った
母親に怒鳴り散らし、最後に「死ね!」と叫び、夕飯も食べずに部屋に篭った
それから何時間か経った
俺は寝てしまっていたが、父親が部屋に飛び込んできたので目が覚めた
「母さんが轢かれた・・・!」
あの時の親父の顔と言葉を、俺は一生忘れないだろう
俺達が病院に着いたとき、母親はどうしようもない状態だと言われた
医者は最後に傍にいてあげてくださいと言い、部屋を出た
それから少しして、母親は息を引き取った
その後、母親があの時間に外にいた事を父から聞いた
買い物に行くと言って出て行き、その帰りに車に轢かれた事
現場のビニール袋の中には、アイスが一つだけ入っていた事
救急車の中でずっとごめんねと呟いていた事
その時、俺のために母はアイスを買いに行って事故にあったとわかった
通夜と葬式の間中、俺はずっと泣いた
そして、今でもこの時期になると自然に涙が出てくることもある
母さん、ごめんよ
俺が最後に死ねなんて言わなかったらと、今でも悔やみ続けている
posted at 2012/08/07 12:58:03
lastupdate at 2012/08/07 12:58:03
【修正】